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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:感謝しなればならないのはなぜだと思いますか?)

なぜ感謝が必要なのか?

このQ&Aのポイント
  • 感謝しなければならない理由とは何でしょうか?
  • 感謝の意味や大切さについて考えてみましょう。
  • 感謝を伝えることの重要性についてご意見をお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • takefutsu
  • ベストアンサー率11% (360/3043)
回答No.9

感謝とは「善」の意識であり、感謝する・される人間を目指し、広めていくことで世界をよりよくしていこうということじゃないでしょうか

object123
質問者

お礼

皆様のご回答を拝見している内に、もともと自分がどんな答えを用意していたのか忘れていましたが、その善という言葉で思い出しました。 ”善”とは他の言葉でいうとなんでしょうか? それが”徳”だとしたら、生きることに有利に働くということでしょうね。 真の感謝とは他人のためにするのではなく、己のために他者に感謝しなければならないのだと思った訳です。これには感謝の言葉を相手に示すこととは関わりのないものです。つまり、例えのドラマの躾とは次元の違う感謝なのです。 そしてその善を忘れた時、人は傲慢になり、やがて全てを失ってしまうのでしょう。 ですから、形ばかりの感謝ではなく、 滅びに向かわないための感謝でなければなりませんよね。

その他の回答 (9)

  • yoruaru-q
  • ベストアンサー率17% (476/2703)
回答No.10

>よく、ドラマとかで、子供が他人から何かを貰って喜んでいるときに、母親が「ほら、○○さんにお礼を言いなさい。」という躾のシーンがありますよね。  上記がないと「ものをもらっておいてお礼も言えないのはどういう親なんだ」という風なドラマに展開してしまうかも。  さておき、親御さんの気持ちとしては「人生は一期一会で、その瞬間にお礼を言わないと後悔するから、形からでも教えてあげたい」ということもあるのではないでしょうか。

object123
質問者

お礼

タイミングを永久に失うこともあるので、とりあえずとっさに感謝の言葉を口にするように躾けているということですね。確かにそれは必要なことですね。 参考になりました。

  • zebura23
  • ベストアンサー率30% (252/820)
回答No.8

おもしろいテーマだと思います。 「人間にもともと備わっているものではない」のは確かです。 私は基本的に、「感謝する」必要はないと思います。 それは今のところ、私たちが生きている社会において、 人間関係を維持する上で、「必要なもの」になってきたというだけのことです。 「感謝する」という見返りを求めるのが一般常識になっている社会では、 「相手がそれを求めているかもしれない」ので、 それをしないのは、非常識な人に分類されて生きにくくなります。 「自分にできることをする」のは当たり前のことで、 その時、私たちは「感謝される」という見返りなど求めてはいません。 誰もが、自分にできることを躊躇なく行なえるほど成熟した社会では、 お礼や感謝するという行為はないと思われます。 ただそこには、互いの間に「自然にあふれ出る」愛情だけがあると思われます。 子どもがしつけと称して、お礼を言わされるのは 残念ながら偽善行為を教えられているのと変わりません。 なぜなら、子どもは本心からあり難かったと思っているわけではなく、 単なる「ノウハウ」を教えられているだけだからです。

object123
質問者

お礼

趣旨をご理解いただきありがとうございます。 もともと備わっていないとする根拠は、世代や躾によってその度合いが変化していることから、”感謝するDNA”などというものはないのではないかと思ったということです。つまり、我々人間はDNAレベルで他人に感謝しているわけではないという解釈ですね。 あと、その偽善行為についてですが、それは感謝というよりも、感謝の意を口頭で表現するもっとも単純なものでしかありませんね。 ありがとうと言ったり、ごめんなさいと言ったりすることは、本当にそう思っているということと、必ずしもイコールではありませんね。場合によってはそう思っていないことありますからね。特に、謝る場合は、自分の何が悪かったのか解らなくても、とりあえず謝っておかなねければならないという風潮が、少なくとも日本の社会ではありますよね。それはまさに偽善行為ですね。 本当に感謝したり、申し訳ないと思うのであれば、それを行動で示さない限りは、その言葉はタダの箱に過ぎませんね。かといって、箱が要らないというわけでもないのが、一般の社会通念ということでしょうね。 そして、現実にはこの例えでいう、中身が空の箱(偽善)ばかりなのでしょう。 >誰もが、自分にできることを躊躇なく行なえるほど成熟した社会では、 お礼や感謝するという行為はないと思われます。 人類の社会が将来そのような進歩を遂げる可能性はありますよね。 現に、職業選択の自由や個人の才能を尊重しようとする社会への取り組みは常に行われてきました。その果てにそのような理想郷があるのかもしれませんね。

  • jhayashi
  • ベストアンサー率29% (535/1843)
回答No.7

>ということは、こういうことは躾けなければ自然に出来るようにはならないということですよね。 >これは、感謝やそれを伝えることは、人間にもともと備わっているものではないということを意味すると思います。 伝えることで 人間の社会が円滑に進むことを有史以前からの人の共同生活で 学習し それを後世に伝えることが良いと体感してきた先人たちがいるため

object123
質問者

お礼

DNAは個人の身体的器質の設計図にすぎないのに対して、人類が世代を超えて共有している社会というものが、個人の心理を形成しているということですね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

