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千利休がキリスト教徒でクリスチャンであった
千利休がキリスト教徒でクリスチャンであった 可能性が高い。袱紗(ふくさ)の折りたたみ方や 扱い方が全く同じだからです。 袱紗の折り畳み方とキリスト教徒の何の折り畳み方が同じなんですか?
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blackkigyou2017さん こんにちは。 利休がクリスチャンであった可能性は低いと思いますが、少なくともキリスト教に寛容であったと思われます。 なぜなら、利休七哲のひとりに、キリシタン大名として名高い、高山右近がいるからです。 秀吉の弟の秀長が「公儀のことは私に、内々のことは宗易(利休)に」と言っているように、千利休のお茶室は、人を殺すことで領地を広げ、出世するという戦国の世の不条理な世界から逃れ、癒される場であったと同時に、重要な機密事項の情報交換する場でもあったと思われます。 このような役目を担う利休は、キリスト教を排他せず、むしろ当時において世界的な、今でいうグローバル的な思考ができる人であったのではないか、と私は推測します。 仏教信者からは反発が出るような仮説ですが、西洋において正統とされた、キリスト教の「三位一体説」と違い、キリストを人間としたため異端とされたネストリウス派のキリスト教は、その後シリアなどの小アジアを経て、中国に渡り、唐の時代「景教」と言われました。 遣唐使として中国に行った空海は景教についても学び、曼荼羅の大日如来はキリストであるというなどという仮説もあります。 現在の裏千家の千玄室大宗匠は世界に日本の文化として茶の湯を平和のため広めていますが、バチカンで献茶式を行ったところ、カトリックのミサの儀式とまるで同じで、違和感を感じなかったと述懐していました。 私は茶道を習っていない、素人で、茶の湯ごっこを楽しんでおりますが、世界に誇る日本の文化である茶の湯の敷居がもう少し低くなればと思っております。 なにしろ、お金がかかりすぎます。 山上宗二記の「茶湯者覚悟十体」の胸の覚悟に 「上ヲそ相、下ヲ律儀ニ信可在」 現代語に直すと「客の貴賤によって差別をつけるな」 とあります。 これが、将軍家の唐物趣味の高価な茶の湯を、庶民も楽しめるようにした、茶の湯の始祖、村田珠光の考えと思います。 かなり脱線しましたが、千利休はクリスチャンでなかったとしても、キリスト教信者を差別するようなことは決してせず、むしろ西洋の文化も受け入れることで、いかに自身の茶の湯の大成を考えていたのではと私は思っており、このような人が茶道で言われる「名人」と思っています。
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