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歴史的事実とは?
- 歴史的事実とは、過去の出来事や事象の真実であり、客観的に認識されるものです。
- 現代史の難しさは、利害関係に絡んだ人々の存命中は客観的に俯瞰することが難しく、歴史学的な信頼性を得るには時間がかかると言われています。
- ホロコーストやアウシュヴィッツについて知らない人にそれらの存在を認めさせることは可能です。
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こんばんは。お元気でしたか⁈。此れは難しいですが (1) 出来る。途方にくれる困難さで、時間は掛かりますが。 洗脳を解く技術は不可欠。専門的な詳細は存じませんので私の経験ですが、独我的に閉じて、情報遮断し聞く耳持たぬ人には、何か強力な真実と思える言葉一言、植え付ける、或いは無意識に働くように忍び込ませる。~カントの定言命法の様なもの、証明は不能だけど、確からしい事です。其れしか出来ないが、何年か後に効き目が出る事も有りました。 議論が可能なら、先づは主張を認めます。歴史の事象に関しては対立する双方に、正論と誤認とが供に見受けられるでしょう。 戦後のドイツは日本以上に、建て前 社会だと言われ、Political-correct,コードに依って、ナチス再評価などタブーでしょう。関連のワーグナー曲が戦後初めてイスラエルで演奏されたのは2001年、バレンボイム と E.サイード、 http://hiroomikes20120501.blogspot.jp/2013/09/ara-guzelimian201392.html ~斯様に 立場を跨ぐ当事者で越境者の尽力は有効でしょう。 フランスでもナチス支持者の大文学者の復権は大変でしたね、セリーヌ、Aアルトー、ドリュラ.ロシェル、、彼らはホロコーストを知らなかったのですが、台頭期のNazisの正当性と緑の自然観、社会民主主義、吝嗇ユダヤ資本に対する反感などは広く共感されてたでしょう⁈。~其れは先づ認めなければ為らない。でも此れ言うとファシズムだ対独協力だ、典型的Frenchイデオロギだとレッテル貼られる。別段リビジョニストではない。ベルクソンやドゥルーズも言われた。詰まらぬ唯の人権派で親ユダヤ派のヌーボーPhilosophe達に。 ~南京虐殺も当初の発表は三千人が、漸次百倍になって居り此れは公正な調査によるのでなく、共産党による政治利用でしょう。 一方、収容所で思想洗脳された捕虜ではない日本兵もリンチや殺戮を証言されてるので、大抵の人は認めてるでしょう、虐殺は無かったとは言えない。 只、極右と言われる中にはナイーブで純真な人が居て、先人の悪事を認めたくない。~どの戦争にも虐殺や略奪、強姦は付き物で特別な犯罪ではない。それを我が邦だけは正当な事しかしてないとし、民族の理想像に想像的に現在の自己を同一化して溜飲下げるのは、何かの不満の吐け口であり実は先人を慮るのでなく自己正当化したいだけで、ネオナチや英国の排外主義の青年も同様でしょう。美と崇高の問題ですね。 国家が組織した軍隊は、自覚ある戦士とは言えない素人兵隊の集団です、綺麗事だけで済む筈は無い。コソボでの国連部隊のレイプも有名ですし、米海兵隊の素人並の戦闘とPTSDが、160人狙撃のAmericanスナイパーの主人公によって報告もされてる。 時効でも戦時の汚点は話し難い。私も貴方だから言いました、人肉食べたと、詳しく言わないと総スカンでしょ。大岡昇平の小説や、神軍’’の奥崎謙三の映画でも兵士はやっとこさ重い口を開くのが人肉食の話。~特攻崩れと戦後罵られた兵士も最近告白し始めた。~平和主義者でも、広島の被爆者がやっと伝えた「横たわり必死で水を欲しがる人々を見殺しにし踏み越えて私は生き延びたのです..」 未だ先ですね、前世紀の戦争が歴史として確定するのは。特に東亜は遅い。 歴史学へは、映画と哲学からの明答が有るので間に合えば再記します。
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- ミッタン(@michiyo19750208)
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2 私には学が無いもので難しいです ふと思ったんですが、ドイツ人のどのぐらいの人が鳴門の第九をご存知なんでしょうか? 本当は学徒出陣の歌だったのに、いつの間にか年末の大コーラスに変わってしまったと言うことです
