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精神的に追いつくのが遅い?
初めまして。私は大学生で女です。 実は昔から自分の正確で気になることがあります。 それは怒るや悲しむ、のどちらかというとマイナスな感情を抱くことが遅いのです。 例えば友達と話していて、少しムカつくような言葉を言われたとしてもその時は分からないのです。うんうん、で流したりしていて。 そして、1番短くて数時間後。もしくは長くて一ヶ月後に「あの発言なんなんだ。むかつくなぁ…」と振り返ってからフツフツと怒りが沸き起こって「そういえばあの時もあんな事言われたな。あんな言い方無いんじゃないか。」ともっともっとイライラしだして、挙げ句の果てに1人で泣いたり、酷い時はどう仕返ししてやろうかとずっとタイミングを見計らったりしてしまいます。 つまり根にも持ちやすいのです。 客観的に見て、物凄くタチ悪い性格しているなと感じます。 言った本人に「あの時あんなこと言ったよね?」と聞いたことがありますが、『え、そうだっけ~?』と返され「あー、言った本人は軽く言ったから忘れてんだなぁ」とその時から、どうせ覚えていないだろうと思えてきました。 また怒りではなく悲しみや(焦りも)です。 昔、大切な一人の家族を亡くしました。急なことでした。 もちろん母や祖母は憔悴し切ったりして泣いたりして、私だけ妙に冷静でした。亡くなった家族の遺体を見ても「死んじゃったんだ…」って思うだけで泣くこともありませんでした。きっと家族から見れば薄情な娘思われたでしょうね。 いえ、勘違いされそうですが、その亡くなった人は私にとっても大切な大切な家族です。 悲しんでいる母や祖母に代わってしっかりしなきゃと、無自覚に思い込んでいたのでしょうか。 大切な一人の家族が亡くなった、とやっと実感が湧いたのが7年も経った今年です。それはそれは大変でした。 その前から遺品整理や49日や法事やお墓参りもしていたのに、落ち着いてから何年も経っているのに、です。 やっとその人がいない、という事実を受け入れて寂しいや悲しいたくさんの思い出を思い出して、初めてその人のことを思って泣きわめきました。 最後は暗めな話になってしまいましたが、最初の怒りについてはあまりにも私が怒ったりしないため、よく舐められます。コイツには何言っても良いんだ的な感じで。 突発的なキレ症も問題ですが、自分自身ここまで感情が来るのが遅いのもちょっとなぁ……と感じます。直したいです。 こういうのは精神科に行ったほうが良いのでしょうか?それとも頭ら辺(?)を見てもらった方が良いのでしょうか。 追記 ちなみに嬉しい楽しいは普通に普通の早さで付いていけています。マイナスな感情のみです。 お応え、よろしくお願い致します。
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- o09080706o
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自分は、悲しいできごとに対して「悲しい」という風になるよりは、「なんだよもう!」「なんとかしなくては」「おー、びっくり!」と思う方なので、そういう意味では質問者さまに近いと思います。 そんなに変なことじゃないと思います。
- 山田 太郎(@f_a_007)
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>二本の糸を撚り合わせても、出現するのはやはり糸。 >新しい糸を撚り合わせても、出現するのはやはり糸。 と、0.1mm程度の糸を撚り合わせても、そこに出現するのは糸です。その新しく出現した糸を更に撚り合わせても、やっぱり出来るのは糸です。このように、ある作業の継続・蓄積も最初の段階では、その結果としての成果物の質には反映しないものです。 学生さんですから、この量から質への転化の本則は宣告ご承知のことかと思います。例えば、中学校なんかではスポーツにおける練習量と技能との関係で説明されています。 >一ヶ月や二ヶ月練習しても、初心者のレベルから脱しえない。 >三ヶ月や四ヶ月練習しても、初心者のレベルから脱しえない。 こういう文言に添えて、階段状にステップアップしていく図が示されていると思います。かの車椅子の物理学者であるスティーブン W. ホーキング博士も >山を400m登っても辺りの景色は山地帯のそれである。 >山を900m登っても辺りの景色は山地帯のそれである。 と、量から質への転化の本則に言及されています。 さて、同法則の肝心な点は、「ある限度までは、質的変化なしに量的に変化するが、量的変化がある段階に達すると質そのものい変化がおこり、古い質は新しい質にとってかわられる。新しい質に転化した事物はさらに新しい量的変化の過程にうつる。」ということ。 冒頭の糸の例では、撚り合せる量がある段階に達すると量的変化は紐という質に転化します。スポーツを柔道に例えると練習量の蓄積は白帯から黒帯への転化をもたらします。 >仮に登山者が1500m地点まで登ったならば、 >そこには亜高山帯という違った植相が出現する。 >すなわち、登山量は登山者を新しいステージに導いたのだ。 ネガティブ感情の怒りへの転化も、ある意味で量から質への転化の法則の表れです。一回思い出し、二回思い出し、三回思い出し。この回数が蓄積の初期段階では、質的変化なしに思い出しの回数のみが量的に変化するが、その量的変化がある段階に達すると感情の質そのものに変化がおこり、ネガティブ感情は怒りにとってかわられます。 Q、こういうのは精神科に行ったほうが良いのでしょうか? A、極めて陳腐な精神活動ですからほっといて構いません。
- athlonxp1800
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私も若い頃(20歳頃)そんな感じでした。 友達の言葉を後から思い出してカッとなってましたよ。 あと、同級生が亡くなったと聞いても何も感じないというか。 冷静で落ち着いた人間でした。 今は40歳過ぎており、そのようなことは無くなってます。 性格も変化していくのですね。 まぁ、カッとなること場面自体少ないですし、怒る感情はさほど変わらないかもです。 怒ったところが想像できないとか、逆にこういう人を怒らせると凄く怖そうとか言われる事がありますね。 涙もろくなってる気はします。 遠い親族の葬式で旦那さん(65歳ぐらい)を亡くした奥さんがお別れと時に棺おけにすがりますよね。 その場面を見ることが出来ず、一人で葬儀場の外に出てしまいました。 悲しみの感情は明らかに豊かになってます。 あまり考えず過ぎなくて良いと思いますよ。