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格闘技や武道を他のスポーツや習い事と意識が

悪い意味で違うように言う方がよくいますが。不必要な緊張感であったり。本来全く力関係なんて無いくせに一方が若干抑制されるような空気など。私に言わせればはっきり言って稽古や試合なんて安全です。突然刺されるわけじゃ無いしダイナマイトで飛ばされたりトラックや鉄筋が落ちてくるわけじゃ無い。基本的に、文化であるからこそ武道は尊重されているものだと思うのですが。への突っ張りにもなら無いような生温い腕力を背景に素人的な状態の相手に対する態度がある部分威圧的だったりするところに大変違和感を覚えます。どうしてこのような空気が産まれやすいのでしょうか?

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  • lions-123
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回答No.1

>文化であるからこそ武道は尊重されているものだと思うのですが。への突っ張りにもなら無いような生温い腕力を背景に素人的な状態の相手に対する態度がある部分威圧的だったりするところに大変違和感を覚えます。どうしてこのような空気が産まれやすいのでしょうか? 67歳 男性 私は柔道を長くしてましたが、質問文を読みながら思い付いた感想を述べますと・・・   <順不同> 身びいき・愛着・プライド(自尊心)・思い入れのようなものが→携わったり、打ち込んできた競技、好きなスポーツには単なる興味や好悪に加算された愛情や誇りや畏敬の念が入るのでは?    それは好きな芸能人の演技や歌に、単なる好意好感に加え、演技力・歌唱力・魅力を感じ語るのにも似てるが、それは対象に対して→詳しい、長く強くファンであること、応援したい気持ち等が重なり私設応援団に成ってるような心理が作用しているのでは? 例えば、私の柔道で言えば→「・・・道」であり、それは単なる競技や格闘&勝負を超えた求道の要素、礼に始まり礼に終わる、受け身に代表される柔(やわら)の精神が加納治五郎先生の訓えが脈々と受け継がれていると思うからです。 他の競技者やアスリートには言わないが、そこに柔道を愛し、ひそかに心中に秘めた誇り・自負を気概&精神として持っています。

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