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読み終えるのに時間がかかった作品
書籍の形になっているもので、 読み終えるまでに時間がかかった作品を教えてください。 できれば、その所要日数、途中で放棄しないで読み終えた理由、 そこまでして読み終えて得したかどうか、あるいは、 時間がかかる作品を読み終える方法等を 教えていだだけば有難いです。 私の場合、『神曲』です。読み終えるのに、 途中の中断を挟んで1年と10ヶ月要しました。
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ミシェル ビュドール 「時間割」(中公文庫) 当時ヌーヴォーロマン派の本が好きで結構読みきれたのですが、この本は、中断もありますので、半年ぐらいかかっています。ストーリーは単純だったように思います。(主人公が過去の記憶を確認、統合していくような)ただ構成が、現在の時間、過去の時間、その過去の時間の描写のなかにまた過去の時間の描写と時間軸が入り乱れていて1ページを読むのに2-3ページ戻らなくては理解できないことが度々あったりしました。 途中で放棄しなかった理由ですって? それはもう義務感以外になかったデス。自分に鞭打つ修道者ですよ。 得をしたことは、まあないでしょうけどビュドールの 「名前」は頭に焼き付いています。
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高尚でないのを一席。 たしか小学校6年生の時、何を思ったか、吉川英治の『新・平家物語』を読みはじめました。文庫版で十六冊くらいあるのですが、案の定、第一巻の途中で挫折しました。 月日は流れ、30歳くらいの時に、私の中で小さな歴史小説ブームがやってきました。その時、『新・平家物語』を再び読み始めたのですが、今度は順調にいきました。はっきり覚えていないのですが、週2冊くらいのペースで、2ヶ月くらいかかったかと思います。 結局、最初の小学校6年生の時から起算すると、20年くらいかかったことになるのですが、計算方法はこれで良いのでしょうか。それとも2ヶ月と申告すべきですか? ところで、小学6年生の時は中断して、30歳の時読了できたのはなぜか。その理由の大半は(考えるまでもなく)読書能力の差ですが、それ以外にもう一つあります。それは、講談社の吉川英治歴史時代文庫が改版され、活字が大きくなったことです。 なかなか頭に入らなかった本が、タイポグラフィが変わることによって急にわかるようになることがあると、丸谷才一さんが何かのエッセイでおっしゃっていましたが、これは同感です。 ◇ 『ドグラ・マグラ』は、私も一度中断してます。最初十代の頃読みましたが、途中でつまらなく感じ、止めました。それから10年以上たってからまた読みましたが、その時は非常におもしろく感じました。これは、読書能力の差というよりも人間性が変わったためかと思われます。(?) ◇ 社会人になってから、世界史の知識のなさを克服しようと、高校生向けの世界史の教科書を通読したことがあります。でも、これはつらかった。文章が無味乾燥な上、写真や図版のキャプション、欄外に用語解説などがあり、なかなか進みません。結局2ヶ月くらいかかったと思うのですが、頭に残ったものはあまりありませんでした。世界史を学びたいのなら他に良書がたくさんありそうなものなのに、何をやっているのやら。 ◇ 集英社文庫の『萩原朔太郎詩集 青猫』も時間がかかりました。#4の方は岩波文庫版の『萩原朔太郎詩集』を惜しむようにして読んだようですが、私は少し違います。前半の方でいくつかのすごく気に入った詩(たとえば「春の実体」)を見つけてしまったら、本を手にするたびにその詩のページを開いてしまい、読んでしまうのです。そうして他の詩を読もうと思っても、なかなか頭に入らない。そうこうしているうちに、1ヶ月くらいかかってしまいました。字数は少ないのに。 本好きの方の中には小説や評論などをものすごい速さで読む方がいますが、そのような方は詩集というものをどのようなスピードで読むのか、一度聞いてみたい気がします。
お礼
