• ベストアンサー

人間関係を、投手と捕手の<関係>にたとえると

以前、パートナーとの信頼関係にかんする質問をしましたが、これに関して、人間関係、とりわけ、ロマンチックな人間関係(恋愛関係、あるいは、非常に親密な関係)を、野球の投手と捕手の<関係>にたとえることはできますか? いままで恋愛にかんする質問をしてきました。たくさんの回答をいただいて、とても勉強になりました。しかしながら、いまだに「実践」にはいたっていません。また、質問をするたびに、新しい疑問がでてきます。 以前、パートナーが浮気をしていないと確信している<根拠>について質問したところ、そのような<根拠>は基本的にないという内容の回答をいただきました。パートナーの行動を毎秒ごとに「監視」することは効率上、非常に悪いものですから、パートナーのことを「信じている」という内容の回答もいただきました。 パートナーがどのような人物なのか、どのような素性の持ち主なのか、どのような行動をしているを細かく把握することは、事実上、不可能です。悲しいかな、ある日、パートナーがどこかで「火遊び」をしていることも考えられます。そのようなときに、「適切な対応」をとることができるか否かが、パートナーとの人間関係にとって重要なものではないかと考えました。相手が「火遊び」をしていないとは、100%言い切ることはできない、でも、万が一、そういうことがあったときに、「寛大な対応」ができる人が、いわゆる「器の大きな人」、ということになるのでしょう。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • u-lily
  • ベストアンサー率41% (307/746)
回答No.6

野球そのものにあまり詳しくありませんが… 信頼関係を築く相手との関係としては同じように言えると思います。 やはり、投手、捕手の関係がうまくいっている関係は、「相手をよく見ている」関係なのではないでしょうか? 監視している、ではないですよ? 常に相手と向き合い、捕手ならば、相手の投げ癖、好み、タイミングを学習し、投手なら、投球計画の癖や、「これくらいなら受け止めてもらえる」という信頼を学習する。そのうえで、ちゃんと相手を見て、投球、捕球する。そうしていると、「今日は調子が悪いな」「いつもと違うな、何かあったかな?」ということまでわかってくるのではないでしょうか?また、いくらわかりあった関係でも、よそ見をしたまま投げては、まともな受け投げはできないでしょう。 恋人同士でも同じではないでしょうか? 相手のことをちゃんと見て、相手を知る。 常に真正面から相手の言動を見ていれば、「嘘をついている」か「自分をちゃんと見ているか」「心がここにあるか」という気持ちが自ずと伝わってきます。そして、相手もまた同じように見ていれば、「自分も相手が何かおかしかったら分かるように、浮気なんかしたら相手にばれちゃうだろうな」と、抑制力にもなる。何時何分に何をしていたか、という監視ではなくとも、相手の「変化」はわかってしまうから、「信頼」を壊したくない、と思っている相手なら火遊びなどしません。 「恋愛」というマウンド上で、お互いをよく知り、わかりあった上で投げあう。それを通じて相手という人間との一番いい位置を確かめあう、そんな関係かな?なんて。 とりとめなく思うことを書いてしまいました。 筋が通っていなかったらごめんなさい。 参考まで。

noname#189117
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 現代日本社会の人間関係においては、「ボールを投げたら、後は野と慣れ山となれ」という考え方の人間が、たくさんいると思います。「フォロー」などという言葉をつくりながら、人間関係には真摯でない人々が多いことに、悲しさを感じています。

その他の回答 (5)

  • DMDsi
  • ベストアンサー率18% (2/11)
回答No.5

面白い質問ですねw 僕が思うには、キャッチャーはピッチャーを信じてサインを出す。ピッチャーは、キャッチャーを信じてそこに投げる。 そして、投げる球がなくなれば、キャッチャーはピッチャーが一番自信のあるボールを要求。それを理解したうえでピッチャーは全力でミットをめがけ、腕を振る。ピンチになれば、お互いアイコンタクト、あるいは話し合い、幾多ものピンチを切り抜ける。 ピンチになればなるほど絶大な信頼が生まれてくるのです。 しかし、お互い人間。意見が食い違うこともあります。サインが合わなかったり、タイミングが合わなかったりと・・・。 そして、キャッチャーは仕方なくピッチャーの投げたい球を要求。逆に、絶対に打たれてはいけない場面では、たとえ投げたくないようなボールもピッチャーは、キャッチャーのリードに従い投げる。 もうお気づきでしょうか? 結局は、バッテリー共に、信頼し合ってるんです。 これが、本当の「パートナー」という存在ではないでしょうか。 なんか回答になってませんねw  目を通していただけると幸いです。

noname#189117
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 「フォローしあう関係」でもあると思うときがあります。

