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客観性の身に着け方

私の親は客観性を付けるには空中から自分を見ることができるようになると身につくと言っています。 親はできるそうですが、そんな幽体離脱のようなことは私にはできません。 私は周りの人の評価と自分の評価が割と近い人を客観性のある人と考えています。 そのために人からの批判も冷静に受け止める力が必要だと思っています。 客観性を身につけるために努力すべき点についてアドバイスをお願いします。

みんなの回答

回答No.16

ドラクエとかの古いRPGは上からみた図ですよね。出かけて、グーグルマップをみて自分のいる場所を把握するような移動の仕方をすると、空中から自分をみるように迷子にならなくなると思うんです。

Mmk40
質問者

お礼

回答ありがとうございます

  • 783KAITOU
  • ベストアンサー率43% (1758/4022)
回答No.15

補足を頂きましたので再度失礼いたします。 ご質問は「客観性」の身につけたかでした。その点に関するアドバイスは先に申し上げたとおりです。 その前に前提として「客観」とは何か、そして、客観の対極にある「主観」とは何かが分かっていなければなりませんので「客観」と「主観」について申し上げます。このことを、先のアドバイスとあわせてご覧頂くとご理解頂けるものと考えます。 「客観」とは、「合理的」なことです。つまり、信用できる論理です。ものごとの筋道が明らかなことです。 「主観」とは、いい加減である。個人がそう思っているだけ。感情的である。信用できない。嘘っぽい。と、なります。

Mmk40
質問者

お礼

回答ありがとうございます 客観が合理的なことというのは納得です

  • HeyXey
  • ベストアンサー率27% (141/519)
回答No.14

 どうも、お礼コメントありがとうございます。  そうですね、すんなり現実が腑に落ちるといいですね。でも、それは、無理やり納得することではなく、「自分もそう思うし、現実ともマッチする」というものでなければ、前以上に気持ち悪い状態になると思います。どう考えても腑に落ちない時、僕は宿題として心のうちにしまっておきます。宿題として。  他の人が何か言ったとして、その真意というのはなかなか正確に理解することはできません。質問です。『13引く9はいくらですか?』。もちろん『4』ですね。これを小学校低学年の子に尋ねても『4』と答えたとして、その中身が違う時があるのです。おとなは大抵10から9を引いた1に3を足して『4』という答えを導きます。ところが、小さい子どもは、まず3と9を比べて6が残って、その6を10から引いて『4』を導き出さしている、という場合があるのです。このように単純なケースでさえ、その中身は違っているのです。あなたの親御さんの『空中から自分を見る』というのが何を指示しているのかは、僕にも不明です。ただ、その言葉に引きずられて『俯瞰的に自己を見ると客観的になれる』という命題に今までの経験が適合するか否か、という目で考えてしまいそうな気はします。他にもいろいろ考える“軸”は存在するというのに、その提示された軸を中心に検討し出すのです。「言葉には言霊が宿る」と言われるゆえんです。  次に、また例題です。休日か平日のどちらかにクラブ活動があるとして、『休日でない日には、クラブ活動はありません』と貼り紙してありました。???。意味が理解できましたか。まわりくどい表現ですよね。休日でない日=平日、なので、「平日、クラブ活動はない」となり、「休日にクラブ活動がある」ということになります。  このように、“否定の場合を考えること”は難しいのです。これは、否定は思考に負荷がかかるからだと考えられています。つまり、無数にある「…でない」を考慮せずに、提示された(あるいは自分が考えている)「…である」に目がいきやすく、その証拠が目につきやすくなるなるのです。これが、確証バイアスです。  その他にもバイアスはたくさんあります。客観的になるためには、勉強が必要なのです。それなりの知識が必要なのです。と、僕は考えています。  「我慢する」か「言い返す」か、という選択で悩んでいる人には、「第3の方法」が見えていません。「自己主張しながらも(自分の言いたいことも言いながらも)、他人との仲を悪くしない言い方を考える」という方法を考えようともしない、という状態が存在するのです。僕もそうでした。誰かの何げないひとこと、自然の風景の一コマ、何も考えていない散歩中、そのような時に「パッ」と思いつくのです。ひとに説明するのは、もっと考えてからでないと伝わらないでしょう。ぼちぼち考えることです。  最後に、「認知の歪み 10パターン」を箇条書きにしてみました。詳しくはネットで。 1、全か無か思考 2、一般化のしすぎ 3、心のフィルター 4、マイナス化思考 5、結論の飛躍 6、誇大視と過小評価 7、感情的決めつけ 8、すべき思考 9、レッテル貼り 10、自己関連づけ