lovery_ritaさん、こんにちは。 >結局、最初の小学校6年生の時から起算すると、20年くらいかかったことになるのですが、 >計算方法はこれで良いのでしょうか。それとも2ヶ月と申告すべきですか? 質問が明確で無かったですね、すみません、 こういうケースを想定できませんでした。 後で、活字が大きくなった本を、小学生のとき中絶した一巻の途中から読み始められたとしたら 20年、一方最初から読み直されたとしたら2ヶ月とします。 要するに、頭の中に中絶したときまでの内容がかなり記憶されていたかどうかが決めてです。 読み終えなかったにしても、小6で『新・平家物語』だと、目のつけどころと、 意気込みとから、lovery_ritaさんはただの小学生ではなかったですね。 >タイポグラフィが変わることによって急にわかるようになることがあると 参考になりました。 >結局2ヶ月くらいかかったと思うのですが、頭に残ったものはあまりありませんでした。 >世界史を学びたいのなら他に良書がたくさんありそうなものなのに おっしゃるとおり、一口に本といっても、 本の分野によって読み終えるのに要する時間はまったく異なりますね。 私見ですが、1冊を読み終えるのに時間を要する傾向は、分野別にすると、 数学>物理>哲学>宗教>小説>実用書のような気がします。 歴史の本は読んだ事がないので、どの段階に入れていいかわかりません(汗)。 また詩集だと声に出して読んだりしますから、 読み終えるまでの時間はあまり意味がないかもしれません。 回答ありがとうございました。
- ghostbuster
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#8です。 訂正です。すいません。 ×『教業信証』→『教行信証』でしたね。 ほんとにこんなじゃ読める日は来るのか…。
- ghostbuster
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#6です。 お礼欄、拝見しました。 いささか(かなり?)ずれた回答だったにもかかわらず、丁寧に読んでいただいてありがたく思っています。 >一種の仕事として読む場合、おっしゃるように仕事のやり方で >コンスタントに読むのがいいかもしれません。 というのは、確かにその通りだと思いました。 私の場合、本を読むことがなんらかの形で仕事の一環とになるような職業に就く、という問題意識がかなり早い段階からありました。そのために、純粋に楽しみのためにだけ読む、というより、ある種の仕事として読むのが自分の傾向としてかなり昔からあったと思います。 >事前にその本を読むか否か判断される、選択基準をぜひとも知りたいです。 先に挙げた問題意識から、自分の「読み」を鍛える、ということは、いつも切実な問題としてありました。 「読む」というのは、きわめて個人的な営為としてあるわけだし、もちろん「誤読の自由」も読者には与えられている。ときにこの「誤読」が豊かな創造へとつながっていくケースもありえます。 けれども、ひとつの職業、言い換えれば社会的営為として考えた場合、「他者に向かって開かれた読み」というものが想定されなければならないのではないか。 個人の内だけで満足するのではないような。 自分の「読み」を鍛えるために、私はいつも「師」を求めていました。 何を読むか。どう読むか。 それは加藤周一の『羊の歌』(岩波新書)であったり、清水幾太郎の『本はどう読むか』(講談社現代新書)であったり、岩波新書のアンソロジー『私の読書法』『私の読書』などであったり。 外国文学に関しては、ナボコフの『世界文学講義』の影響を相当受けていますし(おかげでドストエフスキーの評価がどうにも高くなれない。いや、すごい作家だとは思うんですけどね)、『トルーマン・カポーティとの対話』の中であげられていた本から、作家としてはそれほど評価してなかったカポーティの本を見る眼の確かさを知ったり、サマセット・モームの『読書案内』は彼の人となりを語るものとして大変楽しく読みました。 いまでは読書案内的なものは読まなくなったけれど、それでも、人がどのような本を読んでいるか、には大変興味があります。 何を読んだらいいか、教えを請う気持ちは、いまも変わることなく強くあります。 店頭や図書館で何気なく手にとって、いきなり引き込まれる、という経験も、ごくまれにですが、あります。 けれども、ほとんどの場合は、参考文献や引用など、本にあげられている本をたどりながら読んでいくことが多いです。 いま寝る前に『日本霊異記』をひとつずつ読んでいるのですが(予定通りいけば三十九日で読了。たまにおもしろい夢を見ることができます)、これはこの前読んだ『日本人の歴史意識 ―「世間」という視角から―』(阿部謹也 岩波新書)の中で引用されていて興味を引かれたからです。『教業信証』も多く引かれていて、こちらにも興味はあるんだけど、どうだろう、これは読めるかなぁ。
お礼
