- 締切済み
日常会話で自分の考えを言わないデメリット
閲覧ありがとうございます。 さっそくですが、タイトル通り日常会話で自分の考えを言わないデメリットを教えて欲しいです。 私自身、雑談ではあまり自分の意見を言いません。 「えーっ」とか「なにそれ!」「すごい!」などのリアクションは取りますが、「それは私は違うと思う」といった自分の考えを言えません。 その理由として、ディスカッションではないのだからわざわざ相手の考えを批判して揉めるのが面倒 というのと、考え方は違って当たり前なので「そうなんだ」と受け止めるのが良い と考えています。 しかしどうも、溜め込みそうな性格だね、我慢してそう と言われます。それに踏み込んだ仲の友人も少ないです。 つまり私自身がなにを考えているか、どういう人間なのかわかりにくいから中々仲良くなれる人がいないのかな?と考えました。(他にも理由はあるかもしれませんが) 心の内を開ける相手には割と自分はこう思うよ とは言えます。(あくまで自分は、というスタンス) でももう少し心を開けるようになりたいなと思うのも事実です。 そこで危機感を持つため、日常会話で自分の考えを言わないデメリット を教えてもらいたいです。メリットでも良いですが。 ディスカッションでは逆に自分の考えを積極的に言えるので除いてください。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
コミュニケーションというものの持つ意味を理解していない、というのが最初の感想です。 簡単に言えば、コミュニケーションは自己と他者の持つ情報の差を小さくするためにあります。 例えばAさんがBさんに「Cさんってさあ、陰で人の悪口言ってそうじゃない?」と言ったとします。するとBさんは今まで知らなかったAさんの考えを知ることができますね。Aさんが思っていることをBさんも知ることができたのですから、その分だけ情報の差が小さくなります。 それに対してBさんが「やっぱそう思ってた? そうなんだよ、こないだも二人きりになったら他の人の悪口ばっか言うんだよ」と答えれば、Aさんはこれまで知らなかったBさんの体験を知ることができるので、ここでまたひとつ情報の差が小さくなります。この場合、Aさんは「やっぱり私の感じていることはあっているらしい」と思うこともできますし、自分と同じことを感じているBさんに親しみを持てるかもしれません。 もちろんここでBさんが「うそ。全然そんなこと思わなかった。Cさんが人の悪口言うの聞いたことないから」と言ったとしても、AさんはBさんの考えを知ることができますから、やはり情報の差は小さくなります。これでAさんは「そっか、私の感じ方は間違っているのかもしれないな。Cさんとももう少し深くつきあってみよう」と思えるかもしれませんし、「そっか。CさんはBさんには他人の陰口を言わないのか。Aさんは人とのつきあい方がうまいのかも」と思うかもしれません。 いずれにしても、こうしてお互いのことを知りあっていくなかで次第に人は仲良くなっていくわけですし、もちろん「この人とはあまり仲良くなれないな」と感じて適当に距離を置くこともできるわけです。 ところがあなたのようにいつも相手を肯定するようなことしか言わないと、相手も次第にそれに気づいてきます。そうすると、あなたに何か話をする意味がなくなってしまいます。もちろん中にはただうなずいて自分の話を聴いてほしいだけの人もいますが、まっとうなコミュニケーションを取ろうとする人は相手の考えや感じ方、つまり相手の人間性を知りたくて話をするわけですから、何に対しても肯定することしか言わない人がいると、その答え自体が信じられなくなるでしょう。「そうだねえ」と言われても本当にそう思っているかどうかわからないのですから。つまりそういう人と話をすること自体が無意味になってしまうのです。当然そんな人と仲良くなることはできません。 あなたの間違いは冒頭に書いたように、このようなコミュニケーションの意味を理解していないところにあります。 