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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:貴方に訪れた人生の転機)

貴方に訪れた人生の転機

このQ&Aのポイント
  • 私がかつてトラック野郎のDVDを大人買いしたことから、人生の転機が訪れた。
  • トラック野郎の歌に心を揺さぶられ、自分の人生について考えるようになった。
  • 初めはトラックに乗るつもりだったが、突然大学進学を決意し、人生の方向性が変わった。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#208768
noname#208768
回答No.5

私も、同じネタですみません。 本当に悪い夢でも見ているようでした。 世界はいつでも思わぬところに陥穽を仕掛け、獲物が気を緩める瞬間を待ち構えているのです。 私がヘッドホンをはずすと、妻がまちかねたように口を開きました。 「17年も一緒に暮らしていて何も付かないのね。」 嫌な予感がしました。重要な話になると妻はもったいぶった言い方をするのです。私は妻の顔を見ました。 髪型は変わっていません。(と思います)。新しい服を買った様子もありません。もとより私に妻の服は見分けがつきませんが。 「私のことなど見ていないのだから、無理もないわね。」 思い出させる機会を与えるかのように妻は沈黙しました。 正月休みの最後の休日の昼近くでした。小学生の子供たちは遊びにでかけていました。社宅のテラスハウスの居間の窓ガラスから隣の家の瓦屋根越しに晴れた冬空が見えました。大きな羽の鳥が弧を描いて行き過ぎました。私はカラオケの練習をしていたところでした。 「私、浮気していたんだよ。」 妻は見逃したテレビドラマの展開を教えるような口調でそう言いました。 私はもう一度妻を見ました。妻は膝を揃えてソファに浅く腰掛けていました。膝の前で手首を交差し掌で膝小僧を掴んでいた。上腕に挟まれた小さな胸はその形がわかるほど脇に締め付けられていました。浮気していたら隠すのが普通でしょう。自分から告白して妻は私にどういう反応を期待したのでしょうか。 「知っていたよ。多分そうじゃないかと思っていた。」 そこまで関係は乾いていません。 「仕方がないさ。俺だって仕事仲間の女性と何度も寝た。お互い様だよ。」 そう答えればよかったのでしょうか。 私は仕事仲間の女性と二人で幾度も食事をしていました。妻はそれを深い関係と疑っていました。視察旅行で行ったニューヨークで団体を離れ夜遅くまで酒を酌み交わしました。SOHOやグリニッジビレッジのショップを見て歩いたりもしました。でも互いに既婚だったから仲のいい友達以上にはなりませんでした。相手がプランニング会社のディレクターで私がクライアントという立場だったからです。 私は確かに相手に恋心を抱いていました。しかしより親密になりたい気持ちを行動に移せば仕事がダメになることはわかっていました。擬似恋愛は仕事を楽しくする潤滑剤のようなものでした。 私が戯れに書いたラブレターを妻が読んで激怒したのは確か告白の4年前のことでした。謝って決着がついている筈でした。妻は相手の事務所にまで電話して『私とご主人は仕事のパートナーです。仕事仲間以上の関係はありません。』と言われたのでした。今ごろ蒸し返す話ではないと私は思いました。 「私が浮気していたのに、あなたはまったく気がつかなくて。」 妻は続けました。当てつけに嘘を言っている雰囲気ではなさそうです。 「幾度外泊しても、女友達と飲み会だといえばあなたはそのまま信じていたわね。」 私は記憶を辿りました。数年前口論の末、妻が飛び出しその夜は帰ってきませんでした。実家に泊まったとばかり思っていました。妻は二か月に一度は飲み会だと言って朝帰りをしました。そういえば翌朝は妙に晴れ晴れとした顔をしていて機嫌がよかったです。あれはうしろめたさを隠す演技だったのかもしれません。 前の年の夏には妻は一人で旅行に出かけていました。ひとひとつ思い当たる節があった。鼓動が早まり胃液が逆流するのを感じました。 「本当なのか。」 と確かめると 「浮気していましたなんて冗談で言える?」 と妻が答えました。 気が付くと私は手を振り上げ妻の頬を強く打っていました。 驚いた表情の妻は、泣いて謝るでもなく言い訳をする風でもありませんでした。むしろ独りで激昂している私を不思議そうに眺めているようでした。 「相手は、誰なんだ。」 訊かれて浮気相手の住所氏名を正直に答える女はいません。 「俺は信じない。お前が浮気などするはずがない。本当なら相手はどこの誰か言ってみろ。」 浮気相手は妻の学生時代の恋人でK山というようでした。今は愛知県のT市に住んでいる。ここまで聞き出して私はすぐに家を飛び出しました。出る前に一応妻宛の年賀状はチェックしました。K山から妻にあててものはみつかりませんでした。東京駅の八重洲の地下街に全国の電話帳を集めてある場所がありました。そこでT市のK山という登録者の番号と住所を手帳に書き写しました。15人ほどでした。住所は町名までしかわかりませんでしたが、あとはなんとかなると思いました。新幹線に飛び乗り車内の電話でしらみつぶしに電話をかけました。K山は高校教師であることはわかっていました。「K山先生の御宅ですか」と聞けばいい。「K山ですがどちら様」と怪訝そうに問い返され私は幾度も電話を切りました。 10件目でつきとめました。 T市の駅前の公衆電話から再度かけると、果たしてK山は家にいました。経緯を話して詰め寄るとK山は一切知らないとシラをきりました。 「ミユの名誉のためにも言うが誓ってやましいことはない。」 頭の悪い男だった。浮気相手の名を本で○○さんと呼ばず聞きなれぬ愛称で呼ぶ時点で自白しているのも同じだった。しかしここまできてもまだ私は事態を事実として受け止めたくありませんでした。 「あなたは、どこまでお人好しなの。相手が奥さんと寝ましたなどと言うわけがないでしょう。私があなたに嘘言ってどうなるの。」妻の話が嘘であってほしいとい一縷の望みから自宅に電話した時、妻はそう答えました。K山の自宅に行き彼を呼び出しました。 「小学生の娘がいきなりトラックに跳ねられたら悲しいだろうな。」 「子供とこれとどういう関係があるんですか。」 「あんたは俺を怒らせた。世の中には金を積めばどんな仕事でも引き受けてくれる人はいるのだよ。」 まるでTVの凶悪犯です。でも仕方がない。このままでは引き下がれない。 K山は観念して私に従いました。新幹線代がないというK山を東海道線の列車に乗せ東京に連れ帰りました。 乗り継ぎながらの5時間は長かったです。車中でK山は妻との一部始終を話しました。妻がK山の元を訪れ港にドライブしたあと妻の宿泊しているホテルで交わったこと。その後もK山がしばしば東京を訪れそのつど妻を抱いていたことも。 K山は何を話しても少しも申し訳なさそうに見えませんでした。自分が優位で、寝取られる男が愚かだという意識で語っているのが私にもわかりました。K山は自慢話を語るように嬉しそうだったからです。 電車の中でK山を殴りかからなかったのは周囲に乗客の姿があったからで人目がなければ私は何をしていたかわかりません。 東京につくとK山をタクシーにのせて自宅まで連れてきました。 K山は玄関ドアの前で普段着のジャージー姿のまま蹲っていた。 「K山を連れてきたぞ。」 「どうするつもりなの。」 「俺の見ている前でK山と交わってみせろ。」 「子供たちもいるのよ。」 私の頭が少しだけ冷静に戻りました。 「もう終わっているんだから。今更蒸し返してもはじまらないわ。」 妻の冷静な口調が私の感情を逆撫でします。 「せめてK山の顔でも見てやれよ。みっともなくしょげて玄関の前で蹲っている。」 「一体何をどうしたい訳?」 「知るもんか。泣いて謝らせる。そしたら小便でもかけてやるか。」 「やめなさいよ。傷害罪で訴えられるわ。」 遥輔は蹲る男が震えているのを見た。寒さを堪えて震えていたのであろうが、笑いを堪えているようにも見えました。 「ふふ。もういいでしょう。これでご主人がどれだけ奥さんを愛しているかわかったのだから。」 そう言って今にも起き上がってくるのではないか。すべては打ち合わせた芝居なのだと言ってくれたら。しかしK山は怯えて座り込んで俯いたままでした。 私は、犬を追い払うように、K山を追い返し、何もしませんでした。 テラスハウスの玄関前に立ち尽くし私は悔しさと情けなさで身体が震えました。一月の夜の寒さも身に沁みました。 玄関の鉄の扉がひどく重かったです。扉の向こうには別の世界に変わってしまっている気がしました。 頭の中に幻覚が浮かびます。 妻は確かにいつもと同じ服を着て同じ髪型で、しかし振り返ると別の顔をしている。別の顔が口を開きます。 「だから、一体何をどうしたい訳?」と訊きます。 「あなたは少しも気づいていないけど、子供たちも実はあなたの子ではないのよ。」 二階の子供部屋から子供たちが降りてきます。 「静かにしてよ。明日からまた学校なんだから。」 子供の顔は3人ともK山の顔になっています。 高校時代に文通で知り合って大学時代に再会し通算25年にわたるつきあいは、永遠に続くと思っていました。 この事件を境に私の人生は公私ともに大きく変わりました。 妻は、私にとって守護神のはずでした。守護神に梯子をはずされたら、仕事の自信も 総崩れでした。しかし守護神がなくなれば監督もなくなりました。 そうなれば野に放たれた荒ぶる性器と化して世の人妻を次々とナンパしまくる それ以外に心の傷を癒す手立てはありませんでしたね。 しかし、捨てる女神あれば拾う女神あり。荒ぶる性器も収まりどころをみつけました。 女神というのは、それぞれ得意技が違っているようで、以前の女神(前妻)は出世運はよかったですが、金運がダメ。へんなときにマンションを買って大損くらったり 株など博打の才能はゼロ。 いまの女神は、貯金はできないけど買い物が上手い。もちろん株も不動産も目のつけどこ がいい。私の稼いできた金を気持ちよく使ってくれますが、いままでなんとかなっています。有難いことです。

