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親の過去の記憶を聞くのが辛いです
最近、自分の親がネガティブだと思う事が多いです。 両親は70代です。 特に父親は戦争の時期に小学校に上がる前後の年齢だったのですが、 お父さんが戦争に行ってしまい、 母親と妹二人と親戚に家に世話になっていたそうです。 その親戚は母親の実家なのですが、 実家には姉家族が後を継いでいて、 姉妹間で生活水準に差があったようです。 自分の家は貧乏だったけど、 本家を継いだ姉は裕福な暮らしだったようで、 戦争の貧しい時代にも子供たちは甘いものを食べることが出来たようです。 その時に、その家の子供は甘いものを食べているのに、 自分たちの分はなかったそうで、 それをうらやましく思っていたそうで、 特に夏の暑い時期に、美味しそうに飲んでいたあるジュースが、 うらやましくてうらやましくて、 陰からもらえなくて悔しくて恨んだと言っていました。 大人になっていくらでもそのジュースが飲めるようになっても、 トラウマからなのか、絶対に飲もうとしませんでした。 私たちも子供の時にそのジュースを飲んでいましたが、 思い出したかのように何度もその話をされました。 その時は、なんてひどい親戚なんだと思っていましたが、 大人になると、父の思いに疑問も感じるようになりました。 本当にそれは父だけの記憶なのか? そこまで恨むほどの親戚だったのか? いつまでも根に持ってその出来事を語る、 「いまでも許せない」と思い続ける父の記憶が 実は上塗りされたうらみになっていないか? と思うのです。 でも、70年も前の出来事を最近特に鮮明に思い出すようで、 「ゆるせない。憎い」と思っているようです。 その記憶を違うように考えることが出来たら、 本人もとても楽になれると思うのですが、 何かしらその考えは違うよと言われると、 カッとして怒り出します。 とにかくいつまでも許せなくて憎いことを吐きだし続けたい。 解決しなくても言い続けたいようです。 家族はたまりません。 そのことが本当に父の記憶の通りなのか、 ジュースはもらえなかったけど、 食事や場所に世話になった感謝はどうしたのか。 感謝などするわけない。恨んでいる。 といういいぶりです。 それを聞き続けているうちに、 自分の両親が嫌でたまらなくなってきます。 母も最近、自分の兄弟の事を許せないことがあって、 ずっと恨んできていたのです。 人を恨み続ける感情を捨てきれないのは、 その人の生き方なのでしょうか。 それとも、老化と言うものがそうさせているのでしょうか? 最近では、過去の出来事を最近の事のように思いだし、 憎かった、意地悪だったと言います。 それを子供の口から注意を受けると 許せない気持ちが倍増して、イライラします。 でも、人の悪口ばかりいう両親の話を聞くのはうんざりです。 こんなに嫌な人間の姿を見せながら、 人は老いて行くのかと怖くなります。 過去の辛い記憶は誰でもあるし、 忘れることはなかなか出来ないと思いますが、 記憶はうまく消化したり、変えたりできるのではないかと 思う時もあります。 親を辛かった記憶から解放される方法など あるのでしょうか?
