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人間の見下すという感情の原点は?

 すべての感情の原点に本能的欲求があると思うんですが、何がこの感情を作り上げているんでしょう?

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回答No.9

私の元彼が「人を見下す」タイプの人でした。 もちろん私も見下されていましたので それが原因にもなり別れる事になりました。 その頃、私なりに心理学のHPを読み漁りました。 他にも書いている方がいらっしゃいましたが 人を見下すと言う事は、 自信の無さや自分の弱さを隠す為に、 起こす行動のように思います。 弱い自分を大きく見せる為のものです。 その為には、まず相手を威嚇し(暴言、暴力) 自分より弱い立場になるよう追い込みます。 そして、怖くて抵抗できなくなった弱者を 見下した態度で支配し、自分が優位に立つのです。 そして自分の自信を確立し、安心するのです。 でも、本当の強さではないので 弱者がいつ自分から離れていくか いつ自分の弱さがばれてしまうか、と いつもそんな不安に苛まれていると思いますが。 書いてて本当に可哀想な人(元彼)だったなと 思い出しました。 そんな風にしか弱い自分を守れないんですから…

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  • hiepyon
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回答No.8

専門家じゃないけど…。 確かに昔からヒエラルキーというものがありますね。カースト制度では「奴隷」、日本でも「ぬた・非人」とありました。上層の平民などは不満があっても「下を見て」といった具合ではぐらかされてきました。 「見下す」というのは他の人間や物(動物など)に対して行うものですが、逆に本人レベルでいうと上位を目指している過程なのではないかと思います。 NHKスペシャルで「人間の祖先である原始生物は地球が危機の時(氷河期など)に地層のはるか奥で地上に出るタイミングを見計らっていた「冒険者」で、われわれはその遺伝子を見事に引き継いでいる」というのがありました。 やはりわれわれは向上する、つまり前の方も書かれていましたが「良い環境に自分を持っていく」という作業を遺伝子的にしているのだと思います。動物だと自分より弱い存在を淘汰して、自分の置かれている環境を改善して生き延びてきました。 それが人間になると、食べるわけにはいけません。そう、人間のみが唯一もつ「ことば」です。 ことばで他の存在を淘汰しているのです。 動作のみでは人間同士ではコミュニケーションは成り立ちづらいです。やはりことばで、相手を推測し、自分に有利か不利かを判断します。その材料としての「ことば」はいい材料となりうるのだと思います。 だから見下す、という行為は誰しもが行っていると思います。見下す、ということばはよく悪い印象で表されます。でもホントは見下してからのその人間の反応が変わることによって、それがいい意味に変化したり、逆転したりすると思います。 よく「恵まれない人に愛の手を」という謳い文句で募金などをしているのを良く見ますが、あれは送金する地域の人間の置かれている環境を「見下して」、その上で「助けてあげたい」という良心からの行為だと思います。 「見下す」という言葉もこう遺伝子レベルで考えると、おかしい言葉ですね。

  • rina-rina
  • ベストアンサー率17% (29/168)
回答No.7

感情に大差はあれ、死ぬまでに他を1度も見下さない人間なんていませんよ。育ってきた環境とか心の狭さとかいう問題でもないです。 で、問題の原点ですが、これはやっぱり自己防衛&生存本能でしょ。

回答No.6

そうすることでしか自分の能力をアピール出来ない心の狭い人がする行為だと思います。見下す人で恐れられても、廻りから慕われている人にお目にかかったことがありません。

  • ken-oo
  • ベストアンサー率44% (59/133)
回答No.5

以下、根拠なしの想像で書いてみます。 まず前提として、人を見下すという感情は、相手が自分より 弱者であるという認識から発生すると思います。 さて、弱肉強食の世界で暮らす動物の場合、自分より強い相手、 例えば自分を捕食する肉食獣に出会った場合、全力で逃げ出す 必要があります。 逃げ切れなかった者は死に、子孫を残せない。というわけで 遺伝子の上にも、強者と出会った場合に脱出するための 仕組みが強く記録されます。 逆に弱者に出会った場合は逃げ出す必要はありません。 別に逃げ出しても良いのですが、そうすると無駄なエネルギーを 消費することになり、その次に強者に出会ったとき、 逃げ損ねるかもしれません。 だから、弱者に出会ったときは逃げ出さないという圧力が 遺伝子の上にかかっているかもしれません。 そのような圧力を遺伝子が解決するためにはどうしたら良いかと いうと、個体(動物)に、   「強者に出会う=苦痛」   「弱者に出会う=快適」 という感覚・感情を発生させれば良いわけです。 人間も同様だと思います。 誰しも、屈強な大男がすぐそばに立っていたら、なんとなく 落ち着かなくなってきて、その場を逃れたくなるでしょう。 逆に見るからに弱そうな男だったら隣に立っていても別に 気にならず安心です。 安心はすなわち快適です。 そう、自分より弱者を側に置くことは快適=快楽なのです。 弱者に接することを快楽と感じる感情、これこそ「人を見下す」という ことに他なりません。 人を見下すという感情が発生する理由は、やはり遺伝子(本能)に あったのです。 以上、今思いつきで書きましたがどうでしょう。

  • zaki_shin
  • ベストアンサー率22% (15/68)
回答No.4

自己防衛の一種だと聞いたことがあります。 自信の無さの表れで、自分がその人より優れていると思い込むことで安心感を得たいのだと思います。ほんとに自信があれば何も気にならないと思うので、そう思いたい人は、ほんとは自分が認めてる人だと思います。なんて、あんまり偉そうなことは言えませんが。。

  • gator
  • ベストアンサー率33% (159/480)
回答No.3

本能というと言い過ぎのような気もしますが、確かにそのような 感情の強い人は少なくないですね。 因みに私自身はそのような感情を持つことはつまらないことだと 思っています。 さて、私が連想するのは、弱肉強食、生きるか死ぬかの時代です。 (ここに結びつけると、やっぱり本能に繋がってくるのかな?) 生き物は自分が生きるために、他者よりも少しでも有利でいたい。 今はそんな時代では無いですし、相手の立場に立って考える、思い やりが大切だと思いますが、心の貧しい人は上記のように考えるのでは ないでしょうか。 「見下す」以外にも、人間の嫌な面はたくさん感じることがあり、 ・ちょっとしたジョークでさえ、他人を凹ませたい。 ・自分の得になることを考え、他人の得になることはしたくない。 ・どんなにつまらないことでも、自分の評価が上がる話に持ち込む。 いちいち挙げていたらきりがありませんね。そんな面を見てしまうと、 とても残念な気持ちになります。 以上

noname#7266
noname#7266
回答No.2

質問の内容は、 なんで人は人を見下すのか、という意味でしょうか? それはその人の生まれた環境、経験などによって培われたものじゃないでしょうか。見下す人もいますし、そうでない人もいるわけですよ。 こういったものには普遍的な意味なぞないと思いますけどね。 気分悪くされたらごめんなさい。

  • crane5617
  • ベストアンサー率19% (37/188)
回答No.1

嫌悪感