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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:助けて下さい。)

自分の考えに自信を持ちながら相手の意見も受け入れる理解力を身につける方法

このQ&Aのポイント
  • 中学3年生の質問者は、自分の意見を強く持ちながらも相手の意見を受け入れる理解力を持ちたいという悩みを持っています。
  • 質問者は、自分の考えが正しいのか疑問に思い、他人の意見を否定することができず、自信を持つことが難しいと感じています。
  • 質問者は、正しさの基準や道徳的観念に疑問を抱き、人々の価値観を尊重しながらも自分の考えを信じたいと思っています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.7

>自分の意見を強く持つ、だけど相手の意見も跳ね返さずに受け入れる理解力を持つにはどうすればいいですか? 急がないことじゃないかと思います。 時間をかけて理解出来ることもあれば、どんなに考えてもまったく理解出来ないこともあります。 だから、自分と異なる意見はまず「そういう考えもあるのだ」と知るだけで十分だと思います。 知るという事実を重ねていくうちに、理解は出来なくても受け入れられるようになることもありますから。 また、正しいと思って発せられた言葉は、質問者さんが考える「道徳」の場合もありますし、自分が生きて感じた「経験」の場合もあるでしょう。 ある意味では「正しい」というのは「何かを信じること」なのかもしれません。 その信じることを否定されたら、人は不安になります。 質問者さんが落ち込んだりむきになってしまうのは、こういう背景もあるんじゃないかと思います。 >「正しい」と思う基準は人によって違うのですか? 人によってというよりも、その時その時で正しさは変わると考えた方がいいと思います。 一人でいる時の「正しさ」 友だちといる時の「正しさ」 知らない人たちの中にいる時の「正しさ」 それぞれ違って当たり前じゃありませんか。 私は、むしろ質問者さんが「自分の正しさ」に疑いをもったことが大切だと思います。 疑わない人は、他の「正しい」を受け入れられませんし、そういった「絶対的な正しさ」を持つことは怖いことでもあります。 むしろ、自分の正しさに疑いを持てる人のほうが、その時々でより多くの「正しいと思う答え」を導き出せるのだと思います。 まさに今、質問者さんは精神的に成長をしている最中だと思います。 常に正しく物事を見ようとするその視点は、後々財産になるはずです。 たくさん悩んで、たくさんの答えを出して、たくさんの可能性を自分の中に発見してください。 そうすることで、より多くの自分が信じられる正しさと巡り会えると思います。

noname#203321
質問者

お礼

お礼がおそくなり申し訳ありません。 お願いを聞いて頂けて感動しています! やはりあなたの考え方は手本にしたいと思うのです。 >それぞれ違って当たり前じゃありませんか。 私は、むしろ質問者さんが「自分の正しさ」に疑いをもったことが大切だと思います。 疑わない人は、他の「正しい」を受け入れられませんし、そういった「絶対的な正しさ」を持つことは怖いことでもあります。 むしろ、自分の正しさに疑いを持てる人のほうが、その時々でより多くの「正しいと思う答え」を導き出せるのだと思います。 これを聞いてとても安心しました。全く同じことを考えていたので・・・。 実を言うと、この考え方は本当に強みになるのか確かめたかったんです。元々頑固で、人から良く見られる事ばかりにこだわってしまう性分なので、いざ自分の信念?のようなものを崩すとなると怖くて・・・。 だけどあなたの意見に鼓舞激励してもらったのでもっと素直に頑張れる気がします。 相談にのって下さりありがとうございました

noname#203321
質問者

補足

「正しい」の基準は「誰」ではなく「いつ」で決まるのだということに決めました!

