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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:後に糧となった若い頃の苦労・挫折)

後に糧となった若い頃の苦労・挫折

このQ&Aのポイント
  • 若い頃の苦労・挫折を糧にして成長してきた経験を紹介します。
  • 直虎の舞台井伊谷を訪れた際に感じた思いや名所を紹介します。
  • 家康の若き日の勇敢さが後の成功につながったエピソードを紹介します。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.7

イソケンさんこんばんは、若い頃の失敗をまったく糧にしてないmikasaです・・・ 恋愛の話ですと、21の時に別れたT子。今まで何度も書いてますけど、今の妻との婚姻届を市役所に提出しに行ったら受け付けたのがT子でした。それまで自分の中ではT子とは自然消滅したつもりだったのが、「ああ、T子がプライドが高くて引き留められないのをいい事に、自分で勝手に黙って去ったんだった」って一気に罪悪感が押し寄せました。飽きっぽい私は濃密な時間がある程度続くと一人になりたくなって、他に好きな女性が出来たわけでもなく、その恋が超どーでもよくなっちゃう悪い癖があるのです。しかしその「婚姻届の一人勝手に修羅場事件」がトラウマとなり、理由も言わず黙って去る事の罪深さを思い知りました。 話は変わって、実は今度中学の同窓会があります。30年ぶりの同級生との再会です。最近こもりきりの私、ちょうどダイエットもしたし、お洒落して出掛けてみんなとの再会するのが楽しみです。しかし、同窓会が近づくにつれてひとつの懸念がじわじわ大きくなっていきます・・・ これも何度か書いてますが、18才の頃付き合ったM子、小中一緒で優等生で小学校の頃好きだったもんで、高校卒業したあと再会して付き合ったのですが、すぐ遠距離恋愛になり、例によって(前述の話より前の話ですが)どうでもよくなり、電話も手紙も無視して自然消滅を狙っていました。するとある日突然M子が両親を連れて私のバイト先に攻め込んできました。私の方が一瞬早くそれに気付いてトイレに籠城、バイト先を一通り探して私がトイレにいると踏んだM子はトイレをドンドン叩き、「mikasa!何で会ってくれないの!好きな女でもできたの!」と怒り狂い、私はトイレの中で震え上がってました。諦めて帰るまで20分くらい堪え忍んだでしょうか。我ながら非道い別れ方でした・・・ その数年後、地元でM子とはニアミスしているので、おそらく地元に居ると思われ、同窓会に来る可能性も高いです。自分の城にこもって籠城してれば良いものを、同窓会という名の三方ヶ原にのこのこ出掛けて修羅場となるか!私の運命やいかに!・・・脱糞くらいするかもしれません・・・汗

isoken
質問者

お礼

mikasa さん、こんばんは。 そもそも恋愛・結婚というカテゴリーは、恐らく最も学習効果が発揮され難い分野ではないのでしょうか、同じような過ちを繰り返す知人の姿を、随分と見て来た気がします。 その女性は3度結婚していますが、くっ付く相手というのが甲斐性無しのダメ男ばかり、その度に相談に乗って来ましたが、お陰で ヒモ という商売が成り立つメカニズムの解析に、大いに役立ちました。 結局選ぶ側の嗜好の問題なんですね、生活力はゼロだが女性にマメ且つ成就しない夢を持つ男に対するニーズが、いつの世にも或る一定量あるんでしょう、そこで互いに傷を舐め合ってしまう、つまり ショーウィンドウ に飾られた必要悪という事です。 >その数年後、地元でM子とはニアミスしているので、おそらく地元に居ると思われ、同窓会に来る可能性も高いです。自分の城にこもって籠城してれば良いものを、同窓会という名の三方ヶ原にのこのこ出掛けて修羅場となるか!私の運命やいかに!・・・脱糞くらいするかもしれません・・・汗 籠城戦は得策ではありません、 同窓会会場に 鶴翼の陣 を敷き、天下無敵の騎馬軍団に決戦挑んだ家康を見習って、男らしく討死して来て下さい、無論香典ははずみます。 まあ分かるんですよ、ちゃんとした別れの手順を踏むのが面倒臭いって事と、それほど惚れていない相手との愁嘆場は勘弁して欲しいという気持ちは・・、自然消滅が一番楽ですしね。 それにしても姿をくらませたり・友人に押し付けたり・・、世間を狭くする酷い別れ方は、私としても随分して来たつもりですが、 mikasa さんは私以上の悪魔ですね・・確実に、お見逸れしました。 回答ありがとうございます。

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  • eroero4649
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回答No.4

