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落ち込む人への声のかけ方
母親が入院しています。 パーキンソン病で不自由になり、 転倒して骨にひびが入り、以前よりも動きが悪くなりました。 トイレは自力で行けず、ベットの上です。 パーキンソン病を発症する前は活発でした。 子供の時は、家庭よりも仕事で 母の仕事が原因で、夫婦げんかが絶えず、 特に中学時代は家庭内が暗黒の時代で、 母は仕事に逃げていたのだと思います。 大人になって、距離を置くようになって、 色々許せるようになりました。 母の勝手は相変わらずで、 家族が止めても自分の考えて生きているようなところがあり、 もう、私も家庭を持ったし、 親も好きにすればいいかと、 やりたいように母は生きてきたと思います。 でも、病気になり、不自由になっていく体を見せたくないと、 友達に合わなくなり、家に引きこもりました。 元の体に戻ってから、みんなの前に復活すると言って、 リハビリにはげみました。 でも、どんどん病気は進行して、 この2年で歩くのが困難になり、 手もうまく使えず、口もたどたどしくなるなど、 急激に進んできました。 ケアマネも同じパーキンソン病の人を見てきた中でも 特に進みが早いと感じると言っていました。 なので、自分の症状に心が追い付かず、 友達に愚痴れないので、 家族に嘆き悲しむことを言います。 家族なので、聞いてあげたり励ましたりしていましたが、 後ろ向きなことばかり言うので、 「いいことも考えて見なよ」と言ったら、 「それが出来たら苦労しない。正論ばっかり言って、 正論者だ」 と、言われたときに、それまで支えようと思っていた気持ちが ボッキリと折れました。 それから、母に対して実は子供の時から 嫌いだった。 私がしてほしくないことばかりして、 苦しい時に話を聞いてほしい時も放って仕事に行って、 家庭の事より外の人の事ばかりで、 いつも他人優先で、 機嫌が悪いと、ひどいことを言ってきて。 そんな母が子供の時から大嫌いだった。 嫌いだ嫌いだ。その闇に引きづられそうなとき、 支えてくれたのは自分の家族でした。 夫をはじめ、反抗期でもちゃんと母親を思ってくれる 中学生の子供たち。 私の子は、私が中学時代に過ごした環境と違って、 夫の両親や、仕事を在宅でしている私もいるので、 愛情深く育っているので、 学校や部活にも前向きです。 何に対してもまっすぐで、素直なので、 義両親にもよく褒められます。 そんな子供たちが大好きで、支えられました。 入院した母と、会話をしていると、 私が「子供たちがかわいいんだよ」と話すと。 母は「家で仕事ができて幸せなんだよ」と言いました。 母は仕事で家に入れなかったから余裕がなかったと言います。 でも、仕事などもっと他の事を選べばよかったのに、 家にほとんどいないような仕事を選び、家庭内はボロボロ。 家の中には贅沢な品が増えたけど、 そんなものはいらなかった。 母の笑顔が欲しかった。 今、夫の両親とうまくいっていて、 私も思いやれるので、とてもよくしてもらっています。 同居したては色々あってつらかったけど、乗り越えました。 母には、義両親も親戚も、私に優しくしてくれる。 と、話すと、「いいわね人に恵まれて」 と、言いました。 私の努力ではなく、周りが良かったからという事です。 何を話しても、母はそんな調子で、 私がうまくいっていることをねたむような口調です。 そして、最近はリハビリがうまくいかず、 歩くことがとても難しいようです。 メールで、こんな風につらい、こんな風にできないと 嘆きを送ってきます。 そして、 「歩くという当たり前にできたことが出来ない」と、 辛くて苦しいとぶつけてきます。 その嘆きが、子供のころにどんなにつらくても 背中を向けられた記憶と重なり、 愚痴ばっかりだ。甘えてばっかりだ。 と、母の生き方が嫌でたまらなくなるのです。 