お礼
こんばんは、michiyoさん。 鳴門の第九、わたしも知りませんでした。日本人もドイツ人もほとんど知らないのでは?などと勝手に想像してしまいます。 http://www.city.naruto.tokushima.jp/contents/daiku/about.html >本当は学徒出陣の歌だったのに、いつの間にか年末の大コーラスに変わってしまったと言うことです へえ、なるほど、これは面白い回答ですね。 とても参考になりました。どうもありがとうございます。
- 2012tth
- ベストアンサー率19% (1893/9468)
50代♂ > 最近のヨーロッパでの極右の台頭が怖い 何が問題なの? https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%8A%E3%83%81 ネオナチ (英語: neo-Nazism、ドイツ語: Neonazismus) 2. と 3. かな? 当事者では無い…第三者に過ぎないのでその資格は無いです。 『ホロコースト』と『アウシュウィッツ』は本当の事です。 特にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、世界遺産で https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%EF%BC%9D%E3%83%93%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%8A%E3%82%A6%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80 博物館に成っている。
お礼
こんばんは。 >特にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、世界遺産で博物館に成っている。 ええ、しかしそのようなほぼ全世界が認めている、或いは認めざるを得ない場合はともかく、ここまで世界規模で周知されていない無数の事例に関して、わたしたちはそれらをどこまで「歴史的事実」として認識し得るのか?という疑問でした。 無論質問が「ホロコースト」と「アウシュウィッツ」ですので、このお答えで問題はありません。 ご回答をありがとうございます。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
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(2) 不可能 認めさせるには、相手も私も学術的議論ができることが最低条件で、私にそれができないからです。 ホロコーストやアウシュヴィッツは物的証拠も多いでしょうから、相手が極右であっても学術者であり、学術的に証拠を突きつければ認めさせることはできるかもしれません。 >歴史が学問としての信用を保証されるためには、利害関係に絡んだその当事者とその直接の関係者が存命中は無理で、従って、少なくとも100年は掛かると良く言われています。 >当事者がいなくなってしまうと、事実関係の詳細の多くの部分が消失してしまう。一方、当事者及びそれと直接繋がった人がいる限り、歴史学の本来の目的である客観的な歴史認識が出来なくなってしまう。』 これは本当に難しいジレンマですね・・・ 私は日中戦争において、中国側が主張するような戦争犯罪を旧日本軍が本当にやったのかどうかが気になっています。南京での便衣兵の疑いのある中国人の裁判無し処刑はあったんだろうと思いますが、大虐殺や強姦殺人なんてことが本当に行われていたのか・・・学術的に証明されていないので、「無かった」という立場を取りますが、南京大虐殺紀念館などで既成事実のようにされてしまい、中国人を説得するのはもう不可能のように思います。慰安婦問題もしかり。 戦争犯罪を犯した将兵が日本に復員し、そしらぬ顔で私たちの優しいお爺ちゃんとして余生を生きていたなんてとても信じられません。しかし軍人会でお互いを監視し合って箝口令を敷いている、という話も少し説得力があります。それにしたって完全に封じ込められるはずはなく、告白しちゃう人もいるだろうと思うと、それはソ連に捉えられてコミンテルンの洗脳を受けて有りもしない事を有ったと思い込まされているのだと言う。 ・・・研究者でも何でも無い私には論じる資格もありませんし自分の中での判断もできません。7・80年前の事ですら何が事実かわからないのですから、そうした積み上げである千年単位の歴史的事実も、私は疑わしいように思います。 ではそんな歴史を学ぶ意味があるのかどうか・・・ひとつひとつの事件の真偽はわかりませんが、大きな潮流は事実であり学ぶべきだと思います。