オカルトマニアならば「ムー」が外せないように、歴史好きが外せない学研のド定番雑誌「歴史群像」の最新号は「関ケ原合戦の真実」。戦国時代を締めくくる世紀の一大決戦が実は後世の(ほぼ)捏造で、実際の戦いはショボい局地戦に過ぎなかったという衝撃の内容です。最近、この説がどうもあちこちで囁かれているようです。「聖徳太子って人はいなかった」級の歴史好きとしては嫌な話であります・笑。 さて、三方ヶ原合戦も、実は私は局地戦か小競り合い程度に過ぎなかったのではなかったかと思っているのですよ。その理由は「徳川方の主だった武将が誰も死んでいない」ことです。 もうひとつの織田・徳川連合軍対武田軍の一大決戦である長篠合戦では、武田方の主だった武将の多くが戦死しているように、通常は一大決戦といえば特に敗北側に多くの戦死者を出すのがお約束です。「主君家康を守り通すため、武将〇〇が殿軍で踏みとどまり壮烈な戦死をした」みたいな話が一切ないんですね。ないこたないけど、メジャーな武将は絡まない。本多忠勝も酒井忠次も榊原康政も石川数正も、みんな死んでない。負傷もしてない。命からがら逃げたんじゃないの?恐怖のあまり脱糞したんじゃないの?そんな大混乱でどうして誰も死んでないの?って思うのです。 だから一番納得がいく答えが「後から一大決戦ということにした」ではないかなと。徳川家には旧武田家家臣も多く逃げ込みましたから、武田家が持ち上げられるのは別に悪い話ではないのです。 閑話休題。さて本題ですが、男の人生にとって「糧となった苦労・挫折」なんて戦争があったとか生まれた環境が過酷だったとかじゃない限りは、己の愚かさ、弱さ、至らなさで招いたことばかりです。だから思い出しても口の中に苦い味と古傷がうずくだけのことですので、あまり思い出したくもございません・笑。臥薪嘗胆とはよくいったもんですよ。

isoken
質問者

お礼

eroero さん、こんにちは。 >戦国時代を締めくくる世紀の一大決戦が実は後世の(ほぼ)捏造で、実際の戦いはショボい局地戦に過ぎなかったという衝撃の内容です。 そもそも断定可能な史実の方が少ないのは恐らくその通りでしょう、ただこの歳になって、 あの 天下分け目の 関ヶ原 が単なる局地戦だったと言われても困ります、皆さんと語る上での大前提が揺らぐってのは迷惑ですねぇ。 第一 司馬遼太郎 さんが黙っちゃいないでしょう、きっと天国から訴訟を起こされると思いますよ、営業妨害だって・・。 >さて、三方ヶ原合戦も、実は私は局地戦か小競り合い程度に過ぎなかったのではなかったかと思っているのですよ。その理由は「徳川方の主だった武将が誰も死んでいない」ことです。 私が知る限り 夏目吉信 と 成瀬正義 辺りでしょうかねぇ、討死した中で辛うじて旅団長クラスと言えるのは・・、ただ確か織田の援軍で 平手汎秀 が戦死しておりますよね、彼は信長の守り役だった 平手政秀 の孫ですから、宿老級とは言えないまでも決して軽い武将ではなかったはずです。 それと少し調べてみましたが、 三方ヶ原 で徳川方の戦死者は約1割・・ほぼ千、仮にこの数字が正しいとすれば、戦線維持が困難でありますし、1万5千を擁した 長篠の戦い に於ける武田方の戦死が実は約千程度 ( 掃討戦での戦死は含みません ) でしかなかったと言われている事を思えば、壊滅的な打撃と言って差し支えないでしょう。 逆に私には、 内藤 ・ 馬場 ・ 山県 という名立たる名将・猛将が討死した、長篠の戦い の方が余程稀なケースであったと思われるのですがどうでしょう。 それもほぼ退却戦に於いてという、その辺りの背景を勝手な憶測で申し上げれば、一つにはこの敗戦を機に今後益々凋落するであろう、武田の近未来を我が目で見たくないという或る種の厭世感。 更には 信玄 の没後起こった家政内力学の変貌、つまり信玄の時代であればあの状況下での突撃中止を当然献策したであろう重臣達が、代替わりに依り台頭した 穴山梅雪 を始めとする親類衆に遠慮して、 勝頼 に対し進言出来なかったという或る種の後ろめたさ、その2点に依り選択した消極的な討死ではなかったろうかと思います。 回答ありがとうございました。

