• 締切済み

特急白鳥の気動車時代。

かつて大阪~青森を駆け巡っていた特急白鳥ですが、気動車時代には、上野行きと青森行きが直江津で切りはなされ、2編成で運行していたようですが、直江津までは、食堂車も2両連結されて走っていたのでしょうか? 何両編成だったのでしょう? 壮観ですね。

みんなの回答

  • FEX2053
  • ベストアンサー率37% (7995/21380)
回答No.2

その通りです。おまけに6両のうち1両が食堂車でしたから、 12両に2両の食堂車・・・というメチャ贅沢な列車でした。 というのも、上野発大阪行きの車両は、おもに上野-北陸と 北陸-大阪の座席、青森発大阪行きの車両は、おもに東北- 北陸・大阪の座席を割り当てていたからで、お互いの編成を 行き来する人はほとんどいなかったそうですので。 ちなみに、当時の座席は「駅ごとの割当制」で、各駅の割当 分を売り切ると、予約センターに電話して確保してもらった という形で、ダイヤ上「空きが無い」ために2本の列車を無理 に1本に仕立てた格好だったからです。 なお、そういう6両×2本の列車は、京都発の長崎・宮崎行きの 「かもめ」もそうでした。まあ、白鳥の上野行きが分割された 頃には、「かもめ」も付属編成側の食堂車は抜かれてしまった んですけど・・・。

kiran369633
質問者

お礼

再現されたら、たまりませんね。 ありがとうございます。

  • kuzuhan
  • ベストアンサー率57% (1585/2775)
回答No.1

設定当初の「白鳥」は大阪~直江津~青森・上野を結び、直江津駅で信越本線経由で上野まで結ぶ通称「信越白鳥」と水原(羽越本線)経由で青森まで結ぶ通称「青森白鳥」の二階建てでした。(列車名はいずれも「白鳥」です) 設定当時(1960年)は気動車列車(キハ82系)で、それぞれ信越白鳥と青森白鳥で6両ずつ(全12両)、うち1両ずつ「キシ80」の食堂車を連結していました。つまり「白鳥」には食堂車が2両組み込まれていました。(1963年に7両/全14両化してキハ80が増備されています) 「信越白鳥」は尾久客車区(現在は尾久車両センター)所属で、こちらの食堂車は日本食堂の上野営業所が担当しました。廃止までの間に向日町運転所所属に変更されていますが食堂車担当は変更がありません。 一方、「青森白鳥」は向日町運転所(現在は廃止され担当区分で行くと吹田総合車両所)の所属で、こちらの食堂車は日本食堂の青森支店が担当しました。 2方向にそれなりの長距離を走るため、2両の食堂車が連結されたようですね。 1965年に「信越白鳥」が上野~金沢の「はくたか」として分離。大阪~直江津~新潟(白新線経由)~青森の「白鳥」になります。 1972年以降は485系に置き換えられ「電車特急」になります。編成当時の電車特急「白鳥」は13両編成(食堂車サシ481が1両込)を基本としていたようです。

kiran369633
質問者

お礼

白鳥は、あこがれの特急でした。 新幹線の整備も、何だか悲しいですね。 ありがとうございました。

関連するQ&A