それは何故だと思いますか?    ↑ 感謝している時の心情を考えてみれば判ります。 暖かいモノが身体を走るはずです。 これは、身体や社会的生存にとってポジティブな ことをしているので、情動神経系にアドレナリンやエンドルフィン が出ているからです。 つまり、健康にプラスだし、社会秩序維持にも プラスだ、ということです。 なぜ、そういう体内麻薬が出るのか、といえば それは質問者さんが指摘しているように、躾け です。 永年の躾けの結果、脳が自動的に反応するように なった訳です。

object123
質問者

お礼

やはり、躾けというものは重要なんですね。 納得できました。

noname#210474
noname#210474
回答No.5

他人の為に 自分が生かされてるって事を知れば 他人から施しを受ければ 感謝するしか無い・・ 人間同士だから 解かり難いが 「人間と空気」 「人間と水」 「人間と動植物(食糧)」等々と考えれば良いのでは?

  • hide6444
  • ベストアンサー率21% (912/4223)
回答No.4

http://hitofuri.com/kansha このサイトに書かれていることが私の言いたいことの殆どでしたので 添付しておきますね

  • hata79
  • ベストアンサー率51% (2555/4940)
回答No.3

「ということは、こういうことは躾けなければ自然に出来るようにはならないということですよね。 これは、感謝やそれを伝えることは、人間にもともと備わっているものではないということを意味すると思います。」 そうは思いません。 感謝の気持ちは、親や周りから教えられて身に付くものではないと考えます。 人間にもともと備わってるものではない、と断定するのは早計ではないでしょうか。 早計だとすると「なぜ感謝の気持ちをもたないといけないのか」という疑問そのものが成り立ちません。

object123
質問者

補足

確かに極論したとは思います。 しかし、他人によってまた世代によって、感謝したり謝ったりする度合いが違うことから、感謝するという態度は環境的要因に影響されやすいことが伺えますよね。 それで、生まれつき備わっているのではなくて、躾を含む経験によって学んで行くものだと思うのです。 また、感謝することの必要性の度合いも、環境次第であって、それがその人の態度を決定付けるものだと考えます。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.2

お礼を言いなさいは言葉に出さないと相手に伝わらないから挨拶の一環としてしつけています。 自分なりの幸せを感謝するとは、落とした財布が見つかった、ラッキー、だけではなく「ありがたい事だ」で届けてくれた人にも感謝、運の良さに感謝、感謝とは「当たり前以上の事項」を認めてあげる事じゃないでしょうか。 お母さんがご飯作って当たり前。お小遣いくれて当たり前。店員さんが親切にしてくれて当たり前。この当たり前を続けていくとどうなりますか。図々しい態度になります。そこで一つ一つが「当たり前以上」と評価してみますと価値も上がるしご飯も美味しくなるんです。 人生がもっとカラフルになり恋人はもっと好きになります。 ところでこれに大きく気がついたのは死にかけてからです。人間って鈍感だったんですね。

object123
質問者

お礼

そうですね。当たり前のことが幸せだとなかなか気が付かないものですね。 人間は貪欲なので、現状を当たり前として捉えて、更に何かを得ようとしますね。そして、仰られるとおり、どんどん図々しくなっていって、やがては愛想を尽かされてしまうんですね。 貪欲に更に得ようとすることは自然なことですけど、既にもらっているものへの感謝を忘れないようにしたいですね。

noname#232772
noname#232772
回答No.1

まず、社会的なしつけという側面はあるでしょう。 感謝することにより社会的な関係が円滑になるため、それを覚えさせるのは子供のためになります。 その背景にあるのは、何かをしてあげた側も本音では多少なりとも恩を着せたいという事実でしょう。さらに掘り下げれば、「苦労は何らかの形で報われるべきだ」という思考が人間にはあるのではないでしょうか。 しかし、もっと重要な点は、感謝することによって自分の心が豊かになるということです。 感謝することにより喜びの印象を強く感じるような習慣ができると、生きることが楽しくなり、世の中が自分にとって好意的に見えてきます。 そうなれば当然、ものの考え方も前向きで建設的になっていくでしょうし、少しの苦労で悲観して人生をあきらめることもなくなるでしょう。 また、世間を憎むようなことも少なくなるので、自分の不遇を他人のせいにすることもないでしょう。 そして、言うまでもなく、そういう人は誰からも好かれて繁栄するでしょう。

object123
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 >感謝することにより社会的な関係が円滑になるため、それを覚えさせるのは子供のためになります。 だとしたら、その人の属する社会では厚意が報われることが多いということになりますね。 もし、報われないとしたら、そのような考えは定着しないでしょう。 それは、その社会を形成してきた土壌に、それが定着したことの表れだと思います。 母親がそのような躾けをするのは、その姿勢がその社会で優位に働くからに他ならないと思うのです。 逆に、恩を仇で返すことが当たり前の社会があった場合は、その社会では、そのような躾けは定着しないでしょう。 このように、感謝する文化というものは、人類普遍の価値観であるかといえば、なんともいえない微妙なものだと思います。 それから、 >感謝することによって自分の心が豊かになるということです。 というこですが、これは社会的側面というよりは個人の受け取り方の問題ですね。これは、意外とどのような社会であっても、このように考えることは害にはならないものだと思います。他人を恨んでも徳はしないというのは、普遍の事実ですよね。

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