回答No.3

isoken大センセお邪魔します >後に糧となった若い頃の苦労・挫折 高校生の頃からバイト三昧でした 前にも話したような記憶があるんですが(亀兄さんだったっけ?)、お蕎麦屋さんに自ら売り込みに行き、夏休みだけという条件で採用されました そこでオバァ連中に可愛がっていただき、続けて来て欲しいと言われ土日はずっとバイトしていました 高校を卒業して辞めることになったとき、旦那さんからお手当をちょうだいしました 今でも年に1回~2回ですが食べに行きます あの時、色々と躾けて頂いたことに感謝しています

isoken
質問者

お礼

ミッタン、こんにちは。 >高校生の頃からバイト三昧でした 蕎麦屋さんていうのは、お洒落な ミッタン らしからぬまたえらく渋いバイトですが、まあ若者が社会を知る第一歩でしょう、両親の庇護を脱し如何なる我儘も通用しない点に於いて・・、第一親からもらう小遣いだけで足りる訳がない。 >そこでオバァ連中に可愛がっていただき、続けて来て欲しいと言われ土日はずっとバイトしていました おっさんはともかくおばちゃんに好かれるってのは或る種の才能、誇っていい事だと思いますよ、トロくて愛嬌が無い娘がお願いされる事はないでしょうしね。 >高校を卒業して辞めることになったとき、旦那さんからお手当をちょうだいしました 一応念の為にお聞きしますが、妙なお手当じゃないですよね、セーラー服を着たり脱いだりする・・、失礼しました。 >あの時、色々と躾けて頂いたことに感謝しています そういうところが ミッタン の可愛いがられる所以だろうと思います、何せおばさんが同性を見る目は厳しいですからねぇ、我らおっさんは若い娘というだけで甘くなるのですが・・。 回答ありがとうございました。

回答No.2

 「若い時の苦労は買ってでもせよ」  これは男性にあてはまります  何故なら苦労した女はあまり良いものではないから  でも苦労は女の方が多いのですよ  男性の皆様は 女の本当の苦労をご存知ない  そして世の中は女の苦労で成り立っているんです。  小池都知事もご苦労でしょうね  初めての女性都知事  いくら女性が社会進出したとはいえ  男性の魑魅魍魎がうごめく世界へ 私はちょっと御免です  でも興味が無いわけでもない もう少し若かったら   なんて 思うときもあります。  さて若い時の苦労  売りたいほどあります。    夫の死 長男の死 起業 3度の倒産  娘婿のリストラ 孫は1人障害者  再婚した現夫は今 障害者1級1種  車いす生活で 入浴 トイレ 着替え 寝返り   すべて介助が必要 障害認定6  私は内臓疾患で病気6つを抱え障害者2級1腫  その他 女として生まれて法に触れること以外は  何でも経験しましたよ  そして乗り越えてきました。  現在新しい事業を夫と共に始めつつあります。  お蔭様で悩み事相談はなんでもOK  恋愛 失恋 事業の失敗 OLもしました  社員の横領1億  友の裏切り  子供も男女産み育てました   二人とも一応の大学にも入れました。  同棲  男性の裏切り(何人か)  夫の放蕩   天国から地獄までの落ちていく苦労も味わいました。  同性の 妬みも恨みも意地悪も  二人の姑との対決(同居もしました)  そして夫の介護まで・・・その他いろいろ  これ以上何がありますか?  それでもこの世は面白い  (作家さんや女性画家の言葉ですが同感です。)  私の出した結論は「なるようにしかならない」です。  元気で生きて行きましょう!!      