Mmk40
質問者

お礼

回答ありがとうございます

noname#213191
noname#213191
回答No.13

自分の感情は置いといて 何人かいる周りの人の中の一人として見たらどうなのか考えてみたらどうでしょう。

Mmk40
質問者

お礼

回答ありがとうございます

  • HeyXey
  • ベストアンサー率27% (141/519)
回答No.12

 客観性というのは、正しく考えるための前提のように語られることが多いように思います。それだけ主観には偏見や先入観という認知の歪みが含まれているということでしょう。では、なぜ、正しく考えようとするのかをまず僕は考えてみたいと思います。  株の売買なんかをしていると「正しく考えたい」と思います。その場合は、もちろん儲けたいからです^^;。あるいは、「あの人はなぜ私を避けるのだろう」という場合、因果関係を正しく理解しないと対処できないからですね。そして、深く考えてみると「辻褄の合った世界に生きたい」と思うからではないでしょうか。辻褄が合わないと気持ち悪いですよね。  誰もが共通しておちいる偏見=バイアスというのがいっぱいあります。例えば、物の値段も最初に提示された金額から割り引かれると安く感じます。最初からその値段を提示された場合よりも(アンカー効果)。また、自分がある結論を信じていると、その証拠となるような事例の方が目につきやすくなるという(確証バイアス)が働きます。あるいは、事が起こった後には、それが予測可能であったように思いやすくなります(あと知恵バイアス)。また、『相手と自分とどちらが頑張ったか(我慢しているか)?』と問われれば、『自分の方が頑張っている(我慢している)』というバイアスがあることが知られています。待ち合わせ時間に自分が遅れた場合は、「道が混んでいたから」「出かけようとした時に突発的な出来事が起こったから」という原因を考えますが、相手が遅れた場合は、「だらしないから」「時間にルーズだから」と考えます。  待っていたのでは客観的に正しく考えることはできません。積極的にバイアスを探して回り、ひとつひとつ潰していく努力を重ねることです。と、僕は思います。辻褄の合った世界で生きていると、穏やかに暮らせますからね。

Mmk40
質問者

お礼

回答ありがとうございます 辻褄が合った世界、私が求めているものかもしれません。 ストレスが発生するとき、客観性が不足しているかもしれません。 結局は自分以外の人の考えを想像し現実を自分に納得させることなのかなと感じました。

回答No.11

親御さんが言っているそれ、鷹の目というやつです。 ご質問者さんが思っている客観評価に近い自己評価とは根本的に違うものです。 客観性とは違うものですが、 鷹の目は一種の天賦の才ですが、技術で補うことができます。 科学的思考とか、政治的思考とか、方向の違う思考法に共通してあるもので、不思議なことに、孫子に書かれていると思います。 状況を把握する方法、考え方と、判断の仕方をどう繋げていくかの訓練かと。 もしあなたが理系の人なら ファラデーの ろうそくの科学 という本を、文系なら、東大の 知の技法 という本を、オタクなら 魔法少女プリティベル というマンガを読んでみることをおすすめします。 主観、客観という分け方の意味のなさと、正しく情報を把握し考える方法が分かるかと思います。

