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里芋と薩摩芋の比較が義務教育で教えれない?

この二つの食物は日本国民を大飢饉を少なからず救って来たはずです。サバイバル術としてどうして義務教育で教えてくれなかったのでしょうか?

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  • meido2010
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回答No.2

今のお年寄りが子供の頃はちょうど戦時中でした。 食べるものが無く芋の蔓まで食べていたそうです。 その時の記憶からなんとなく芋の話をすると惨めな気持ちになる ようです。 戦後も食糧難で食べるものが少なく、一日一食くらいが普通だった ようですね。 しかも、水団(すいとん)という醤油汁に小麦粉を水で軽く練ったもの を煮て食べるものが主食になっていました。そこに薩摩芋や里芋が 入っていたら豪華版です。 そういう境遇から早く脱却しようと頑張ったのが今の日本です。 でも、今の水団は美味いです。 薩摩芋を広めたのは江戸時代、徳川吉宗が青木昆陽に命じて飢饉で 苦しむ農民を助けるため作付けを成功させたのが始まりでしたね。

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  • g27xxxxx
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回答No.8

本当の意味でのサバイバルなら、家庭で親が教えなければならない事です。 我が子の命にも関わる事ですから。 義務教育では、家庭で教えきれない学問的な事を教えようとしてます。 もしも親が全てを義務教育に任せようとしているのなら、親の子育て放棄に繋がり非常に危険な事です。 「生きる」という人としての基本部分は、最低限家庭で教えなければなりません。

  • aki43
  • ベストアンサー率19% (909/4729)
回答No.7

サバイバル術としてどうして義務教育で教えてくれなかったのでしょうか? >>日常で普通サバイバルは無いでしょう 戦中戦後ならそう言う状況も 理解出来なくも無いけど それは教育と言うより昔は爺婆同居だったから生活の中で自然に覚えられたでしょうけど現代は邪魔にされ若ぇもんしか住んでないから 畑仕事も無いでしょう  でも どっちも芋でしょう

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34518)
回答No.6

わざわざ学校で教えなくても、見れば違いが分かるし食えばもっと分かるし、どこのスーパーでも売っていますからね。 ところで、ら抜き言葉は今やすっかり根付きましたのでああだこうだは今さらあまりいいたくないですが、やっぱり「教えれない」ってちょっと違和感を感じちゃうなあ。「教えられない」ってほうが自然ぽくないですか?

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1051)
回答No.5

個人的にカボチャもいいんじゃないかなあ、と思います。 イモは掘るのが大変ですけど カボチャは昨年の収穫の余りを畑に放置しておけば、 次の年、勝手に育って畑にごろごろしてます。 飢饉のとき、かぼちゃで飢えをしのいだ、という話もあるようです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

何でもかんでも学校で、という考えは間違いです。 身近な事なら、家庭で教育すべきでしょう。 家庭の教育の方が、学校教育よりも効果的である ことは既に知られた事実です。

回答No.3

それ、比較に意味があります? 日本に来た時期も違えば、栽培にて期した土地も違いますし、日常的に食べるものですから、特性とかふつうに親やお店の人から聞いて知るものなのでは? 教科書だと社会や日本史で縄文から弥生で稲作に代わるらへんや江戸時代あたりで習うくらいなのでは? わざわざサバイバルとして教える必要があります?

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

 今は、クリスマスにケーキを、バレンタインにチョコレートを食べていれば済みます。入学試験に出なければ覚える必要はありません。  腸内ガスは出る、思わず一句。「それにつけても芋のうまさよ」