お礼
こんばんは。 「歴史的事実」なんて簡単に言いますが、実はとても難しい領域ですね。 敢えて、「哲学」や「歴史」ではなく「アンケート」に質問したのは、学術的、学問的な知識を持つ少数の人の意見よりも、わたしと同じ一般の人たちが、このような問題を前にどのように考えるだろう、と考えたのと、専門分野より、より多くの意見をきけるのではないか、という思いからです。 日本の朝鮮・中国に対しての「南京虐殺」「強制連行」などには、「戦争文学」というものがあります、(石川達三の「生きている兵隊」武田泰淳の「審判」「汝の母を!」それから堀田善衛の「時間」など) けれども、われわれはそれらを「事実だ」と証明する術を持っていません。 無論「嘘だ」とも言えない。 『顔のないヒトラーたち』でも、「自分の親を裁くのか!」というセリフがありますね。 ただわたしはなにか同じ1945年に終戦を迎えたドイツと日本の戦後71年間には大きな隔たりがあるように感じられるのです。 >ではそんな歴史を学ぶ意味があるのかどうか・・・ひとつひとつの事件の真偽はわかりませんが、大きな潮流は事実であり学ぶべきだと思います。 仰るとおりですね。 わかり得なくとも、わかろうと努めること、その上で自国に、或いはユダヤ人に、(日本ならば朝鮮・中国人に)、戦勝国に、どのようなスタンスを取るかという、国民のコンセンサスの有無、そのような立ち位置の違いを知りたいと思います。 ご回答をありがとうございます。
- oya_zico
- ベストアンサー率19% (397/2006)
grassrootsさん、お早うございます。 >貴方はドイツの一部極右、あるいは「ホロコースト」を知らない人に『ホロコースト』『アウシュウィッツ』があったということを認めさせることができますか? う~ん、私は日本語しか話せないので、現実的には、彼らに『ホロコースト』『アウシュウィッツ』の存在を認めさせることは不可能です(涙) もし、ドイツ語が話せたと仮定した上で考えてみると、認めさせることの可能性については、 私の恩師(社会科の先生)の言葉にヒントがあるような気がします。 師いわく、「現在の学校教育では、権力者側から見た歴史教育ばかりですが、被権力者側から見た歴史の方が重要かもしれませんよ。」 恩師は、同じ歴史事実でも、権力者側から見た事実と、農民等の被支配者側から見た事実は違うと言いたかったのかもしれませんが、それを応用、拡大解釈すれば、被支配者側の当時の資料が1冊でも存在すれば別の見方が出来る? もしかすると、認めさせることが出来るかもしれないと思いました。 『アンネの日記』、これって、連合国側、またはユダヤの権力者が捏造した資料では無いですよね。 それから、リトアニアでユダヤ人を救った杉原千畝(すぎはらちうね)さん関係の当時の書類は、第三者的立場から書かれたものというよりは、三国同盟でドイツ寄りだった日本人側から出た資料なので、より真実味があるかもしれません。 ただし、物証が無ければ、説得するのは本当に難しい、それにもし物証があったとしても、洗脳された狂信者の方に、それを認めさせるのは不可能に近いと思います。 最後に、既に御存知かもしれませんが、興味深い映画をご紹介致します。 https://www.youtube.com/watch?v=9ljj_M71oKM (↑) 『THE WAVE ウェイヴ』 どうも、本当に行われた実験を映画化したらしい。 狂信者の方が、この映画を観て、独裁者に踊らされている滑稽でかつ恐ろしい姿を客観的に冷静に見ることが出来るかどうか? (また、極右の人は、逆に、「差別は当然のこと」と開き直ってる可能性はありますが、) でも、極右ではない一般人の方ならば、「もしかしたら、そういった差別が行われた可能性はあるかも」と、思い直すかもしれません。
お礼
