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友人の価値観について
- 友人との出会いや彼の独特な考え方について問題意識を抱いています。
- 友人との関係や彼の異なる価値観によって、私は自身の生き方に疑問や苦悩を抱えています。
- 友人の考え方に触れることで、死と生を愛し、自分の道を追い求め生きることの意味について深く考えさせられています。
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質問者が選んだベストアンサー
私も、あなたと同様、足並みを揃えて生きてきた人間です。 既存の価値観や、与えられた価値観に縛られ、 それを信じ込み、精神的自由のない生き方でいいのだろうか? 彼の話からは、そんな思いが伝わってきました。 足並みをそろえながらも、必ずしもこうではないのではないのか? という疑問は感じていました。 しかし、そこからフェードアウトする勇気はありませんでした。 既存の価値観を受け入れ、精神的自由を手放すことで、 社会の中でそれなりの生活をしていく権利を手に入れた のかもしれません。 >正直、全然幸せと感じませんし、あるのは数値化された結果のみ 終身雇用、高度成長期のあたりであれば、それなりに幸せを 感じていたんだろうかな~?と思ってみたりもします。 しかし、現在においては、私も同様、全然幸せとは感じません・・。 何か大切なものが置き去りにされているような感じがしてなりません。 おっしゃるように、いつからか、全てのものが数値化されるようになってから おかしくなったように感じます。 眼で見てわかりやすい、それがそうなっていった理由なんでしょうけど、 ただそれだけだと思うのです。 本当に大切なものって、数値化できないところにあるんじゃないかと思うのです。 >このまま生きていくと働いて死ぬことが目に見えていますが、 >自分が恐れていたものを直視させられているような、 そうなんですよね・・。 見ないようにすることで、気づかないふりをすることで、 平穏な日常を過ごすことができるのかもしれません。 >才能もなく夢もあきらめ誰かの隷属となり遅くまで身体を酷使した私にいったい >何が残るのでしょうか ある一定の社会生活が保障されている、ということなんでしょうね。 まあ、このある一定、っていうのが曲者なんでしょうけど。 このレベルが時代とともに変動するのでしょう。 >きっと死にたくないし生きるのも辛い そんな気持ちで死んでいくのだと思います。 同感です。 戦時中の人から見れば、私たちは幸せかもしれません。 高度成長期の人から見れば、私たちはかわいそうなのかも しれません。 まあ、その時代時代で、いろいろ悩んだり、楽しんだり、苦しんだり しながら、人は生き、そして、死んで行くんだろうな~と思います。 彼の言うことは、至極もっともなことだと思います。 でも、ただ、それだけであったりもするわけです。 決して、否定しているわけではありません。 むしろ、肯定的です。が、現実はどうにもならない、という感じですかね。 そういう意味で言うと、与えられたものを盲目的に信じ、 何の疑いもないまま、死んで行ける人は、ある意味、幸せなのかも しれないな、とは思います。
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- eroero4649
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「自分の知らない世界を教えてくれて、自分の世界を広げてくれた」わけですから、良かったことだと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます そうとらえるようにしていくつもりです。良しあしはともかく視野が広がったと思うので、感謝したいです。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
仏教の「三観」というのを学んでみてはいかがでしょうか。 空観・仮観・中観という三つの観方があるという仏教の教えです。 それから、唯一の友達が居なくなってしまうのであれば、犬や猫などの生き物を飼ってみることをお勧めします。
お礼
回答ありがとうございます 仏教的な考えもその方には強くあると感じています。 参考にさせていただきます。
- tkmn_001
- ベストアンサー率16% (45/268)
自分を磨き、人から影響されない自分の価値観を見出し、自分の役割を見出し、それに向かって没頭する。道のりは長いですが、今の悩みは捨ててさらに進んでください。
