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日本人が歴史的に白人の容姿を羨んだり、綺麗だという
日本人が歴史的に白人の容姿を羨んだり、綺麗だというふうに考えたのはいつごろですか? 鬼のような顔と言われたり、天狗は外国人だったという説もあると聞きました。
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明治に入ってからです 福沢諭吉の教えで、西洋文化を手本にする考えが生まれました その影響が今も残るその一因かと
- hue2011
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羨むという話でないレベルでは、古代からあったんじゃないですか。 織田信長の家臣に黒人がいたとかそういう伝説がありますし、国外の違う地域から来た人間だというのは、鎖国なんかしていなければ普通に起きることですし、何も思わなかったと考えられます。 白い肌とか青い目の人間はいたでしょう。 それを珍しいなと感じても、こうなりたいとは普通考えないでしょう。この人は青い目のひとなんだと思うだけです。 鎖国ということになったため、話は変わった。海外民族はあぶないやつだという見方をする変化がでてきたわけです。 これをキリシタンバテレンと呼んだところで、宣教師迫害とつながりますので、意識的には秀吉以降でしょう。 これは別に他民族を羨んだりするのとは違います。17世紀に髪を脱色したいなんて思った人間がいたとは思えません。 「青い目の人形」という歌が発表されたのは昭和2年で、米国からの親善として送られてきたものを評価し感謝するために作られたものですが、ここにも別に人種差別的な意識はない。この人形は青い目だなと思うだけです。 とはいえ、あの国は伝統的に人種差別国家で、黒人は社会の目立つところに出てきてはいけない、同じ空間で飯食ってはいけない、というような風習が、リンカーン以後もありました。隔離するために「Colored」という標識が平気で出ていたものです。もちろん白くないという意味ですからわれわれアジア人も色付きですからこれに入ります。原則は。 これが明白になってきたのは戦争です。ヒトラーはドイツ民族だけが優秀で他民族は低能だという意識で演説しましたので、第一次大戦に負けてうじうじしていたドイツ人に大うけしました。だけど、そのあと三国同盟を結ぶ必要があり、なんと色付きのイェローモンキーと手を組む必要がでたので、「名誉アーリア人」と呼ぶことにしたのです。これは「おめえらは差別せんよ」だけのことなんですが、名誉などとついているため、アーリア人に尊敬される民族だと読み替えたのが東条英機です。 そもそも名誉などと言われることは差別を前提とした話なんです。 「名誉白人」などという言われ方を日本人がされたこともあります。南アフリカですが、あれはイギリス系が支配し黒人を奴隷扱いしていた国家だったので、日本人は違うよといいたかったわけです。 やっぱりこの場合も、日本人が変に区分けされ大事にされますから、日本人は優れているかなと勘違いした人間がいたはずです。被支配の黒人に対していわれた呼称が、支配側の白人よりも名誉なことと感じるのですね。 こういう経緯があると「おれたちは本来は差別されているんじゃないか」という意識が高まります。 で、そのひねくれ意識で白人の顔を見ると、ああ青い目がいいな、とか金髪がいいな、とか抜けるような白い肌、が価値があるように見えてくるわけです。 この価値観はおそらく戦争と平行して起きてきたことだと思います。 それが、敗戦しましたから、ああ敵から差別を受ける時代になったんだと思い始まったと思われます。 敗戦時は、敵国が上陸してきた男はすべて股間にレントゲンを当てられて不能にされ、女たちは餌食になるという噂が飛び交いました。 ところが進駐軍が来てみると、女たちが餌食というより女たちが餌志願みたいな行動をとった。これはサルの群れで新しい強いオスがやってくくると尻をふって種を欲しがるのと同じです。この意識では、自分の子は金髪で青い目で、という希望が入っているはずです。 そこまでいかない人間でも、映画館にいくと、長い並木の道をすっと歩く金髪のすらりとした女とか、友達を殺した傍ら海を見つめるフランス人青年の目、とかを見ることになりますと、あああれはいいなと思うのは自然です。映画の中には夢の世界があって、そこには思うままの華麗なことが展開しています。 不良青年たちがマンボを踊り狂い、そのピタリとした踊りとわかりやすい芝居で、マリアがいいとかトニーがいいと思った人間も大量に居たはずです。 おそらく外国の白人が素敵だとか、間違ったらああいう存在になりたいと考えるようになったのは戦後だと思います。 さすがに最初はそう思ってみるだけで、実際にやりはしませんけど、世代が変わるとき、つまり30年ほどたった時、ビールで髪を脱色したり、出現したカラーコンタクトをつけたり、全身脱色をしたりする人間が実際にでてくるようになったわけです。 いま、どうかすると日本人を名誉白人だなどと呼びかねない人物が米国に居ますが、ここはよく注意しておかないといけないと思います。
- meido2010
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青森県にイエスキリストの墓がある。という噂があるのを知らない でしょうか。 イエスキリストは二人いた。というのもまことしやかに伝えられて います。 つまり、紀元当初から国際交流は行われていた。ということです。 日本の民謡にも古代ヘブライ語と思われる歌詞もあるくらいで、 当時から白人や中東からの流れ者が日本に辿り着いていたと思って 良いのではと思えてなりません。
昭和20,30年代ゃないですか? その頃になって初めて、一般国民が海外ドラマや映画を見ることが出来て、憧れたんじゃないでしょうか。