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母親が精神病 接し方がわからない

私は今年で18歳になりそろそろ高校を卒業します。 母は現在39歳で、精神病になったのは私が小学校3年の時でした。 私が幼稚園、兄が小学生の時に両親が離婚しました。父親は、すぐに手をあげる人で、母に刃物をつきつけたこともあります。働いたお金も家族に使わず、いつも自分のために使う人でした。だから、母はその頃からずっと子育てしながら働き、疲れと過剰なストレスが原因で離婚し実家に戻って4年ほど経った頃急に人が変わりました。その頃会社が倒産し、仕事を失うと家に引きこもるようになり、外部はもちろん、家族とも話さなくなりました。次第に悪化していき、家に帰ると毎日煙の匂いと騒音、怒鳴り声が聞こえました。たばことかそんなんじゃなくて、物を燃やす木の匂い。母がお風呂などでいない隙に部屋を除くと、いろんなものが壊され、燃やされていました。ひどい時は私のランドセルや、体操着が切られ使い物にならない状態で置かれていました。また、母は自分の服を全て燃やし、布団を体に巻いた状態で生活していて、とても友達を家に呼べるレベルではありませんでした。煙の匂い、大きな足音、怒りまかせに閉めるドアの音、幼かった私は精神病だなんて思わずただ毎日その恐怖に耐えることしかできませんでした。いつも母の怒りのほこさきは私だったから。何もしていなくても怒鳴られ、“なんで、うちだけ。なんでこんなことになったんだろ”毎日そう思って泣くことしかできませんでした。 しかし、私が小学生6年になったころ、母の姉や祖父、祖母が病院や警察と協力し、無理矢理母を入院させました。その時言われたことは“この先一生治ることはない。ただ、薬で感情をコントロールしてるだけ”と聞きました。初めは薬の効果があまり見られず、感情に波がありました。優しい母と豹変した母 しかし、通院をしてから6年目の現在、前よりだいぶよくなり、普通の母親らしくなりました。母も少しずつ自分が親である自覚も戻ってきて、毎朝お弁当も作ってくれ、送り迎えもしてくれるようになりました。私も辛かったのと同じように母もきっと苦しんでいたと思います。今では会話もするようになり、私の友達や彼氏とも話してくれます。 しかし、精神年齢が私より若い状態だと医者に言われています。確かに言動や行動が子供っぽく、頼りになる存在ではありません。 そんな現在の悩みは、そんな母に対する接し方がわからないことです。 現在でも仕事はしていません。私のアルバイトと祖父、祖母の専業農家の稼ぎで暮らしています。社会にでれば環境も心もちも変わると思うんです。そしたら、友達もでき、母はもっと楽しい生活が出来るんじゃないか、そろそろ社会にでても大丈夫なんじゃないかって思うんです。でも、何を言ったら、何をしたら気に触るのか、また前のように戻ってしまったらどうしよう、そんな不安で、自分の気持ちは言えません。友達も彼氏も同じような体験をしたことがないので相談しても理解してもらえません。 昔の母に戻れなくても、少しでも良くなるために、私には何が出来るんでしょうか。私はどのように接してあげればいいんでしょうか。教えてほしいです。