こんばんは、oya_zicoさん。 >「う~ん、私は日本語しか話せないので、」 オイオイ!(笑) >師いわく、「現在の学校教育では、権力者側から見た歴史教育ばかりですが、被権力者側から見た歴史の方が重要かもしれませんよ。」 いい先生との出会いは貴重ですね。 ただ、この先生のお言葉についてではなく、所謂リビジョニスト(修正主義者)たちは正に、わたしと議論をしていた物理学の先生もそうですが、現在の=戦後日本の歴史教育は徹底して勝者=アメリカからの洗脳的教育である。いまこそ、われわれはそのような「自虐史観」を脱し、自らの手で、歴史を作り替えなければならない。「正しい歴史」を。 視点は常に複数ある。 じゃあ、結局上の幾つかの回答にあるように、「正しい」或いは「ほんとうの」歴史的事実とはなにか?というところに舞い戻ってきてしまいます。 ご紹介の映画は知りませんでした。TV壊れているので(笑) 前の「es」は見ましたけれど、こちらも「実話」を基にした作品なんですね。 地元の図書館に「プロフェッショナル」(だったかな?アイヒマン裁判の映画)や「ハンナ・アーレント」があるので、早くテレビを何とかしなければと思っています。 >極右ではない一般人の方ならば、「もしかしたら、そういった差別が行われた可能性はあるかも」と、思い直すかもしれません。 これを観て何かを感じるのはやはり日常の問題意識があるか無いかのような気がします、突きつけられた問題提起に見合う問題意識があるか?そんな気がします。 興味深いご回答をありがとうございます。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
どれでもないでしょう。歴史的事実はありますが、それが何かは誰も知らないからです。〇〇が、あったという立場も、なかったという立場もほとんど又聞きですから。
お礼
こんにちは。 ということはやはり行きつくところは 「事実というものはない、あるのは解釈だけだ」というニーチェの言葉に集約される、ということでしょうか? >歴史的事実はありますが、それが何かは誰も知らない ということは「歴史的事実」とは「未知」の領域であるというご意見でしょうか。 >あったという立場も、なかったという立場もほとんど又聞きですから。 これはその通りで、では「歴史」とは「歴史」を学ぶとは、結局「あることへの解釈を学ぶ」ということになりますね。 ご回答をありがとうございます。
補足
訂正です >ということは「歴史的事実」とは「未知」の領域であるというご意見でしょうか。 「未知」ではなく、「不可知」とします。
- dottimiti
- ベストアンサー率12% (286/2363)
(1)できる うまくすれば、一時はできるけれど、一部利害がからむ人というのは、態度としては認めない可能性はありますよね。それで意図的なリビジョニストになっていくと思います。
お礼
こんばんは。 うーん、この「利害」というのがいまいちよく理解できていなくて、 例えばホロコーストで死んだ人の遺族、或いは生還者、 原爆の被爆者、戦死者の遺族、 そういうひとたちにとっての「利害」とはなにか? あるいは誰と誰の間の「利害」なのかがわかりません。 いえこれは反論ではなく、純粋な疑問です。 よろしければもう少し突っ込んだご意見を頂けると助かります。 ご回答をありがとうございます。
「歴史を学ぶ」とは 認めさせる事では無い・・ 事実かどうかよりも 悲惨な出来事を後世に繰り返す事の無い様にすれば良いだけ・・ 酷い歴史なら ホロコーストだけじゃ無い・・ 原爆も戦争も・・身近な処では犯罪も交通事故死や自殺までも・・ そういったのを未来に持ち込まない事の方が大切な だけ・・
お礼
こんばんは。 仰ることはその通りです。 ですが「彼らは」「わたしたちは」その時「何をしていたか?」 そのことを見つめなおし、なぜそうなったかを検証しなければ、同じ過ち、同じ愚行が何度でも繰り返されるのではないか?という気持ちです。 事実を踏まえた上で、はじめて、「その後」「次回」が起きないように対策を講じられるのだろうと思います。 それは交通事故でも、殺人でも、自殺でも同じことではないでしょうか? ご回答をありがとうございます。
- citytombi