お礼
回答ありがとうございます。 ありがとうございます。これをいい出会いだと思い、考え直す機会にしたいです。
- o09080706o
- ベストアンサー率10% (279/2617)
質問者さまが不思議な友人という感じ方をされましたが、それはその人が足踏みしてることへの言い訳かもしれないし、足踏みする原因になっていると思います。 自分をたなにあげて観客席からものを見ることができる余裕があればそれでいいのかもしれません。 ですが、余裕のない人というのは俯瞰でものを見たからといってプレーヤーにはなれません。
お礼
回答ありがとうございます 色々なことに挑戦されているので、足踏みしているとはあまり感じません。 客観性の有無も友人と私との違いなのかもと感じました。
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
幼いころから色々な価値観に触れた、とか 自分の力ではどうにもならない経験を多くした、とか その方の成育歴からわかることはたくさんあると思います。 自分で考える機会、考えなければならない機会が 否応なくたくさんあって 自分の心と向き合う経験をたくさんされていたり 腑に落ちない事を無理矢理腑に落とさなければならないことも たくさんあったのではないでしょうか。 過剰に他人に期待しない 自分の心身を空だと思う 仏教の考え方はじめいろいろなバックグラウンドが 想像できます。 >きっと死にたくないし生きるのも辛い そんな気持ちで死んでいくのだと思います。 そういう生き方をmod890ertyh様はお望みですか。 実現可能かどうかはひとまず置いておいて 何をして 死ぬまでの時間を過ごしたいか考えてみてはいかがでしょうか。 あと、その方しか今知らないから 強烈に印象が残るのかもしれませんが 本当にいろんな人がいます。 その人を自分以外の価値観のすべて、とせず 少しずつでも そのほかの価値観に触れる経験を なさってはいかがでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます 私とは全く違う人生を歩んでこられたんだなあとはひしひしと感じますね。 昔から無駄なことは悪だと教えられていたせいもあり、役に立ちそうなことばかりやっていたのが問題だった気がします。 その方以外とも関係性を気づいていきたいのですが、なかなか難しいですね(苦笑) 頑張って話しかけてみたりしているのですが、数回で微妙な空気になってしまうことが多いです。
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3622)
生き方なんて、どれがいいと言えるわけじゃないでしょう。 終身雇用がなくなったとはいえ、長くひとつ所で働いた人のほうが高い評価を得られます。 しかし、分野が変われば、転職をくり返し、いくつもの業界を渡り歩いた人の、多角的な視点と柔軟な発想を高く評価されることもあります。 ですが、ならば何度も転職を重ねたほうがいいかと言えば、そうではないはずです。 また、意見は180℃違えども、その根底にある主張が同じ場合もあります。 ・戦争はよくない(誰も幸せにはなれないから) ・戦争は必要だ(国民が、長く圧政に苦しんでいるならば、解放されるべきだ) ※「個人の幸せ」を、それぞれの視点で考えての主張 意見が異なったからといって、どちらが正しい・間違いと言い切ることが出来ないことも多いはずです。 人は、一つの価値観でも生きてはいけます。 しかし、複数の価値観に触れることで豊かにもなれます。 今回、その方と出会ったことで自分の人生を否定するだけで終わるのは、とてももったいないです。 むしろ、地頭の言いかたでしょうから、その異なった価値観をうまく取り入れて新たな価値を見出すことは可能だろうと思います。 >才能もなく夢もあきらめ誰かの隷属となり遅くまで身体を酷使した私にいったい何が残るのでしょうか 少なくとも、質問者さんにはそのご友人の価値観は残ります。 その新たな価値観を、現在の職場で活かすことは不可能なのでしょうか。 質問者さんの得た、新しい視点で現在の仕事を見たら、本当に全てが色あせてしまうだけですか。 →何に対しても目を光らして青空を観ては嬉しそうな顔をし、貪欲に世界を吸収し自分の歩みで生きてらっしゃるものですからなんだか感慨を受けました。 なら、質問者さんにもそれが出来るだろうと思います。 そして、それが「人としての幅や懐の深さを作ること」だと私は考えます。 折角の出会いを無駄にするも活かすも、質問者さん次第。 これからもいろんな出会いがあるでしょう。 それらを上手く吸収できる方であってください。
