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博士課程への迷い
25歳の修士課程の修了が決定したばかりの大学院生です. 思い描いていたキャリアへの悩みがあり,アドバイスがほしいです. 思い描いていたキャリアというのは,漠然としてはいますが 「修士・博士課程の研究で身につけた能力を活かして企業で人の役にたつ研究開発を行いたい.」 というようなものでした. つまり,社会貢献を最終目標にその実現に必要な技術と思考力を身につけるために大学院にいこうと考えた訳です. また専攻は物理系で,選んだ理由は物理学の勉強が好きで,仮説そして検証という作業がおもしろいと思っているからです. 実際に研究を二年間,自分なりに全力で打ち込んでみて,率直な今の気持ちは 「自分に精一杯で社会貢献など考えられない.想像以上につらくこれ以上は続けたくない.」 というものに変化してしまいました. このような思考になってしまった今,博士課程に進むことは非常に危険だと考えています.どうすればいいのでしょうか. 以下でもう少し経緯を説明したいと思います. もう研究を続けたくないと考えるようになってしまった原因としては,自分自身の問題と環境の問題があると考えています. 自分自身の問題として ・理想が高い ・自己評価が低い ・根性がたりない(甘やかされて育ちました)~逆境に弱い というような性格のため,うまくいかなくても粘り強く効率よく試行錯誤を重ねる必要のある研究ではやる気がなかなか続きませんでした.それでも諦めずに修士課程はなんとかとりました.今後,ずっと厳しい道のりになる博士課程を修了できる気がしません. また環境の問題として ・研究室に助教がいない ・研究室に博士課程の学生がいない(一人不登校) があります.他の研究室の助教やドクターに相談に乗ってもらう機会はありましたが,精神的に疲れてくるとなかなか自分から聞きにいくということができなくなっていきました.さらに立ち上げの研究であったため,今までの積み上げというものもなく,なかなか人まねをして上達するという方法をとることができませんでした. 環境は変えることができるかもしれませんが,変えたあとも自分の性格により研究を続けることができなくなることが怖いです.
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- UROIUSH
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こんにちは 答えはあなたの中にあります。 人に聞くぐらいなら、今のうちに就職した方がいい。
- jing0708
- ベストアンサー率59% (485/810)
こちらに再度失礼します。 厳しいことを申し上げたのは、本当にお疲れなのか自己憐憫なのか判断がつかなかったからです。自分のとこにいる学部生や修士学生なら研究室生活を把握しているので、かける言葉も選べますが、申し訳ありません。 ただ、本当にかなり指導されてない部分が多いのと、意識が低い部分が多いので指摘していきます。まだまだきつい物言いが続きます。 ご質問いただいた件について、お答えします。 >おっしゃる通り,根性が足りないのではなく,技術と哲学が足りないと思い直しました. ただ修士課程では技術をあまり身につけることができませんでした.このことに気づいたことが研究を続けられないと思ったきっかけの一つでした. なぜ十分な技術を身につけられなかったですが,これは指導者が近くにいなかったことが大きいと思います.全部自分でやればよいという意見もあると思うのですが,それでは研究室 の存在意義がなくなってしまうと思います.< ・大学院の選び方 そもそも十分な技術が身につけられる場所かどうかを考えなければなりません。それを怠った以上仕方がないことです。技術が身につけられなかったと言い訳をして、これからどうするのですか。 ・技術のつけ方 私たちの場合、指導者が一度か二度(普通は一度)手技を見せてくれるので、それを覚えます。それ以外はデータの整理法から細かい技術を卒業生の実験ノート、学術書、論文から読み解きます。 当然、それだけでは無理ですので、データが出るたびに准教授や教授に突撃します。数分しかディスカッションできなかったり夜に突撃すると数時間時間をくれたりしますが、教員から来ることはほぼありません。なので、学部の段階で積極性のない生徒は技術的に死にます。 これを重ねていると自然と工夫できるようになりますし、教授らから指摘される点に答えられないことも出てきます。それは自分が勉強不足なので論文を読み、準備し、また突撃します。これを愚直に繰り返すことで実力が付きます。 >jing0708さんの分野では研究室の環境と学生の教育や研究成果にあまり関係はないのでしょうか. すべて自分で学べば良いというように聞こえますが,やはり指導者ありの人と比較して歩みがずっと遅いのが気になってしまいます.焦らず,一歩ずつ歩みを進めていけばいいのでしょうか.< そもそも、大学院は研究機関です。教育機関ではないのです。 私自身は当然丁寧に指導された人間と比べて劣る部分もあります。