ヨーロッパで「上流階級」「知識層」と言われる人間になるには、ヨーロッパ古典(多くの場合ラテン語で書かれた文学や論文、場合によりギリシャ古典も)の知識は必須ですよ。
アメリカだって、実用的な学問の地位がヨーロッパより高いのは確かでしょうが、古典の知識が尊重され、それを勉強するのは「良いこと」で「頭のいい人がやること」というのは同様です。
統計学の話で、統計から得られた結論に安易に飛びつくな、という話の引き合いに出されるこういう話があります。アメリカで、学業の成績がいい生徒と、ラテン語を学習している生徒の相関関係を取ったら、学業の成績はラテン語の学習をしている率と正の相関関係があった、つまり成績のいい子はラテン語を学んでいる可能性が高かったというのです。つまり、ラテン語を学ぶと頭が良くなる?違いますね。元々頭のいい子が、勉強の成績が良く、頭がいいから、ラテン語みたいな難解な言語も学べるということです。
この話からわかるのは、ラテン語を学ぶことは「いいこと」だと考えている向こうの文化的考え方です。
フランスのバカロレア以上の高等教育入学資格だって、古典の知識はかなり問われます。なんかヨーロッパの教育を変に理想視している人たちは、実際に役立つ試験を口頭試問で問うているように思っている人も多いようですが、何かを聞かれて当意即妙に古典を引用できるのが「頭がいい」とみなしてもらえる条件です。
アメリカでは特に顕著ですが、インテリの条件は弁舌でもって人を説得する能力が高いことです。大統領選挙なんか見てたら、それはわかりますよね。それは程度の差こそあれ、ヨーロッパ各国でも同様です。そして説得力のある弁舌というのは、背後に幅広い教養を必要とするのですよ。
お示しになったスクールカーストだって、全体的に「知識の幅が狭いほど低くなる」感じがしませんか?ブレインというのはガリ勉と訳してありますが、日本語で言うと「専門バカ」に近い語感でしょう。アメリカンジョーク集とか、図書館なんかにもありますんで機会があったら読んでみて下さい。古典とか、古典まで行かなくても過去の学者の言ったことのパロディなんかふんだんに含まれています。おそらく日本語に訳したらほとんどわからないだけで、向こうにはそういうジョークが山ほどあるんでしょう。
日本というのは開国以来欧米先進国に産業の点で追いつき追い越すのが至上命題でしたから、具体的に役立つかどうかというのが学問に対して要求される最大の問題でした。ですから、具体的に「金銭に変わる」学問の地位が高いです。ですが一方でこういう言い分を聞いたことはありませんか?「日本人はジョークが下手」。
日本人にユーモアやウィットが欠けているわけではないんですよ。ただ、欧米人には「基本的教養」として共有されているヨーロッパ古典の知識が日本人にはないので、ジョークを飛ばして「ああ、あれのことを言っているんだな」とピンときてもらえる余地が日本人には元々少ないんです。
ある同時通訳の人の著書で知ったことですが、ああいう人って通訳する人の言ってることをひたすら訳していればいいんではないそうです。で、日本人が話しているときに語呂合わせのダジャレ(英語でpunといいます)を言ったときに、"Man shall not live by pun alone."とフォローすることがあるそうです。これは言うまでもなく聖書の"Man shall not live by bread alone."(人はパンのみにて生くるものに非ず)のもじりですが、日本語でBreadは「パン」と呼ばれていることは結構有名で、欧米人にはそこそこ受けるそうです。これなんかは、原典が聖書ですから日本人にもある程度わかりますよね。
ジャンルにもよりますが、欧米では地位の高い人になるほど持っているべきこういう教養は深いほど良いとされます。「金銭に交換」できない知識の使い方が日本人は下手というのが私の実感で、「論破」するのがインテリのやることと思っている人が多いようです。「ほら、論破したぞ!これで何も言えないだろう!(ドヤァ)」とやられていい気分がする人はいないでしょう。日本人は「みんな同じ」が当たり前で、異分子を排除する必要性があるから「意見の違う人」を「論破」してはじき出すのが「偉い人」なんでしょうが、欧米は根本が「みんな違う人」ですから、話し合って「そうだね、賛成だ」と言わせることができるのが「偉い人」です。話し上手かつ説得上手というのは、幅広い教養を持つ人にしかなれないものなんですよ。自分の言ってることの正当性というのは、どう頑張ったって過去からしかやってこないんですから。
ドラマJINというのは私は見てませんし内容も知りません。民主主義というのをあなたがどういうものを指して言っているのかもよくわかりません。ですが、昔フランスでは大砲の砲身に「王の最後の言葉」という言葉が刻まれていました。俺の言うことを聞かないと最後にはこれでドカンとやるぞという意味です。一方で、たとえば忠臣蔵の四十七士なんていうのは幕府のお布令に照らせば明らかに間違ったことをしていましたが、庶民からの人気は高く、この四十七士の処分に関して幕府は慎重に庶民の評判を伺っています。これはかなり「民主主義的」だと思うんですが、現代人が江戸時代にタイムスリップしたとして「外国のフランスでは王が大砲で庶民を脅している!日本では幕府が庶民の評判をよく聞いて為政している!素晴らしい!」と言って回ったとしたら「民主主義の布教」出会っても幕府に捕縛されて拷問されて死ぬなんてことはないと思います。