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生きるべきか死ぬべきか?と悩んだときに考慮すべき事
- 生きるべきか死ぬべきか?と悩んだときに考慮すべき事は何なのか?世界中で今も誰かが不当に死んでいるのかと考えても別に何とも思わない、ココロ(サザエさん)な私に、誰か教えてください。
- 「死ぬのは簡単なことだ」と言う人もいる。しかし自分以外の人が死ぬのはガマンできても、自分が死ぬとなったら、臆する者がほとんどである。繰り返して言うのも面倒なのだが、日本人の女がよくやる(無理心中)も、結局、みなが死んで平穏に戻ったというケースよりも、子供全員が母に殺され、母親は「死に切れなかった」となって事件となることが多い。多すぎる。
- 子供の将来を悲観したところで意味がない。未来は予測できないのだ。また殺されるよりは、貧しくとも慎ましく生きるほうがよい、と思うのも生き物の自然な形なような気がする。しかし、自分が切羽詰った女は、まず自分の子供を殺すことを考える。その次が自分なのだ。子供は親を選べないので、そこに生まれた時点で負けなのかもしれない。
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>「生きるべきか死ぬべきか?」と悩んだときに、まず考慮すべき事は何なのか? 縁が有るか縁が無いか、残された縁の濃さみたいのを感がるべきでしょう。 「袖すり合うも他生の縁」と申しまして、人間は縁に囲まれて生きているわけですが、その縁が薄くなってきているお人もいらして、そのような場合は死を選ぶことにネガティブな要素は少なくなっています。 一方、家族の縁とか、友人の縁、そしてゲゼルシャフトに対する縁など、濃密な縁に囲まれ地るお人は死を選ぶというのは人迷惑なことですから、自重するべきでしょう。
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- oyatsuya
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>「死ぬのは簡単なことだ」と言う人もいる。 「死ぬ」「殺す」のを夢想することは簡単だけれど、 実際に肉体を死滅させるのは、自死でも他死でも、 爆発に使うくらいの多大量のエネルギーが必要みたいだと思ってます。 しかも偏った特殊色のエネルギー。 >女がよくやる(無理心中) 知らないの? 男女の無理心中って、女が男の手によって殺されて、男が生き残るっていうのが多いの。 方法が人の手だと、どうしても筋力の強いほうが殺して、そのあと心が揺らいでしまって?か、本能?かで爆発的エネルギーを発生できないで生き残ってしまうんでしょーねー。 >「生きるべきか死ぬべきか?」と悩んだときに、 まず考慮すべき事は何なのか? たいていの原因は、愛されていないという確信と非経済力。 に加えて、自然界のエネルギーと親しんだ経験が無いこと。 だから、少なくともそれらの一つだけでも解消すれば自死に至らない可能性がかなり高まるので、自分の自覚か他人の思いやりかお節介かが、それを実行する。
お礼
男女間の色恋沙汰には、今回は興味がありません。子供を道連れにするクソみたいな女にムカつくしだいです。自分が死にたがるのを止める気もありませんが、子供を殺すのは止めるべきだと思います・・・ ご回答ありがとうございました。
- OnePunchMan
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命を絶つほどの勇気があれば、何も恐れることはないと思いますが? 確かに生きていれば辛いこともあります。 けれど辛いことを乗り越えれば、のり越える時の苦労が 大きければ、その後に待っている楽しさは倍増すると思います。 って言うか、かならず倍増します。 私は、そう信じて生きています。
お礼
まあ人生そうそう、うまくできていませんのでツライことだらけな場合もあるでしょう。残された解決方法が(自殺しかない)という結論に達したら、死ねばいいだけです。ただ道連れに子供を殺すっていう感覚が、人として鬱陶しいです・・・ ご回答ありがとうございました。
- toiawasedesuyo
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56歳 男性 生かされている事に感謝 前向きに生きる事を考えましょ