isoken
質問者

お礼

ex さん、こんばんは。 >私も、同じネタですみません。 いえいえ、 ex さんが織り成すストーリーは、毎回アングルと切り口が異なりますから、とっても新鮮です。 さて書き下されたその全編を真剣に拝読しましたが、私が口を挟める箇所は少ないでしょう、だって私は ex さんがまだ元奥様に特別の感情を抱いてらっしゃると勝手に理解しておりますから ( 違っておりましたら御容赦頂くしかありませんが・・)。 依って以下興味深い点のみ、抜粋したいと思いますが、それにしてももっとましな男はいなかったのか、仮に私が ex さんの立場でもそう思ってしまいます。 >髪型は変わっていません。(と思います)。新しい服を買った様子もありません。もとより私に妻の服は見分けがつきませんが。 女性の髪形は鬼門ですねぇ。 家内から同様の問い掛けをされましたら、私も直ぐに髪を見ちゃいます。 これはもう条件反射、カットしたのにいつも気付いてくれないと何度も怒られましたから・・。 >「私のことなど見ていないのだから、無理もないわね。」 >思い出させる機会を与えるかのように妻は沈黙しました。 それにしても自ら浮気話を切り出した奥様の真意が、私の様な凡人には理解不能です、浮気を問い詰められてシラを切り通した経験なら何度かありましたが・・。 夫婦仲が或る種の動脈硬化にあると勝手に思っておられたのでしょうか、そこでリスクを覚悟で良い方向への反作用を期待して自らが一石を投じてみた・・、いい方に解釈するとそう取れない事もない、でも無理があるのも確か。 >頭の悪い男だった。浮気相手の名を本で○○さんと呼ばず聞きなれぬ愛称で呼ぶ時点で自白しているのも同じだった。しかしここまできてもまだ私は事態を事実として受け止めたくありませんでした。 奥様を愛称で呼ぶ事に何等かの悪意が感じられればまだしも、恐らく残念ながらそれが素の姿、つまり相当頭が悪い人物と断じざるを得ませんねぇ。 これが負けたと思わせるような男性であったならば、 ex さんにも一抹の救いがあったのでしょうが・・。 まあ K山氏に関してはコメントのしようがない、ただただ残念な人としか申し上げられません。 そもそも他人様のものに手を出すのが間違いなのでしょうが、万に一つ悪魔に魅入られたとするならば、全てが露見した際にはそれ相応の痛みを負う覚悟を持つべきでしょう。 それは金でもいい、身体の痛みでもいいのですが、彼には何の覚悟も無さそうです、話を聞く限り魅力ある中年とはとても思えません。 >女神というのは、それぞれ得意技が違っているようで、以前の女神(前妻)は出世運はよかったですが、金運がダメ。へんなときにマンションを買って大損くらったり株など博打の才能はゼロ。 全ての運気を高める女神はそれはそれで怖い気がします、何事もほどほどが一番でしょう。 >いまの女神は、貯金はできないけど買い物が上手い。もちろん株も不動産も目のつけどこがいい。私の稼いできた金を気持ちよく使ってくれますが、いままでなんとかなっています。有難いことです。 使いっぷりの良い奥様とそれを許容出来る旦那様、きっと収まるところに収まったんじゃないですか。 さて私は無駄な金を使わない人間は嫌いでして、一緒になって以来別財布の嫁さんには 「 自分を磨く為にじゃんじゃん浪費してくれ! 、足りなきゃ俺がやる 」 、いつもそう申し渡しております。 回答ありがとうございました。

isoken
質問者

補足

ex さん、こんばんは。 実はお礼を書いている途中ですが、膨大な量になり疲れてしまいました、直前が kamejrou さんへのお礼だったという事情もあります。 御両所に並ばれると少々厳しい、・・という事でお礼が明日になる事お許し下さい。