お礼
回答ありがとうございます 私自信、頭が固いと自覚しているので、多面的で柔軟な考えができるようにするいい機会かもしれません。 職場はやりがいを感じられず、怒られたり拘束されたりで正直参っていますが、自分で選んだ道なので何とか改善しようと模索中です。 おっしゃる通りだと思います。己の経験を全否定せず、この出会いを大切にしたいと思います。
- nekosuke16
- ベストアンサー率24% (903/3668)
その御友人は普通のサラリーマンでしょうか? それは兎も角、こうした人には通常のサラリーマンにありがちな人生設計とは全く別な世界観が存在します。 「死を見つめる」「花を愛でる」「青い空を見て微笑みを浮かべる」 競争社会の中で人に後れを取るまいと必死に時代にしがみつくのが通常の時代の中で、そこに流されることのない世界観。そこには、明確な哲学や思想が存在している訳ではありません。 ただ、学生時代から社会人になり、恋愛、結婚、家庭を持ち、終の棲家を建設するといった普通の生き方を持ちながらも、別なところでは哲学的な、思想的な、或いは、文学的な人間も存在するのです。また、こうした人間は社会は勿論のこと、歴史、世界、宇宙、人間の存在など全ての事象に関心を向け、いつも傍らに本を置き、深く何かを考えているのかもしれません。 ≪その方は全く説教臭くもなく 自身を他人に押し付ける訳でもなく、中々いない御仁ではないですか。 その御仁と一緒にしみじみと青空を眺めてみては如何ですか。 その輝く瞳には、一体何が映っているのでしょうか?興味深いですね。
お礼
回答ありがとうございます サラリーマンの方ではありませんが、仕事はされています。 おっしゃる通りとても幅広い分野に関心があるみたいで、私が知らないこともたくさん話してくれます。 もしかしたら恵まれた出会いなのかもと思うようにもなってきました。 常に何かに追われるように過ごしているので一緒に空を見上げてみたいですね。
- 3m2s6tlple
- ベストアンサー率36% (412/1126)
その後友人がなぜそのような価値観になったのかを想像してみては? あなたは失う事を恐れて、それでも大事なものは失わずにこれたから小さいころからの価値観のままいられたのかもい知れません。 実際にその後友人が何を得て、何を失ってきたのかはわかりませんが ある程度の経験をしなければそこまでに至らないとしたら もしかしたらかなりの辛い経験をされたのかもしれませんね。 同じ年齢を生きたって経験できる事は大きく差が出ます。 同じだけの経験をしても同じ価値観に至らないこともたくさんあるでしょう。 あなたにはあなたが経験した分の価値観しか身につきませんが幸いにしてそのようなご友人を持てたことはきっと貴方にも大きな影響を与えてくれたのでしょうね。 別に離れるからと言ってその人のいた過去が消え去るわけでもありません。 その人ならどう考えるだろうか?私ならどう答えを出すだろうか?と自問自答するだけでもあなたにとっては飛躍になるかもしれませんよ。 折角出会えたのですから一理あるなと思えるなら真似してみるのも一考だと思います。 生きているならまた会える日もあるでしょうしいつか再開した時に 「あなたに感化されて私もこんなに変わったのよ」などと報告できたら そしてそれがあなた自身の幸せに通じるならご友人もとても喜ばれるでしょう。 その後友人との出会いがあなたの幸せへのきっかけになるといいですね。
お礼
回答ありがとうございます 友人から私が「経験」できるのはありがたいことだと思います。 一朝一夕でまねできるものではありませんが、少しづつ友人の価値観を取り入れていきたいです。
お礼
回答ありがとうございます 受験や就職時の他を顧みないピリピリした空気がすごく嫌だったのですが、自分自身、その流れに乗ってしまい、人が持つやさしさや思いやりを放棄してしまいました。 無いものねだりなのかもしれませんが、思い出より学歴を優先したのは正直失敗でした。せめてトップクラスの大学なら違ったかもしれませんが、私の能力では頑張っても中堅が限界だったので、そのことも悩む要因になっていると思います。 この生活が続くと思うと恐ろしいです。かといって辞めるわけにもいかないです。 たしかに友人の言葉は理想論じゃないかと思うことはよくあります。しかし現実的になるあまり自分の視野を狭め、幸せから遠ざかってしまった感じは否めません。疑いを持たずに生きれたら、辛くはなかったのかもしれません。