- ベストアンサー
時間や空間とは人がいなくても存在しますか
時間とは人間の都合のものですか? だとしたら、時間をはかる者がいなくなったら、動いている星、物質などにも時間がないということですか? それとも、時間とは動き→時間を理解する者がいなくても時間はありますか? また、空間を察知する者がいなくなったとしたら、宇宙も星も「無」ですか? 親切な回答よろしくお願いいたします。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
感覚としての時間・空間は、認識できる生命体固有のものだろうが、空間と運動するものがあれば、時間は存在する。 時間が無くなるとしたら、エントロピーがひたすら増大し、宇宙全体の温度と物質の密度が平均化し、熱的終焉を迎えたときーそこでは、運動(移動)というものが何の意味も持たなくなる。その時には、時間は「無」でしょう。 あるいは、宇宙がビッグバンで生まれる前、その時点でも「無」といえるでしょう。 あなたの言葉を借りれば、時間とは「運動」の都合上のもの、といえるかな。簡単な見方をすれば、空間と運動がない限り、時間は生まれない。 時間が実在するや否やについては、講談社現代新書の「時間は実在するか」(入不二基義)をご一読! https://www.amazon.co.jp/%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%AF%E5%AE%9F%E5%9C%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8B-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%85%A5%E4%B8%8D%E4%BA%8C-%E5%9F%BA%E7%BE%A9/dp/4061496387
その他の回答 (2)
- nihonsumire
- ベストアンサー率26% (843/3157)
難しい問題ですね。認識が先か、存在が先かということでしょう。人間が認識しなくてもXは(輝いて)います。そのXを太陽と名付けた、また輝いていると表現したのも人間です。そういうことです。 Xとは何ぞや、それも人間が名付けた文字だと反論されそうですね。
補足
そうなのです。 時間も空間も星の名前も決めたのは人間。 ではその人間が決めた天文学的に言うと、認識と理解を持って感じる者がいなくなれば無ということになるのかどうか? けれど、屁理屈なしに考えたら人がいなくなっても動きはあるイコール時間や空間は存在するのかなと思うのですが。。 しかしこれが天文学的には屁理屈ではなく、天文学に基づいて辿っていくとそうなるのかもしれない。とも思いまして。 天文学イコール人(生命体)中心? しかし人はたまたま存在しただけであるから天文学イコール人中心ではない?それが知りたかったのです☆
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
量子論的世界像によれば、存在の原理的実体は確率的な もので、ある性質を決定しようとすると、それに実体を 与えるべき他の性質が、無限不確定(=無)に発散する 事が知られています。 つまり、有限的な存在性は、認識する事で派生している のです。 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限 に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しく なります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の 闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の運動 (時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙膨張) を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体は その光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完 (相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。 自我仮説(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間仮説 (予測=空間の広がり=未来=光速下)の相補分化。
補足
ということは、無はなにもないのではなく、時間や空間を認識することができない(無限に詰め込むと動けなくなる)ということになるのでしょうか? 無は時間からきている? 人がいなくとも、意識的に時間や空間を認識できなくとも、例えばそこに星があってその星による重力だったりがあることで物質?が反応できたなら、それが時間ということですか? だとしたら意識的に時間がある!と理解する者がいなくても時間はあるということでしょうか?
補足
時間は存在するのですね! とてもわかりやすい回答ありがとうございます! 「運動というものが何の意味も持たなくなる」意味が理解できず、これも自分なりに調べてみようと課題になりました! 学生の頃はこれっぽっちも興味なかったのに今はとりつかれております。笑 本のオススメありがとうございます* 本は好きなので、安いし…購入してみようかな。 ありがとうございます!