でも、がっつきまくったので技術だけで言えば、同じ実験をやっている研究者にそうそう劣るものではないという自負もありますし実際データでもそれを示しています(稚拙だとエラーバーが大きくなりやすい実験系)。 ただ、私自身丁寧に教わった経験がないので私の下についている学部生3名には相当丁寧に厳しく指導を施してあります。 その結果、私よりも元々優秀な子達だったのでセンスもいいしデータの安定性もまぁまぁですが、速度が遅い。ほかの学部生と比べれば倍近い速度で研究を進めていますが(5,6年生は彼らがトップオーサーの論文提出済み、4年生は現在執筆中)、でももっとできるはずなんです。まぁ、彼らにもプライベートがあるのでいいんですが、ちと甘やかしたかとも思います。荒地にほったらかしたほうが良かったかなとも思うのです。 つまり、丁寧な指導と放置ではあまり差がないんですよ。彼らは私よりもトップオーサーで論文を書くのは早かったですが、4割は私が書いていますし、実験の細かいディスカッションもほぼ毎日繰り返しているので当たり前です。でも、彼らから おぉっと 思うような突拍子もない提案が出ません。ハングリー精神が足りないんです。これは、研究者になるにはちょっと致命的なので、D希望者には発破をかけています。 参考になるかわかりませんが、私が必要だと思うDの要件と技術、それに伴う指導を列挙します。 ・実験手技 これはやってみせ、やらせてみせて、褒めます。その後ある程度慣れた頃に(1ヶ月程度)横で同じ実験を私もやります。当たり前ですが、私が圧倒的に速い、精度も高い、彼らは自信を失います。ただ、それで潰れる程度の子達ではないのでその後も伸びていきます。そこからはほぼ放置です(実験データのみでディスカッション) ・データの見方 データの見方は慣れがものをいいます。いくら学術書や論文を読んでも、最初この感覚をつけるのに苦労しました。自分で大量にデータを出してみないと、その傾向がわからないのです。例えば、N=3で実験をやっておそらく上昇傾向かつ有意差がつくと判断したりです。もちろん有意差検定はやりますが、出た瞬間にアタリをつけておく癖をつけないと論文を読んだ時に大したデータじゃないと判断したり、重要な乖離と判断したりが甘くなるのです。 なので、私は生データを出したらグループ全員で共有します。捏造を防ぐ意味合いもありますが、整理前のデータをみんなで共有することで4人分のデータを見ることができいますから4倍早く成長すると思うからです(実際はそこまで上手く成長はしませんでしたが) ・論文検索 私はどんなに忙しくても3日に一回は論文検索します。自分自身の研究テーマ、それに関連する分野、そして免疫という大きな分野、それに関連した細胞生物学の分野、私の下ではない学部生の分野の5つです。これで気になる論文はすべて印刷し、グループの机全てに置きます。読めとは言いませんが、ディスカッションで急に話題にすることもあるので全員しっかり読んではいるようです。 ただ、本来はそれでも足りません。私はそれに加えて免疫学系の学術雑誌、医学系の総合雑誌、昔やっていた薬理系の学術雑誌らも読むので、本当はそこまでやってほしいと思います。あとは学会にも積極的に参加するので(今所属しているのは4学会、見学に行くのが加えて3学会)結構大変です(費用は大学持ち)。で、学会ではポスターを中心に回ります。なぜなら、口頭は質問時間が短いし、その先生に突撃できないからです。 ポスターなら、名刺を渡して自分の研究も紹介して意見をもらって、相手の研究に質問もして、徹底的にほめたたえてとしていると、3割位の確率で食事に誘われるので行きます。これを繰り返すといろんな情報が入るようになるので、研究室だけでは得られない技術や知識を得られます。 これくらいやって、始めてDとしてはある程度仕事してるかな。と思います
お礼
>本当にお疲れなのか自己憐憫なのか判断がつかなかったからです。 これについては,修士課程の後半の一年ほどずっと悩んでいました. 研究がつらい理由のどの程度が甘えで,どの程度が本当に疲れているのかは自分ではまったくわからないし,誰にもわからないのではないかと,そうすると甘えであると認識し,より一層の努力をするべきだと,そのほうが安全だと考えていました.しかしその思いとは逆にどんどん研究に集中できずに,時間だけ過ぎ去っていきました.休日に友人と日帰りでスキーに行ったり気分転換を計りましたが,それでも何も変化はなく,ただ焦りから毎日机に向かい集中できない日々を何ヶ月か過ごしてしまいました. このように集中できないまま,今後も研究を続けるのでは,自分もこの研究に関わるすべての人にも迷惑をかけてしまうように思います. >・大学院の選び方 そもそも十分な技術が身につけられる場所かどうかを考えなければなりません。それを怠った以上仕方がないことです。技術が身につけられなかったと言い訳をして、これからどうするのですか。 まったくおっしゃる通りだと思います. 研究室選び,環境選びというものを軽視していました.これからは十分に下調べを行おうと思っています.またいったん選んだ後に言い訳をしても何も変わらないことも承知です.ただ修士課程をひとまず終えた今,環境を変える(研究室をかえる,就職するなど)ことも視野にいれています. また博士のあり方を教えていただきありがとうございます. 研究を続ける場合はこの回答を見直し,参考に全力でトライしようと思います.
