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硫黄島

戦闘には生き残る確立低いですか、援軍こなければ防衛は不可能でしょうか。 もぐらのように穴ほったとしても、そこに燃料いれられ火炎放射されれば 煙とかでこもるのは不可能ではありませんか、自爆したりするのは 精神的に錯乱してしまうのですか、戦わないで自決しろという指揮官 からの指令はでていないと思いたいですよね、何も食べないでいれば 石が焼き芋のように見えてくるのでしょうかね そもそも火山地帯では熱くないのかな、温泉とかでるようにも思えない けどサウナみたいな感じなのかな。 宜しくお願いします。

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  • eroero4649
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回答No.1

世間には過労死する人たちがいます。中には20代、30代のような若い人たちもいて、そんな若い人が心臓発作で死んでしまうほど働かされるというのはやっぱり尋常ではないですよね。しかし考えてみれば、彼らは監禁されていたわけではないので逃げようと思えば逃げられるわけですし、まだ若いのですからやり直すことだってできるはずです。もちろん中には「このままじゃ過労死させられる」と逃げ出す人もいるわけですが、死んじゃうまで頑張っちゃう人が結構います。 我々日本人はそういう気質を持った民族なのではないでしょうかね。よく若い人なんかが「自分はそうなったら降伏します」っていうけれど、そもそも相手もこっちを殺すつもりでやってくるので手をあげたからって捕虜にしてくれる保証はどこにもありません。現実に、元米兵の手記を読むと「我々は決して日本兵の捕虜はとらなかった」とはっきり書かれています。その理由が、日本兵が負傷兵を助けようとする米兵を狙い撃ちしたからだそうです。こっちは相手をより多く殺さないとそれこそ生きて帰れませんから敵兵はのべつまくなしに殺しにいかないといけません。しかしそれゆえにいざというときには捕虜にしてくれなんてのは通らなくなるのです。それが「戦争の現実」ですね。 なお、硫黄島はその名の通り硫黄性の火山ガスが噴出し、地熱もあったので地下壕に籠る日本兵は臭くて暑くて本当につらかったそうですよ。溶岩て、すっごい固いんです。そこに穴を開けて地下道を通すのも重労働でした。その固さのおかげで米軍の大砲から身を守ることもできましたけどね。 また壕にガソリンをゼリー状にしたもの(ナパーム弾の燃料)を流し込んで火炎放射器で焼くのは米軍も使った戦術ですが、壕に燃料を流し込んだり火炎放射するにはその壕に近づかないといけませんので、これは米兵にとっても大変危険な任務でした。特に火炎放射器は形が大きくて目立ち、そのために日本兵に狙われやすくて火炎放射器に銃弾が当たるとカチカチ山になるのでさすがの米兵も誰もが火炎放射器を持つのは嫌がったと米兵の手記にありました。 結局、そういった壕をひとつひとつ潰していかなければならず、それぞれの壕は巧みに作られていてある壕に近づくと横や後ろから別の壕から撃てるようになっているんですね。だからひとつの壕を潰そうと肉薄すると、別の壕から狙い撃たれるので米軍の損害は膨大となり、硫黄島の戦いは太平洋戦争の戦いの中で唯一防御する日本側より攻撃する米側の損害が上回った戦いとなりました。その見返りとして、海兵隊は「500年は安泰」といわれる名誉を手に入れることができたのです。

habataki6
質問者

お礼

徹底抗戦する戦闘員というのも頼もしいですよね 日本兵の骨が埋まっているといわれていましたけど 供養してあげるには人住んでいないと難しそうですね 逃げようとすると仲間に撃たれるというのも不思議ですね 統制乱す人は氾濫兵なのか規律は人の良心も悪人にして しまうのかな。 ありがとうございます。

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