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感想きかせてください。

大学受験生です。小論文の感想を聞かせてください。 エッセー風に書きました。 問:(人はだれでも偏見を持って物事を見ている、という内容の)  課題文を読んで、あなたの考えを書きなさい。  相手のことを考えた行動が、逆におせっかいになることがある。よかれと思ってした行動が、相手を不快にさせてしまうことがある。それはなぜか。課題文の著者が言うように、人は生まれた時代や育った環境によって、それぞれ異なる偏見を持っているからだ。    なにが正しいか。なにが幸せか。それは人それぞれ違う。自分の価値観が全てだと思っしまうと、他人の配慮や優しさが理解できないことがある。  経済学は、経済の健全な発展が人間に幸福をもたらすという前提のもとで考えられている。「物質的な豊かさだけが幸福ではない」という考えをどれだけ理解しているのだろうか。「都会には、たしかにモノが溢れている。しかし、神が作ったものはほとんどない。我々の村は、木や魚など、神が作ったもので溢れている。」小さな島国の貧しい村人の言葉を思い出す。  ソシュールは言語によるアプローチから、「人は誰しも偏見を持っていて、ありのままの現実を見ることができない」という結論に達した。  いずれにせよ、私たちはそれぞれ偏見を持っている。それをまず自覚することが大切だ。自分の価値観だけでなく、相手の価値観も考えて行動する。それが本当の「思いやり」ではないだろうか。 字数稼ぎがひどいですが、いかがでしょうか?

みんなの回答

回答No.5

切り口が良いものは人を引き付けるので、小論文の型にはめるだけではない良い小論文もあるとは思います。 どれだけあなたの考え・知識なのかは分からないのですが、(経済学やソシュールは自分の知識からのものかも知れませんが、やはり)最終段落だけが自分の考え・意見に思え、また、短すぎだと思います。 課題文についての「人はだれでも偏見を持って物事を見ている」を読んで、 「リンゴ→赤く甘い」という一般的な連想は”先入観”か偏見か? 人は経験を通して”学習する”ので物事を"一般化"する。 人は全てのことを実体験を通して学習できないので"知識は間接摂取がほとんど"。 など、漠然と思いました。(適切かどうかは分かりませんが)

  • smash27
  • ベストアンサー率29% (87/297)
回答No.4

10点満点で1点とおっしゃっている方がいらっしゃいますが、同意します。0点もあり得るかもしれません。 起承転結の論理展開をきちんとしてください。小学生の作文ではなくて、大学志望者の小論文であるということをお忘れなく。

noname#227653
noname#227653
回答No.3

これが10点満点の問題で、私が採点者なら、あなたの答案は1点というところです。 まず、こういう文章を「エッセー風」とは言いません。また、小論文の課題ではあくまでも小論文を書かなければなりません。「エッセー風」など評価を下げるだけです。しっかりした内容の小論文が書けないからといって「エッセー風に書きました」などと逃げ道を作らず、内容を充実させる努力を重ねましょう。 第一段落は、間違ったことを書いているわけではありませんが凡庸です。課題文を読んだ人なら誰でも(才能のない人なら誰でも、という意味です)書きそうなことです。 「人はだれでも偏見を持って物事を見ている」という課題文の趣旨をもとにして、第一段落では「他者のためになると思って自分のしたことが他者には理解されないことがある」、第二段落では「他者がしてくれたことが自分には理解できないことがある」と述べていますが、これは自分と他者を入れ替えているだけということになります。つまり、第二段落は第一段落とほぼ同じで、なくてもかまわないということです。 第三段落の第一文では経済学を批判していますが、こういうことは経済学をある程度勉強した上でなければ書けるものではありあません。失礼ですがまだ受験生の分際でこんなことを書けば、読んでいる方は「おまえ何を偉そうに書いてるんだ。何もわかってないくせに」と思うことでしょう。 実際、経済学は「物質的な豊かさだけが幸福である」という前提でできているものではありません。 しかも、ここで経済学を批判しても、第一段落や第二段落の内容との繋がりが非常に薄く、論旨が不明瞭になってしまっています。「人はだれでも偏見を持っている」と「経済学は人間の本当の幸福を理解していない」との繋がりが読んでいる方には理解できません。 「小さな島国の貧しい村人の言葉」も、物質的に豊かになることだけが幸福ではない、ということを言いたくてつけ足したものでしょうが、論旨にあわないのではただの無駄です。 第四段落の内容は課題文の内容と同じですね。 第五段落の第一文も課題文の内容と同じですね。 第五段落の第二文以下があなたの主張ということになりますが、「人がみな偏見を持っていることを自覚し、相手の価値観も考えて行動しましょう」というこの主張もまたきわめて凡庸です。小学校の教室の壁に貼られている「思いやりの心を持ちましょう」という標語と違いはありません。 というわけで、あなたの小論文には評価できる点はありません。内容はともかくよく頑張って書きましたね、という意味で(つまり努力賞として)1点差し上げた次第です。

回答No.2

ただの読書感想文。 小論文になっていません。 ロジックが組み立っていません。

  • bran111
  • ベストアンサー率49% (512/1037)
回答No.1

>相手のことを考えた行動が、逆におせっかいになることがある。よかれと思ってした行動が、相手を不快にさせてしまうことがある。それはなぜか。課題文の著者が言うように、人は生まれた時代や育った環境によって、それぞれ異なる偏見を持っているからだ。 ⇒偏見の意味を取り違えていませんか。個人個人の考え方が異なることが偏見とは言いません。あなたが描いているように   >なにが正しいか。なにが幸せか。それは人それぞれ違う。自分の価値観が全てだと思っしまうと、他人の配慮や優しさが理解できないことがある。 ⇒不寛容で押しつけがましいものを言います。  経済学は、経済の健全な発展が人間に幸福をもたらすという前提のもとで考えられている。「物質的な豊かさだけが幸福ではない」という考えをどれだけ理解しているのだろうか。「都会には、たしかにモノが溢れている。しかし、神が作ったものはほとんどない。我々の村は、木や魚など、神が作ったもので溢れている。」小さな島国の貧しい村人の言葉を思い出す。 ⇒経済学が偏見といいたいのですか?趣旨が不明です。 >ソシュールは言語によるアプローチから、「人は誰しも偏見を持っていて、ありのままの現実を見ることができない」という結論に達した。  いずれにせよ、私たちはそれぞれ偏見を持っている。それをまず自覚することが大切だ。自分の価値観だけでなく、相手の価値観も考えて行動する。それが本当の「思いやり」ではないだろうか。 ⇒この趣旨は決して悪くない。思いやりなんて持ち出す必要はなくて、偏見というタームで一貫すべきである。

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