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- 783KAITOU
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お礼の文書を拝見しましたので再度失礼いたします。 親が戦中にお世話になった場所に行った方が良いというのは、そこに当時お世話になった家があるとか親族の誰かがお住まいになっているとかの問題ではありません。 あなたの親が手放せないマイナスのイメージを払拭するために、そのイメージを植え付けた現場に行って、現実の事実と重ね合わせることでイメージを払拭できるひとつの方法だと言うことを申し上げています。
- 783KAITOU
- ベストアンサー率43% (1758/4022)
●親を辛かった記憶から解放される方法など あるのでしょうか? ↑あります。親の恨み辛みの切っ掛けとなった、お母さんの実家に行くことです。行くといても家の中に入らなくても良いのです。近くまで行って、親の恨みの切っ掛けとなったおいしいジュースのこととか当時の暮らし向き、地域生活の有様を、今の現実を見て当時の自分たちの生活とか社会とかを思い出すといいです。 理由は、あなたの親は、当時の欲求が実現されなかったことに固執しています。そして、その固執が自分たちが思うように生きられなかった原因であるかのようにイメージとして頭の中に思い浮かべ、展開させています。この頭の中で固定観念として虚偽の事実が作り上げられているのです。何故虚偽だといえるのかというと、生活全般のことよりも好きだった「ジュース」のイメージが鮮明だからです。ジュースを恨みの第一義の理由のようにお考えになっているからです。 通常は、代わりの物は何か無いだろうかとか代理の物を探します。そうすることで飲みたいと思っていたジュースのイメージは消えます。このイメージが消えないということは、親の性格もあるでしょうが、欲求のイメージを更に鮮明に思い浮かべ続けるようになる。と、いうことになります。鮮明になればなるほど、自分の思うような人生では無かった。その根源はあのジュースであり、差別的待遇を受けたあの家での生活である。と、意味づけを与えてしまいます。 親の考え(イメージ)が正しいのかどうかは現実に体験した場所に立って当時の色々なことを思い出して考えてみることで、考えていたことと現実が合わなくなる場合があります。そこで、自分の考え方を修正した方が良いのでは、と気づきます。辛かった現場に行って当時の思いを浮かべてみることで現実原則の考え方を手に入れられるようになります。 例えばですが、子どもの頃に自分の家の前には大きな道路が通っていた。と、記憶していて何十年か後に尋ねたところ、大きな道路でも何でも無く今では細い生活道路に過ぎなかったことが分かる。と、いう体験の事例は多々あります。子どもの頃のイメージは現実と乖離している場合が多いのです。現実に即した考え方をすると人を恨んだり悔やんだりしなくなります。その理由は、もの事の「事情が分かる」からです。このひとつずつの「事情を分かっていく」という行為は大切です。
お礼
回答ありがとうございます。 当時の人間はもうこの世にいず、 父がすんでいた家も、今は別の人。親戚でもない他人がすんでいます。 私はその場に行こうと言う気持ちはないです。 そして、親が体験した辛い記憶を理解もできません。 それは親も私が体験した辛い記憶を理解することが出来ないからです。 ここに質問をして、回答をそれぞれ頂いて、 少しずつ整理がついて来ました。 みんな、誰しも自分が主役なのですね。 自分自身の感情と向き合えても、人の感情を理解することは 自分の生きてきた道から想像するしかないから、 両親の思いを理解することも、聞くことせず、 言わせておけばいいのかと思いました。 私がそれを心に入れないやり方を身に着けていこうかと思います。
- ecco
- ベストアンサー率23% (81/346)
No.6で回答した者です。 お礼文ありがとうございました。 親もずっと親でいられない、こどもになりたい大人もいる。 (大人や親になりきれない、精神的に未熟ないわゆるアダルトチルドレンということになるのだと思いますが) つまりは、あったかい愛情がほしいということなんだと思います。 質問者様も、ご両親には『親』として立派になってほしい、 という思いがおありなのかと思いました。 >「正論言われても、苦しさはかわらない。この気持ちをわからない」 と言われました。 お母様は、ただただ自分の気持ちを聞いてくれて、共感してほしいのではないでしょうか。 言ってしまうと、本当に『こども』の精神状態。 そこでアドバイスなどをすると、逆効果と言いますか…。 