その他の回答 (6)

回答No.6

世界に統一された正しさがあるなら、この世の中は、とても平和で死ぬほど退屈なものになります。 私から言わせれば正しさにこだわる必要はないと思います。 他人の話を聞いて自信をなくしてしまった意見を固持する必要がどこにあるのか分かりません。 自信をなくしたということは、改善点があるということではないのでしょうか? その点を改善できればあなたの意見は、よりあなたの中で、正しさを増すのでは? そこで改善できないようなら大人しく相手の意見にしたがうべきです。 世の中に正しいことはありません。 「正しいと思って行っていること」があるだけです。 自分の行為に正しさを求めるのは自然なことです。 法律、信念、経験則、民意、価値観 しかし、正しければいいわけではありません。 かのヒトラーでさえ、自分の行いを正しいと信じていたし、彼を支持する多くの人が、いました(今でもいます) 人は常に「私は正しいのか」と問いながら生きていくべきではないかと思います。

noname#203321
質問者

お礼

私の考え方を客観的に分析して頂き、参考になりました。 >他人の話を聞いて自信をなくしてしまった意見を固持する必要がどこにあるのか分かりません。 自信をなくしたということは、改善点があるということではないのでしょうか? その点を改善できればあなたの意見は、よりあなたの中で、正しさを増すのでは? そこで改善できないようなら大人しく相手の意見にしたがうべきです。 このことに気がつかないとおかしな大人になってしまうのでしょうね。 あなたが教えて下さらなかったらそうなっていました。本当に良かったです(^。^) しっかり考えていきます。ありがとうございました

noname#206137
noname#206137
回答No.5

 *正しい=その物事が間違っていない事 道徳観念に囚われ過ぎてしまうと、正しいと言う事に 疑問を持つかと思います。 何故なら、正しい事も悪い事も『柔軟性』を持って 考える事が大事だからです。 正しいと思う基準は、柔軟性を持っている人ならば 我慢や受け入れも、出来ます。 だから相手の意見も、その『目線に』なってあげて考えると 正しい、そうか~など。。。考える視野も広がり、 こんな意見もあったり、あんな意見があって、 例え、おかしい、間違っていても受け入れれる 柔軟性へ繋がり、自分の価値観も信じれるんだと 思います。

noname#203321
質問者

お礼

なるほど。 相手目線になって考える・・・。大事ですよね・・・。 自分ばかりで周りが見えていませんでした。 「柔軟性は自己解決では身に付かない」 このことを教えて頂きました。 大きなヒントを下さりありがとうございました