その他の回答 (17)

noname#216458
noname#216458
回答No.18

こんばんは。いつもお世話になります。(笑) ぼちぼち締め切りも意識されていたのでしょうけども... 申し訳ありませんが、おじゃまします。lin(_ _)imo 奥方様のお身内にご不幸があったそうですね。ご心痛をお察しします。併せて、心よりお悔やみ申し上げます。 とは言え、毎度のことながら、旺盛なサービス精神でこのアンケート・カテを盛り上げてくださる、アンケート・カテの越後屋さん、こと、敬愛なる磯賢先輩の知られざるエピソードを伺い知り、驚くばかりです。(笑) そうですか、あれを全巻まとめ買いされた...それはそれは恐れ入りました。 やはり、我が国娯楽映画の一大金字塔でしたね。文太兄ぃもキンキンもいい味出してましたねぇ~... (まさか、ひょっとして、当方の愚問“愛川欽也さんを偲ぶ”が購入動機となったとか?....まっ、そんなことはありませんでしょうなぁ~...) 「 男の旅は一人旅 女の道は帰り道 所詮通わぬ道だけど 惚れたはれたが交差点 」 やはり、この一節に共感を覚えるかたは多いんですね... 他のご回答、及び、それらへの丁寧なお礼等、きょうの昼より、逐次、大変興味深く拝見しております。 さて、「転機」とは事態が進展、好転するきっかけのこと... はてさて、これまでも恥を忍んで時折ご報告申し上げたとおりの転落を続ける我が人生、どこに、その「転機」とやらがあったのか、疑問に思うことしきりでして、今回ばかりは回答を辞退しようか、とも思いましたが、自身が立ち上げた他分野での愚問への回答が付かぬことを良いことに、いつもの宴の後の酔った勢いでの“乱入”に、どうかお許しを願いたく候... 誠にもって、実に悩むのでアリマス。(苦笑+汗;) まぁ、強いて言えば、中学のときの岐路の選択として、普通科高校ではなく、工業高校を選んだことでしょうかね... (転落人生の全ての始まり、の感が個人的に強いのですが...苦笑+汗;) 我が母校は、今現在も、工業高校としては理工科系大学への進学率、大手企業への就職率ともに全国的に見てもトップレベルの実績を誇ります。 在学中も両親は大学への進学を薦めましたが、当時、働くことに意義を感じていた私は、無事、学校の推薦も取り付け、バブル期が過ぎてから辛酸を舐めさせられた、あの会社に就職しました。 最初は、工場の現場部門で製造技能職として働く身でした。 なにがどうなったのかわからないまま、「KISS」の名古屋公演を見終わった後に、何の因果か「花のお江戸」に「営業職」として赴任、その後は...もう、よろしいでしょう。(笑) 6年前のリーマン・ショックで倒産した会社に勤める前に、少しだけ“トラックの運転手”をした経験も有りますが、そんなに生易しいものではないし、そんなにロマンチックなものでもなかったですね。 憧れだけで職業は選択できないもんだなぁ~、と、つくづく思い知らされたことを思い出します。(苦笑+汗;) あのデコトラ(アート・トラックと呼ぶのが正しいそうですが...)の改造費には、それこそ給料の何倍・何十倍ものカネを注ぎ込まなければならないし、もちろん、あのままでは「車検」も通りません。 その昔(あの映画が流行った遥か以前の時代なら)、長距離トラックの運転手は「高給取り」として持てはやされたでしょうがネ... それにしても、このサイトは見づらくなったし使いにくくなった... 敬愛なる磯賢先輩しかり、同じく亀御大将、ミスター・エックス氏しかり... 皆さん、超人気会員様なので、付くご回答の量(書き込み量)がハンパじゃない。 とくに亀御大将がご質問を立ち上げられたら、あっという間に多くのご回答が付き、当方が回答を投稿しようとしても既に締め切られていることばかりです。 それらを全て眺めるのは、苦難の連続でした。 まず、OKWaveのトップページを開いて、アンケート質問一覧を開き、そこからお気に入りの会員様を探す... アイコンが無い会員様やサイト提供のイラストアイコンの会員様だと、これも一苦労、そして質問ページを開いて、やっと質問にたどり着いたら、「回答を全文表示にする」作業をしなければならない... 我が旧式のパソコンでは、ひとつひとつの画面を読み込むのに、時間のかかること、かかること...(そのうちフリーズしたりして、フラストレーションは高まるばかりデス) 今は、当方の質問にあったご回答のとおり、このサイトの別機能で閲覧しながら投稿しております。それにしても、めんどくせぇ~なぁ~(爆!) 新しいパソコン及びネット環境を手に入れたいのは山々なれど先立つものが... それから...投票の機能は、やはり必要、と感じます。(そのアンケートにも書き込みしましたが...) なかには、とんでもないご意見表明や的外れも甚だしい回答も存在しますしね... ただ、ご指摘のとおり、件のご回答をはじめ、今回は、やけに「そう思わない」が多く付いているなぁ、と感じたのも事実、さてさて、どこぞの暇人の所業か... それにしても、もし、これが独りの暇人の手で行われたとしたら、「滑稽」を通り越して「哀れ」さえ感じます。(苦笑+大汗;) (そう思わないにマルだったら、オイラの愚答がイチバンでっせ 爆!) アイコンを変えています... このカテゴリーで、また質問する機会がありましたら「リニモ」の画像に変更しますので、お見逃しなく....(苦笑+汗;) しばし、アンケートカテも含め基本的に閲覧、場合によってのみ回答の活動とさせていただきます。 まっ、他人(ヒト)からみれば転落の人生なれど、本人は、その環境を、それなりに楽しんでおります。(笑) ついつい長々と書き連ねてしまいまして、大変申し訳ありませんでした。どうかご容赦願います。 おじゃましました。(笑)lin(_ _)imo