質問者様が仰りたいこと、お母様に分かってほしい気持ちももちろん大事なのですが、 お母様はまず、ご自身の傷ついた気持ちを質問者様に分かってほしいと思っているのだと思います。 お母様への対処法は子育て本を参考にしてみてはどうでしょうか、と思う程です。 >親は子供を思うままに傷つけてもいいのでしょうか・・・。 もちろん、そんなはずはありません。 でも、私もこの言葉で自分自身を振り返ると辛いです。 親として子供を守りたいと思っても、 過去の辛い出来事から逃れられず、大事な子供に嫌な思いをさせてしまう…。 ご両親も、本当に苦しんでいらっしゃるのだと思います。 >あんな親。大嫌いです。 ささります(^_^; 私も将来こどもに言われそうです。 でも、今の質問者様の率直なお気持ちですからそれも大事です。 ただ、ご両親が質問者様を大切に思って大事に育てていらっしゃったことも、 どうかずっと大事な思い出として大切にして頂きたいと思ってしまいます。
お礼
再回答ありがとうございます。 私。誰かに沢山話を聞いてもらいたいのです。 でも、親のこんな話なかなか全部話せないのです。 少し前まで、自分自身が健康だった母は 人を励ます人でした。 父も母も、平穏な時には今みたいなところは少なかったのですが、 今では自分たちの生活で精いっぱいで、 子供たちの状況など考えず、 自分の苦しさで精いっぱいです。 いつか両親を見送る時期が来るときには 良い思い出を沢山思い出したいです。 大嫌いな今の感情に支配されてしまっていく自分が苦しいです。
- ecco
- ベストアンサー率23% (81/346)
質問者様の気持ちも、質問者様のご両親の気持ちも、 なんだか切ないです…。 質問者様の立場だと、 大事なご両親だからこそ、 過去の恨みは水に流して、良くしてもらったことに感謝して、 幸せな気持ちで毎日暮らしてほしい。 なのに、恨みをずっと引きずっているのを聞くのが辛い。 でもお父様は、 大人になってからではなく、まだ物心もつくかつかないかの子供だったからこそ、 鮮明に記憶に残り続けてしまっているのかもしれません。 特に戦争という、とんでもない状況の時に子供だったわけで。 本当は子供らしい子供で生きたかったのに、時代も環境もそれを許されなかった。 しかも、同じ子供なのに差をつけられた。それをまざまざと見せつけられた。 心の一部は、ずっと傷ついて、傷が治らないで泣いている子供のままなのかもしれません。 今必死にその傷をどうにかしたくて訴えていらっしゃるんじゃないかと。 お母様も、ご兄弟だからこそ、さよならできる他人とは違って苦しんでいらっしゃるのかもしれません。 質問者様もそれは既に理解していらっしゃって、 でもずっとずっと聞かされるともう…という感じなのでしょうか。 思い切って、第三者の方に相談したり、話を聞いてもらうという手もありかと思います。 質問者様のことは大切に育てていらっしゃったご両親なのではないでしょうか。 質問者様の文章を拝見すると、そんな気がしました。 それだけに、余計おつらいのかと思いましたが…。 何にせよ、質問者様にとって大事なご両親です。
お礼
ありがとうございます。 確かに浮き沈みはあったものの愛情はもって育ててくれたとは思います。 暴力も暴言もありましたが・・・。 幸せだと実感した時期もあったと思うのですが、 幸せ感は持続しないですが、 負の感情は持続しやすい気がします。 昨日、何に対しても悪い事ばかり数える母に、 「いいことも考えて。良いことだってあるんじゃないか」とアドバイス的に言ったら、 「あんたは正論者だ」と言われました・・・。 「正論言われても、苦しさはかわらない。この気持ちをわからない」 と言われました。 それなら悪いふうに言えばいいの? と聞くと、「辛いからもう切る」と電話を切られました。 その前にも、様子を見に行った私に愚痴ばかり。 料理を作るのが大変だと、宅配弁当を進めたら、 試食してみたら「まずい。美味しくない」と文句。 何を言っても、文句。何を励ましても正論者。 親は子供を思うままに傷つけてもいいのでしょうか・・・。 あんな親。大嫌いです。
- microanswer0
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ご本人に乗り越える気がないのならその記憶の評価を変えるのは難しいだろうと思います。 だけど、嫌な思いでもあるでしょうが楽しかった思い出もあるはずです。 あなたが当時の話を積極的に聞いてあげて楽しかった思い出も掘り起こしてあげるとバランスが取れてくると思います。
お礼
ありがとうございます。 私は精神的にもろいまま成長してしまったので、 両親の思いを受け止めるような強さはなく・・・。