本の選択に関し、回答いただき有り難うございます。 ghostbusterさんの読書の傾向と膨大な量とから、 行き当たりばったりの読書をされていないことは推測していました。 やはり、若い頃すぐれた師(読書案内)に出会う事が後の読書に大きく影響するようですね。 また、この段階をすすんで、引用文献から選択読みするようになると、師から卒業し、 読書もわが道を独立独歩している段階といえそうだということがわかりました。 確かに、本屋や図書館で気分に任せて本を選択して読んでいたら、 積み木を積んだり外したりするようなもので、いつまでたっても、 ghostbusterさんが言われる師に出会う段階すら到達できないです。 ナボコフの『世界文学講義』は覚えておきます。 またいろいろ教えてください。
- ghostbuster
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お久しぶりです。 最近このサイトも局所的にしかのぞかなくなったので、今日ご質問に気がつきました。 本をおもしろく読むコツは、ある程度のスピードで、一気に読むことだと思っています。 だいたい貧乏性で、読み始めたら最後まで読まずにはいられない、たとえ途中で投げ捨てたくなっても(たとえば『フィネガンズ・ウェイク』)、あまりに遅々たる進展具合にすっかり飽きてしまっても(たとえば『失われた時を求めて』)、延々と続く登場人物の描写に死にそうになっても(たとえば『ミドル・マーチ』)、どうやっても好きになれない主人公(および作者の世界観)にうんざりするようなことがあっても(たとえば『ヴィレット』)、とにかくほとんどの本はそうやって最後まで読んできました。 そういうことで、わざわざあげておきたくなるほど時間をかけて読んだ本はないな、と思っていたら、思い出した。 Paul Therouxの"My Secret History"です。 『わが秘めたる人生』というタイトルで、邦訳もされています。 この本は高校二年の夏休み、研究社の英和中辞典片手に、ノートに逐語訳しながら読み始めた本でした。 そもそも古本屋で見つけたペーパーバック、ポール・セローは大学に入ってずいぶん読むことになるのですが、当時は名前すら知らなかったのに、一体何を思ってそんなことを始めたのか。冒頭部分に出てくる"lead" という動詞が最初「暮らす」という意味にとれず、苦労したぐらいですから、考えてみれば無謀なことをやったものです。 作品は、まず第一部、作者が15歳だった夏休みから始まります。 カトリックの教会で侍者を務めるうち、魅力的な神父に会い、聖職につくかどうか考えたり、土砂採取場でダンテの『神曲』を読んだり、その一方で、女の子が気になったり。 一語一語ノートに写して、辞書を引き、訳語を選びながら、私は15歳の作者とともに夏の日を過ごしました。 一日に一時間か二時間ずつ、かたつむりのごとく読んでいったんだと思います。 夏休みの終わりがけ、やっと一章が終わったのを期に、なんとなくそれっきりになってしまっていました。 今年の正月、実家に帰省して部屋の掃除をした時に、そのボロボロになったペーパーバック(古本屋で手に入れたときから、すでに日に焼けていた)を見つけて、もう一度最初から読み始めました。 そしたら、なんともいえない気持ちになった。 「ある本を読み直すということは遠い昔のじぶんがその本を読んだことを読み直すことでもある、と詩人のぱくきょんみが書いている」と、翻訳家の青山南は本をめぐるとびきりステキなエッセイ『眺めたり触ったり』(早川書房)のなかで引いていますが、ほんとうに、その通りの経験でした。 小学校の低学年の時、何度か見ただけのカトリックのミサの様子を記憶の底から探り出しながら、辞書の言葉とつなぎ合わせていったこと。 主人公が感動した神父の説教を、どう感動していいのかとまどったこと。 マサチューセッツ州の土砂採取場と同じくらい暑いんじゃないか、と思った自分の部屋。 『神曲』のなかに“「卑猥な仕草」をした”という部分があった、とあったので、図書館まで自転車を飛ばして、ウイリアム・ブレイクの挿絵を確認したことも、読みながら思い出していきました。 結局、読了するまでに十余年がかかったことになります。 読み終えて得をしたかどうか。 作品と、昔のじぶんの二重の読み直しができた、という意味で、文字通り、得難い経験でした。
お礼
