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死生観について
『死生観』について… 最愛の恋人を亡くしてから、人は死んだらどうなるのか考えて迷いました。 しかし日蓮正宗や創価学会の死生観が真実に一番近いように思えます。 どうなのでしょうか? 皆様どうか宜しくお願いします。
みんなの回答
死んだら何もなくなるだけ。
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12497)
不思議な話を。 生きるために必要だけど、少しでいいって元素を必須微量元素っていいます。銅とかなんですが、これ、赤ちゃんが母親からもらって、そのあと一生口にしなくても、母親からもらった分で、十分なんだって。母親からもらった原子を体内にずっとため込んで死んでいくんです。 で、こういう鉄よりも重い元素は、地球上ではできないし、いま、空に見えている太陽でもできないんだって。 これができるのは、太陽などの恒星が一生を終えるとき。今の太陽じゃなくて、宇宙が出来たばかりの時の最初の太陽は、その周りに回る地球には、微量元素がないから、生物は存在できなかった。その恒星が一生を終え、その時できた微量元素を含んだ残骸がまた集まって、新しい太陽系を作り、微量元素を含んだ地球ができ、生き物が生まれました。 微量元素は必ず必要だから、命がずっと続くと、新しい命を作る分が足りなくなってしまう。前の太陽系から新しい太陽系に与えられたように、前の命から与えられないと新しい命はできなくなる。 わたしは、宗教的な死生観は分からないけど、自分がいないと生まれない命、自分が殺さないと生まれない命、自分が死なないと続かない命があることは分かります。それも、次の世代とかだけではなく、地球や太陽が一生を終えて、次の太陽系や地球の上に生まれる命まで。 生き物って、偶然生まれたんじゃないんです。生き物の材料、有機物や有機物以外の高分子は、地球のような惑星があって、何億年もかけなくても、必ずできることが分かっています。 私にはこれがとても不思議です。 私には魂とか生まれ変わりとかはわからないけど、身近にいた人がいなくなるとき、ボーとした中でこんなことを考えてます。
- 177019
- ベストアンサー率30% (1039/3444)
私は15年前に創価を脱退して日蓮正宗の信徒になりました。私は、日蓮のお言葉通り「死生観」を語る前に「臨終の事を習うべし」であります。不幸にして最愛の恋人を亡くした。 愛する家族を亡くした。本宗の信徒であるならどんなに末期のガン患者であっても、どんなに壮烈な交通事故で亡くなったとしても、真面目に信心し抜いた人は形も損せず、必ず生きていた時より色が白くなり半目半口で黒目が下を向き身体もやわらかく死臭すらないのであります。これは私も何回も本宗の葬儀に参列し亡くなった方の頬を触って見て、日蓮のお言葉通りである事は間違いありません。しかし、平成3年に本宗から「破門」された学会員はどうでしょう。学会が「友人葬」として行っている葬儀はネクタイした幹部が来てお経を上げて行くだけのもので、戒名も無ければ何にもありません。これで故人は成仏するのでしょうか?決して「成仏の相」にはなりません。
- oyatsuya
- ベストアンサー率21% (111/517)
日蓮正宗や創価学会の死生観って、どんなのか知らないけど。 10年経ったころには、悲しい気持ちは落ち着くヨ。 その間に結婚したり子供が生まれるのも却っていいかもね。
- tiltilmitil
- ベストアンサー率22% (1871/8250)
真実は自分自身が死んだならわかるかもしれない。わかることもできない無かもしれない。どちらにしても生きているうちは確実な正解だと言い切ることはできない。