見えると言うことがどういうことか整理しましょうよ。
星が見えるというのは何ですか。星という形のものが網膜に映っていますか。
暗いなかにぽつぽつと明るい点が見え、一つ一つの輪郭なんかわかりませんね。
でもそれを見えた、と意識するんですね。
砂は見えますか。これよーく、きをつけてかんがえてください。
砂だと思ってみたら、一粒ひとつぶ見えますね。手の上に乗せたら数えることも一応可能です。だけど、鳥取砂丘にいって、それがいま言ったような砂として見えますか。巨大な幾何曲線にしかみえないのと違いますか。
実際にはツブがたくさんあるはずですけど、丘にしか見えないはずです。
もし体が小さいとしたときどうか。
まず視力というものが変わります。2センチぐらいの空間に数メートルから数キロメートルまでの空間をレンズで反転映像として映し出しそれを信号に変えて認識していたシステムが1/100になったとすれば、単に見えなくて済んでいた小さい雑音的光景が映りこんできますので、黒いツブのかたまりにすぎなかった土が、カビやキノコの胞子がむくむくと動くような状況にみえてくるはずです。それは積み木をくみたてるような話ではなくむくむくとふれあい邪魔しあい邪悪なものとして覆うような形になっているはずです。
そのなかで大腸菌なんてものが見えるわけがありません。空間がシュールリアリスティックになっているんですよ。キノコの菌と区別なんかつきません。
昆虫に、菌がばいきんまんみたいに見えるわけがありません。
餌として適切なものかどうかがわかるというのが昆虫の視力です。
微生物や苔の類は、視力ではなく臭覚でわかることもあり、とにかく餌なら貪欲に食べます。
ただ、彼らにとって大腸菌なんて何の意味もないものです。大腸菌が作るなんらかの物質のほうはともかく、菌自体は食い物じゃないから見えません。