- mindy73
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あなたは随分根性あります。なかったらここまで来ませんよ。笑。 頑張ってはどうですか?ここで諦めても辛い事はいつでも生きている以上遭遇します。別な形で。習い事と一緒、時には辞めたくなります。そこを乗り越えてみんな頑張ります。あなたの素敵な将来のために頑張りましょう。努力は裏切りません。今の苦労はいつか必ず良い形で返ってきます。 頑張れ❢きみ。25歳は若いのでジャンジャン行きましょう
お礼
励ましありがとうございます. たしかに現状をつらいと嘆いて,他の道に進んでもまたつらいと嘆く可能性もありますね.それも怖いです. 乗り越えるためにはなんとかして情熱を取り戻せればいいんですが...
- kurokuro_siro
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研究を続けていってドクターをとった先輩方は、なにかもう少し文化的なことやスポーツなどの趣味でバランスとっていませんか? 自分の暮らし方についてスタイルをもつためにも、多少なりとも(2~300冊程度)、文型のほかの分野の勉強を重ねてもいいかも。 >・理想が高い >・自己評価が低い >・根性がたりない(甘やかされて育ちました)~逆境に弱い 経営学や心理学の情報が少しだけあると、改善できることかもしれませんよ。 これから研究者として研究を続けていくにあたり、研究者として活動するための理念を作りなおすために、休学や(語学など研究とは直接は関係ないことで)留学をして、少し考えてもいいと思います。
お礼
>研究を続けていってドクターをとった先輩方は、なにかもう少し文化的なことやスポーツなどの趣味でバランスとっていませんか? ドクターをとった先輩が周りに少ないため,理想像というものがないことも不安要素の一つです. やはり,「○○先輩のようになりたい」というようなモデルがあるのとないので,だいぶモチベーションの維持や日々の行動が変わるように思います. ただ,研究以外のこともやっておいた方が良いということをよく耳にしたため,大学四年から運動も休日に行うようになりました.(また学部時代に机にばかり向かっていたため,バランスをとりたいという思いもありました.) 修士課程での研究で本当にどうしたらいいかわからずつらいときも,趣味(サーフィン,スキー)があることから人生自体に悲観することはありませんでした. >経営学や心理学の情報が少しだけあると、改善できることかもしれませんよ。 ひとまず明日,ジュンク堂に行って読んでみようと思います.
