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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ビートたけし氏の若者論から)

ビートたけし氏の若者論から

このQ&Aのポイント
  • ビートたけし氏が語る若者の変化とは?
  • 若者の頭の良さと一直線な姿勢について
  • 悪さを経験することの重要性と若者の物足りなさ

質問者が選んだベストアンサー

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  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.11

ビートたけしは面白い人だと思いますが、文化人的な振る舞いで物事を言う時の思慮には欠けていると思います。 「今の 若い子は“一直線”だよ。自分で選んだ仕事に対して効率のいい努力をして、最短距離で突き進む。~純粋培養で、ひとつのことだけにまっすぐ努力してきたヤツっていうのは案外もろい」 「誰かに弟子入りして理不尽な徒弟制度の中で耐えるってのも、ある意味では必要なのかもしれないぞ」 羽生結弦選手を純粋培養型の若者の引き合いに出していますが、「ひとつのことだけにまっすぐ努力」することと、「誰かに弟子入り」するというのは、そこに暴力的なものが存在するか否かの違いだけで、どちらも『“一直線”』という意味では同じですね。 たけしが論じているのは、第三者から理不尽に加えられる暴力の有無だと思います。 この点は、外部からウィルスが混入してしまっただけで水族館のマグロ死滅する、という部分で、ウィルスを外的要因・外部性と捉えられるでしょう。 ですが、たとえば羽生結弦選手の場合、出身地の仙台で彼自身もスケートの練習中に被災、スケートリンクの氷が崩壊していくなどの状況から逃げ延び、避難所生活をした期間もあるようです。 目に見える部分では、英才教育というか、スケートのための純粋培養のような育ち方をしているように思われますが、実際にはスケートを続けるために過酷な状況(震災という外的な要因)を切り抜けてきた、という経験があるようですし、実際に彼が飛躍的に結果を出し始めたのは震災以後です。 ビートたけしの言うようなかつてのチンピラ的な感覚というのは、外的要因がわかりやすい直接的な暴力であっただけで、現代においてはその外的要因というものが複雑化していると思えます。 一見すると純粋培養のように見える若者も、かつてと比べればあり得ない量の情報という外的要因にさらされているわけですから、決して純粋培養と断言できないでしょう。どちらかと言えば「暴力やならず者→笑い(芸能)」へと昇華する図式自体が、能や歌舞伎の起源とまったく変わっておらず、古来から続く芸能分野における『純粋培養型』であるようにも思います。 まとめると、非行の是非、暴力の有無、ということではなく、本来の道筋とは異なる外部性をどのように吸収し取り入れているのか?というところが問題点であると思います。 個人的には、純粋培養型で閉ざされた場所で外部性もなく育ってきた人というのは、非常に脆い存在だと思います。 しかし、そういった意味で、たとえば質問者さま自身が、ある何らか、表面上では今のご自身にとってはさして意味のないことに熱中していたが、実際に根底ではそれが経験として役立っている、というものがありさえすれば、純粋培養型ではないでしょうし軟弱であるとは思えません。 たとえば中学時代の部活動で行われていた暴力に憤りを感じ、理不尽さ、というものが一種の社会悪として認識できたのであれば、実はもうその時点で「外部性」を吸収しているのです。 逆に、非行するエネルギーを暴力的な礼儀作法によって部活へと向けることができた部員というのは、その時点で暴力という外部性を吸収しつつも、それが理不尽な社会悪であること…言い換えれば、学校や部活動という現場をさらに外部から見た時の視点には気付いていないです。 どちらが外部性を吸収するための視野が狭いか、と言えば、後者の方であるように思います。

その他の回答 (10)

  • bancho18
  • ベストアンサー率34% (92/268)
回答No.10

「チンピラ気質になれ」なんて言ってないですよ。 一見無駄に思えることも人間形成の場としてはすごく役立つんだから、スケートだけみたいな純粋培養でなく、将来何の役にも立たないことも色々経験しとけって事かと。 それがバカなこととか、ちょっとした悪さでもいいんだというメッセージだと思います。