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回答No.4

私も37歳精神病の女性なので、お母さんの気持ちが少し想像できるような気がして回答させていただきます。お父さんが頼りない無責任な人で、お母さんは子供を育てるために一人で仕事を抱え、その仕事が倒産という心労極まって、あのようなひどい状態に陥りました。精神の病気は人それぞれですが、妄想が激しかったり、通常の認識が困難になって、自分でもびっくりするようなことを後に正常に戻ってみたら赤面することを我知らずしてしまうのです。あなたも子供だったために、事態をますます深刻にしてしまったようです。本当にお辛い少年時代を送られたようで、可哀相というよりしかたがありません。お母さんも少し病状が治まって、もし普通の人なら恥ずかしく感じていらっしゃるのではないかと思います。若いときは仕事をしていたようだし、たぶん仕事が嫌いな方ではないでしょう。病状を知らないので何とも言えないのですが、ここに書かれているようなあなたのお気持ちを不安に思わず、少しずつでいいのでお母さんに話して、娘さんがどんな思いを抱いているのかお母さんは話してみては?お母さんの方も、仕事をしていない精神病であるという恥ずかしさや遠慮があって、自分からは不安で娘さんに話しにくいのかもしれません。普通に会話したらいいと思います。 私も兄がいるのですが、普通に話してくれるのがうれしいです。話していく中で、精神病特有のネガティブな思考が出てきたら、穏やかにプラス思考に導いてあげる。健康な考え方をできるようにすることが、精神病を少しでも良くしていくようです。ただ会話する、その何気ないくだらない話を娘さんがしてくれるというだけで、社会との接点のないお母さんには涙が出るくらいありがたいことだと思います。私もひきこもりなので兄が話し相手になってくれるのがうれしいです。もし、余裕があれば、本など読んだり、youtubeなどで、お母さんの病気について詳しく知れば、助けられる方法が自然にわかってくるはずです。働くことができるかどうかはわかりませんが、働きたいのか、どんな仕事ならお母さんに向いてるか、家族でいろいろ話し合ってみてはいかがですか?妄想につながることを言わない、なるべく前向きな優しい言葉づかいで話すなど気を多少遣いながら、でも気さくにいろんなことを娘さんから話してあげたら喜ばれるという気がします。お母さんもあなたに謝りたいかもしれません。  もし、お母さんの人格がもう破たんしていると会話していく中でわかったら(ある程度会話したらわかると思います)、ご自分の幸せのために、実家から逃げていいと思います。お母さんの犠牲に若く可能性のある優しいあなたがなる必要はないのですから。精神病になったのは、基本お母さんの心弱さのせい。娘さんがそのために苦しみ続ける必然はないのです。祖父母にお母さんを任せて、ご自分の幸せをのみを考えたらいい。健康だった優しいお母さんは何よりあなたの幸せをこそ望んだはずですから。