Mmk40
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 図書の紹介をいただきありがとうございました。 大変興味深いです。 探してみます。

noname#232913
noname#232913
回答No.10

お早いお礼ありがとうございます。 なので、質問者様はご自身を客観視する必要性がないのだと思います。 何を言っても折れないし譲らないしご自身は変わらないじゃないですか それを誰がどう思おうがもう関係ないのでは? 客観視の必要性は世の中とどううまく、他者と上手く接していくかという地図みたいなもので。認めているのに自我を出すのであれば世の中と調和する事は諦めるしかないかもしれませんよ ただ相手にはそう映るんだ、そう受け止めるだけでいいんです 反撃の必要なし 君はそう思うんだね、それだけでいいんですよ。 客観性というよりも上手く伝わらない自分を他者に分かって欲しいという気持ちが強いのでは? でしたら、先ほどの回答でも述べたように他者を知る事、理解すること つまり、君はそう思うんだねと受け止めるだけでいいと繋がると思うんですがいかがでしょうか。 非難という受け止め方は一度辞めてみるのも一つの策です、思い込みを辞めてみる、誰も質問者様をぶっつぶそうなんて思って接していないでしょうし。 質問者様の思うように全体的になんとなく上手くやっていこうよというざっくばらんな気持ちでしょうから。 肥大した自尊心は自損心になりかねないですし、謙虚に冗談交じりで軽くいっときますか。ね☆

Mmk40
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私の思考の中に客観性のある人間が優れているという思い込みがあることに気づきました。親の植え込みかもしれませんが。 問題やストレスに直面した時に客観性という道具を使える様になる程度で良いのかもしれません。

noname#232913
noname#232913
回答No.9

>私は周りの人の評価と自分の評価が割と近い人を客観性のある人と考えています。 そのために人からの批判も冷静に受け止める力が必要だと思っています。 確かに仰る通りだと思いますし、自分の意見を持つという事はとても良い事だと思います 冷静に判断するのは結局は自分自身で、今回質問者様が質問されたのは 「冷静に受け止める」作業に行き詰っていると解釈しての回答になりますが 仮に私が質問者様の事を頑固だと言ったとします、質問者様は受け止められるでしょうか 批判と取るでしょうか 冒頭で自分に意見を持つ事は良い事だとも述べました、これは受け入れやすいと思います こういった反応は自分の感情を通して解釈してしまう為に、冷静な受け止め方が難しくなります これは自分自身の解釈が良い方に偏っていると起きると思います この場合でも場数を踏めばどうってことなくかわしたりする技も身に付きますが、それは今回の質問の趣旨とは違うので省きます 質問者様の親御さんが仰る >空中から自分を見ることができるようになると身につく これは私自身も共感できます 私も幽体離脱は無理ですけど、イメージ、いわゆる想像の世界なんですよね でも人間関係の経験があることが前提に結果論のようなもので さて客観視とはと挑む人には??だと思います 相手の気持ちを考えろとか、想像しろとか相手の身になれとか、若い人はよく言われるじゃないですか 意味としてはそういう事です ビデオで自分を撮影して、後から見て「おれなんかカッコつけてるな、上手く喋れてないな、しどろもどろだな」そういう感想を持つようなイメージです 右脳、左脳、得意分野はそれぞれ違うので無理なら無理で構わないと思います 質問者様は自身に気が向いているので、もっと他者に気を向ける、寄り添う気もちを持つ事が近道ではないかなと感じました ちなみに質問者様の中で頑固な人とはどんなイメージでしょうか。

Mmk40
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は頑なだと親に非難されたことがありますから頑固かもしれません。 しかし、頑な性格が欠点であるとは思わず、個性と捉え反論しましたが、それを理解できない親の方が頑固だと感じました。 私は、確かに人に対する思いやりより、全体が良くなるためにはどうしたらいいかばかり考えて、少し人に冷たいかもしれません。利己的では無いと思います。しかし、それが誰の共感も得られない時に困難を感じているかもしれません。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11204/34805)
回答No.8

