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古典が受験科目である必要性

今年大学受験を控えている高校三年生です。 高校、大学受験で受験科目として度々古典が出てきますが、これは必要なものなのでしょうか。 趣味の範疇に留めておくべきものを、わざわざ人の人生を左右する科目に採用する意味が分かりません。 半分愚痴のような質問ですが、回答いただければ幸いです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.5

欧米の大学でラテン語を勉強するのと一緒ですね。 『なんで使いもしないラテン語(日本で言うと古文に相当)を勉強しなきゃいけないの?』 『それよりも実用的な英会話やプレゼン用の英語を勉強するべきよ!』 などと、とくに英語が苦手な傾向のあるフランスの学生なんかから聞こえてきそうです。 それ自体、実生活において何ら役には立ちませんからね。 ただ、大学受験は人生を左右するものですが、大学そのものは義務教育ではありません。 つまりは「不合格者」を出さなきゃいけないのです。 『わざわざ人の人生を左右する』大学受験だからこそ、その科目に「人生において何ら関係なさそうな」古典を取り入れたのでしょうね。 大学が必要としている人材は『専門分野だけしかできない学生』ではなく、『専門分野ではないものにも積極的に興味や関心を抱き、専門分野の研究・学問に取り入れられる柔軟性を持った学生』と言えます。 あらゆる分野において、単一の分野の中だけの密室状態で研究をする時代は終わっています。 今は多様な分野とのコラボレーションや関係の中で専門分野を革新させなければいけない時代。 古典も初めは受験のふるい分けのため、ただ単純に「高校生までの勉強の仕上がり具合を見る」程度だったのでしょうけれど、今になってむしろ重要になっているようにも思います。 特に、言語は文化のルーツにも関係していますし、文化的な発展はすなわち自然科学の発展であり、それらの上澄みとして最先端の科学があります。 質問者さまが理系なのか分かりませんが、たとえば最先端の科学を研究するにあたって、むしろ最先端ではない文化の背景や古典など『趣味の範疇』のものをどれだけ先端的に応用できるか、という視点は必要不可欠です。 ですから、実学か否か、という判断基準は、この時代においてはもはやナンセンスなんです。 幅広い分野への興味や関心、また『趣味の範疇』の知識の充実は、就職の場でも『人材としての魅力』に繋がるので、やっておいて損はしませんよ。 考古学に造詣の深いロボット工学者、数学に長けた文学者、文化史に精通した経営者…そういった人は、ただ単純に工学博士であるとか文学が好きなだけの物書きとかMBA取っただけの経営者よりも、ずっと人材として魅力的だと思います。 古典を勉強しておいたところで、進学先や就職先が狭まるわけではないですし、人材としての魅力に繋げて選択肢を広げられるかどうかはあなた次第ですけど、少なくとも単一の分野に固執して、それしか勉強してこなかったような人は、今後の時代では取り残されてしまう可能性が高いです。 そのことをわきまえて大学受験に臨んでくださいね。

yoyonsin
質問者

お礼

成る程、ふるい として機能していた訳ですね。 含蓄に富んだ人生にするべくこれからは古典にも真摯に取り組むことにしました。ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.4

yoyonsin さん、こんばんは。 文科省の中に日本人なら、日本の有名な古典のとある有名な部分位理解できなくてはという意見があるのだと思います。 また、鉱工はともかく大学になると、文学部に国文科という学科がありますが、ここは古典が必須か専攻ですからね。

yoyonsin
質問者

お礼

やはり一般教養としては知っておくべきものなのですね。 ご回答ありがとうございました。

  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.3

 大学と言うものは、そもそも職業訓練機関ではないのです。学問の研究者養成機関なのです。  ですから、欧米の大学の工学部は、ずいぶん遅くなって設置されました。一説によると世界で最初に工学部が設置された大学は、東京大学だそうです。  つまり、理学は、大学で研究すべき学科で、工学は理学を実地に応用する学問で、大学で研究するにはふさわしくない、大学以外の別の教育機関で教育するのがふさわしいと考えられていたのです。  例えば、アメリカの MIT(マサチューセッツ工科大学)は、日本では大学と訳していますが、高等専門学校とでもいう施設なのです。むろん、学問レベル的には、大学と訳して何の問題もありません。  わが国でも戦前は、大学とは別に高等専門学校があり、学問レベルとしては大学並みですが、学問の応用面を主に教育していました。戦後、全部大学と言う名前になりましたが。  つまり、大学と言う機関は、学問を専門的に研究する人材を養成し、専門的研究を行い、次代にその成果を伝えると言うことが求められているのです。大学の入学者は全て研究者になるとみなされ、研究者になるのに必要な能力の検定を受け、合格した者には、研究者になるべく教育を受けさせるのです。今でも国立大学の入試科目には、理系であっても古典があると思いますが、それは、その大学が研究者に必要であると考えているからでしょう。じっさい、理系の研究者の中にも古典の素養の深い方は珍しくありません。理系だからと言って、理系の学識だけあればよいというものではないと言うことでしょう。  「趣味の範疇」と、書かれていますが、広い趣味は研究活動に思わぬ力になることもあるでしょう。  しかし、現実には大学卒業者の大半は、企業に就職します。多くの会社で、大卒者は優遇されています。仕事の内容は、研究活動とは大きく違いますが、研究者になるべく教育を受けたことが、職能上も有用であると考えられているからでしょう。  とはいうものの、現在多くの企業で求められている人材は、上記のようなものではなくなってきつつあるようで、現実を踏まえた受験科目を設定している大学も増えてきているようです。  大学のありようも、過渡期にあるようで、また、高等専門学校などと言う機関ができるかもしれません。

  • wy1
  • ベストアンサー率23% (331/1391)
回答No.2

まともな考えか如何か分かりませんが、あなたを含めて日本人が受験生だからでしょう。そして、まともに学問を目指す?大学なら当然でしょうね。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

あなたが受験する大学が「実学」中心のところであれば、(センター試験で国語が必須の国公立を除き)古典を採用しているところはまずありません。言い換えると、「古典」を受験科目にしているような学部はその分野の研究者にでもなる人を除いて、ほとんどが将来の仕事に関係が無い学生が占めるところが大半です。

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