isoken
質問者

お礼

purimuro-zu さん、おはようございます。 >男性の皆様は 女の本当の苦労をご存知ない >そして世の中は女の苦労で成り立っているんです。 仰る全てはその通りでしょうし反論の余地はゼロ、ただね女性の苦労を実は知っているんです、家事全般を含めた銃後の守りというものが、口で言うほど簡単じゃない事も分かっている。 ただ我々亭主はその殆どを薄々理解しつつ、カミさんの苦労の上に胡坐をかいているのだろうと思います、私なんてその典型でありまして。 俗に一歩外に出れば7人の敵と言いますが、男が仕事で抱えるフラストレーションなんか実は大した事ないんだろうと思う、 2 ~ 3 軒飲み屋を梯子して上司と客先の悪口を言えば解消する程度の軽微なものでしょう、女性が溜め込むストレスに較べれば・・。 >小池都知事もご苦労でしょうね >初めての女性都知事 小池さんという人は大した女性ですねぇ、パパの威光とベテラン秘書の献身が無ければ何も出来ない、ひ弱い 2 世 3 世の議員連中に爪の垢を煎じて飲ませたいほどです、我が政界に於いて独り異彩を放つ マキャベリスト でもある。 何せそこいらの有象無象の男性議員なんかいとも簡単に蹴散らすパワーと、閃光のように迸る頭脳そして切れ味鋭いコミュニケーション能力がある、彼女こそ天性の政治家ですよ、もう10歳若ければ初の女性首相は揺るがないところだったでしょう。 ただですね、彼女に何か一つ欠けているものが仮にあるとすれば、愚直さというものなんでしょう、つまり頭が良く・反射神経に優れている人間にありがちな変わり身の早さが、周囲に「 反覆常ない 」 ・・という印象を付与するのだろうと思います。 >夫の死 長男の死 起業 3度の倒産 >娘婿のリストラ 孫は1人障害者 >再婚した現夫は今 障害者1級1種 >車いす生活で 入浴 トイレ 着替え 寝返り  >すべて介助が必要 障害認定6 >私は内臓疾患で病気6つを抱え障害者2級1腫 苦労らしい苦労を何一つ知らない私如きが、何を申し上げても空虚にしか響かないでしょうから控えますが、それにしてもです。 大変申し訳ないが、その状況で仮に私なら全てを捨てて逃げちゃう、見知らぬ土地に逃避行して新しい生活を始めると思います、神様だってきっと許してくれるんじゃないでしょうか。 >恋愛 失恋 事業の失敗 OLもしました >社員の横領1億  友の裏切り >子供も男女産み育てました  >二人とも一応の大学にも入れました。 恐らく如何なフィクション作家も、そこまで不条理の波状攻撃をテンコ盛りには出来ないでしょうが、それでも尚良質な教育を心掛けてらっしゃる、中々出来ない事です。 確かお嬢さん 女学館 でしたよねぇ、我々の時代から英国の女学校をベースにしたその校則の厳しさは有名でした、名にし負うお嬢さん学校でもある訳で・・。 何度も言いますが、 女学館 のあの制服は、渋谷界隈に通う全男子高生の憧れの的・・、決して言い過ぎではなかろうと思います。 さて purimuro-zu さんと私共通のキーワードは恐らく渋谷・・、 東急文化会館 も 東急プラザ も無くなりました、東急文化会館 なんて渋谷のシンボルの一つだったでしょう、映画と言えばここでしたしね。 その脇にあった ボルツ で辛さ5倍のカレーを食べ、その先の パティオ でデートの待ち合わせをしたもんです、ところが渋谷駅付近の再開発も今や佳境を迎えておりまして、今建設中のビルは ヒカリエ を超える地上46Fの超高層ビルだとか、何もそこまでしなくてもいいのに・・と、古き良き渋谷が好きな私なんか思っちゃうのですが・・。 >それでもこの世は面白い (作家さんや女性画家の言葉ですが同感です。) >私の出した結論は「なるようにしかならない」です。 >元気で生きて行きましょう!! 或る種の達観なんでしょうね、確かになるようにしかならないのが人生。 回答ありがとうございました。

  • kamejrou
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回答No.1

こんにちはisoken さん 見掛けませんので、はて?と心配しておりましたがお元気そうで何より 良い旅になりましたか? ほう、私は浜松の鰻は地元で食べたことはないのですが蒸さない? 関西風なのでしょうね 北海道もそうですがいわゆる素焼きと言うものにする 蒸したものよりは歯触りを楽しめる、まあ好みでしょうが 家康の三方ケ原❓ まあこの話はisoken さんとは何度かお話させていただいてますが 人には運を天に任せて踏み出さなければいけない場面が必ず人生の中にある そこがその人の一生の岐路にもなるのでしょうね 仰る三方ケ原の敗北は家康とって辛いものでしたでしょうが 代償は街道一の弓取りと言う誉れを得た 後世、家康を石橋を叩いても渡らぬ臆病者と言われる方もおられるが そうではない要は見極めでしょうか? Isoken さんには釈迦に説法ですが 信長の桶狭間然り、秀吉の滝田口のしんがり然でしょうが 滝田口でしたか?最近は物忘れがひどいのです これは今の我々にも言えることでしょうね 失敗を恐れていては何の結果も得られないまず挑戦しなくては こんな場所で女性ならいざ知らず 若いであろうに昼日中から能書きを言ってるのもどうか?とも思うのですが ここはこんな場所なんだと思っておりますが もう随分昔のことです 話したでしょうか? 私は学生の頃、同棲している女性がおりました 私も色々しておりましたが名古屋の人を追いかけてみたり 小さなスナックのママに入れあげてもしてました 彼女結婚しましてね 私もisoken さんとのお付き合いも長くなりましたがこれは初めて話す 電話がありましてねえ よせばいいのに新婚の住居に出掛けていった 私は本当に人でなしなのです 回答は男と女の事は理屈ではどうにもいけない事がある