あなたの理路整然とした考え方は良く判りますが、 高齢であるかに限らず、人間は本当に嫌な想いを した場合、それを忘れて乗り越えることは出来ません。 そんなことはない、人間は理性で自分を高みに上げる 力がある、と単純に考えてしまうのは、自分が叩きのめされた 経験が無い人が、頭でしか考えられないからです。 人間は、その行動原理の大部分を意志では無く、習慣と 感情、損得、快・不快によって決めている、動物の一種です。 イジメもそうですが、イジメられる方も悪い、と真顔で 言う人は殆ど全て「自分はイジメられるようなクズじゃ ないけどね。」と内心ではさしたる根拠もなく信じています。 実際にそれが覆されて、自分がいじめの対象になった時、 その余りの理不尽さと人間不信に、性格まで変わってしまう。 それは体験してみない限り、「理解出来ない」のです。 だから、理屈でいくら直させようとしても、それはいじめと 同じ効果しか生みません。 親からしたら、例え我が子が親を思って言っていると頭では 理解できても、自分は理解されないという辛さを余計に感じ させられて、孤独感と理不尽な精神的苦痛をまたぞろ思い出させ られる拷問のようになってしまうのです。 あなたも例えば、リンチを喰らってボコボコにされ、友達も 「お前が悪いよね」、親も「そんな連中と付き合うからだ」と、 誰もあなたを癒してあげようとせずに、理屈で責めるばかりなら、 あなたは依怙地になって「僕の辛さなんて誰にも判らないんだ。」と 心を閉ざしてしまうでしょう。 同じことなんですよ。 では、どうすれば忌まわしい記憶を、苦痛を伴わずに思い出し、 そして忘れることが出来るようになるのか。 犯罪心理学者が日夜取り組んでいる難しい領域です。 でも、ヒントになるのは、記憶の再現、及び、鬱屈したトラウマ、 心の傷が癒されるカタルシス・・・精神の浄化作用があるシナリオ。 例えば、親御さんに意地悪した人が、懲らしめられて謝罪する、と いうシナリオです。 同じような場面を演じながら、同じように差別的な言動でストレスを 与え、そして正義の味方現る、じゃありませんが、意地悪した人が 目の前で懲らしめられてしょんぼりして謝る。 自分に理不尽な意地悪をした人が、他の誰かから懲らしめられ、 反省して自分に謝罪する。 それを赦せる気持ちが湧けば、それが辛い記憶の癒しになる。 一度や二度ではダメでしょう。 何度もいろんな場面で。 例えば、偉そうに親に説教する息子が、誰か他の人から 叱られて親に謝る。 演技でも、出来ますか? 心情的に「そんな惨めなこと、したくねーよ」と思ったら、 親御さんと同様に、理性では無くて感情で生きてる。 ということが、理解できるはずです。 誰かが、自分の傷つけられた尊厳や人権を、守り、 取り返してくれた。 という「感情」が、痛みを伴う記憶を浄化していく。 何故醜く怒るのかと言えば、心の傷の痛みに対抗する、 もっとも単純で簡単な方法が、相手を憎み、否定して 怒る、という感情によってなされるからです。 つまり、今でもまだ、痛くて辛い、のでしょう。 あなたは悪くない、私はあなたが間違っているとは 思わない。 私はあなたに味方する。 それが感じられる時、少しづつ孤独感は薄まり、 痛みの原因の一つである自虐・・・・決して認めたく 無いが、自分は差別されても仕方がない立場だった、と いう気持ち・・・内因性だから、なかなか風化しない 自虐とさえ言える自己否定。 それを取り除くことが出来るのは、社会の誰かが 「あなたは悪くない」と確信して言ってくれるから、 なのだと思うのです。 もしあなたが、理屈で傷ついた心の慢性的な疵と、 その中にばい菌を持って入ってしまったままの 自己否定を取り除いてあげられるとしたら、悪役に なって成敗されるか、徹底して親御さんの味方に なるか。 いずれにせよ、あなたが主人公なのでは無く、 あなたが脇役、或は黒子で、親が主人公のシナリオを 考える必要があるのではないか、と推論します。 ヒントにでもなれば幸いです。
お礼
ありがとうございました。 人には乗り越えられる力があると私は信じていますが、 両親は、自分自身が充実した生活を送れなくなると感じているときは、 嫌な事をことさら思い出すようです。 その性格は、やはり遺伝していて、同じような現象に悩まされることもあります。
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