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.9

結局は世代格差でかたずくのでは?でも世の中ってこういう世代もいて若い人もいる。例えば「チンピラ気質」を良しとする人をどうかわしながら世の中を生きるべきかを考えるわけで、そういうことが苦痛になり鬱になるとかそういう人間にならないためにはいろいろ余白の多い人間が価値があるとも言えますね。 今の世代は純粋培養って言い方ではとらえられません。昔と違って一つのことに専念しないと目的の人生を歩けないほど専門化されているということですよ。昔のようにいろんなことに手を出してたら一つも実現できない。それが現代です。ふらふら遊んでて明治大学に入れたビートたけしの時代とは違うんですよね。それが人間を良くしているのか悪くしているのかはわかりませんが、社会は悪くなってると思います。 たけしのような人が生きてこられた時代のほうが幸せだったのは確かなのです。たけし自体は成功したからそういうことが言えるのであって、もし失敗してても同じことが言えたかは疑問があります。 でも戦前の軍国主義教育で育った人が今の日本を作ったのは事実であり、戦後生まれがその恩恵の上で自由を謳歌し、今の日本をダメにして行ってるのも事実です。この事実をどう見るかでしょう。 これは経済が発達していなかったというだけのことではありません。中国などは経済が困窮していた世代でも立派に育っていません。わがまま放題です。これは規律という教育がなされてないからだと思います。日本はなぜか規律を重んじた国です。これは江戸の昔から引き継いだものかもしれません。結局は人間は教育されなければダメになり。その教育には多少の暴力や圧力も必要だということになります。 それは西欧でも同じです。歴史を重んじ制度を重んじるイギリスのほうがアメリカより人間として優れています。アメリカがアメリカを保てているのは人間ではなく財力でしかありません。 たけしの言うことは今の世代に言うことではないかもしれませんが、「抑えつける」という教育は必要なことだとも言えます。

回答No.8

純粋培養という言葉が象徴的ですね。 ようは、純粋培養=楯突かない人間を作り出す、という意味じゃないですか? 現に、政府自民党は若者の意識を洗脳し、逆らわない人間にしてるようにも見えます。 やんちゃ、というのは自分で納得できなければ争う意識。 若者でもそうですし、いい大人も洗脳されてますよ。 でなければ、独裁を目指す、自民やおおさか維新などに票は入れませんから。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.7

質問者さんの印象が普通なのでしょう、昔も今も。 ビートたけしの存在はいはば反面教師で、彼はそれをわかっていて演じているのでしょう。 日本はいろんな意味でインフラが整備されて社会は建前上清潔そのものだから、子供はその中で理不尽なものを見たりそれらに打ちのめされたりする経験がないまま大人になるので、ある意味精神的な鍛えられ方がたりなくて、上司に叱られたり、いじめに遭ったりするとすぐくじけてしまう。社会に出てからそうならないように、前近代的な組織や考え方がある、どうしようもない怖いものがあることも承知しておけと言うくらいの気分なのでしょう。まあ常識を言っているのです。 >怖い顧問の存在で枠組みに入り、怖い顧問先輩の理不尽さ(私は思うが彼は思わない)  (「気合を入れる」「最近たるんどるぞ」と体罰 部の先輩から廊下ですれ違う時に  「生意気」と殴る蹴るの暴力)を受け入れ、弱い処にはぶつけるが それは社会では通用しないくそ人間です。でもそういう人間と出遭ったりいやおうなく交渉したりすることがたまにはあると思います。自身が巻き込まれないコツを体得できればいいし、ある程度それらをハンドルする経験があったほうが人生面白いかもしれません。そんなくらいで、あまり深刻に考えるはなしではないと思いますよ。