isoken
質問者

お礼

linimo さん、おはようございます。 >奥方様のお身内にご不幸があったそうですね。ご心痛をお察しします。併せて、心よりお悔やみ申し上げます。 恐れ入ります。 皆様から暖かい御言葉を賜りまして、もうありがたいやら恐縮するやらでして何とも・・。 >そうですか、あれを全巻まとめ買いされた...それはそれは恐れ入りました。 >やはり、我が国娯楽映画の一大金字塔でしたね。文太兄ぃもキンキンもいい味出してましたねぇ~... >(まさか、ひょっとして、当方の愚問“愛川欽也さんを偲ぶ”が購入動機となったとか?....まっ、そんなことはありませんでしょうなぁ~...) いや、そのひょっとしても購入理由の一つかも知れません、まあ正直言えばただ何となくなんですが・・。 ところで文太さんは勿論の事、あの映画では欽也さんがとってもいいですねぇ、ジョナサン夫婦とそのガキんちょ共が何とも重要な役割を担ってる、一服の清涼剤との印象です。 >「 男の旅は一人旅 女の道は帰り道 所詮通わぬ道だけど 惚れたはれたが交差点 」 >やはり、この一節に共感を覚えるかたは多いんですね... 私は男女の機微を道になぞらえたこの歌が大好き、カラオケで結構歌います、車の運転中に独りで唸る事もある。 よくよく検証するととっても含蓄が深い内容でして語呂もいい、気取った歌じゃない点もまた良しです。 男と女なんて所詮惚れた腫れたでしょう、気持ち以外の部分が加わりしかも飾っちゃうから、話がややこしくなるんでしょう、きっと・・。 >まぁ、強いて言えば、中学のときの岐路の選択として、普通科高校ではなく、工業高校を選んだことでしょうかね... >(転落人生の全ての始まり、の感が個人的に強いのですが...苦笑+汗;) 私は中高一貫の私立普通科に行きましたから、元々その選択肢は無かったのですが、仮に有ったとしても正直絶対に避けたかった、だって工業高校は女の子が少ないって聞いてましたから・・、ただそれだけの理由です。 >我が母校は、今現在も、工業高校としては理工科系大学への進学率、大手企業への就職率ともに全国的に見てもトップレベルの実績を誇ります。 工業高校・商業高校共に真面目にそのカリキュラムをこなそうと思えば、相当ハードなんでしょうねぇ、結局進学校で勉強するつもりがない学生が、最も堕落した学園生活を送ってる、私なんてその典型でした。 >在学中も両親は大学への進学を薦めましたが、当時、働くことに意義を感じていた私は、無事、学校の推薦も取り付け、バブル期が過ぎてから辛酸を舐めさせられた、あの会社に就職しました。 或る一定以上の大学卒という資格が、大手企業幹部候補へのエントリー・カードであるのは確かにその通りですが、実は私自身大学進学の意義をさほど感じません、もし人生をやり直せるならば、中卒で職人の道へというのも有りかなって思うほどです。 まあかつての私のように勉強する意思が無く、ただ何となく進学するといった輩は、一刻も早く社会に出た方が良かったのかも知れない。 逆に linimo さんのように志のある方こそ、大学に進学して企業の中枢を担うべきでした。 >最初は、工場の現場部門で製造技能職として働く身でした。 なにがどうなったのかわからないまま、「KISS」の名古屋公演を見終わった後に、何の因果か「花のお江戸」に「営業職」として赴任、その後は...もう、よろしいでしょう。(笑) 決して上から目線という訳では無く、高卒技術職には稀な例じゃないでしょうか、真面目で優秀、 linimo さんは目を掛けられていたのだと御察しします。 >憧れだけで職業は選択できないもんだなぁ~、と、つくづく思い知らされたことを思い出します。(苦笑+汗;) 結局そうなんですよね、どんな職業もそんな生易しいものじゃない、生活が掛かれば尚の事そうでしょう。 ドライバーには彼らなりの御苦労がある、面白おかしい映画の世界とは違うでしょうから。 >とくに亀御大将がご質問を立ち上げられたら、あっという間に多くのご回答が付き、当方が回答を投稿しようとしても既に締め切られていることばかりです。 私なんかどうって事ありませんが、 kamejrou さんにはファンが多くて、質問を立ち上げると同時に目ざとい回答者が殺到するもんだから慌ててお閉めになる、依って私が帰宅して目にした頃にはもう回答出来ない、兄さん!もっと開けておいて下さいと・・。 ただねぇ、こりゃもうしょうがない、特定の個人を意識すると窮屈な世界になります、互いに回答が義務になっちゃうのも正直面倒ですし。 >それから...投票の機能は、やはり必要、と感じます。(そのアンケートにも書き込みしましたが...) 私は礼儀知らずの面倒臭がりですから、ありがとうボタンは推した事が無い、お礼を以って感謝の気持ちとさせて頂いておりますが、それと同じでそう思うも思わないも押した事がありません。 >ただ、ご指摘のとおり、件のご回答をはじめ、今回は、やけに「そう思わない」が多く付いているなぁ、と感じたのも事実、さてさて、どこぞの暇人の所業か... >それにしても、もし、これが独りの暇人の手で行われたとしたら、「滑稽」を通り越して「哀れ」さえ感じます。(苦笑+大汗;) 恐らく一人或いはごく少数に依る仕業でしょう、そうそう悪意の組織票があるとは思えない・・。 まあ御愛嬌程度ならいいんですが、悪意が感じられるとどうも・・、それと自分になら一向に構わないのですが、御回答頂いた方へとなると私の方が腹が立っちゃう、皆さん気にはしてないとは思いますが・・。 >まっ、他人(ヒト)からみれば転落の人生なれど、本人は、その環境を、それなりに楽しんでおります。(笑) 大いに転落して ( 失礼! ) 人生を楽しんでください。 取り澄ましお上品な人間には決して味わえない世界も確かにある、それが結構楽しいのは私も知っておりますよ。 何しろ人間死ぬ時は畳1畳あれば事足りちゃう、あの世へ金や名誉を持って行ける訳でもない、私もスッカラカンで一生を終ろうと思ってます。 回答ありがとうございました。

回答No.17

No.15です。再度失礼します。 ご近親の方の逝去があらせられたと・・・ご配慮至らず申し訳ございませんでした。心よりお詫び申し上げます。 私も40代後半、isoken さんは50代・・・近親者の年齢も高齢化して、否応が無しに”死”に向きあわざろうえなくなる・・・。 人は歳に関わらず、幾歳でも、心痛の想いは変わらないです。我が身より若い命はさらに心痛ですが・・・。 私も20代で直系親族全員あの世です。子供はいるも実質は天涯孤独?(笑) 前回答の叔父、50代、あの時の面会が最後でした。都内の某病院のラウンジで話したのがまさか最後とは思っても見ませんでした。 彼は生粋の研究職でしたが、それを含めオールラウンドプレーヤーでした。私が他のご回答でも挙げて経済精通の方にはマイナーなゼネコン汚職(超有名!)~談合等に繋がる時期、彼は背後で苦慮していました。私も多少関わる身で影響もあったので、当時の叔父の面持ちも蘇ります。 その際、叔父がふっと話した言葉が、何があっても奢らず虚勢を張らず芯は失うな・・・愚直に捏造せず誠心誠意であるべき。 最初きれいごと・・・ではない。未だ周囲には高尚で崇高な学識やお立場ながら明らかに?な人がいます。私は低俗なのでなおさらダメですし言う資格もないですが・・・。どこかおざなりの流され気味の自分には、明確な道標と今後の心情とする大事な転機でした。 この頃、当該企業の末端の端くれの私ですが、因果による問題、そして官民の齟齬や諸問題に際する時、時代の転換と自分だけの世界(管轄)だけではない、稚拙ですが大事な転換期となりました。 もし、当時の紙コップの中のしらす干しなら・・・叔父の言葉とこの時期の出来事から転換⇒教訓にもなりました。 しかし今も器のサイズは大して変わらずお恥ずかしい・・・。 極私的な、でも一般的かと存じますが、吐露しました。 最後になりますが、ご冥福をお祈りします 合掌