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説明自体は出来ると思いますが、それは私が学んだ歴史の知識の範囲内においてです。 ただ極右連中は、「そういう歴史自体がない」「そういう大袈裟なことではない」「事実としても必然的かつ合理的な理由があった」「当時の社会情勢からは正当な行為であった」・・・という前提の思想観なので、そういう連中に対していくら言ったところで理解させることは出来ないと思います。 したがって2にします。 ましてや、私の歴史の知識レベルでは難しいでしょうね。 これは日本においても同じですね。“それが正しい・正当”と思えば、どんな説明をしたところで入口でシャットアウトするような気がします。
お礼
こんばんは。 仰るとおりですね。「そういう事実自体がなかった」といった単純なものよりも、 >「事実としても必然的かつ合理的な理由があった」 「当時の社会情勢からは正当な行為であった」 このように言われると、普通人に説得は難しい、というか不可能でしょうね。 ではどうでしょう。その事実を認めさせることができない以上、彼らの事実つ認識が正当なのでしょうか? あるいは「見る人の数だけ歴史的事実が存在する」といえるのでしょうか? 言い換えれば、「歴史」とは「宗教」のようなもので、なにを信じるかは人それぞれで、強制はできない? ご回答をありがとうございます。
- nyannyan2015
- ベストアンサー率25% (29/112)
3 歴史を書くのは勝者
お礼
こんばんは。 3)どちらともいえない。 >歴史を書くのは勝者 この場合は負けたのがドイツで、勝者は英・仏・ソ・米を中心とした連合軍ということですね。 ではユダヤ人はこの場合どのような立場になるのか?などと考えてしまいます。 ご回答をありがとうございます。
- whaihansei
- ベストアンサー率23% (227/983)
恐らく出来るでしょう。 アウシュビッツ収容所は残されており、 見学出来るから。 ただし極右は信じないかもしれず認め させられるかは定かではありません。
お礼
こんばんは。 >ただし極右は信じないかもしれず認めさせられるかは定かではありません。 そうですね。それすら、「デッチアゲだ!」と言われてしまえば論破は難しいですね。 そうなると「極右」とは、なにを信じている人たちなのか?という疑問が湧いてきます。 ご回答をありがとうございます。
お礼
お久しぶりですね。 「ホロコースト」を否定することは「洗脳」であるとして、それは誰かから洗脳させられたのか?或いは自ら「否定する」という途を選択したのか? >フランスでもナチス支持者の大文学者の復権は大変でしたね、セリーヌ、Aアルトー、ドリュラ.ロシェル、、彼らはホロコーストを知らなかったのですが、台頭期のNazisの正当性と緑の自然観、社会民主主義、吝嗇ユダヤ資本に対する反感などは広く共感されてたでしょう⁈。 この点だけを採るならば、彼らの共感も分からないではないですね。 自分も含めて、人間て、そんな崇高なものじゃない。彼がやったことを何故われはやらないと言えるのか?何故やったことを「やらなかった」ことにしたがるのか?それとも「やったこと」を「やらなかったことに」したわけではなく、はじめから「なかったこと」なのか? そこで「ホロコースト」に戻って、「歴史とは宗教(信仰)である」と言えるのか? つまり歴史的事実は「神」の存在同様「不可知」の領域であるから、「ある」というひとにはあり「ない」というひとにはない。それが限界なのか? >国家が組織した軍隊は、自覚ある戦士とは言えない素人兵隊の集団です、綺麗事だけで済む筈は無い。 極端な話ですが、戦争をしたければすればいい、けれども東日本大震災や熊本の震災、或いはフクシマの事後処理のマズさと隠蔽体質とを見ると、やったところで勝てっこないと思わざるを得ない。 やれば勝てるような戦争を知悉したリーダーは、可能な限り諍いを避けようとする。そんなパラドクスが成り立つように思えるのです。 >広島の被爆者がやっと伝えた「横たわり必死で水を欲しがる人々を見殺しにし踏み越えて私は生き延びたのです..」 これは真実だと思います。綺麗ごとではない、人が人を殺害するだけではなく、一般人が隣人を見殺しにしなければならない状況を生み出すこと、これが戦争です。 >未だ先ですね、前世紀の戦争が歴史として確定するのは。特に東亜は遅い。 そうですね。 >歴史学へは、映画と哲学からの明答が有るので間に合えば再記します。 よろしくお願いします。 marcさんの議論は難解できちんとしたお礼も覚束きませんが、興味は付きません。 ご回答をありがとうございます。