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エリートは紙一重の違いが分からない。
棋士の羽生善治はプロとアマで紙一重の違い。東大生は、紙一重の差。 これはよく言いますが、紙一重は紙一枚の事でエリートに対する差別的表現に繋がります。何が紙一枚の違いでしょうか?
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? どこが紙一重なのだろうか、見るからに次元が違うことが明白なのに 「馬鹿と天才は紙一重 」というのはわかる どちらにでもとれるような極めて見分けの難しい状況にあることをさすから しかし、東大生のそれは違うし プロ棋士とアマチュアは次元が違う 単に運の問題ではないというのは、明らかなことです 紙一重という表現がエリートに対する差別的表現につながっているというのはまったく見当の違う話ではないですか? 言葉の解釈としてだけ述べるならば、紙一重とはそれほど違わないということと同じです。重量が足りないのであれば単に紙切れ一枚分にしか過ぎない。 危機一髪と同じですよ。 髪の毛一本分で命が変わることは稀でしょうから
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- kuku82
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回答No.2
はじめまして 「紙一重の差」ということを言う人は、どちら側の立場の人でしょうか? つまり、「謙遜」なのでは無いでしょうか? どんなエリートも努力はされていると思います。 努力と感じるか、好きと感じるかは、その人次第と思いますが。 そういった方が、言われる「紙一枚」というのは、結局は「努力」だと思います。 才能ではなく、各人が自分自身でできる事・・・であれば、 それは、自分がどれだけ強い志を持ち、それに向かって努力するか? これを紙一枚に例え、 誰でも自分の気持ちの持ちようを変える事で、出来るんですよ。 と言ってるだと思います。 まぁ、実際に自分の気持ちの持ちようを変えるのが、一番重たい事なんですけどねw