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自分の特性と自己の中の他者
たとえば、国にたとえるのがどうかですけど。純粋に日本にすれば小さくなります。 中国や大陸、欧米などいろいろ影響をうけてできてます。でも日本(A)は中国(B)ではないですし、欧米(C)でもないです。 A,B,Cともに特性もっていて、A=Aですね。でも影響をうけてますね。 明治以降、ドイツの法律の影響をうけたとか。部分を影響を受けたりもします。 ドイツ、フランスの哲学のように世界にその特性が、構成要素となっていくケースもありますが。 他者がある部分で内在して模倣をしたり、影響をうけたりですけど、いったいどういうことでしょう?
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kaitara1です。前の回答の「・・・自信がない・・・」は「・・・地震・・・」がないでした。どうもすみませんでした。自己の成立には興味があります。自己あるいは自分には見る自分とみられる自分があります。逆説ですが、見る自分というのは他者と同じでみられる自分しか自分にもわかりません。おそらく見る自分というのは他者との関係で常に変化しているもので固定した実態としてはとらえられないものではないかと思います。みられる自分というのは見る自分の影のようなものですから、こちらも無限に変化しているのではないかと思います。また他者との係わり合いによって自分が変化しているという意味で他者は常に自分の一部になっているのではないかと思います。自分も固有の名前を持っていますから変化していないかのような錯覚を持ちますが、その実態は極めて流動的でとらえどころがないものに違いないと思っています。無理やり自分を固定した実体と考えると国なら国粋主義、個人なら狂信者に堕するのではないかと考えています。
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- kaitara1
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いわゆる世界標準のことでは。グリニッチ標準時とか日本が極東などと呼ばれていたりアメリカ大陸をコロンブスが発見したとか、いわゆる白人が標準を決めることが多いということでは。ハイデガーが道元を研究したという話もありますが…。フランスがベトナムから漢字を取り上げたなどというのはマイナスの標準化でしょう。ベトナムの損失は甚大でしょう。小学校から英語を教えてアメリカの将校に日本の兵隊が突撃を命令されるかも。他者が決めた標準をそのまま自分の標準できるかどうかは結構難しい問題だと思います。自信がないヨーロッパで発達した原発を日本に持ってきてひどい目に会っていますのもその一例では。
お礼
おっしゃるとおり、一種の基準かもしれないです。それも善い悪いのある。 ご回答ありがとうございます。
お礼
おっしゃる通り、流動的なものとも。 ご回答ありがとうございます。