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愛猫の苦しい最期と私の罪悪感
- 愛する愛猫が苦しんで死んでしまったことについて、私は深い罪悪感と後悔を感じています。長い闘病生活の末、彼女はついに苦しい最期を迎えました。私が一つのミスを犯したことが原因で、彼女は20分間も苦しむことになりました。私は彼女にどうやって償いをすべきか、悲しみとともに考えています。また、彼女がいなくなった後でも、日常生活に戻ることができず、罪悪感に苦しんでいます。
- 私は愛猫の死によって深い悲しみに包まれていますが、それ以上に私の心を負かすのは罪悪感です。彼女が苦しむことなく逝けたのかもしれない、もしあのミスがなければと悔やまれます。普通の日常に戻ることはできず、自分自身を許せません。ただただごめんねと言いたいのに、それ以上の言葉が見つかりません。他のペットたちにも愛情は注ぎますが、彼女を代えることはできません。
- 愛猫が亡くなった後、私は眠ることができますが、普段の生活に戻ることはできません。彼女との思い出がいたるところにあふれ、何をしても罪悪感に苦しむだけです。他のペットたちがいても、彼女の存在を補えるわけではありません。普段の生活に戻りたいという気持ちと、自分自身を許せない気持ちに揺れ動いています。どうやって彼女に償うことができるのか、私にはわかりません。
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何度か猫を見送りましたが、あなたと似た経験がないので気休めにもならなかったらすみません。 まずひとつ。 >わたしは異常なんでしょうか。 私はそうは思いません。 大切に可愛がっていた愛猫の最期としては、自分を許すには難しい事がありましたね。それに対して自分を責めてしまうのは当然ですし、他の子では代わりにならないのも当然で、目につく所に写真を置きたい気持ちも何となくわかります。きっと私も同じ事をするでしょう。 でも、たとえどんなに自分を責めても、あなたがその子のために、その子と一緒に頑張った三ヶ月を忘れないでください。 内容から察するに症状は深刻で、恐らく動物病院に預けた方が楽だったと思います。でもその手段を取っていたら、その子は最期、あなたの気遣う声もない、知らない場所で寂しく息を引き取っていたと思います。 最期だけ見てしまえば、自分を責めてしまうのも当然だと思います。きっと誰だってそうでしょう。今は前を向けないのも、普段通りにできないのも当然です。それだけその子が大切だったんですから。 とにかく、今はたくさん泣いてください。声を上げて子供っぽく、大声で泣き喚いてください。周りが気になるなら、お風呂場でシャワー流しっぱなしだと声が掻き消えていいです。 たくさん泣いて、たくさんごめんなさいって声に出して、そうしたら少し、その子の元気だったころの事を思い出してください。 なんでもいいです。 ご飯たくさん食べてたとか、このおもちゃが好きだったとか、良くここで寝てたとか。 14歳との事ですが、最期の20分のために、14年間のその子との思い出すべてを、罪悪感だけで塗り潰さないであげてください。 そしてふたつ。 >そのうち普通の日常に戻るんでしょうが これは多分、戻れません。一見戻ったように見えても、後悔は一生付いて回ります。忘れる事なんて出来ません。 でも、それを引き摺った上で、大抵の人は表向きの日常に戻ります。 ご飯を食べて、寝て、働いて、泣いて、笑って、そしてまたご飯を食べて。 それを許せないと思う気持ちも分からなくはないですし、今はそれでいいと思います。 ただ、どんなに自分を許せないと思っても、その気持ちも大抵の場合は次第に落ち着きます。だから今、無理に自分をコントロールしなくて良いんです。だって今は出来ないんですから。辛くて、悲しくて、自分が許せなくて仕方ないんですから。 無理に何かをしなくていいです。気力がないなら、部屋でぼんやりしてても良いです。 ただ、とにかくちゃんと、できるだけたくさん泣いてください。それで疲れたら寝てください。お腹が減ったらご飯を食べてください。 そうして少し落ち着いた時、ようやく自分の気持ちと向き合えるのではないでしょうか。 私はあなたの罪悪感を想像する事しかできないので、本当に気休めにしかならないかも知れません。でも、長く一緒にいた子なら尚更、まずはその子が逝ってしまった事自体に、ちゃんと涙を流していいのだと思いますよ。 後の事は、また少しずつ考えましょう。
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- ginga3104
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愛するものを失った後はそんなものよ。ましてや、自分のミスで苦しめたのなら。 もし、あの時こうしておれば?もう少し早く気づいてやれたら? って、後悔ばっかりだよ。でもさ、残された者達でまた日々を過ごして行くしか無いんだよ。 「最後にごめんね。許してね。これまでありがとう。残された皆で楽しく過ごすからね。また、あの世で会おうね。」 って、決意が先に逝ったものへの供養だと思うよ。