「考え方は違って当たりまえ」はある意味正しいのですが、違っていてもその違い方がいろいろ異なるという場合もありますし、もちろん違わないこともあるわけですから、「その考えは私と違う」「それは私と同じ」と伝えるのがコミュニケーションの基本なのです。 それに、考えが異なることを相手に伝えるのは「批判」ではありません。 例えば「このパンおいしい。食べてみて」に対して「どれどれ。うーん、あたしにはちょっと甘過ぎ」と答えたとしてもこれは批判とは言わないでしょう。こう答えて相手が機嫌を悪くしたらそれは相手が間違っています。もちろん「どれどれ。うわ、まっずい。あんたよくこんなもの食べられるね。よっぽど貧しいものしか食ってこなかったんだな。これからはもう少しお金使っていいもの食べて味覚を鍛えた方がいいよ」などと言えばこれは批判、というより暴言で、揉めても仕方がありませんが、こんな失礼な言い方をしなければ、相手と自分の考えが異なることを表明してもそれは批判にはなりませんし、揉めることにもなりません。逆に、こういうことも遠慮せずに言い合える仲を「気がおけない仲」といい、これは楽しいものです。 というわけでまとめると、相手を肯定するようなことしか言わないことのデメリットは、相手にあなたのことがまったくわからない上に、あなたに話をすること自体が無意味になり、会話の楽しさが味わえず、他者との関係を深めていくことができない、ということになります。 「そんなもの要らない」というならもちろんそれでもかまいませんが、人とのつきあい方を深めていきたい気持ちがあるなら、相手に嫌な思いをさせずに自分の意見を言えるよう努力してみてはいかがでしょうか。
- E-1077
- ベストアンサー率25% (3258/12620)
性格を良く分かってくれている相手ならば問題はないのですが、何も知らない人とかまだ付き合いの浅い人と会話をしていると、勝手に相手がこちらのイメージを作り上げてしまう恐れがあるんです。見かけだけのイメージが先行するというか。 よってある程度までは意見を言った方が良いと思います。 「うんそうだね。それもありだと思う。けど・・・こっちはどうかな」と。肯定から入ればディスカッションとまではいかなくても、有意義な会話が出来ると思うのよ。 相手からも違う視点からの意見が出てくる可能性もあるし。 全部じゃなくてもいいんですよ。そこだけは勘違いしないで!っていうポイントだけでもいいから、言い始めたら案外スムーズにいくと思うの。 心を全部開くのはお勧めしない。所詮理解などしてくれないと思うから。理解してもらうように努力したいという間柄なら別ですけど。 それはケースバイケースでしょうね。 私は最近いろいろな自分を作って遊んでいます。真逆のキャラでいたりする。とても面白いし、意外な自分も発見できて楽しいです。全くの素人の振りをして話を聞きに行くとか。 初心者の振りをしてレッスンを受けるとか。ばれないように気を付けるのはそれはそれで楽しいです。 そうやって意図的に自分を隠すことは悪い事ではないと思います。
- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
【しかしどうも、溜め込みそうな性格だね、我慢してそう と言われます。それに踏み込んだ仲の友人も少ないです。 つまり私自身がなにを考えているか、どういう人間なのかわかりにくいから中々仲良くなれる人がいないのかな?】 日常会話ですから、比較的どうでもいいことをわいわいと話すのだと思うのです。 で、あなたと同様に、’心開く相手にしか本音は言わない’人だってたくさんいます。 ただし、それぞれのランク?はグラデーションです。 あなたは本音を?を言わないが、相手は言ってるわけです。 その相手が言ってることが誰かのそれ以前のワイワイ場での反論的立場であったり、 少数意見であることは別に珍しいことでもないと思う。 あるときは、陰口的になることもあるでしょう。 つまりそういうことです。 わかるかな? 相手だって、いわば、場を読んで少しずつ、 コレぐらいなら今の相手には大丈夫?と己を出している。 