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「我、事において後悔せず」は正しいのでしょうか?

宮本武蔵のように、「我、事において後悔せず」という生き方は正しいのでしょうか? 例えば、私のせいで他人が迷惑を被ったときには、その事を何度も後悔しなければ、迷惑を被った人に対して無責任な気がします。 私のせいで他人が迷惑を被った場合でも、後悔しないのが正しいのでしょうか?

みんなの回答

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.5

後悔は必要ない。これは自分だけの事だから。 反省も必要。これは相手に対してのことも含まれる。 責任感も必要。これも相手がいるよね。 だが、無責任であることと後悔しないことは一致しない。 全部の事に無理やりに当てはめて考えなくてもいいと思う。 武蔵だってすべての事についてそう語っているわけではなく、究極に突き詰めて考えればそうだっていうだけで、これが自分の生きる道のすべてであるとは言っていないと思う。 後悔してばかりだから、後悔しないぞ!と誓っているようにも見える。 やっちゃったことについては、モー仕方ないじゃん!というような開き直りにも聞こえるけれど、それはそれで意味があると思う。彼にとってはね。 同意できないのであれば、正しい事ではないとして、自分ではそうしなければいいだけでしょ。 正しいか正しくないかは、勝手につけるのちの評価であって、意味がないと思う。

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.4

宮本武蔵の「我、事において後悔せず。」 この言葉は、決闘を生業として生きた武蔵にとって、倒した相手に対する思い、お通に対する恋慕を断ち切った思い、、細川藩との関わり合い、故郷に対する思い、沢庵に対しての感謝など、全力で駆け抜けた過去や結果に対してのものではなく、武蔵自身の歩み続けて生き方そのものに対するものではないですか? そこには、他人に対する迷惑などという言葉は、無いと思いますよ。 彼は、自身の理想を全うしただけであり、基本的に対戦相手を殺害した以外には、誰にも迷惑を掛けていない。 いや、むしろ、全ての関係者には、礼節をもって対応している。 ただただ、決闘というかたちでしか表現し得なかった剣の道を極めたに過ぎない。 ただ、ひたすらに道を歩み続けた、その生き方に後悔はないという意味でしょう。 あくまで、関ヶ原という戦乱の世の話であり、吉川英治の武蔵を参考にしての話ですが。 「私のせいで~」とは、本質的に意味が違うと思いますよ。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.3

「あんとき、ああすればよかったなあ」「どうしてあんなことをしちゃったのかなあ」と思うことが後悔です。でもいくら後悔したところでやり直すことはできません。 「ああいう失敗をしたから、もう同じことをくり返さないようにしよう」と思うことが反省です。 後悔ばかりしててても、反省がなければ成長はないよ。

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2725/12280)
回答No.2

あなたが示しているのは反省です。 言葉の真意は自分が正しいと思ってやった事は上手くいかなくても「あの時もっと上手くやったら、もっといい人生だった」というような後悔を引きずらない事だと思います。 次に同じような事が起これば、信念に基づいて行動し、よりいい結果になるように反省をするのはまた別の事と思います。

回答No.1

>我、事において後悔せず! って、人に迷惑をかける人生を肯定した言葉とは思えませんが・・・。