本当に、お久しぶりです。 いつも、高尚な回答有り難うございます。 >本をおもしろく読むコツは、ある程度のスピードで、一気に読むことだと思っています。 >だいたい貧乏性で、読み始めたら最後まで読まずにはいられない 私の場合、自虐的で欲深いせいか、面白くなるとできるだけ楽しみを持続させようと、 自分を焦らせるようにわざとペースを落とします。 これも一種の貧乏性でしょうかね。 一種の仕事として読む場合、おっしゃるように仕事のやり方で コンスタントに読むのがいいかもしれません。 >"lead" という動詞が最初「暮らす」という意味にとれず そういう意味もあるんですか、知りませんでした。 >『神曲』のなかに“「卑猥な仕草」をした”という部分 『神曲』は20年以上前に読んだのですが、 この部分も含め地獄編はいまでもはっきり覚えています。 ghostbusterさんのこの文を読んで、その仕草の直後、 蛇がこの男にあっという間に巻きつく場面が目に浮かんできました。 読むというより、現場に同行したという位に感じさせる詩は私には『神曲』だけです。 >そしたら、なんともいえない気持ちになった。 >作品と、昔のじぶんの二重の読み直しができた、という意味で、文字通り、得難い経験でした。 一生に一回あるいか無いかの極めて稀な体験ですから、 それにふさわしい言葉自体がないかも知れませんね。 当時の高校生のご自分と、現在のghostbusterさんと、ふたりで一緒に 読まれたような感じなんでしょうか。 ghostbusterさんが事前にその本を読むか否か判断される、 選択基準をぜひとも知りたいです。
- momo0701
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夢野久作著「ドグラ・マグラ」です。 文庫本2冊という短いものなのですが、文字を目で追っていても何故か頭に入ってこない感じで中々進みませんでした。 私も一時中断して落ち着いてからゆっくり読んだので1年近くかかったと思います。 折角買ったのだから読み終えたいという思いがあったので。 得は…したかどうか正直わかりません。ただ、こういった作品もあるのだな、と。 時間がかかる作品を読み終えたいとき、私は新しく本を買わないようにしています。そうすると読むものがないので自動的に残っているものを片付けよう、という気になります。 私が単純なだけかもしれませんが…。
お礼
momo0701さん、こんにちは。 不勉強で「ドグラ・マグラ」を知りませんでした。 文庫本2冊で1年間は私の判断からしても時間がかかった方になりますね。 >折角買ったのだから読み終えたいという思いがあったので。 確かに、読み終える動力としてこれもあります。 >得は…したかどうか正直わかりません。ただ、こういった作品もあるのだな、と。 なるほど、読み終えないことには評価が下せないです。 1作品を読み終えるということは、その良し悪しに関係なく、 自分の評価が下せるということだけでも大きな収穫ですね。 >時間がかかる作品を読み終えたいとき、私は新しく本を買わないようにしています この規則だと、次に強烈に読みたいのものが現れでもしたら、いやでも読み終えますね。 私は3作品位同時進行で読む習慣がついていますので、 つい、退屈になったものが後回しになってしまいます。 回答有り難うございました。
- zephyrus
- ベストアンサー率41% (181/433)
夏目漱石の「吾輩は猫である」を、 確か中学校へ上がる前の春休みに読み始め、 高校三年のとき読み終わりました。 足掛け6年ということになりますか。 分らないけど面白い、面白いけどよく分らない、って感じでした。 今でも時々気が向いた箇所を読み返すことがありますが、 あいかわらずよく分っていないようです(汗)。 岩波文庫版の「萩原朔太郎詩集」は、 これは一挙に読むべき本ではないな、と思って、 思い出したときに開いて一、二編読み、それ以上読まないで閉じる ということをくりかえしていたら、いつのまにか一年が経っていました。 考えてみれば、これほど贅沢な読書経験は後にも先にもありません。 (それだけを読んでいたわけではないですけども、故意に時間をかけたという意味で) 途中で投げ出した本はたくさんあるし、 読むべきでないと判断した本、 読みづらい本、肌にあわない本などいろいろですが、 時間がかかる作品を読了するには、やはり その作品に対する興味を失わないこと、それと忍耐心 くらいしかないのではないでしょうか。 そして、それだけ時間をかけながら、 身につく本もあれば、つかない本もある。 無駄もまた良し、でいいのではないですか? すべてを栄養に、なんて考えては肥満の原因です。 太った豚たるよりは痩せたソクラテスたれ。です。ちょっと意味あいが違いますが(笑)。 以下は蛇足。 