- jing0708
- ベストアンサー率59% (485/810)
医療系D2です。たぶん年齢はそこまで違いません 私らの場合は修士がないので(六年制のため)あれですが、うちの研究室はM、Dともに結構います。けっこうきついこと言うので気をつけてください。 1)研究哲学がない 研究を行うには、行動哲学が必要だと私は考えています。なぜなら、我々は実際に税金や企業からのお金を使い、自分の知的好奇心を満足させるために、また学位を手に入れるために研究を行っているという側面が確実にあるからです。 しかし、貴方の研究に対する気持ちを聞いていると、その研究哲学がありません。楽しいなら楽しいと認め、人のために役に立つことを目指すなら言うだけのことをしなければ口先だけの人間になります。 2)立ち上げ研究はきついが評価も大きい かくいう私も立ち上げ研究の人間です。学部時代にいた研究室は薬理でしたが、複合研究を始める(免疫と薬理)ということで当時学部4年だった私と他の研究室の4年が1つのグループを作り死に物狂いで成果を上げました。現在ある医薬品企業が研究を引き継いでいます その結果、現在の教授に声をかけられDに進みました。免疫の人間が欲しかったということで、博士でも新しい立ち上げ研究を始めましたが、当然うちの教授陣は免疫に詳しい人間は誰もいません。 そのためはじめの1年は2ヶ月議論に費やし(費用対効果、研究方法が理論的であるかどうか、新規性があるか、評価手法は一般的か)、残りの期間で徹底的に土台を作りました。うちの場合、元々あった評価系を使った研究よりも立ち上げの方が評価されますし、それは外部でも同じです。学会などで他学の教授陣と食事に行ったりもしますが、立ち上げ研究をしている人間とそうでない人間では相当に評価が分かれます。 3)考え方が甘い まず >・理想が高い ・自己評価が低い ・根性がたりない(甘やかされて育ちました)~逆境に弱い< この考え方ははっきり言ってクソです。甘えなんていう言葉じゃ表現しきれないほど人間として脆弱で未熟です。 理想が高い?違うでしょ、技術がないから目標が明確化できず、不明瞭な状態で事を勧めたり行うべき事の終着点が見えていないから目標が分からず意味のないことに固執しているのではありませんか。 自己評価が低い?当たり前でしょ、自分を売り込むだけの技術を死に物狂いで付けない人間はアカデミアでは評価されません。 根性が足りない?違う、技術がない。哲学がない。だから前へ進めない 自分の能力のなさを甘い言葉でマスキングしてるに過ぎませんよ。 本当に理想が高いというのは、自分ができる最大限をやっても足りないから周りの人達に頼み込んでいろいろ教授願い、自分の技術を高め、それでいて偉ぶらず高潔に、尚且つ結果を出す人間を指すのです。 自己評価というのは、結果によってもたらされるのです。自分が必死に研究をやっていれば、適切な努力には適切な結果がついてきます。実験の失敗は自分の勉強不足だし、金の無駄だし、努力不足なんですよ。 最後に、甘えというのは >(甘やかされて育ちました)< >・研究室に助教がいない ・研究室に博士課程の学生がいない(一人不登校)< だとか他罰傾向にある自分の根性の卑屈さを言うんです。 研究室に助教がいない? 私みたいに専門家が誰もいないとこで立ち上げをやらされることもありますが。助教がいないなら、自分が助教レベルに勉強すればいいだけでしょ。 Dがいない? Dなんて居なくても問題にもなりませんよ。 そして何よりもくだらないのが >環境は変えることができるかもしれませんが,変えたあとも自分の性格により研究を続けることができなくなることが怖いです. < 馬鹿ですか。 環境は変えられません。研究室の財力はいきなり上がらない。助教はいきなり来ない。今更研究室を変えれば二度と就職はできない。 変えられるのは、貴方のそのクソ甘えて卑屈で卑怯な性格でしょう。 3)研究の目的 我々研究者というのは、基本的に多くの偏見と嫉妬と侮蔑を社会から浴びせられます。現在の日本は研究者という人間を尊敬できるような風土を持っていないのです。 〇〇馬鹿、勉強ばっかりして何になるの、など理解を示さないばかりか 好きなことやってればお給料もらえるんだから、動物を虐待して手に入れた地位、いいよね給料高くて、こっちなんて毎日夜まで働いても等など。挙げればキリがありません。 海外に行けば3倍は金を稼げる。 免許を使えば、今からだって働ける。 でも、我々が研究することで多くの人は救えないかもしれないけど、誰か一人の人を笑顔にできるかもしれない。学術というのは社会のために、一般の人達のために、そしてなによりも真理を探求するという研究のために存在しています。 そのために昼夜問わず研究を続けているわけです。 ブラック企業なんかより、よほどブラックですよ。お分かりだと思いますけどね 朝は早く、夜は遅い。下手したら2時、3時に帰宅したのに朝6時には来なきゃいけない。 でも、1報論文を書き終えてアクセプトされた時の感動は忘れられません。学会で批判され、様々な指摘を受けても、よく考えるとそこを改善することでより完璧になると教えてくれていたことに気付く。 一人で事を土台作りを成し遂げたといっても、体調を気遣ってたまに飲みに連れ出してくれる教授や今は一緒に研究する学部生たちがいる。