isoken
質問者

お礼

Marennes さん、おはようございます。 >ご近親の方の逝去があらせられたと・・・ご配慮至らず申し訳ございませんでした。心よりお詫び申し上げます。 とんでもありません、御厚情にただただ感謝するばかりです。 それにしても女性とは大したものですねぇ、自ら死期を悟ったその瞬間から以前にも増して精力的に動き回り、予てより心残りだったその全てを自ら処理してあの世へと旅立ちました。 そこには微塵の悲壮感も無かった、ただただ全てを運命として甘受し自分が為すべきを余す事無くやり尽した、果たして死の間際の私にそれが出来るだろうか、大いに疑問です。 >私も40代後半、isoken さんは50代・・・近親者の年齢も高齢化して、否応が無しに”死”に向きあわざろうえなくなる・・・。 全く仰る通りで私の思いもそこにある、少なくとも初めての喪主となる事態は一刻でも先であって欲しい、切にそう願います。 >私も20代で直系親族全員あの世です。子供はいるも実質は天涯孤独?(笑) そうですか 20代で・・、ただ Marennes さんにはお子さんがおられる、子無しの我々夫婦からすれば羨ましい限りです。 >前回答の叔父、50代、あの時の面会が最後でした。都内の某病院のラウンジで話したのがまさか最後とは思っても見ませんでした。 彼は生粋の研究職でしたが、それを含めオールラウンドプレーヤーでした。私が他のご回答でも挙げて経済精通の方にはマイナーなゼネコン汚職(超有名!)~談合等に繋がる時期、彼は背後で苦慮していました。私も多少関わる身で影響もあったので、当時の叔父の面持ちも蘇ります。 それにしても他人事とは思えないですねぇ、50代なんて働き盛りそのものでしょう、叔父様もさぞや御無念だったと思います。 ところで間違っておりましたらごめんなさいですが、ひょっとしたらバブル崩壊後顕在化し、談合の仕切り役・総元締めと呼ばれたT島建設のU会長が関わっておられた一連の事件でしょうか。 当時ゼネコン担当であった同僚から、酒席でレクチャーを受けた覚えがありますが、自社に利益誘導しなかった公正な姿勢が、U会長をして建設業界談合のドンたらしめたと聞きました。 ・・だとすれば興味深いのが準大手の名門とはいえT島建設自体がスーパー・ゼネコンの一角ではなかった事、その後O林組の常務がその座に就いたと記憶しております。 まあ談合体質が決していいとは思いませんが、或る種の必要悪ではあったのかも知れません、ゼネコンが過当競争を繰り返せば早晩共倒れは免れなかったでしょうし・・。 少なくとも都知事との個人的関係で設計が決定したと噂される新都庁舎、設計料20億円弱をポッポに入れたその設計者である丹下健三大先生夫妻が仕切り、競争原理が全く機能しなかった世紀の出来レースよりはよほどましでしょう。 いつぞや ex さんも言っておられたが、素人目に見てもあの都庁舎は品格が無い、晩年を汚し設計よりもむしろ商売人と成り果てた大先生の品性を映し出す鏡のようです。 >その際、叔父がふっと話した言葉が、何があっても奢らず虚勢を張らず芯は失うな・・・愚直に捏造せず誠心誠意であるべき。 >最初きれいごと・・・ではない。未だ周囲には高尚で崇高な学識やお立場ながら明らかに?な人がいます。私は低俗なのでなおさらダメですし言う資格もないですが・・・。どこかおざなりの流され気味の自分には、明確な道標と今後の心情とする大事な転機でした。 Marennes さんに対する或る種の遺言なのでしょうが、蓋し名言であろうかと・・。 低俗代表選手のこの私が断言しますが、世に雅も低俗もありゃしません。 素の人間の魅力は、博覧強記な学識でもなければ如何な高論卓説でもない、生きざまにこそある気がします。 依って私は肩書や知識で人を量る事は無い、当方が卑しい人物と認定したならばどんな偉い人でも一切お断り、その一方で恩を知り情を知る人間であれば誰とでも付き合えるし尊敬出来る、肩書なんか糞喰らえ・・だと。 >もし、当時の紙コップの中のしらす干しなら・・・叔父の言葉とこの時期の出来事から転換⇒教訓にもなりました。 >しかし今も器のサイズは大して変わらずお恥ずかしい・・・。 まあ御謙遜でしょうが、自分を客観視可能な人は誰でも進化しているはず、恐らく御自身に自覚が無いだけでしょう。 >最後になりますが、ご冥福をお祈りします 合掌 改めて御礼申し上げる次第です。 回答ありがとうございました。