isoken
質問者

お礼

kamejrou さん、こんばんは。 今回の旅行は新東名経由でしたから、北部山側からのアクセスになりましたが、インターを降り 井伊谷 へと向かう道すがら目に入って来る風景と言えば、高名な地方都市 浜松 の先入観とは聊か異なり、井伊の隠し田を想起させるほど木々が生い茂る草深い里でした、・・とまあ、本質問は kamejrou さんに報告申し上げる為に立てたようなものです。 例の 小野政次 の墓にも詣でて参りました、昨今は便利なものでちゃんとナビが誘導してくれるのですが、これが県道から少し入った場所に建つうらびれた墓石でありまして、謀反の嫌疑を掛けられた人間の末路はやはりこうなるのかという見本のようなお墓でした。 それこそ駐車場なんかあるはずもなく、他人様の迷惑を顧みず県道に路駐して急いで手を合わせて参りました、無論 kamejrou さんのと併せて二人分をです。 >私は浜松の鰻は地元で食べたことはないのですが蒸さない? >関西風なのでしょうね 仰る通りで関西風ですね、東京で鰻を注文すると最低でも30分は待たされますが、蒸らしがないせいでしょう、驚くほど早く出て参りました。 もっとも浜松で頼んだ鰻重松は、9000円近くした 入谷鬼子母神 前 「 のだや 」 の半値ですから、リーズナブルと言えばそうです。 ところで何だかんだ言って B 級グルメを含めた食のレベルは、関東より関西の方が上というのが持論ですが、こと鰻に限っては江戸前の圧勝でしょうかねぇ、寿司と天婦羅もそうですが。 >仰る三方ケ原の敗北は家康とって辛いものでしたでしょうが >代償は街道一の弓取りと言う誉れを得た 浜名湖の東岸・・実際にあの場所に立つと、富士の裾野を抜けて西進して来た武田軍と、浜松城を出て北上し 三方ヶ原 に展開した徳川軍の行軍が、何となくイメージ出来るのです。 >後世、家康を石橋を叩いても渡らぬ臆病者と言われる方もおられるが そうではない要は見極めでしょうか? まさにその通りでしょう、げんに家康は関ヶ原で全身代を賭けている、或いは 毛利 と 小早川 の調略が成功した時点で、勝敗は決していたと言われる方がおられるかも知れませんが、いざ戦となればどう転ぶか分かったものじゃない事を思えば、彼にとっても 乾坤一擲 の大博奕だった点は否めない、何せあの一戦で負ければ、幼少より辛酸を舐め営々と積み上げて来た250万石は露と消えたのですから。 例えば 姉川の戦い にしたって、三河勢の奮戦が無ければ恐らく 信長 の勝利は無かった、それ以外にも 北条と槍を合わせ・上杉と対峙しました、極めつけは 秀吉 率いる天下の大軍と正面からぶつかり合った 小牧長久手 ・・、戦国の世とはいえ彼ほど華麗な戦歴の武将は稀でしょう、若い頃は泥橋を百も承知で渡っておりますしね。 >これは今の我々にも言えることでしょうね >失敗を恐れていては何の結果も得られないまず挑戦しなくては 仰りたいのは 金ヶ崎 のしっぱらいの事だと思いますが、 kamejrou さんが先に述べておられる通り、人生に何度か・・特に男は勝負に出ねばならない時がある、あの時賭けるものが無い 秀吉 は世に出る為に命を張った、そういう事であったのだろうと思います。 その点は現代社会に於いても全く変わるところがない、先ずは自力で何とかしてみせねば他人は助けちゃくれませんよね。 >若いであろうに昼日中から能書きを言ってるのもどうか?とも思うのですが >ここはこんな場所なんだと思っておりますが 底の浅い知識は、やはり舞台裏が透けて見えるものです、必ずしも全てが経験とは申しませんが、何等かの裏付けがない意見が空虚且つ説得力に欠けるのはその通りでしょう、それ以上に修羅場も潜った事が無い人から、ああだこうだと言われましてもねぇ。 >回答は男と女の事は理屈ではどうにもいけない事がある そりゃ神ならぬ身ですから、何も無い方がおかしいでしょう、ここまで明け透けに身を曝け出している私にだって、人前で言えない事はたくさんありますよ。 回答ありがとうございました。

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