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自然犯と正義の価値の相対性

当時の人口のため、姥捨て山に年配者を運ぶことがあったので、現在姥捨て山につれていったり殺人も価値が相対的なのでやっていいととはいえないと思います。 正義の価値も相対的であるといわれますが、自然犯という考え方もあります。 どのような構成であるべきしょう?

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  • hekiyu
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回答No.1

姥捨て山に年配者を運ぶことがあったので  ↑ 姥捨て山については、本当にあったのか 疑問視されています。 正義の価値も相対的であるといわれますが    ↑ 欧米キリスト教文化圏国家では、正義は 普遍的であるべき、と考えられております。 正義も神が創りました。 その神は一神教で全知全能の神です。 だから正義も普遍的でないと整合性がとれません。 時代や立ち位置を超えた正義があるはずだ。 そのため、彼らは何百年も、普遍的な正義を求めて 議論をしてきたのです。 正義は相対的だ、というのは日本的な考え方 です。 正義などという概念は、歴史や立ち位置によって 変わるものだ、と考えるのが相対的な正義観念 です。 自然犯と正義の価値の相対性    ↑ 絶対説と相対説との折衷説ではないですか。 殺人やドロボーは時代や立ち位置を超えて悪いこと とされてきました。 この意味で、普遍的です。 しかし信号無視などの行政犯罪はそうは いきません。 相対的にならざるをえません。 結局、双方必要だ、という折衷説にたどり着きます。

noname#220336
質問者

お礼

>絶対説と相対説との折衷説ではないですか。 殺人やドロボーは時代や立ち位置を超えて悪いこと とされてきました。 この意味で、普遍的です。 いい言葉にしてくださりましてありがとうございます。

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