noname#208768
noname#208768
回答No.16

奥様のお身内にご不幸があったとのこと、衷心よりお悔やみ申し上げます。 お礼拝読いたしました。ありがとうございました。 書くことで浄化されることは、幾度か体験していますが、書いたものを読んでもらうことでも癒やされるのですね。本当にありがとうございます。泣いている背中を さすってもらったような気分です。(気持ち悪い比喩ですみません) >だって私は ex さんがまだ元奥様に特別の感情を抱いてらっしゃると勝手に理解しておりますから かないませんねぇ。六つ子の魂百まで。高校生の恋心は還暦すぎてもなんらかの残滓を残しているのでしょうか。 確かに先妻にいろいろな思い出とかつて本の中にでてきたさまざまな女性「二十歳の原点」の高野悦子さんだとか、「されどわれらが日々」の主人公の恋人節子だとかアンネ・フランク、長崎の原爆詩人福田須磨子さんだとかマルクスの恋人、イエーナベストファーレンだとか、映画神田川のヒロインの女優までも、賢くて清らかな女性はすべて、すべて彼女のイメージに記憶を重ねてきました。 >それにしてももっとましな男はいなかったのか、仮に私が ex さんの立場でもそう思ってしまいます。 まぁ世の中には、軽薄才子を好む女性がいるのだと、いうことは知っていました。 それが自分の妻であったというのは悲しいことでした。 >それにしても自ら浮気話を切り出した奥様の真意が、私の様な凡人には理解不能です、浮気を問い詰められてシラを切り通した経験なら何度かありましたが・・。 これは、私もずっと謎だったのですが、やっとわかりかけたのは 先妻は私が、女性プロデューサと肉体関係があったと本気で思い込んでいたのでは ないかということです。その疑いの中で嫉妬にかられて、先妻は癒やしをかつての恋人に求めた。 2年つきあって3年目で軽薄才子がこう言ったそうです。 「お前は、俺の女だから」 先妻はもう少し精神的な癒やしをえていたつもりが、男の性の玩具でしか なかったことに気がついたのでしょう。 その後もまる1年。先妻は私に秘密を隠し通しました。 まぁ、あたりまえのことですが、たぶん遅ればせながら先妻は自分の思い違い に気づいたのかもしれません。 それでも、半信半疑。 自分が告白すれば、「大丈夫だよ。俺だって不倫していたから。これでおあいこだ。」くらいは言うかもしれない。 それに何より、まったく自分の妻の不貞に気づかない間抜け亭主に吠え面かかせて やっていいんじゃないか、という酷薄な気持ちもあったりしたのでしょう。 >つまり相当頭が悪い人物と断じざるを得ませんねぇ。 まぁ私のきらいな職業のひとつ、高校の体育教師ですから。ぎゃくにここまで せこいからこそ、私は慰謝料請求だとか訴訟だとかまるで考えませんでした。 脅せば怯えてなんでもいうことをきく男でした。逆にいうと間男でつかまった ら彼のように振る舞えば難を逃れるという見本のようでもありました。 >万に一つ悪魔に魅入られたとするならば、全てが露見した際にはそれ相応の痛みを負う覚悟を持つべきでしょう。 この時期に仁義なき戦いを観ていたらよかったですね。 「なんなら、われ。でるとこ出たってええやど。 他人の女房二年もただで使い倒して、この始末どうつけてくれるんや。 そうやなぁ。エンコつめた高校教師なんてのもおもろいんじゃないか?」 この男の女房がまた面白い女で「あなた、うちの人に何か危害を加えたら 傷害罪ですからね」 もちろん、脅して金をとれば恐喝になることくらい承知していました。 向こうもこちらが慰謝料請求すれば先妻あてに同額の請求をしてくるであろう ことは容易に予測がつきました。 >さて私は無駄な金を使わない人間は嫌いでして、一緒になって以来別財布の嫁さんには 「 自分を磨く為にじゃんじゃん浪費してくれ! 、足りなきゃ俺がやる 」 、いつもそう申し渡しております。 素晴らしい人生ですね。 いや、お時間をとっていただき恐縮です。このサイトでひさびさに嬉しい気分になれました。 ありがとうございます。

isoken
質問者

お礼

ex さん、おはようございます。 >奥様のお身内にご不幸があったとのこと、衷心よりお悔やみ申し上げます。 恐れ入ります。 長い闘病生活でした、その間何度か医師から余命何日と告げられ、家内を含めた身内は心身共にくたくたになりました。 ただ救いであったのは、身罷った義母に対し皆が皆精一杯の事をしてやれたという充足感、そして心の準備期間が十分にあった事です。 >かないませんねぇ。六つ子の魂百まで。高校生の恋心は還暦すぎてもなんらかの残滓を残しているのでしょうか。 男の純情とでも言うのでしょうか、大人の恋愛にはない残尿感のようなものが10代の頃の恋愛には確かにある、しかもその想いから永遠に免れ得ないようです。 さて私の見事なまでの女々しさは ex さんも御存知の通り、ただ振られたが故不完全燃焼に終わった私の未練は、我ながら何となく理解出来ますが、一度は手にされた奥様に対する変わらぬ想いは凄い、遥かに純度が高いかと・・。 >まぁ世の中には、軽薄才子を好む女性がいるのだと、いうことは知っていました。 果てして才子でしょうか、軽薄は分かりますが・・。 私に言わせれば精神が伴わない単なるフィジカルの持ち主、故に自らを袋小路に追い詰めた奥様が、手頃な相手として心の隙間を埋めようとされたのかも知れません。 >2年つきあって3年目で軽薄才子がこう言ったそうです。 >「お前は、俺の女だから」 これは聞きたくない言葉ですねぇ、少なくとも私だったら絶対に口にしない、田舎の三文芝居でもこんな安っぽいセリフはそうそう出て来ないでしょう、何せカッコ悪い。 しかもその言葉を口にした瞬間から或る種の責任が伴ってしまう、私のように狡い人間には理解可能なその意味が、彼には分からなかったのでしょうか。 >自分が告白すれば、「大丈夫だよ。俺だって不倫していたから。これでおあいこだ。」くらいは言うかもしれない。 >それに何より、まったく自分の妻の不貞に気づかない間抜け亭主に吠え面かかせてやっていいんじゃないか、という酷薄な気持ちもあったりしたのでしょう。 個人的な経験上思う事は、特に女性に於いて明晰なその頭脳と恋愛の偏差値とが必ずしも合致しないという驚愕の事実・・、奥様は愛に不器用な女性であったのかも知れません。 その反面知識は無い・世の中の常識にも疎いが、恋の駆け引きに天性長けた女性もたくさんおります、その辺りがとっても興味深い。 >この時期に仁義なき戦いを観ていたらよかったですね。 「 われ高校の教師か・・、税金の無駄遣いじゃのう 」 「 牛の糞にも段々があるんで。おどれとわしが 五寸かい 」 >この男の女房がまた面白い女で「あなた、うちの人に何か危害を加えたら 傷害罪ですからね」 確かに面白い、このレベルの夫婦と関わる事の虚しさを ex さんに知らしめる為、ワザと吐いたセリフだったとしたら、侮れませんねぇ。 回答ありがとうございました。

