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推薦入試についの相談

公募推薦、指定校を行う目的は何ですか?aoは、確かに学力試験を行うところが多く、学力がその大学のボーダーに達してないと受かりません。 しかし、公募、指定校はどうでしょう?その人の本当の学力が分かるとは思えない推薦だと思います。成績優秀?そんなの高校のテストでその場しのぎで勉強すれば馬鹿でもいい成績はとれます。そんな人を大学にいれて本当に大学にとってプラスになるのでしょうか?よっぽどセンターを受けてくる人のほうがプラスになると思います。 長文失礼しました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ithi
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回答No.3

0612abc さん、こんばんは。 しかし、公募、指定校はどうでしょう?その人の本当の学力が分かるとは思えない推薦だと思います。成績優秀?そんなの高校のテストでその場しのぎで勉強すれば馬鹿でもいい成績はとれます。そんな人を大学にいれて本当に大学にとってプラスになるのでしょうか でも、高校の3年の1学期まで、フラットに5段階の4.5以上というのですから、ある程度の実力はないと、この数字にはならないと思います。でも、この成績位ないと、受験勉強しても、どの程度の大学に入れるかはとても分かりませんね。そうですね。本当の受験を経験しないと、これから4年間の大学生活を続ける学力の基礎ができてないなんてことになりますよね。他の回答者様がおっしゃっておられるとおり、推薦公募、指定校大学に受かりたい高校生、どうにか大学に合格してもらって実績を作りたい高校側。少子高齢化で学生確保に追われる大学側の三者三様の手を組んだ産物とも言えますね。でも、これを合格して蹴ると後輩の人が公募推薦を受けることができないそうですから、合格したら、あなたは大学受験もできないことになります。

その他の回答 (2)

  • copemaru
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回答No.2

少子化と大学数の増加で生徒獲得が難しい大学が"何とかして"学生を確保する手段が推薦制度の本質です。ですから学生が優秀かどうかなんて,正直どーでもイイのでしょう。 仰るように,中堅以下の普通高校の試験は「その場しのぎの勉強(みたいなもの)」をすれば容易に点数は取れます。センター試験や一般入試などの学力試験に通用する学力が無いのは,生徒も先生も承知しています。それでも「どうにかして生徒の進学先を確保したい高校側」と「勉強はしたくないし試験で落ちるのはイヤだけど,大学には行きたい生徒側」「授業料を払ってくれる学生を確保したい大学側」の3者がまあるく収まる実に巧妙なシステムです。

noname#228784
noname#228784
回答No.1

(・ω・;) 仰りたい事はわかります。何となく。 そこらへんは、システムの(裏)事情的な話になると思うので 学校関係者の回答を待つ事になると思いますが… 御参考までに、私が公募について思う所を書きますね。 仰る通り、高校時代の「成績優秀」というのは 入試で問われる学力とは、少し離れた位置にあると私も思います。 しかし、高校の成績は 質問者さんの仰る 「その場しのぎで勉強すれば馬鹿でもいい成績はとれます。」 とは言い難い部分もあります。 たとえば・・ レベルの低いテストだからといって、 「常に100点」を取り続ける事は簡単でしょうか? また、仮にセンター試験で満点を取れる人間を100人集めたとして。 彼らが全員、一般良識を備えた人間であると言い切れるのでしょうか。 厳しい受験勉強の傍ら、何を犠牲にしてきたかが人間性に現れる事もあります。 また、持って生まれた能力が高い人間の中には、 有り余る余裕や能力を、公序良俗に関わる方向へ使う人間もいる可能性があります。 公序良俗や一般良識が伴わない人間は 学力を問わず存在しますが 行動として悪い部分が現れた時に、 持って生まれた能力が高い人間の方が、悪い行動の規模や影響範囲が大きくなります。 良いエネルギーも悪いエネルギーも、ガリ勉で酷使する人間に比べて余裕がありますからね。 公募推薦は、大学という色々な人間が集まる場所だけに 学力だけで学生を集めると、バランスが取れないために実施するという事だと思います。 考えてみてください。 それこそ今時は、学力だけならコンピューターで事足りるのです。 人間が学力をつける意味とは、学問の知識を活かして 人間ならではの工夫を凝らし、より良い技術や文化的システムを作るためなのです。 その目的に照らして考えた時、 ガリ勉で入試に合格した人間では、インプットで精いっぱいですから 能力的な素質(=余裕)が足りなくて 良いアウトプットに至る事は難しいでしょうし 持って生まれた高い能力(=余裕)があっても、その人間にバランスのとれた精神が宿っていなければ、偏った技術や、大衆にとって悪いシステムが生まれてしまう事もあるしょう。 そういう2種類の偏り(少数の極端な偏り)を是正するためにも 人間性を重視した(学力を第一義としない)公募推薦の枠があるのではないでしょうか。 高校のテストで100点を取り続ける事も簡単ではありませんが 何よりも「その場しのぎ」だけで頑張る人間が公募推薦に選ばれる事は、担任教師の目が節穴でさえなければ、少ないでしょう。 「品行方正」あるいは「何事にも平均的で無難な人間」そういうバランスが重視されているのではないかと思います。 ま、高校生の年齢で見られる人間性というのは、一時的なものだと思いますけどねw ^^; クラスで人気のあるリーダーシップがある生徒でも、中には腹黒さとカモフラージュがピカイチな人間もいるでしょうし、 本当に良い性格の生徒でも、クラスメイトの巡り会わせによって、リーダーシップが発揮できたり、できなかったりする場合もあるでしょうから。 それでも大学では、多くは学力重視の一般入試ですから バランスを取るにあたって 公募推薦が妥当なのだという事情は頷けます。

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