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精神的な成長とは何か?

まずは質問をご覧頂きありがとうございます。 皆さんは、精神的な成長、成熟はどのようなもので、どういった経験を通して得られるものだと思いますか? 皆さんのご意見を是非聞かせて頂けないでしょうか。 例えばですが 小さい子供に対してよく言われることに 「自分がされて嫌なことはしない」という言い回しがあります。 しかし、自分がされて嫌だったことを、 当たり前のように他人にも同じことをやっている人(いい大人であっても)がいるように思います。 その場合、その人の精神が未熟であるのではないかと考えてしまいます。 嫌なことであったならどういった所が不愉快だったのかを考え、 それを改めて次に伝えるべきだと思うのですが、 それを行わないでいる。 自分がされて嫌だったことを拡散しようとしている。 それが精神的に未熟だと思えてならないです。 そういう人達は 自分がそう教えられたから、それが当たり前だと思っていたとか、 そういうものだと思っていて、気付かなかったとか言い訳をしますが 人間はそこまで鈍感であるわけがないと思っています。 自分がやられて不快であったことを 心の奥底でわかって(覚えて)いて、自分と同じような経験をさせ、 満足し、それをある意味で仲間の証明であるかのようにしている。 そして、それを善しとし、嫌な経験をどんどん拡散させていく。 そういうことが到るところで行われているように思えて仕方が無いです。 その一方で、少ないながらも 自分にとって尊敬できる人は、厳しい状態であっても 他人に当たったりすることが無かったように思えます。 個人的な主観も入っていますので確かであるといえませんが。 そして両者を比べた場合、何処が違っていたかと考えると 人間性という非常に曖昧な点が目立つように思えました 例えば軽いミスをしてしまった時、尊敬できる人の場合は 笑って「次は気を付けろ」で済ますことが多かったですが そうではない人は、 長い説教に入り、過去の関係ないミスを蒸し返す等に発展します。 こういった所でその人の人間性が表れるような気がしてなりません。 長文になってしまい申し訳ありません。 皆さんは、精神的な成長(成熟)とはどういうもので、 どういった経験から得られるものだと思いますか? 長い文をお読み頂いてありがとうございます。 よろしかったらご意見をお聞かせ頂けないでしょうか? よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • HeyXey
  • ベストアンサー率26% (134/497)
回答No.8

 強気・弱気とかだけではなく、自分の考え方が正しいかどうかを判断できるのも、考え方に振れ幅を持ってるからです。  「自分のことは見えない」という原理があるように思います。自分はいい人なのか、考えが深いのか浅いのか、人気者なのかどうか、価値ある存在なのかどうか、というようなことは、他者(の反応)を鏡として知るのです。赤ちゃんも『可愛い、可愛い』と大事に扱われて、自分の価値をわかるのです。『考えが深いですねー』なんて言われて、そうなんだと回答者の僕も思うわけです(笑)。  本来なら「自分のことは見えない」のですが、振れ幅を使って分身の術的に❝外から自分を見る❞ことが可能となります。「うち」からは絶対に見えないのですが「そと」に視点を移すことで可能になるのです。ジャック・ラカン的に他者を鏡とする方法もそうですし、振れ幅を使って自分を眺める方法も視点を外に持っていくという点では共通です。  視点を外に持っていって自分を客観視すると、何が出来るかと言うと「反省できる」のです。自分を客観的に見れない人は反省もできないのです。反省できれば成長もありますよね。

noname#249892
質問者

お礼

回答を頂きましてありがとうございます。 また、二回も回答頂きましてありがとうございます。 お礼コメントは一回にまとめさせて頂きます。 相手をよく見て、どんな反応であるかを観察し、 その反応なら、自分はどういう状態なのだろうかと予測し自分を把握する。 その上で、自分の色々な状態を経験し、それをその先のことに生かしていく。 それが人としての成熟につながるということでしょうか? 非常に参考になりました。

  • HeyXey
  • ベストアンサー率26% (134/497)
回答No.7

 50代男性です。  人としての成熟にとっては「振れ幅」が必要です。『いま自分は興奮している』『弱気になっている』とわかるのは、興奮した状態・冷静な状態を経験し、強気な時・弱気な時を経験しているからです。もし、そのような振れ幅を経験していないのなら、違いも自覚できないでしょう。  振れ幅は自分の精神状態を客観視するのに必要なだけでなく、他者の心情を察するのにも役立ちます。♪人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから~♪(贈る言葉ー海援隊)