  • goozozo
  • ベストアンサー率5% (54/1009)
回答No.4

キャッチボール相手ですよね! 喧嘩中は暴投またはデッドボールでしょうけど。

noname#189117
質問者

お礼

そうかもしれません。

  • gtrhuj
  • ベストアンサー率1% (1/100)
回答No.3

真理は存在しません。妥協しましょう。

noname#189117
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

noname#191700
noname#191700
回答No.2

質問者様は、なぜ生きているんですか? それを、誰もが納得できる理に適った説明できますか? 「説明できないなら死ね」と言われたら どうするのですか? 人間関係に物理的な理屈を持ち込む事を「屁理屈」と言います。 明らかな自慰行為なのですが、 鏡となる相手がいないと永久に気づきません。 質問者様の投稿には、そのような思想がプンプン匂います。 パートナーの行動を監視する? やろうと思えば今の世の中可能ですよ。 実際にそうやっている連中もいますからね。 でも大多数はやらない。 必要ないからね。 信じている、という事を誤解していますね。 自分自身を信じる事ができない人が相手を疑います。 自信を持っている人はそれだけで魅力ありますから パートナーは自然と付いてきます。 お互いがそういう状態であれば信頼関係が成り立つ。 何か問題あった時の「適切な対応」ってなんですか? 火遊びするような相手は既に信頼関係を失っています。 面子や経済的な理由で対応に制限がかかります。 そういう状況では「器の大きな」など論じられません。

noname#189117
質問者

補足

・なぜ生きているかと言われれば、このように答えるようにしています。 「(一応)、<需要>があるから。」 社会のなかで人間が生きている「理由」とは、社会的あるいは経済的な<需要>があるからです。その大きさやら、その重要さは、個人個人によって異なりますが、ほんの少しであっても、<需要>があるので、死ぬことよりも、生きているほうが、何かと<利益>があるからだと思います。 シャバ(の沙汰)も地獄(の沙汰)も、金(次第)ならぬ、社会的あるいは経済的な<需要>しだいなのだと思います。 ・わたし自身がどのような「思想」をもっているかについては、資本主義の影響もありますし、民主主義の影響もありますし、リバタリアニズムの影響もあります。あなたが考えている以上に、異質なものではありませんし、反社会的なものでもありません。恋愛にかんする質問においては、質問者をやたらと「異常者」扱いする回答者(自分自身の価値観にあわないことなどを主な理由とする)がいますが、そういうわけではないと思います。 ・パートナーを「監視」したいと思っている人々は、たくさんいると思います。ただし、経済的な効率という点において、やらないのだと思います。時間のムダになりかねない。お金のムダになりかねない。仕方がないので、「信じる」という言葉に代表されるような、<メンタリティ>にすがっているのではないかと思うときがあります。 ・わたし自身は、つねに客観的に、批判的に、自分自身をみるようにしています。わたし自身は、当事者の語りなどを活用して歴史の勉強をしたり、研究をしていますが、そういった立場において重要なことは、いかに自分自身に客観的に、批判的になれるか、ということです。自分自身の<巻尺>を持ったまま相手に接することは、相手の語りを<殺す>ことでもあります。そして、つけ加えますが、自分自身にたいして批判的であることは、間違ってでも、マゾヒストである、ということではありません。わたし自身は、基本的に、「ドS的な性分」ですので。 ・人間的な「器の大きさ」という概念についても、批判的になる必要があります。それは、まるでろくろでやわらかい粘土のかたまりをいじるような作業であり、相手の<価値観>しだいで、その器は大きさが変化するからです。火遊びをしても「寛大」でいる人はいますし、パートナーが犯罪者になったとしても、離婚をしないという人もいることでしょう。その一方で、ささいなことで(たとえば、パンに塗るもの、といったくらいのもので)、相手の人間的な器の大きさを疑う人もいるくらいです。 ・わたしは、人間の本性や、これまでの人間の歴史において発生した出来事などを前提にして、恋愛にかんする質問をするようにしています。思いつきでやっているわけではありません。

  • showeran
  • ベストアンサー率7% (41/531)
回答No.1

夫=投手 妻=捕手 ってよくたとえられますよね。

noname#189117
質問者

お礼

コメントありがとうございます。いろいろな意味において、「教訓」なのだと思います。

関連するQ&A