回答No.4

いいねぇ~ 凄く良い!とても素晴らしい!その悩みこそが正しい! 言ってしまえば、なにが正しくてなにが正しくないか、なんてものは、所詮人間の定義の話。 平均化され、簡略化され、一般常識となった変哲の無いありきたりなものです。 それらに対して、疑問を持つことができる、と言うのは、貴方が自信を確立・・・つまり、 自分と言うものを作り上げ、完成させようとしているからです。 簡単な例を挙げましょう。 家で玩具を散らかしたら、片付けるのが「正しい」 しかし、大人が、どこかの漫画喫茶で、個室にコップを溜め込んで、マンガを溜め込んで、 片付けずに帰っても、「正しい」 自分が使ったものを片付けるのが「正しい」のに、 片付けないのも「正しい」 まぁ、アレですわ。 全く正反対でも「正しい」が存在するわけで、必ずしもその「正しい」が「正しい」ではないのです。 この、どちらが「正しいか」決めるのは、あなたです。 もし、なんであろうと、自身が散らかしたものを片付けるのが「正しい」と思うのならば、 どこであろうとそれを貫き通せばいいし、 店の人間が片付けるから片付けなくて良い、のが「正しい」と思うのなら、それも貫き通せばよいのです。 あなた自身が、どちらが「正しい」、どちらが「嫌」、どちらが「そうしたい」が、 貴方にとっての「正しい」になります。 あなたは、どちらを選びますか?どちらを選んでも、人によっては「間違い」であり、「正しい」なのです。 「正しい」なんてものは、人それぞれです。 人を殺すのが「間違い」であれば、戦争も、死刑制度も、過失致死(自身の意思に関わらず人をあやめてしまった)のも、手術で失敗もしくは成功しなかったのも、全て間違いです。 が、それらのどれを「間違いであっても間違いと責めない」か、「間違いだ」と主張するかです。 その線引きこそが、貴方にとっての正しいであり、他者とは違う部分になります。 なので、そういった部分がよくわからないのであれば、誰か・・・友人とでも話し合ってみてください。 必ず貴方が「正しい」と思っていることを「そうとは思わない」と言う人が出てくるでしょう。 その人と、意見の交換を行い、その「正しいと正しいとは思わない」をより突き詰めて考えてください。 きっと、貴方の「正しい」をより「正しい」に導き、相手の「正しい」をより「正しい」に導くでしょう。 間違っている、と言われたのならば、なぜか、と聞きましょう。 納得いかないのであれば、とことん話し合いましょう。 そうやって、互いに切磋琢磨して、貴方が出来上がってゆくのです。 ちょっと難しいかもしれませんが・・・要は、人間は今正しいか?と言われれば、正しい、と言い切れません。 これまでに人間が辿ってきた歴史を見れば、今の時代では「間違い」と言うことがいっぱいあります。 そして、現在が、未来において、「正しい」と言われるかはわかりません。 結局、なにが正しかったかは、その時代の、その場に居た、その人間にしかわからないのです。 だからこそ、貴方は、あなた自身の「正しい」を、自分の力で手に入れなければなりません。 それが、正しい、です。 ちなみに・・・私は自身を否定・・・正しくないと思い、他者を肯定・・・正しいと思う人生を30年ほど送ってきました。 しかし、あることがきっかけで、あることがわかりました。 それは、他人と自分は、ただ、違うだけ。そして、違うからこそ、色んな考えがある、と。 私はそこでようやく、自分の正しいを見つけました。 まぁ・・・それが、他人にとって、正しいかは別の問題ですがね・・・ ああ、そうそう。他者とのコミュニケーションを取るいい方法を一つ。 「まずは相手の意見を受け入れ、その後に、否定する部分を言う」 まずは受け入れ、違うと思う部分があるなら言う。 単に全部を違う!と言うのではなく、納得できる部分があるなら受け入れ、否定できる部分があるなら否定する。 そうすれば、それは意見交換であり、あいてを否定する、ではなくなります。 逆に、完全に相手の意見を受け入れてしまうのではなく、疑問点を見つけるのも大事です。 「うん、確かにそう思う。でもね・・・」 これを間に挟むだけで、変わってきます。 では。

noname#203321
質問者

お礼

相手の意見を完全に肯定、否定するのではなくて疑問点を見つける。 思わず「なるほど」とうなずいていました。 多くのヒントを得て、感じたことを書きたかったのですが・・・ まだ整理がついていないので、すみません。 真剣なご意見、とても参考になりました。この先、回答者さんの考え方を心に留めながら頑張ります ありがとうございました!