そのスタンスが、常に正しく、美しく、当たり前以前に正義であることはもちろんいつものことではないはず。 逆に、あなたが反対?そうなのかな?でも・・・というのを期待して、あるいは、 そう言われるであろうけど、’私としては、やっぱり・・・’と 相手は更に会話を進めるため=心開くために’提示している本音のチラ見せ?’に あなたが食いつかないからです。 悪く言うタメではなく、いわば、たたき台として、齟齬に、そうだね、でもね、 ああそうか、じゃぁあの時は・・・などなど、すり合わせるためには ほんの少しの違いを互いに見せ合う必要がある。 それを、そういうことが一切ないから、溜め込んでる(コレ結構、あなたを観察しての判断ですから、相手は、あなたを常に読んでますよ)と判断される。 何か言うだろうな、返してくるだろうなと、あるいはそうそう、もっとね・・・こうだ、とか。 ・・・が、ない。 相手はあなたの’お返事待ち’としての発言したことを忘れている。 相手によっては、この人何も見てないとか、判ってないとか、なんでも逃げる人と 思われるでしょう。
- keizo99
- ベストアンサー率14% (265/1820)
余り難しく考える事わ無いとおもいます、 日常の会話で貴方に会いづちを、返答を求め るのわ、言つている本人の意見に同調して もらいたいから、自分の意見が間違つてない 事を確認したいのだと思います、 デメリットは貴方に言っても、釘を砂にうつ感じで、山びこ見たいに返答がかえらない、話し害いの無い男たと思っている、だから、そうなんだ、の後にリアクション言葉をいれば、ほめ言葉でわなく、否定でもなく、質問形式で、相手が気持ちよく掘り下げた話し が出来きるよう、何それ、、されでどうしたの、すごいな、それから、、前に進める話しに持って気分よく 思っている事をはなさす、のもありかな❗ と思います、
- ノーバン(@nobound)
- ベストアンサー率13% (295/2111)
自分も不得意なのでえらそうには言えませんし、雑談の場所がどこなのかがよくわからないのですが、日常はほぼ雑談だらけでディスカッションすることはあまりない気もします。 その雑談であまり自分を出さないということは、周りの目を意識して、好き勝手が言えないのかなと自分にあてはめるとそう思えます。 結局好き勝手が言えないのは、やはり誰かの怒りに触れないかとか、嫌われないかとか、書かれているように誰かともめる面倒くささと関連しているんじゃないでしょうか? 本やTVではいかに他人ともめずに自分を出すかをいろいろ教えてくれますが、コミュニケーションとは「いかに他人ともめずに自分を出すか」そういうものだと最近感じます。 それとも嫌われてもいいから批判したり、自分の意見や好き勝手を言ったりした方がいいのかどうか。TVを見ていると、いかに人より気の利いたことが言えるかが重要な気もしますが。
お礼
回答ありがとうございます。 いかに他人と揉めずに自分を出すか…私が求めていたのはそれかもしれないです。関連書籍などをいくつか読んでみます。
己の分をわきまえて言わないのは、自分を分かっているって事で良い事です。
お礼
回答ありがとうございます。 なるべく客観的に物事を捉えようとしているので、そうなったのかもしれません。 ただ、想像してた以上に自分がどんな人間なのかが相手に伝わってないことが少し悲しく思いました。
デメリットとは過ぎた後になって、言いたいことを言って気持ちよく正直に生きればよかったという後悔で、批判せず同調して単純な思考体系の男を装うメリットは警戒されないことです。相手に情報を与えない方がどう動くにしても有利です。
お礼
回答ありがとうございます。 書き忘れていましたが、私は女性です。 前はされて嫌なことすら言えなかったのですが、それはさすがに不味いと思い、最近は主張するようにしています。
お礼
回答ありがとうございます。回答を読んで気付いたのですが、例文でいうCさんに対する自分なりの考えは言っています。 なんと言ったら良いかわかりませんが、自分自身の話?をほぼ全くしないか話の構成が下手なのかなと思いました。