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.6

>嫌な経験をどんどん拡散させていく。 無意味なことの繰り返しで何も解決しない人の思考ですよね。 同等の経験をしても人が違えば得るものや結果が違うのではないでしょうか。 自分の不満ばかりが頭の中で堂々巡りするか、解決策を見出そうとするかの違いなのかもしれません。

noname#249892
質問者

お礼

回答を頂きましてありがとうございます。 参考になりました。

回答No.5

辛い経験や、精神的余裕が、精神的成長には必要だと思います。 「自分がされて嫌なことはしない」について。 ・人それぞれでとらえ方、育った環境で普通の基準が違います。 ・自分がされて嬉しいと思うことをしても、相手は喜ばない場合もある 仕事上のミスの対応については、精神的の余裕がない人がキレたり怒鳴ったりしますね。 精神的な成長には、辛い経験や精神的余裕が、精神的成長には必要だと思います。

noname#249892
質問者

お礼

回答を頂きましてありがとうございます。 参考になりました。

  • skp026
  • ベストアンサー率45% (1010/2238)
回答No.4

>>精神的な成長(成熟)とはどういうもので 自分がされたら嫌なことはしない、という程度では、 成長とは言えないと思います。 相手がされたら嫌なことはしない、これくらいでは ないでしょうか。 日本ではあたりまえだとしても、海外でそれをすると、 嫌がられることは思った以上に沢山あるようです。 >>どういった経験から得られるものだと思いますか? 結論から言うと、経験だけでなく遺伝子も関係するので、 確実な方法は、おそらくないと思います。 以下は多少は可能性があるもののご案内です。 日本語は、その経験を得やすいと私は思います。 敬語のような相手を理解した上でないと、うまく使えない そんな言葉を常日頃から使うわけですから、 可能性はあるはずです。 つらい経験をしたら、優しくなった人もいます。 (逆の人もいます) 相手を理解した上で、最悪な対応をする人も 日本人にはいると、私は感じます。 悪意があると、成長も悪い結果にしかならないです。 ※ 旧家の人たちは、より相手をおもんばかっている そんな可能性があるようです。 何代にも渡って繁栄する家は、人間関係を大切にするような習慣が 普段から普通に行われていると、推測したのです。 実際、私の知るある貧乏な家系は、お金持ちになったり、 学校成績がよかったり、出世することは少なく、 人間関係を大切にする家系の人は逆になっていました。 習慣だけでなく、遺伝子レベルでも傾向はあると思います。 産院での取違で、裕福な子が貧乏な家に、貧乏な子が 裕福な家に行ったことがあるのですが、もともと貧乏な子は 人間関係がへたくそで問題ばかりおこしたそうです。 もともとの裕福な子は、貧乏な家をまとめるために 多大な自己犠牲をしていて、さらに取違判明後も、 それを続けているそうです。 以上、参考にならなかったらごめんなさい。

noname#249892
質問者

お礼

回答を頂きましてありがとうございます。 「多少、可能性があるもの」の部分のお話が参考になりました。

回答No.3

困難な状況下でも諦めずに自力で困難を乗り越える事ができた時に精神的に成長できるのではないでしょうか? アバウトですいません(汗)

noname#249892
質問者

お礼

回答を頂きましてありがとうございます。 アバウトでも全然構いません。 参考になりました。

  • alterd
  • ベストアンサー率23% (137/595)
回答No.2

まず、人間性については遺伝にせよ環境にせよ親の影響が非常に大きいと思います。 人間的成長については、子供が出来たとか、責任が生じた後に、逃げ出したくなるような状況を逃げずに真正面から立ち向かったかどうかの経験が非常にものを言うと思います。 そして、取り返しのつかないような大きな失敗をした後も、ちゃんと謝罪し、かつ、反省したかどうかが問われると思います。 後、教える立場に立った時、相手が分かるように丁寧に、かつ、厳しさと愛情を持って教えることが出来たかどうかも成長につながります。

noname#249892
質問者

お礼

回答を頂きましてありがとうございます。 参考になりました。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.1

関心の方向性が自分に向いたり他人に向いたりしますが、それが拡散されていき、自分も含めた人への関心がなくなっていきます 簡単に説明すると、精神的に病気がちな人や悩みが多い人は、自己分析に走りがちです その過程で、他人の分析へと思考が変化し結果、負の感情が増大します そうなると、自己も他人も社会も否定したり、逆に自己を肯定し他人や社会への不満・否定を始めます いわゆる、精神の成長を止める負のスパイラルにハマります しかし人なんて本来は単純で、自分で自分はこのような人間だ・・と主張することは意味がなく、逆に人から、こんな人間だねと良い評価をされるだけで自然と楽しく生きていける動物です それに気づくと、他人にイライラしないし、自分は無頓着に人に優しくしていれば良いだけ・・と感じます ※迷惑行為には戦います どうしても人は子どものころ、義務教育などで他者と比べられ、テストや成績など他者よりも上ならば誉められるという環境で心が育ってしまいます そして、普通に生きているつもりでも、他の子どもと比べられ、比べられる中で評価され、勝手に期待され、自分らしさを失います そうなると、大人になりかけのときに、自己分析が始まり、他者分析が始まり、負の感情と合体すると、心の病気になったり、弱ったり、その原因を他人や社会に求めだします それがとても虚しく、意味もないことに気づくと、楽になるのですが・・・ つまり、私の思う精神的な成長とは単純で、そのような負の感情からの卒業だと思っています

noname#249892
質問者

お礼

回答を頂きましてありがとうございます。 分かりやすい回答で、非常に参考になりました。

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