回答No.15

こんばんは。お久しぶりでございます。 お元気でしたでしょうか。よろしくお願いします。 『トラック野郎』 桃さん~!DVD欲しいな・・・。子供の当時のTVからですが殆ど観てましたね。ラストで爆走し飾りがことごとく壊れそれでもがむしゃらに走り続ける・・・道交法違反や、プロ(企業のドライバーや輸送・倉庫関連)には時に入場禁止等も実際はあり、私的特異なトラック乗りと記憶しています。親父はプラモデル作るくらい好きでした(汗笑) そう、ジョナサンの子だくさんもまた良かったな・・・。シリーズで好きだったのが若山富三郎さん http://toy.hobidas.com/blog/trucks/assets_c/2011/09/sepppfourc-103048.html ストーリーも好きですが、渋いな~凄みある・・・(ひっそりファンです) >貴方に訪れた人生の転機 私は・・・多分小説のようなお話ではないですが・・・大学時代のアルバイトの影響です。 以前もそこかで挙げましたが、事務の一方で現場仕事がありました。学業上計測器や測定とかまあポチポチ、指導され何とかの使いっパシリの感じ。 最初の真っ新な状態からポイントを設定し基準線をはり、そこから地面に打つアンカーボルトや設備配置等~作動確認やそうした作業の補助と、作業機械や鉄骨や配管、機材ボルト運びなどの仕事内容。2トンユニックやテールゲート付作業車、ハイエースに乗り近隣から県外の現場などは途中ドライブのような感じで楽しかったですネ~全身筋肉痛にもなりましたが・・・。 これは仕事自体が自分の関連にもまあ繋がるのですが、一方で、進学した学部学科・卒研室は入学当初から目標にして、遊びも関連なので自分なりに専攻として力を入れていました。 大学3年、卒研室配属についての希望が募られました。 卒論及び就職含めの展望を挙げ、その分野での足掛かりにしたいとし、実際ホント生意気勝手常識はずれな内容でした。 でも・・・元も倍率が高く一方で定員も削減されたのですが、なんか採用されてしまいました。本当にうれしくて、ときどき通い夢中になりました・・・が・・・。 やがて就職or進学の話しになり、教授からは進学を推奨されました(卒論の相棒も同じ)。ただ、私は就職を考えていたので、教授の推薦で数社頂きました。 でも・・・俺に本当に合うんだろうか・・・。 時折呼び出されてた前記のアルバイト、要領が分かってきてるのもあり、ジャンルが違えど興味と面白さでこちらも熱中しました。また客先によっては現場代理人が巡視と称して私を”システム”案内して解説してくれたり、作業者さんに聞くと無知の学生にも親切に教えてくれたり・・・見聞する事で関心の度合いがさらに深くなりました。また大変厳しい面の一方で優しさや温かさにも触れました。 その頃、離れてる叔母の夫(叔父)が遠方から遊びに来た際、相談をしました。 『私は元々研究側の人間、でも知っての通り、今は子会社で広範囲の技術営業・・・出世コースなんてとっくにありゃしないけどね』 でも何故? 『私は、一つに集中も好きだけど、全体に関わる仕事の方が面白く好きだったんだ・・・社会にでて両方やって気が付いた』 彼もやはりある分野での生業をめざし、学部やその他を決めながら邁進したので、なぜ途中で本社研究所から・・・?でした。滅多に入れない部門ですし。お手本・目標的な方でしたし・・・。でも、彼はもっと早く気が付けば、当時はどこかなし崩しだった、とも話しました(謙遜と思っていますけど)。 2泊の間、夜は叔父と随分自分の事情を含め相談しました。その時、アルバイト(他も現場的な部分の仕事が好き)の内容含め、向き不向きもあるけど良く考え直したら・・・?今必死に悩まないと自分の時以上に方向転換が難しくなる時代になってると明言されました。 そして試しに一度遊びに来いと言われ会社見学・・・目からうろこでした。でも自分がこれまで目指した分野とは・・・。 戻り黙々と学業を務めてましたが、結果自分には今の分野より魅力・やりがいを感じてしまいました。しかし過去の自分を全否定する事にもなり困惑しました。 でも結果、就職先は叔父の企業を選びませんでしたが、別企業で自分的に目指せる・・・教授に話せば当然の激怒・・・その後口もきいてくれませんでした。さらに教授の推薦する引けを取らない企業にも同分野があるのですが、それも断ったのでなおさら不味かった。その企業、この時4人受けて合格は1名だけでしたし・・・。 何とか和解して頂いて、当時の募集時期の最終も過ぎた頃でしたが無事合格したので結果は良かった、今も後悔していません。でも、教授には本当に申し訳なかったと今も想ってます。 数年後、机で研究や庶務的な事から実務、現地対応、宴会の予約までヘロヘロしながら働く頃に叔父と再会した時(病院でした)、方向性かえてしまったか?・・・と言われましたが、当時も今も感謝しています。それだけ彼の世の視野や審美眼が優れて、適切なアドバイスだったとも実感しました。 あの頃・・・アルバイトの現場で全身いてぇ~と言いながら知り得たことが、結果今の生業に関係するとは当初思ってもいませんでしたが、この歳になり、きっかけも、その時のアドバイスも、何かの”縁”と”転機”だったのかと回想した次第です。 まあ、最初の転機は高校受験失敗による”ちんけな遊び人化”ですが、それはまあ今回ほどでもないと思いましたし”大失敗”の方ですね・・・。 長文乱文ですが参考になれれば幸いです m(__)m

isoken
質問者

お礼

Marennes さん、こんばんは。 随分とお久し振りです。 >桃さん~!DVD欲しいな・・・。子供の当時のTVからですが殆ど観てましたね。ラストで爆走し飾りがことごとく壊れそれでもがむしゃらに走り続ける・・・道交法違反や、プロ(企業のドライバーや輸送・倉庫関連)には時に入場禁止等も実際はあり、私的特異なトラック乗りと記憶しています。 昨日観たのがシリーズ第3弾の 「 望郷一番星 」 、島田陽子がマドンナそして北海道が舞台なんですが、エンディングはお約束の検問を突破・パトカーと白バイを蹴散らして、期限内に札幌の市場に荷を運ぶというストーリーでして、その単純さがとっても面白い。 >シリーズで好きだったのが若山富三郎さん >ストーリーも好きですが、渋いな~凄みある・・・(ひっそりファンです) まだ観ておりませんが、楽しみに取っておきます。 若山の富さんは個人的に大好きな俳優さんですが、まあ凄みはあります、東映の大物の中では一番だったんじゃないでしょうか。 この人の逸話はもう腹がよじれるほど面白いですよ、一度 Wiki を御覧になれば分かりますが・・。 >私は・・・多分小説のようなお話ではないですが・・・大学時代のアルバイトの影響です。 何時ぞやアルバイトのお題に回答させて頂いたかと思いますが、私はやくざなバイトばかりしてましてその後の人生とは全くの無縁。 その点 Marennes さんは実に身になるバイトをしてらっしゃる、生き方にぶれがありません。 >やがて就職or進学の話しになり、教授からは進学を推奨されました(卒論の相棒も同じ)。ただ、私は就職を考えていたので、教授の推薦で数社頂きました。 羨ましい限りです、先の回答者様へのお礼でも触れましたが、ゼミ無しっ子であった私の就職活動は全くの孤立無援、己の運を信じて一発長打を狙うしかなかった。 ただ年齢的なものを考えますと、Marennes さんの頃はバブルが弾けた後の冬の時代ではなかったかと・・。 やはり優秀な学生には引き合いがあったんですねぇ。 それにしても Marennes さんは建築関係のお仕事でしたか、いや~門外漢の私には詳しいお話を伺っても正直ちんぷんかんぷん、打てば響くようなお礼は出来そうもありませんが、御許し下さい。 >戻り黙々と学業を務めてましたが、結果自分には今の分野より魅力・やりがいを感じてしまいました。しかし過去の自分を全否定する事にもなり困惑しました。 過去の全否定というのは確かに辛いものがありますが、やはり自分の人生ですから、好きにやるしかないでしょうねぇ。 >数年後、机で研究や庶務的な事から実務、現地対応、宴会の予約までヘロヘロしながら働く頃に叔父と再会した時(病院でした)、方向性かえてしまったか?・・・と言われましたが、当時も今も感謝しています。それだけ彼の世の視野や審美眼が優れて、適切なアドバイスだったとも実感しました。 新入社員は何でも屋さんですよね、私だってそうでした。 入社2~3年目までは、出勤して真っ先にやるのが電話を掛けまくって他人がやるゴルフのスタート予約、他には葬儀の手伝い・慶弔電報のアレンジ、麻雀の御相手その他宴会の男芸者 etc 、俺の仕事は一体何なんだと・・。 でも楽しかったかも知れません、そのお陰で20代の若造の身で銀座デビューも出来た、正直敷居が高い高級店にも平気で入れるようにもなりましたし・・。 >あの頃・・・アルバイトの現場で全身いてぇ~と言いながら知り得たことが、結果今の生業に関係するとは当初思ってもいませんでしたが、この歳になり、きっかけも、その時のアドバイスも、何かの”縁”と”転機”だったのかと回想した次第です。 まあ Marennes さんの年齢ですと、馬群を捌きながら今まさに4コーナーを通過する辺りでしょう、その一方で言いたい事を言い、やんちゃが出来るのも40代までです、50代でそれをやっては洒落にならない。 そしてその先に見えて来るのが、直線を向いての最後の叩き合いといったところですね、頑張って下さい。 回答ありがとうございました。