プルーストの「失われた時を求めて」(筑摩書房・井上究一郎訳)を、 実は1978年に読み始めて、未だに読み終えていません(汗、汗)。 やたらに長いからというよりも(三段組活字で全5巻)、 読み切るのが惜しいという気持ちも当初はあったのです。 まだ全訳もされていなかったし(1988年に全巻出揃ったようです)、 次の巻に移る前に、いや、もう一度精読しておこう、なんて考えたりして。 こうした回答などで、この小説を引きあいに出したいのだけど 読了していないものを話題にするわけにもいかず、残念な思いをしていたものだから、 ご質問の範囲を逸脱しているのを承知で付け加えてしまいました。ごめんなさい。
お礼
>夏目漱石の「吾輩は猫である」を、 >足掛け6年ということになりますか。 高校生以下ではこの本が面白いと思えるような気がしませんので、 当時読み終わるまでの6年間持続された気力に感心しました。 作者がこの作品を書いた年齢で私は読みましたので、 ずーと惹きつけられ、11日間で読み終えました。 #1のphilipmorrisさんなら、1日だと言われそうです。 >岩波文庫版の「萩原朔太郎詩集」は、 >いつのまにか一年が経っていました。 >考えてみれば、これほど贅沢な読書経験は後にも先にもありません。 確かに言われてみれば、 これは最高に贅沢な読書です。 言葉としての「贅沢な読書」は裕福な余裕が感じがしていいですね。 >プルーストの「失われた時を求めて」(筑摩書房・井上究一郎訳)を、 >実は1978年に読み始めて、未だに読み終えていません(汗、汗)。 同志が見つかってにっこりしています、 広いようで狭いのは世間ですね。 同じ出版社・訳者のものを1983/5/23から読み始めて 同年8/19「スワンの恋」に入った部分で 私も完全に止まっています。 回答ありがとうございました。
- cat-and-dog
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トロルとばらの城の寓話 トールモー・ハウゲン ちょっと長めの話です。私はそこまで本を読むのが遅くはないのですが、これは約3ヶ月ほどかかりました。 一応全部読んだんですが、大変でした; 理由は、話の意味がわからなかったからですね。 話が飛び飛びなんですよ。 ちゃんと話が終わってない感じなのに、次の日になって新たな話になってたり。と。 最後の最後まで意味がわからない話でした・・・・。
お礼
>話が飛び飛びなんですよ。 >最後の最後まで意味がわからない話でした・・・・。 これは第一位に読むのをやめてたくなる理由だと思います。 でも、この状態を3ヶ月間維持して最後まで読まれたということは、 一旦やり出したら途中で諦めない強い意志を お持ちの方のようです。
スティーブン・キングの「IT」と、 小野不由美の「屍鬼」ですね。 分厚い単行本上下巻、しかも上下2段組活字。 読み終えて、大満足でした。 なぜ途中で放棄しなかったか・・・ エンタテインメント系の本だったからでしょうね。 ページをめくるのももどかしい、というヤツです。 すみません、所要日数は失念しました。 ちなみに、上記2作品とも、ホラーです。
お礼
>分厚い単行本上下巻、しかも上下2段組活字。 上を読まれたとなると、 かなり強い動機がおありになったのでしょう。 時間が掛かった理由は単に分量が多かったせいでしょうか。 >読み終えて、大満足でした。 時間がかかったものは読み終えた満足感も一入ですね。 おおよその所要日数も知りたかったです。
- philipmorris
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カラマーゾフの兄弟。 別格に長い本ではありませんが。 約5日で読みました。1日一冊で3日の予定でしたが・・ 本を読む時は出来るだけ時間を空けないように してます。 得とゆう表現が適正かは分かりませんが、読み終えてではなく、おもしろければ最後まで読むし、つまらなければ即古本屋行きです。
お礼
『カラマーゾフの兄弟』を約5日! 光のスピード並みに高速ですね、びっくりしました。 私はこれに9ヶ月掛かっています (途中でつまらなくなったので)。
お礼
north6さん、はじめまして。 >それはもう義務感以外になかったデス。自分に鞭打つ修道者ですよ。 なるほど、おっしゃるとおり、 読書には一種のマゾヒストでないと耐えられないような一面がありますね。 作者ビュドールは初耳です、 私の場合、作品でも読まない限りまず絶対覚えられない名前です。 回答有り難うございました。