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.3

相手も自分と同じ哲学があると思って接してみたらどうでしょう。 自分と違う意見ではあるけれど相手は相手なりの正論である。と。 たまたまそれが一部においてそれぞれが反対のもしくはちょっと違う意見になっただけで、根柢の道徳や理念などに大差は無いと思います。その根底の部分をどう生かしていくかだけじゃないかな。それに経験などの付加価値を加えていくとだんだんと意見も幅広くなっていく。 結論はどうとっても同じであってもたどる道が違えば見えてくるものも違ってきます。 自分の価値観を信じることは悪いことではないでしょう。 ただ、ご自身の年齢を考えるとまだまだ私は若輩者であるという自覚は持つべきだと思います。 同じ歳の人と話すときもそうです。お互いがまだ未熟なのだからという前提のもとに話を進めないと、たとえ本当に自分が正論を話していても皆にそれを共感してもらえるだけのことはできないと思います。 正しいことが本当に正しく良いことなのか・・・とはまた別です。 同じように人によって確かに「正しさ」は違うのは当然です。 細かいことですが、ゆで卵は塩で食べると信じている人と砂糖で食べると信じている人では間をとってなにもつけないで食べるという選択はないのです。どちらも正しい。でしょう? 相手を許容できないというのは、あなたにまだ余力がないということです。 それだけ自分を立たせておくのに必死なのでしょう。 まだ若いのですから当然でしょう。 視野を広く持つ。 どういう意見であってもそれを糧として貪欲に吸収するべきだと思います。 そうして様々な方向から同じ問題に対するアプローチをして、結果が同じであればそれはそれで納得行くはず。 ここだけの話ですが、一生懸命という言葉が新たに広辞苑に載って久しいのですが、私はこれが嫌いなんです。 「一所懸命」であるべきだと今でも思っています。 その時々に力を込めて生きるというだけでいいと思うのです。 でもあなたはこれを「一生懸命」と使います。それだけで私はとてもむずがゆく思うのですが、それもそれ。人は人。それぞれに信念があるのでれば、こうやって回答をしてみようかと思うのです。 これからの長い人生の中でたくさんのことを学ぶでしょう。 ここで、あなたの哲学を決めてしまうのは勿体ないですよ。 アイデンティティは持っていて然るべきです。そうしていれば自信をなくすことはないでしょう。たとえそうであっても復活は早いと思います。 どうやらあなたにはそれができているように思います。 一〇年、二〇年と長いスパンで自己確立をするのが良いですよ。 40にして惑わず。であればいいと思います。

noname#203321
質問者

お礼

いつもいつも自己の欠点に気がついた時は「なんでいつも自分だけこんなに未熟なんだ」と感じていました。 この「自分だけ」という意識がこの悩みの火種でした。 「お互いが未熟者」という言葉に、はっとしました。 周りを見ても誤りだと思ってしまう。だけど自分が正しいわけじゃない。自分は自己判断が出来ないのではないのかと不安でした。それはまだみんな中学生だからなのですよね(^u^) それを心にとめていきます。 真剣に相談にのって頂きありがとうござました。

  • uma79
  • ベストアンサー率18% (189/1017)
回答No.2

>相手の意見を正当だと思い自分の考えに自信をなくすか、極端に自己主張することしかできません。 自分が愚かな未熟者だからでしょう。相手の意見が正当なら、認め、謝り、感謝することです。 自分が信じたり主張した事と、正しい事は違うことも多いです。 人間は、誤って信じたりするものです。素直に認め、謝り、感謝すれば成長します。 物品購入などで、損害を与えた時は、自腹で賠償もしましょう。 そこまでして、信頼を取り戻せたりもするのです。信用はお金より大切です。

noname#203321
質問者

お礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。 頑固になってしまっているところがあったかもしれません。 私はまだ《たったの》15才であることを忘れていました。 今後は自己の中にとどまっているだけではなく周りをみて判断していこうと思います。 ありがとうございました。

  • daion
  • ベストアンサー率10% (47/440)
回答No.1

その場しのぎで何も深く考えず生きてきた人間にとっちゃ、偉そうに言える筋合いにないので何も言いません。でも若い人が、しっかりとした考えを持って色々と思い描いてるのを見るのは頼もしく思います。 まったく答えに成ってませんが一度、同世代(くらいかな?)の考えを参考するのに“別府新聞”を購読してみてください。 PS:購読と言うのは言葉のあやで別にお金は不要、ネットで検索するだけ。

noname#203321
質問者

お礼

自分は友人と比べて意思を持っていないと感じ心細かったのですが、そう言って頂けて心強いです。 背中を押してもらった気分です。 ありがとうござます(*^_^*) 別府新聞を調べてみたのですが・・・社長は11才なんですか!!驚きました。 今、私は頭がごちゃごちゃしているので、ぜひとも読みたいと思います。