質問1
暗黙知が明文化されることはあり得ません。
人が経験や学習によって取得した知恵を二つに区分して文字や言語で表現できないものを暗黙知とし明文化できるものを形式知として大まかに分けた際に用いられる用語ですので明文化された暗黙知というものは存在しません。
質問2
自ら経験する以外に方法はありません。
読み取るのではなくいわゆる見様見真似で取得することになります。
蛇足
人が物事を理解するには理屈で理解する方法と好き嫌いなどの情で理解する方法と感性で理解する方法の三つの方法を総合して理解していると考えられています。
人は物事を理論的に考える際には言葉を用いて考えます。
言葉を用いて理解した事柄は言葉で書き表すことで伝えることができます。つまり明文化できます。
男女の間柄について何故相手が好きなのかを聞かれても上手く回答できないのは明文化できない情によって相手を理解している結果です。
音楽や絵画彫刻を理解する際に、一度も聞いたことがない音楽や一度も見たことがない絵画や彫刻の解説書を読んでもその音楽や絵画彫刻などを思い浮かべることができないのはこのためです。
思い浮かべるとしても精々過去に聞いたものや見たものと類似のものと想像するだけです。
音楽や絵画彫刻などを明文化できない感性で理解している結果です。
「百聞は一見に如かず」というのはこのことを言い表したものです。
「行間を読む」という言葉も書かれている文章の意味を理解するだけではなく執筆者の真意を読み取ることを言った言葉です。
禅の用語で「不立文字、教外別伝」というのも禅の悟りの境地は文字や言葉で表すことも教えることもできないということを表しています。
暗黙知というのはこのように情や感性によって取得された知恵を指す用語です。