回答No.3

始めまして。 私はあなたと逆に子供達や夫に、多大なる迷惑をかけた躁鬱病30年の母親であり、妻です。 私も子供達にこんな思いをさせてたんだと、辛い気持ちで読ませていただきました。 御父様が、暴力をふるい生活費を入れなかったとの事。小さなお子様を育てながらの仕事は、さぞや辛かったと思います。 私も 二女が生後一ヶ月過ぎてから、新聞配達わしてました。夜泣きする乳児だったので、睡眠不足で気がついたら、二女に枕を被せてました。夫が気づき 大事には、なりませんでした。 夫や義実家は、育児は母親の仕事という考えで、父親という自覚もなく ギャンブルや、毎晩遅くまで飲み歩く人でした。 生活費は、食費を含め医療費雑費込みです。 娘の服や靴すら買えずに、辛かったかな。 偶然私の 国家資格を生かせる正社員の募集が、あり1年半ほど働きましたが、子供が精神を病んで私自身も、人間関係に悩んでおり、退職しました。 それから私の躁鬱病闘病生活が、始まりました。一年中ほぼ寝たきりで、トイレだけベッドから起きれるという生活でした。 子供の世話も出来なくて、今でも子供が大きくなってくのに、靴も服も買えてない、どうしようという夢を時々見ます。 長女が2才の時に二女を身籠りました。その当時長女をたまに、虐待してたので、産みたくなかったのです。長女がとても愛しくて愛しくて。 二女が産まれてからは、経済的にも苦しく夫は、家庭を省みず私一人で子供を育てていくしかなかったです。 それから本格的な虐待が、始まりました。 真っ赤にガスコンロで、焼いたパイプを長女の足と手のひらに押し付けました。 お母さんやめてと私を脅える目でみていた長女の顔が忘れられません。 あなた!私をとめて!この手をとめて! 夫は、子供に背中を向け助けてくれなかった。会社から、帰ってきた夫に又長女を殴ってしまったと、話しても知らんぷり! 眠ってる長女の顔をみながら、泣いていた。 話しが、前後してすみません。 子供を虐待しながら、育てて 三女が小学校入学と、同時に上記に書いた正社員として働きだしたのです。 私は子供を守る事が出来なかった愚かな母親でした。夫や義実家の言いなりで、自分の気持ちを押し殺してました。 子供を守るという事は、妊娠しないという決断もあると思います。 私は寝たきりになった時、子供がどんなに学校にきてほしいと、いっても行けませんでした。 すみません。自分の事ばかり書いてしまいました。 御母様は、実家に帰られて安心して、病気が表だって表れたと、思います。 私は父親が母親に暴力をふるい、母親のストレスの捌け口でした。経済的に困ってなかったのに私だけ中学の制服は、見知らぬ誰かのお古でした。下着もです。私が成長するのを母が疎んじ、布団は子供の時のままでした。 私がスケーブゴートになる事で、家族が成り立っていました。 私はどんな酷い事を言われても、気がつかず 自分の心にふたをしてました。 自分が虐待されたと気がついたのは、自分が躁鬱病になってからです。 御母様は、御両親と上手くいってますか?あなた様は幼くて解らなかったと、思いますが 実家に帰って躁鬱病が、悪化したと言う事はないですか? 私は、躁鬱病の酷い時は、常軌をいっした行為をしてました。 今また寝たきりになり、昔の事を思いだすと、心がさいなまれ、生きてる事が許せなくなります。 私は、小学4年生に初めて自殺未遂をし、首吊り、大量服薬、川への入水や高所飛び込みをし、何度も 救急車の御世話になっております。 灯油をかぶって焼身自殺しようとした所を二階から、子供が友達と見てしまいました。 夫が止めにはいり 未遂に終わりました。 母親が自殺をするという子供にとってこれ程残酷な事は、ないと思います。 私は、子供達を虐待してきました。虐待されなかった子供も虐待された子供と同じ、目に見えない心の傷をおうのです。それが、最近になって初めてわかりました。 私は、子供を6回捨ててます。一度は、山の中に。子供達はそれを覚えてました。最近知りました。 近所の市営住宅で、母子家庭のお母さんが子供二人を道連れに、親子心中しました。 私はお花を持っていきました。どんなに辛かったか。一歩間違えれば、私がやってたか知れません。 もう過ぎた事ですが、御母様を警察祖父母が、無理矢理精神神経病院に入院させた事は、御母様に大変大きな心の傷を作ってしまったと、思います。 ごめんなさい。 私が 精神神経病院に、入院させて欲しいと、頼んだ時は本人の承諾が、いると言われました。 本人の承諾なしに、入院させれるのは、じゅうとくな精神神経病に限られます。 御母様は、そんなに酷かったのでしょうか? 精神神経病院の入院は、悪くなっても良くなってくる事は、ないと思います。 薬で、コントロールし、俳人のようになってきたのでは、ありませんか? ごめんなさい。失礼をお許しください。 あなた様は、御母様の病気で大変辛い人生をおくられて、苦しかったと思います。 しかしです。 御母様は、あなた達を虐待しなかった。 あなた達を捨てなかった 御母様自身が自殺未遂をしなかった。 御母様は、あなた達を道連れに親子心中をしなかった。 ここに御母様の 子供を思う深い愛情を感じます。 躁鬱病は良くなって家事が出来たとおもったら、又寝こんでしまったという事があるとおもいます。山があれば谷があるのです。 山が高ければ高い程、谷は深くなります。 あなた様は高校生になられたの事。 是非お兄様と共に御母様の診察をうけませんか?もう充分御母様の病気の事を理解出来ると思います。出来たら祖母様も。 私は、夫や自分の母にも診察を受けてもらいました。もちろん主治医の了解を得てからですが。 御母様の事を思って仕事をしたらとのお考え。 それは、絶対絶対に止めてください。 何も出来ない母だけど、生きてるだけで良しと今のままでの御母様を認めてください。 どうかお願いします。無視されるのは、辛いです。今日出来たささやかな事を、一緒に喜んでくださるようお願いします。 これから、福祉の事を述べさせて頂きます、もしご存知でしたら、失礼をお許しください。 精神神経病や精神神経障害の患者さんは、 自立支援法 →医療費一割負担になる 精神神経障害年金が、貰える ただし、国民年金を納めてるのが、条件になりますが。 自立支援法受けてる →ヘルパ -さんが頼める 一割負担になります。家事援助など。 ディケアに参加出来る。精神神経患者さん対照です。 詳しい事は最寄りの市役所の福祉課に、お尋ねください。 家庭という狭い空間で、悩んでいるより、広く福祉はあります。 御母様は、診察を受けてますか? 薬は決まった時間に飲んでますか? もし出来てないようでしたら、御家族が、管理されたらと思います。 長い拙い文章を読んでくださり、ありがとうございました。 御家族皆様の御健康と御多幸を心より祈り申し上げます。