お礼
私は感謝こそしませんが、前向きです。やっぱり生きてるうちは、少しでも自分の環境を良くしたいですから・・・ ご回答ありがとうございました。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
自分以外の人が死ぬのはガマンできても、自分が死ぬとなったら、 臆する者がほとんどである。 ↑ そうなんですよね。 葉隠れにもあります。 人は生きたいのである。だから、生きるか死ぬかと 迷うときは、生きる理由を探すようになる。 しかし、それでは武士ではない。 生きるか死ぬか、の岐路に立ったら、迷わず 死を選ぶべきである。 子供の将来を悲観したところで意味がない。未来は予測できないのだ。 ↑ 京都大学、霊長類研究所によると 人間に最も近いといわれるチンパンジーでも 未来を予測、なんて概念は無いそうです。 だから、チンパンジーには絶望なんてありません。 絶望は、未来を想うことが出来る人間だけの特権なのです。 「生きるべきか死ぬべきか?」と悩んだときに、まず考慮すべき事は何なのか? ↑ 人間はいずれ死ぬ、ということだと 思います。 飛ぶべきか、飛ばないべきか、それが問題だ。 tobetobe
お礼
子供を道連れにするって、どういう神経なんでしょう。生きるか死ぬか、の岐路に立ったら、迷わず死を選ぶべきであるってのも、気になる発想です。死ぬことを美学のように思っていた三島由紀夫の小説もキモイし、戦わずして死ぬやつは、所詮生きるに値しませんし、子供を作る値打ちもないと思います・・・ ご回答ありがとうございました。
- g27xxxxx
- ベストアンサー率28% (124/441)
「今現在生きている」 それが考慮の大前提です。 命を物に例えて見れば、多少分かりやすいかと思います。 これまで大切にしてきた物が、急に価値が無くなるとは思えません。 誰もが簡単に捨てるのを躊躇する筈です。 それは何故か?… 何か大切な価値を見落とし、又は忘れたまま捨ててしまうことで、後悔する結果となる場合が多いことを、これまでの経験から無意識の意識が覚えているのです。 物なら再び手に入れる事も可能ですが、 命だけは一度捨てたら、二度と再び手にすることはできないのです。 多くの人は精神が不安定な時に判断を下して、簡単に命を捨ててしまってます。…結果は後悔さえできないことになってます。 もしも命を捨てずに精神が安定した状態にもどることができたなら、生きている事に大きな安堵を覚え、次に誤った判断を下したことを悟り、深い後悔に陥るだろうと思います。 もしも精神が安定した状態に戻るまで安易な判断を我慢してその結果、命の大きな価値に気づくことができたなら、 誤って最も大切なものを捨てずに済んだ事を、大きな安堵と共に例えきれない程の幸福感に浸ることも可能となるのです。 自分の判断力は如何程のものなのか? ましてや精神が不安定な状態でなら、どうして正しい判断ができるでしょうか。 よほど自分の判断力が正しくて自信持てるものでなければ、命の判断は精神が安定するまで待つべきなんです。 自分はたいした人間ではないと思うから、命を捨てたくなるのかもしれませんが、 たいした人間でもないなら、正しい判断なんてできないでしょう。 つまり命を捨てるという判断自体が、誤りである可能性が高いのです。 そんな状態で命を捨てたら、本当に後悔したくても後悔できないことになりますよ。 自分がどれ程の自信をもって正しい判断ができるのか? 常々判断を決行に移す前に、躊躇する時間を設けるよう、お勧めします。
お礼
私ですか?私は自殺する気もないし、子供を殺す気もありません。どうしても死ぬしか道がないと思ったら、子供を養護施設に入れてから、自分ひとりで死にます・・・ ご回答ありがとうございました。
- tknkk7
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トイレ掃除と、借金返済額の確認・・・
お礼
私は借金ゼロですから、トイレ掃除に専念したいと思います・・・ ご回答ありがとうございました。
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お礼
(自殺)それ自体を非難する気は毛頭ありません。(縁)の中で、自分の子供を殺してから自殺を図る連中の脳みそを不可解に思うしだいです・・・ ご回答ありがとうございました。