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千利休と禅について

茶道について質問させて 頂きます。 千利休は茶道に、禅を取り入れたと聞きました。 これは、茶道のどのような所に禅の精神が現れるモノなのか お教えいただければ幸いです。 よろしくお願い致します。

みんなの回答

回答No.3

toralis777さん こんにちは。 私は、茶道を習っていない、独学で茶道を追究している、素人ですので、参考にならないかもしれませんが、回答します。 私の好きな禅語は「雪月花」です。 日々、忙しいと、四季の移り変わりも忘れてしまいがちです。 花を見ても、美しいと感じなかったら、「こころ」が疲れているサインです。 ですから、茶の湯をして「こころ」に一輪の花を活けることは、欠かせません。 「雪月花」とは、 「雪月花を美しく感じるところから茶禅一味の風雅の私捨静寂の道がひらける」 という意味だそうです。 http://contest.japias.jp/tqj1999/20242/word.html そして、境地に達すると「一花開天下春(いっかひらいててんかはるなり)」 「自然の美しさにたとえて、心を一花として読みとる語。茶禅一味の境地に達した心を表現している」 だそうです。 私の勝手解釈ですが、茶道の禅の心とは自然の美しさを愛でながら、心も美しくすることではと思っております。 私のようなものを禅語で「野狐禅」といいます。 「修業もしてないのに大いに悟ったかのようにしている人のこと」(笑) 今年の春、梅を愛でていたら、メジロが梅の花の蜜を吸いにやってきたので、その光景をお茶で再現してみました。 自然の少ない都会暮らしは疲れます。

toralis777
質問者

お礼

amenhotep2000様   ありがとうございます。 すごい言葉の連続で、当方は感動しました。 「茶道の禅とは 自然の美しさを感じ、心を美しくする」、勉強になりました。 素敵なお写真をありがとうございます。 心が癒されました。

回答No.2

利休の弟子である山上宗二が利休の言葉を書き記したとされる「南方録」には、 ・小座敷の茶の湯は第一仏法を以って修道得道することなり ・水を運び、薪をとり、湯を沸し、茶をたてて仏に供え、人にも施し、我も飲み、花をたて、香を焚きて、皆々仏祖行ひの跡を学ぶ也 とあります。 また、 ・家は漏らぬ程、食事は飢えぬ程にて事足るなり ともあります。 利休の師匠に当たる北向道陳や武野紹鴎などの時代の書院台子の豪華絢爛な茶道から、禅の思想に基づいて余分な部分を徹底的に削ぎ落としたのが利休の追求した侘び茶であったのだと思います。 したがって、茶の湯そのものが禅であると言えると思います。

toralis777
質問者

お礼

ありがとうございます。大変に大変 勉強になりました。 まだまだ kana_keiko様のお答えを 正しく自分が理解できているか 解らない状態です。 ですが 何か素晴らしいキッカケを頂いた気持ちです。 本当にありがとうございます。

  • 177019
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回答No.1

茶道は元々唐の時代の中国から伝わりました。又禅宗と深く関わり「わび、さび」という精神文化を生み出しました。「わび、さび」とはさびしい、わびしいという満たされない状態を認め慎み深く行動する事を言います。茶道においてはこの「わび、さび」の精神を大切にし茶道という静かな空間で茶を点(た)てる事に集中する事で心を落ち着かせます。その事によって自分自身を見直し精神を高めます。禅宗の教えの中に「自己の本性が仏性であり、仏そのものである。」このような偏頗な考え方もこの茶道に入り込んでいます。