Q、親を辛かった記憶から解放される術(すべ)などあるのでしょうか? A、あるにはあるが・・・。 >両親は70代です。 「既に時遅し!」だと思いますよ。 お父さんの少年・少女時代の待遇格差に対する怒り。それは、裕福な親戚への敵意と変質し、やがてそれは憎悪にまで昇華されていったという図式。その憎悪は、同じく近親者に対する憎悪を抱く伴侶の存在によって不動のものとなっていったということ。いわゆる憎悪の相互伝播効果、相互増幅効果が働いたとみることができます。 さて、同時代に生きた方々の多くは、似たりよったりの辛酸を味わっています。我が家の歴史も悲惨ですよ。明治末期に曽祖父が若くして病死。孤児となった祖父は親戚を盥回しに。成人して妻を娶って、やっと生家に戻り家庭を作ります。4人の子供をもうけてお家再興かとおもわれたが、あいにく日本は日中戦争に突入。そこで祖父が満州に渡ったのが二度目の悲劇の始まり。なんと、祖父は敗戦で敗走中に満州の地で病死。こうして、孤児だった祖父は借金だけ残して死して戻らず。山林も田畑のほとんどが人手に渡り、残された耕作地は家の周辺の猫の額ほどという有様。こうして、我が家は再びスーパー貧乏に転落。 私の幼少時代は、ちょっと今では信じられない生活でしたよ。まず、我が家には電灯がありませんでした。ランプの火屋の掃除が私の日課。食べるものもヒエやアワ100%。少し贅沢して麦7:米3の麦飯。おかずは味噌汁とタクワンのみ。洋服ではなく袷の着物に藁草履という出で立ち。3、4歳になると、終日留守番の生活が始まりました。みんな早朝から日が暮れるまで野良仕事。だから、独りぼっちもやむを得ないこと。そんな日常ですから私は小学生になっても自分の名前も書けませんでした。文字も書けないし、運動能力も最低最悪の小学一年生。 学校が終わると、下校の道すがら鶏の餌となる草つみ。そして、自宅につくと、鶏に刻んで与える。牛にも水とご飯。夕食の支度を終えると牛の散歩。来る日も来る日もこんな生活でしたね。こんな少年時代は、私に多くの消しがたい負の影響を残しましたよ。だって、同級生の多くが普通に出来ることが私にはまーったく出来なかったのですから・・・。多分、この頃の負の影響は死ぬまで消えないでしょうね。 >生まれた時が悪いのか? >それとも親が悪いのか? >みんな恨んで生きてゆくなら >それはたやすいことだけど でも、各自がいかに先の戦争の負の影響下にあろうとも、それに屈した人生を歩むのか?それとも、それを乗り越えていくのか?それは、一に本人の生き様の問題です。それは、決して、時代や親、あるいは親戚の責任に帰するべき問題ではありません。みんなを恨んで生きて、それで幸せになれる。そうであれば、それは実にたやすいことです。 一体、その怒りは誰に向けるべきか? 一体、その敵意はどのように処理すべきか? もって、内なる憎悪の火をいかに消すべきか? こういう内なる問いに答えを出すこと。これが、辛かった記憶から解放される唯一の術です。 PS、内なる問いの答に辿り着けなかった親への対応。 まあ、そうは言っても、「もう、せからしかー!いい加減、グチグチ言うのは止めんね!」と声を荒らげたくなるものです。 >そりゃー、お前、反面教師とするしかねーぜ! >せいぜい、自分がそうならないようにすること。 >親の心配より自分んの心配が先だぜ! とかなんとかが落としどころだと思いますよ。
お礼
ありがとうございました。
なんだか、切ないお話ですね。 私の母はもう13年前に他界しましたが、亡くなったのは70代半ばでした。 母はいつでも自分の姉をうらやみ、「姉ちゃんはいい。私は損した。」 これが口癖でした。戦前の生まれの人は多少の違いはあっても戦争によって 大きく人生を狂わされた人々です。 母は、地元の大地主の次女で、乳母日傘で育った生活が、農地改革で土地を取られ 家は没落し私の祖父にあたる人も病に倒れ、叔父にあたる長男も戦死し、とにかく 立派な家屋敷は薄汚い農家のようになり、蹲のある立派な庭も荒れ放題。 娘心にはその変貌は気も狂わんばかりのものだったでしょう。 これは、程度の差こそあれ、あの大変革の「戦争」経た世代に与えた影響は 並大抵のものではなかったということでしょう。 母は、屋敷の家督をついだ姉(実際は従兄弟を養子にむかえた)がうらやましくて 自分は知人の紹介で見合いした自分の夫(私の父)の不平不満ばかりを言っていました。 それでも世のサラリーマンに比べて、住宅の土地100坪以上をもらい、生活面 でも祖母にいろいろ助けてもらっていました。 しかし、死ぬまで姉を羨んでいましたね。 これは、そういう記憶から開放させる手段などなくて、いいたいだけいわせて やるしかないと私は思っていました。 質問者さまのジュースのお話・・これは小さいようで全然ちいさくない。 多分その背後に、何か深い思いが隠されているのでしょう。 ただ、単なる飲み物ですが、あの時代には「平等に分配」という考えはなくて 理屈に沿って差をつける。 そういう時代だったのだと思います。 