「客観というのは、主観の集合体に過ぎない」といった人がいますが、皮肉的ではあるもののそれはいえていることはいえていると思います。客観的というのはどちらかの意見に偏らないで、全体を見ることができたうえで判断できるということでしょうね。 例えば、Aさんが浮気したと聞いたときにAさんはとんでもない人だと決めつける前にどうしてAさんは浮気したんだろうかとかそういうことを考えることですね。それでもしAさんは奥さんや彼女からセックスを拒否されていたと聞いたら、それならAさんも浮気するのはしょうがないとか考えられるようになりますよね。 ですから客観性を身につける訓練というのは、「双方の意見を聞く」ということでもあると思います。浮気したAさんが悪いのか、その恋人や奥さんが悪いのかを判断するには、両者の意見を聞かないといけません。 親御さんの「空中から自分を見るように」というのは、引いた立場から全体を眺めて判断しなさいということなのです。将棋などでよく「場面全体を眺めなさい」というのがそれですね。目の前にある飛車を追いかけていたら王様を追いかけるということを忘れてしまいかねませんよね。そういうときは少し引いた立場から、全体的を眺めるといいのです。 大好きな恋人から別れ話をされた。本人からすると受け入れられない、別れたくない、となるかもしれませんが、他人からすると「新しい人と出会えるチャンスじゃないか」ともいえますよね。ギャンブル好きで借金がある恋人より、他の人と付き合った方がいいんじゃないかってこともありますよね。それをどうやって判断するかといったら、やはり一歩引いた立場から全体を眺めるのがいいのです。別に親御さんは「幽体離脱しろ」といっているわけではないのですよ。

回答No.7

>私の親は客観性を付けるには空中から自分を見ることができるようになると身につくと言っています。 いわゆる「鷹になれ!」ってことでしょう。その意味合いは、「鷹の目をもって全体を俯瞰(overlook)せよ!同時に、全体の要素一つひとつの動きも鷹のごとく冷静に観察せよ!」ということ。 さて、問題は、これを実践したら目前の事象・状況を客観視できるかどうかってことですが、それは必ずしもそうではありません。それはあくまでも、事象・状況を客観的に把握・対処する上での必要条件に過ぎません。 全体を俯瞰しつつ個別構成要素を観察する中で、その事象・状況の本質を捉える上で重要なものとそうでないものとに素早く分けて、より重要な要素のみが指し示す本質の抽象的概念化に成功する必要があります。これが、いわゆる下向的分析です。次に、その抽象的概念をより改善・進化した形で具体的な実像に変換するには、新たにどのような要素を付加して再構成するのか?この上向的組立てにも成功しなければなりません。 目前の事象・状況を客観視と言いますが、実際には、このようなバラシと組立てとによって新しい抽象概念とその現実像を取得することを意味し、結果的には関係者の中ではかなりユニークな見解を有することになります。 さて、では一体どのようにしたら下向的分析と上向的組立ての達人になれるのか?これは、とっても難しいテーマです。まず、目前の事象・状況を客観視する云々以前に、「何が問題なのか?」ということが判っていないと俯瞰とか観察とかに着手する意思さえ生じないでしょう。また、下向的分析と上向的組立てという思考の重要性について理解と納得していなきゃー、それは所詮は「フーン!」でおしまいです。 >客観性を身につけるために努力すべき点についてアドバイスをお願いします。 1、幅広い知識と教養とを身に付けること。 2、「何が問題なのか?」を常に念頭において接する癖を付けること。 3、事象・状況のバラシと組立てを実践する習慣を付けること。 4、何よりも、自分をそういう立場に導くこと。 以上です。

Mmk40
質問者

お礼

大変分かりやすいコメントありがとうございました。 なぜ客観性を付けるべきなのかを考えさせられました。

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