いい結果が出て、笑いながらお茶を飲んだ時の皆の顔はクマが出来ているし、数日の疲れで髪や肌もボサボサです。でも、それを吹き飛ばすほどの達成感と充実感がある。 脚光を浴びることが少ない我々でも、テレビを見れば技術者や研究者の特集でいろいろな人が努力している様を見ることができる。知らない人だが、うむ、私も頑張ろうと思える。 Dになると、外部の専門学校から授業の依頼が来たりすることもあります。そこでわかりやすく授業をしつつ、少しでも医療について正しく理解してくれる人を増やそうとすることができる。 出身中学や高校から、卒業生として話をしてくれと言われることもある。また面白くない話かと目の死んでいる彼らに、意表をついて話をして彼らの夢は死ぬほどの努力で叶えることができることを話したとき、何割の学生かが食いつくように質問したり、話終えたあとに突撃してくる。 やりがいを感じる瞬間なんて、溢れてるんです。 でも、そのためには誰にも文句が言えないほどの努力と結果を出し続けなければならない。 それは大変で、時に嫌だと感じる時もあるかも知れない。でも、そこには本当は周囲の善意と理解と愛情に溢れたものだったと気付きます。 なぜ、出身校の先生からいきなり話が来たんでしょう。 なぜ、僕らが疲れている時に限って、教授が飲みに誘ってくれるんでしょう。 なぜ、必要だと注文した試薬が予定より早く到着しているんでしょう。 なぜ、立ち上げ研究に私なんかを抜擢してくれたんでしょう。 何もかにも、我々の知らない間に、周りが我々を評価してくれて、見守ってくれて、支えてくれた結果です。 もし、それがなければ自分の努力が足りないのです。 論文は一日に何報読んでますか。Mになるなら、3日に一回は論文検索してください。新しい論文を読み、手法を学び、自分の研究に生かせるかを考え、活かせないならなぜ活かせないかを考え、活かせるなら研究のとりあえずの終着点をどのように変更するかを考えるのです。 毎日ゆとりのある時間など作れません。むしろ、考えている時間こそがゆとりなのです。 本当は言ってはいけないことですが。 頑張ってください。 ひとりの人間が研究者として大成するには、想像を絶する努力が必要なんです。政治力で地位を得ることもできますし、政治力も大事です。ですが、実力のない政治力は冷笑で報われます。 企業を目指すなら、圧倒的なまでの実力を自ら勝ち取ることです。 環境のせいになどせず、その根性を叩き直してください。 貴方が一廉の研究者となることを心から祈っています。頑張りましょう 私の師父は 『焦らず、腐らず、しかし着実に前へ進みなさい』 と言葉をかけてくれました。貴方にもお送りします。
お礼
厳しいお言葉ありがとうございます. 誰とも知らない私に本気のアドバイスをしてくださったことを感謝します. jing0708さんのように自分だけでなく他人のためにも一生懸命になりたいです. ただ,現時点では,今すぐに自分を奮い立たせることができないかもしれません.ひとまず返信させてください. >根性が足りない?違う、技術がない。哲学がない。だから前へ進めない おっしゃる通り,根性が足りないのではなく,技術と哲学が足りないと思い直しました. ただ修士課程では技術をあまり身につけることができませんでした.このことに気づいたことが研究を続けられないと思ったきっかけの一つでした. なぜ十分な技術を身につけられなかったですが,これは指導者が近くにいなかったことが大きいと思います.全部自分でやればよいという意見もあると思うのですが,それでは研究室の存在意義がなくなってしまうと思います. >研究室に助教がいない? 私みたいに専門家が誰もいないとこで立ち上げをやらされることもありますが。助教がいないなら、自分が助教レベルに勉強すればいいだけでしょ。 Dがいない? Dなんて居なくても問題にもなりませんよ。 jing0708さんの分野では研究室の環境と学生の教育や研究成果にあまり関係はないのでしょうか. すべて自分で学べば良いというように聞こえますが,やはり指導者ありの人と比較して歩みがずっと遅いのが気になってしまいます.焦らず,一歩ずつ歩みを進めていけばいいのでしょうか.
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
後期に進むことを「成功」か「失敗」かで測定する自分が居るなら、止めおきましょう。 成功か失敗を問わず、何がなんでもやりたくてしょうがない自分が居る場合、挑戦しましょう。
お礼
今思い出すと,大学院入学時はドクターをとれなくてもいいから全力で博士課程に挑戦しようと考えていました. 「楽しいと思うことに全力でタックルして,その結果としてどんな状況になってもよい」とそういう気概がありました. このすべての原動力とも言える情熱を失った今,やはり続けるべきではないようですね. 一回,他の物をいろいろ経験するのがいいのでしょうか. こんなにすぐに情熱が消えてしまう自分に少しがっかりですが,まぁ仕方ないか.
お礼
人の意見を多く聞くことは,それだけでも十分意味のあることだと考えています. 強い決意がないまま博士課程に進むことはやはりやめたほうがいいようですね.