回答No.2

お辛い経験をされて心を痛めておいででしょうが、冷静に状況を見つめ、一般化されている知識から正しい判断をして、行動に移すことが肝要です。 困っているなら理解される人が見つかるまで、回りの人に相談してみてください。困ったときに応援してくれる友人は一生の付き合いになります。 友人に応援を取り付けるのとは別に、一般化されている知識というのは専門家しか知らないことが多いですね。知識を持った人がいないなら、まずはスクールカウンセラーに相談するのがよいのではないでしょうか。 >その時言われたことは“この先一生治ることはない。ただ、薬で感情をコントロールしてるだけ”と聞きました。 重症の場合はこのように説明する医師もいますが、治ったような状態になることを寛解と言います。なぜ「ような」がつくかと言うと再発する危険があるからです。一生再発しなければ治っているのと変わりません。関係者を絶望させるような表現は避けるべきなのですがね。 >私も辛かったのと同じように母もきっと苦しんでいたと思います。 喜怒哀楽などという感情は脳に特殊な外傷でも受けない限りは無くなりません。精神病になれば論理的思考が難しくなったり、他人に尽くしたいと言った新しい脳の機能は弱まってしまいます。 しかし、辛いのを分かって欲しいという感情は強くなる一方なのです。あなたの母に欲しかったのは一緒に泣いてくれる人だったのかもしれません。 愛情の反対は無関心だと言います。誰にも構ってくれなければ、異常行動がエスカレートするのは普通のことなのです。 ただ、新しい脳の機能は訓練すればかなり回復が見込めます。 今は、ある程度訓練が進んでいる状態と言ったところでしょう。 >そんな現在の悩みは、そんな母に対する接し方がわからないことです。 毎日、毎回の挨拶を欠かさない。 無視しない(うざいと思ったら後で聞く)。 どんな気持ちか聞いて共感する。 バランスのとれた食生活をする。 と言ったところが家庭生活の基本です。 案外できてない家庭が多いんです。 >社会にでれば環境も心もちも変わると思うんです。 いきなり社会に出るのは劇薬ですね。 うまく行くこともあれば行かないこともあります。うまく行かないときにどうするかをあらかじめ決めて再発を覚悟しておく必要があります。 DV被害者の会など、共感できる人が集まるところから復帰を目指すのが一般的でしょうね。 >でも、何を言ったら、何をしたら気に触るのか、また前のように戻ってしまったらどうしよう、そんな不安で、自分の気持ちは言えません。 まず、何もしないのが一番駄目です。 無視は駄目、それと不安は相手に伝播する。 気に障ることは誰でもあります。気に障っても、仲直り出来るのが家族です。気に障ったと思ったら必ず謝ってから、何故か聞いてみて、同じことを繰り返さないようにする。 共感できるところは共感して、意見の違うところはあまり触れない。 慣れてきたら、意見の対立するところを徹底的に掘り下げて考える。 互いに互いの意見を尊重する。 さて、最後に以下の言葉をネット検索して、知識を深めておくことをお勧めします。Wikipediaの記事くらいは読んでおいた方が身のためです。 DV(ドメスティックバイオレンス) うつ病 躁鬱病 不安障害 パニック障害 パーソナリティ障害

回答No.1

一生薬を飲まないとならない精神病といっても色々あります。また同じ病名でも軽いものから重いものまで様々です。今は落ち着いてきているということなので、治療が効果を生んでいるのでしょう。お母様は一人で病院に通っているのでしょうか。これから先、どうしたらいいかは病院の医者と相談するのが一番適切かと思います。社会との接触が上手く結べるかも担当医の先生でないとなかなか判断できないように思います。二人で行きにくいならおばあさまにも相談してみたらいかがでしょう。 私は現在認知症の母親と暮らしていますが、母親一人では病院に行けないので、付き添いで病院に行き、新たな症状が出たら本人に先に診察室を出てもらい主治医と相談しています。