平等に分配することで、富は富でなくなる。 ご親戚は、苦しい時代に押し付けられた食い扶持に業をにやしていたので しょう。ただそれは表に出せない。 それを、ジュースというささやかな(当時はかなり贅沢な)楽しみで うちの子と親戚の子に差をつける。 それは、別にお父様の親を恨む仕打ちというより、この時代の やるせない不満を「不平等な分配」によってぶつけてみたかった。 すこしだけ子供をいじめてうさばらしをしたい・・・ その感情が、ご親戚の「時代や運命を呪う気持ちが」幼いお父様の 心に焼き付いてしまったのでしょう。 この傷を癒やすにには、どこまでもお父様の「悔しさ」に寄り添って さしあげることしかないでしょう。 そういう時代にそういう人間の選択があったということを、知ってともに 悼むことがたいせつなのだと思います。 我々戦後の世代は、物が豊で、 なんでも均等に分配できる時代に生きています。 なくなればおかわりのでてくる時代。 しかし、自分の子供が夢見るように楽しむ飲み物を、どうして甥っ子に 分け与えなくちゃいけないのでしょう。 「ねぇ、おかあちゃん。◯◯ちゃんにもあげなくちゃいけないの」 「そうだねぇ。◯◯ちゃん、欲しい?」 「いいよ。僕 いらない。」 なんだか父上の悔しい気持ちが伝わってきます。 それを一緒に共感してさしあげることこそ、親子として必要なことでは ないでしょうか。 ちなみに、母の実家の資産への執着は 私の従兄弟が一括してして相続した土地に借金して建てた賃貸マンションが リーマン・ショック後の工場の海外移転で、空室になり借入金の 返済ができずに、従兄弟は首をつって自殺。借金は団信で一括返済されました。 なんだか歴代の親族の恨みが形になったようで、少々怖いですけど ともかく、私は母の無念は聞き流さずに共感をもって頷いてきました。 それが親子ですから。
お礼
ありがとうございました。 父の思いに寄りそおうと、若いころはしてみたこともありますが、 結局は何も変わらず・・。 親戚の事やそのような話は「世間話」と言います。 聞き流すのも辛いので、何かこちらの考えを言おうものなら 攻撃してきます。 矛先がかわるのです。 精神的にもろい性格が、一時は鎧を固めていたけれど、 今は年を取り、より表に出てきた様子があります。
- obrigadissimo
- ベストアンサー率23% (1613/7000)
ご質問を拝見していて、 【「聞き書き」に身内は不適である】という 「聞き書き」をしている人の話の意味の 再確認ができた思いです。まぁ それはともかく、 親御さんが同じことを何回も繰り返して言う機会が 増えていて、PTSDからの解放をお望みならば、 EMDR治療をお受けになられることが捷径で あるように思います。お勧め致します。 【過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる】 という言葉があるのですが……過去の事実は変えられないとしても 事実の受け止め方は変えられますので、大学生か 他の誰かに(然るべきお金を払って)口述筆記をして貰うことを 親御さんに勧めませんか。 自身で、記憶を大量の断片に書き出して、後で 「*」で繋げて纏めて、 自家製本で本にしてみることを勧めてみませんか。 いまいま、自分らしく生きられていないか、 フルフィルメントできていないとしたら、 それら可能になるように環境を整えてあげることも 有効な方法ではないでしょうか。 私の知り合いには、 100歳で油彩画を始めたり、90歳で文芸を始めたり などなどの人たちがいますよ。 All the Best.
お礼
ありがとうございます。 父は健康診断さえ病院嫌いで受けないので、 療法など受けるのは難しいかと思いますが、 そのような治療法があるのですね。 いつか自分のトラウマにも試してみたいと思いました。
お礼
再回答ありがとうございます。 父を理解するのはやめました。 先日母親に言われた言葉で心が折れました。 母があまりにも辛い辛いばかり言うので、 「良いことも考えてみたらどうか」と、言ったのですが、 母からは「そうできないから辛いのに、 あんたはお父さんににて、正論者だね。もう辛いから電話を切る」 と言われました。 体が不自由で介護を受けている母親ですが、 一項に良くならない自分の体が辛かったのだと思います。 ただ聞いてほしかったのだと思いますが、 その時の私は励ましてしまいました。 もう理解したいと思わず、 好きに悪口沢山の人生を送ってくださいと思うようにします。 今さら性格を変えるのも生き方を変えるのも無理だと思います。 過去をいつまでも引きずって、あいつもこいつも気に入らないと そういいながら生きていく親を見て 反面教師にしていこうと思います。