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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:大阪の体罰事件に思うこと)
大阪の体罰事件について思うこと
このQ&Aのポイント
- 大阪の桜ノ宮高校での顧問による体罰暴行による生徒の自殺は悲惨すぎますね。この顧問教師の行き過ぎた行動、校長の責任感の無さには腹が立ち、憤りを覚えます。
- 体罰は何も残りません。当時の体育教師は、サングラスし授業してましたね。整列させ尻を力一杯足蹴りしてました。友達と卒業したら半殺しにしてやるとか言ってましたね。思いやりの無い体罰は暴力であり犯罪です。
- 先日、卒業して何十年この体育教師が同窓会に出席してましたが、みんな暴言を浴びせてました。酒が入り「お前」『貴様」とかこの元体育教師を呼び捨てにして会場がしらけ、ついにこの体育教師だけ途中退席して帰りましたよ。当時の事はいくつになっても消えませんね。それが体罰暴行なのです。
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noname#176801
回答No.1
おはようございます。当方、35歳のオッサンです。 私には、質問文のような体験は無いのですが、私が中退した高校が、まさに「体罰校」でした。始業時間に間に合わなければ、鉄拳パンチが飛び、宿題を忘れれば、その授業中、正座を強要され、掃除をサボれば、髪の毛をわしづかみながらの往復ビンタ。まさに、教師が暴力をもって学校を「支配」していました。そんな教師を、先輩教師が「この学校を背負ってたつ、素晴らし先生。まさに教育者のカガミだ」と賛美称賛する、今、考えると、頭のイカれてた教師がそろってる学校でした。 私が高校中退を余儀なくされたのは、そんな、いつ暴力が飛んでくるか分からないプレッシャーによるストレスで身体を壊したからです。 質問者さんに反論めいた言い方をしますが、教師などの大人の暴力が、唯一残す物が有ります。それは、子供の中に芽生える「恐怖心」です。 けっきょく、怪我をさせる程の体罰は、子供に生命の危機を感じさせます。だからこそ、子供の中に恐怖心が芽生える。 でも、それってなんでしょうね?子供を教育する、じゃなくて「子供を大人の言いなりになるように、暴力をもって、力ずくで支配する」ってことのように思いませんか?それは「子供を大人の奴隷にする」と、何の違いが有る?と思ってしまいます。 だから、体罰は許すまじき行為なんだと思います。 「体罰必要論」を唱えるヤツは「人の心の痛み」が理解できないんでしょうね。でも、私に言わせれば、体罰必要論なんて、無意味やたらと他人に暴力を振るいたいヤツが持ち出す、無茶苦茶な論理ですよ。そんなものは、一切駆逐される。そんな世の中になって欲しいものです。
お礼
回答ありがとうございます。辛い過去を話して頂きましてありがとうございました。 体罰の根の深さに憤りを覚えます。 何年も経っても体罰を受けた人間は忘れるものではありません。 そこに感謝の気持ちでなく、恨みや報復の感情だけです。 今度の事件を契機に、全国にビクビクいている教師も多いでしょうね。生徒が生意気になり、教師にたいして横着な態度はいただけませんが、学校生活が少しでも改善することを願ってやみません。