  • urbanite
  • ベストアンサー率35% (18/51)
回答No.6

こんにちは。 そんなに複雑な話しではないと思います。 勉強して偉くなって国を導く立場になっても「核の抑止力」という「暴力」は持ち続けたりしなければならない上品ではない関係性はつきまとっていますよね? 片方がちょっとやそっと賢いだけではどうにもならない事は山ほどありますから、時には知恵で、時には力で秩序を維持(するだけでなく秩序の内で発展)する力を身につけるのが寛容です。 というだけのお話しのように思います。 Aは良し、Bは悪しなどと定義を持って生きている人も居るかもしれませんが、Aにも色々なAがあり、一概にAというだけで良しとできるものではなく、Bもまた然りです。 「今目の前で起きている事はなにか」を見極め、「それが及ぼす影響は何か」を考慮し、「どうすれば望ましい方向に持って行けるか」に注力する事が大切だと思いませんか? 「水清ければ魚棲まず」と言いますが、これはあるレベル以上の清さがある場合の話しであり、水はある程度清くなければそれはそれで魚は棲めません。 「水清ければ魚棲まず」などとふんぞり返りながら自己正当化している人を見ると冷たい視線を向けてしまう自分はいますが、清すぎれば実際そこには生命が存続し得ない。 大切なのは「適切な浄化力」ではないでしょうか。 No.1さんの言い方をすれば「工夫力」となるのかもしれません。 世間一般的な言葉ではよく「柔軟性をもつ」なんて言い方をされる事もあります。 その為には視野が広く様々なものを受け入れられないと不可能なのはお分かりですよね? 「チンピラ気質」の人たちには便利に使われてしまう言葉でもありますが、これらは真実実際に大切なものですよね? 「気が、あるいは心が弱い人」は、ちょっとした事ですぐに傷ついたり、攻撃された意識を持つために敵対心をもつ場合も多く、もしこうした場面に「チンピラ気質」がいたら、このチンピラ気質の持ち主の方がよほど「秩序維持能力が優れている」という事になります。 ここは分かりますよね? つまり、理不尽でもある程度受け入れる器が無いと、あるいはAの中にも色々なAがあるのだという区別が付けられないと平和の維持すらできないトラブルメーカーと言わざるを得ないという事です。 でも、チンピラ気質な人はある程度汚れの強い層での秩序維持力があるだけで、より清浄な層を広げよう、維持しよう、向かおうとする力は弱いので、これまた万能な訳では全然ありません。 より清浄な方へ進もうと努力し、清浄さが汚された時にどうすれば素早く清浄さを回復できるかの方法を知らなければ一度汚れただけでもうその水は腐り果てます。 これではバカだというだけのお話しではないでしょうか。 その為に「今の人たちは守られ過ぎている」「権利を許され過ぎている」、それは彼らの成長自体にも悪影響を及ぼすし、その延長線上に社会秩序の大きな不安定要素にも繋がるから適当に理不尽な目にはあっておいた方がいいという事だと思います。 あ、時間がなくなってしまった。 十分に長文ですが一旦失礼(^^;)

  • bn10000
  • ベストアンサー率7% (19/259)
回答No.5

「チンピラ気質」ってwww そう取ちゃうかい? この時点で、もう今時のガキと遜色ないね~ 尾木ママじゃないんだからさ~ たけし流で的を得た解りやすい例えだと思うよ。 世の中には理不尽な事が多々あるんだからね。 社会性もなければ上下関係も解らない。。 友達じゃないんだぞってw そんなんで社会に出されてもね~ 一発殴られて説教される方が、まだ温かいかもしれないよ? 今だったら説教すらしないでしょ?しても理解出来ないからね。 御大層な言い訳聞いてあげて、さっさと切った方が面倒じゃなくて楽なのよw 学校じゃないんだからねw それの方が、怖いとは感じないだろうね。。 マグロの例だと、ボビーもそうだけど中国留学生あたりは 久しぶりに帰って実家で飯食ったら下痢するんだってね~w 要は免疫が無いって事だね~ 壁にあったったら対処できないんだから、言い訳して逃げるしかないわな~ 引き籠りもそうだけど。。 もう無菌室にでも放り込んでおけってねw