最後まで、母親でいてほしいけど、 今の母は自分の苦しさで精いっぱいで、 その病気があなたたちに遺伝するかも。 みたいなことも言います。 私は子供たちのためにも、同じ病気になりたくないので、 母みたいな生き方をしたくはないのです。 ガムシャラに他人のために頑張って、 その他人は誰もお見舞いに来ない(教えない) そんなさみしい人生と思います。 身近にいる家族と一番大事にしていきたい。 そうしている私を、 母は「恵まれている」と言います。 母は病気で落ち込んでから僻みっぽく、暗いです。 落ち込む人への言葉かけを間違うと、 攻撃になってしまう事を知りました。 私は母の気持ちは全くわかりません。 どうしていったらいいのか、 アドバイスをお願いします。
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No.1で回答した者です。再度回答させていただきます。 あなたの詳しい状況を存じ上げないまま、心無い書き込みをしてしまって本当にごめんなさい。 お詫びいたします。 たくさんのご苦労があったのですね。 お母様は反面教師だったのでしょうね。 子供って、父親と母親の血が入っていますから、性格も同じとは限らないかもしれないという事も思いました。 お母様にして差し上げられるのは、やはり、様々な感情や思いに耳を傾けてあげることだと思います。 イラつきや、腹立たしさはあると思うのですが、逆にそれ以外出来る事はないように思いました。 ご質問者さまのように、自分自身で病気を受け止め乗り越えられる場合もあれば、気持ちを吐き出さないと辛くて仕方がない人もいると思うのです。 ご自身と重ね合わせて同じように病気と向き合う事を願う事は困難だと思いました。 一生懸命考えたつもりでしたが、あまりお力になれる回答が出来ず申し訳ありません。 ご質問者様、看病大変と存じますがくれぐれもお体を大切にしてください。
病気になりますと、心細くなったり、普通に元気に生活している人がとても羨ましく見えます。 よく、病気になっても前向きに生きないとという事を見聞きしますが、そういう人たちは、今のお母さまのような状況をどん底まで経験されていると思うのです。そして、時間がある程度経過すると、「毎日こうして目が覚めて、呼吸が出来て、言葉が話せて、生きている」という事実が理解できたときに、このどうにもならない感情が緩解してくるのだと思います。 それまでの時間は、お母さまを疎ましく思うのではなく、心身ともに寄り添う事をあなたが言動で示さなければ仕方がないと思います。 病気になるってそういう事なのです。また病気の家族の看病ってそういうものなのです。 多分、あなたは今まで大きな病気や体調で苦しんだ事がなくて、お母さまの苦しみがわからないのだと思います。 解らないから色々そのような葛藤があるのですよね。 あなたがお母さまの辛さや苦しみからくる妬みを理解できる日は、多分あなたが重病になって動けなくなった時でしょう。 その時、今の事をきっとすごく思い出しますよ。 人は誰だって好きで病気になるわけではないのです。 「同じ病気になりたくはないのです」なんて、選ぶことはあなたには出来ないいのです。 運命と天命は誰にも選べないんですよ。もしかししたら来年の人間ドックであなたは突然癌宣告を受けるかもしれない。自覚症状がなくても、そんな事は普通にあるんです。その時に「なんで私が?なんで?なんで?」と呆然自失とした気持ちになる可能性はゼロではないんですよ。 その時には「子供がまだ小さいのに。私は死ねない。なんで私だけこんなことになるの?」って、周りに当たり散らしたり自暴自棄になるでしょうね。 病気に対して心構えや理解が出来てない人は特にそうです。 気持ちの中にくれぐれも留めていて欲しいのは「病気や不慮の事故は、自分の気持ちと関係なくやってくる」という事実です。 子供さんのためにも、親としてはそういう心の準備は常に必要です。 今のお母さまには、まだ「自分だけが不幸のヒロイン」という状態ですので、とにかく気が済むまで耳を傾けてあげることが一番いいです。 言葉にして吐き出すことで、多分お母さまの気持ちも整理と自覚が出来てくるでしょう。 そして、今回の事は将来の自分の為にもよく心にとめてくださいね。 「いいえ、私にはそんなことは絶対にないんです。私、失敗しませんから。」なんてことはありませんよ。 お母様、くれぐれもお大事になさってください。 あなたも大変だと思いますが、くれぐれもお体に気を付けてくださいね。