  • hikaricom
  • ベストアンサー率25% (195/772)
回答No.4

あくまでも全般的なお話をされているのだろうと思います。”今時の子”に有りがちな世間を上手く、できるだけ傷つかないように、傷つかないよう、要領よく生きていくという生き方、また親にそのように保護されてきたような子たちの軟弱さを言っているのでしょう。それを”綺麗に生きている”と表現しているのですから、たけしさんとしては、もっとガムシャラでも、不器用でもいい、格好悪くても、失敗して、どやされても何でもいいから、お前らがんばれよ!というたけしさんなりのメッセージだと感じます。 あなたのように、大人の言うことに敏感に反応し、何でかな?と考える人は逆にいいなと思います。 これじゃいけないのか?俺はこうして生きてんだぞ‼︎そして、行き詰まったときに、また立ち止まって考える。どうすりゃいいんだろう…と。 だから、たけしさんは、「人生そんなもんなんだ。それでいいんだ!何か綺麗な世界でなきゃ生きられないような生き方をするなよ!」ってことが言いたいのだと私は思います。でないと何かそうでないものに出くわした時に、直ぐに折れてします。諦めてしまう。死んでしまう。「そうじゃないだろう?」 そんいった思いを伝えたかったのだと思います。 また、たけしさんはいつもそんな事を言っていますよね。「世界の北野。だけど俺は少しもカッコよくないだろう?だけど、それでいいんだぜ」ってね。 だから、今でもパンツ一丁でバカしたり、お茶の間を賑わせていますよね。どうだ‼︎人間って切ないだろう⁈って。

回答No.3

ビートたけしの言うことはある意味極論だと思います。 たけし軍団に弟子入りしたら、確かに理不尽なシゴキを受けるでしょう。 しかし、人の世とはいつでもどこでも理不尽なものです。チンピラやヤクザほどでは無いとしても、人間関係は理不尽そのものです。 例え、たけし軍団から脱退しようと、体育会系の部活から退部しようと、世のすべての理不尽から逃れることはできません。 どんな学校へ通おうと、どんな会社に就職しようと、自営業をしようと、100%自分の思い通りになるストレスの無い人間関係を築くのは不可能なのです。 もちろん半殺しが良い訳ではありません。 しかし、他人がどうであるかは関係なく、自分自身の「理不尽への耐性」高めておけば乗り越えられるハードルは多くなる、と私はそういう意味の言葉と捉えました。 その方法論は人それぞれで、たけしさんの方法が唯一では無いと思いますけどね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

"結局「チンピラ気質」を持つ人間が良いと云う事なんでしょうか?"       ↑ そうじゃないです。 雑草のようなたくましさを持て、といいたいのです。 現代の子供は、産まれた時から豊かですから 経済的な辛苦を経験していません。 また、少子化で、親が腫れ物を触るような育て方 をしてきました。 兄弟もいませんから、兄弟同士でケンカするなどの 訓練も積んでいません。 社会も国家も、やれ子供の人権云々で腰が引けています。 だから精神的に脆いのです。 昔の子は、殴られ蹴られ、貧乏に喘いで育ちました。 だからたくましくなります。 そういうたくましさが無い、といいたいのでしょう。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.1

かみ合わないかもしれませんが、私は当面の課題を解決できる工夫する力がいちばん大切かと思っています。少なくとも状況の変化にいろいろ工夫して対処できる力を養うことが生き残るだけでなく生き生き生きていくために大切なものではないかという風に思います。これからは特に便利な機械が出てきて今までの職種が存在できなくなるというようなことがしばしば起こりそうに思います。機械は工夫ができませんから、人が勝てるのは工夫だけです。

noname#250543
質問者

お礼

遅くなって申し訳ありません。 ご回答有難うございました。 》かみ合わないかもしれませんが、私は当面の課題を解決できる工夫する力がいちばん大切かと思っています。少なくとも状況の変化にいろいろ工夫して対処できる力を養うことが生き残るだけでなく生き生き生きていくために大切なものではないかという風に思います。 頷ける話です、暴力とかではなく人付き合いも工夫が必要だと思います。

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