お礼
いえ。私はとてもつらい病気をしたことがあります。 精神面でと、体調面でと、手術もあります。 殆どの人が体験したことないような思いもしました。 はじめは10代です。 その時の母は働いていて、たまにお見舞いに来ると、 自分の方が不幸だと言う顔をしていました。 すごく嫌でした。 大人になってからは、子供が生まれる前と、子供が生まれたあとに 入院を伴うこともありました。 私は誰かに愚痴ったりしたい思いを持たないようにして、 同じ入院患者の人と沢山話をしました。 もっと重い病気を持った女性にも会いましたが、 その人の病気を持ちながらも前向きな気持ちを持つことに感化されて、 カーテンを閉め切った日々を脱出できました。 退院してからは、考え方を変えてきました。 母の病気とは違うけど、母は私と同じ病気にはなっていませんから、 私の気持ちなどわからないと思うので、 それで責めたりはしていません。 私が母の気持ちがわからないのは、 自分だけが苦しいと、その苦しみを周りに吐く、 最愛だと思うはずの子供に、嫌な思いをさせ続ける弱さです。 私がもし母と同じ病気になっても、 子供が元気でいるのなら、 それは私がすべての負を請け負っていこうと思います。 母は必要な時に手を振る払って背中を向けて行ってしまう人でしたが、 私は、子供が私を必要な時には、 そこにちゃんといて、抱きしめよう、時には背中を押そう。 けして、自分の足で歩けない子にはしたくないので、 そうします。 実際に、私の上の子は大きなけがで大変な思いをしました。 本当につらい出来事でした。 でも、けしてそれを理由にして弱い生き方をしてほしくなかったので、 どんなに辛いと言う時も、 私はそれに負けない心になるようにと支えました。 それは、私の力ではなく、彼が自分の力でそうできていると思えるようにです。 だから、今でも後遺症に苦しんでいても、 明るい子です。 今日も、「いたいなぁ・・」と寒くなると痛むので言いましたが、 でも、上を向いて進めるように声をかけました。 それは母親が悲しい顔をしてはいけないのです。 絶対に、子供の感情を母親が引きづってはいけない。 親は子供より先に逝きます。 だから、一人で踏ん張れる人間になるために、 私は踏み台でもいいと思う。 それでいいのです。 でも、私の母にはそれがない。 いつも前向きに生きようとする私の足を引っ張る。 心にシミを付けるように、傷つける。 母の弱さは、 母親になった私には理解できないのです。 同じ病気になったら、 私は子供じゃなくてよかったと思います。 私を振り向かず、生きて行けと思います。 私は子供たちがいてくれて本当によかったと思うのです。 踏み台にしろよと思います。 でも、私の子はちゃんと見捨てない子になるとも思います。 それは私が望んだのではなく、 そういう子に育っているからです。 私は母に対して、そういう子に育ててもらえなかったと、 悲しい気持ちにもなります。 母が全く理解できません。
お礼
病気を経験したかどうかと、人の気持ちを理解できるかどうかは 別だと思いますが、 母の弱さは、母が育った環境などの影響もあると思うので、 私とは違うのは仕方がないと思います。 もちろん、今まで沢山耳を傾けてきました。 理解する努力も沢山しました。 何もしないで、「母が理解できない」など言うわけもなく、 散々、むしろ子供の時から母の気持ちを理解しようと 娘ながら協力し続けてきて、 それでもやっぱり理解できないのです。