回答No.14

大学の話ですが、希望していたものとは違うゼミナールに、友人の誘いで入ったことですね。 活動的なゼミだったので、視野がとても広がりました。たぶんこのゼミにはいっていなかったら、大学生活何してたの!?ってぐらいです。

isoken
質問者

お礼

mimomon さん、こんばんは。 >大学の話ですが、希望していたものとは違うゼミナールに、友人の誘いで入ったことですね。 ゼミに入ってただけ、大したものです。 私はゼミ無しっ子でしたから教授推薦も当然無く、もとより成績はそれこそ下の下、就職にはそりゃ~苦労しました。 >活動的なゼミだったので、視野がとても広がりました。たぶんこのゼミにはいっていなかったら、大学生活何してたの!?ってぐらいです。 大学生も3年以降になると、ゼミ中心のキャンパスライフになりますよね、縁が無かった分私にはとっても羨ましかった。 回答ありがとうございます。

noname#231734
noname#231734
回答No.13

こんにちは(^-^) 人生の転機というと大袈裟かもしれませんが、 結婚したことですね・・。 晩婚でした。 「もしかして一生結婚できないかも?」と 思っていたので、 周囲が当たり前にしていた結婚が 私の前に出現したのは 自分にとっては大きな出来事でした。 もし夫と出会っていなかったら・・ 未だに独身だったかも・・。 波乱万丈な人生を送っている人からみたら 平凡な人生ですね。 それでも不器用な私はいつもアップアップです。

isoken
質問者

お礼

coffee-bean さん、こんにちは。 >人生の転機というと大袈裟かもしれませんが、 結婚したことですね・・。 結婚が人生の転機という方は多いでしょうねぇ、きっと・・。 私はどうだろう、でも今の嫁さんと結婚しといて良かったとは思ってる、拾ってもらったというのが正解かも知れませんが。 まあ面白い女で、外では取り澄ましておりますが、いまだに私を 「 カニばさみ 」 で挟んだりします、そう ! 池乃めだかの例の必殺技・・。 食後はじゃれ合いますよ、互いにいい年してお出掛けのチューも欠かした事が無い、他人には見せられませんがねぇまあ悪くない人生でしょう。 >晩婚でした。 >「もしかして一生結婚できないかも?」と 思っていたので、 周囲が当たり前にしていた結婚が 私の前に出現したのは 自分にとっては大きな出来事でした。 >もし夫と出会っていなかったら・・ 未だに独身だったかも・・。 幸せを掴むのに、早いも遅いもありゃしません。 きっと素敵な御主人なんでしょうねぇ、そりゃ良かった。 >波乱万丈な人生を送っている人からみたら >平凡な人生ですね。 >それでも不器用な私はいつもアップアップです。 御自分に自覚が無いだけで、やっぱりドラマはあったはずでしょう。 そう思わないところが、 coffee-bean さんの人徳かな? 回答ありがとうございます。

回答No.12

isokenちゃん(笑)お邪魔します 何と言っても「阪神大震災」でしょうか? 以下、たらればのお話になりますがお付き合い下さい 1995年1月15日、件の彼(ツーショットダイヤルで知り合ったオッサン)と神戸製鋼のラグビー決勝戦をTV観戦していました その数カ月前から「着物買ってやるから成人式に戻って来なさい」と親から言われていましたが、着物って高いでしょ? それに着る機会も滅多に無けりゃ、地元の成人式なんてヘタすると保育園~高校卒業までメンツが一緒 高校卒業してたったの2年ですよ? 懐かしい気持ちもないし、式典に参列したところでお偉いさんの眠たいスピーチを聴いて記念品は紅白饅頭が関の山 だからそれだけのために地元に帰りたくなかったんです その2日後、三宮で震度7を記録した震災で被災 ※この時は震度6までしか気象庁も設定がなかった 当時の下宿先は大家さんが学校と提携していて、いずれにせよ卒業すると家を出なければならなかったのです もちろん、就職も失敗 とりあえず、実家は被害を免れたので帰ることにしました その後、授業も再開なんて出来ず、全員卒業 地元に帰りとりあえず働こうと思い、そこで知り合ったのがあの「専務」 今でもふと思います 私のクローンがいて、もし地震で被災せず、そのまま神戸に残っていたら今の私はどうなっただろう? 仕事は順調か? まともな人間と結婚し、幸せな家庭を持っているか? 玉の輿に乗り、セレブな生活を送っているか? それは20年前に時計を戻さないと分かりません あともう1つの転機は【結婚】【離婚】 散々語りましたので割愛します 亀兄さんに再婚を促されましたが、もう懲り懲り(笑) その数年後、兄の結婚が決まりました 出戻りの小姑が居ては邪魔だろうと思い、家を出ました 志半ばにして大好きだった神戸の街を離れたので、もう1度住みたいと思い今、神戸に住んでいます 転機といえばこの2つの出来事ですね

isoken
質問者

お礼

michiyo さん、こんにちは。 エロ・ブレーンの isokenちゃんです。 >何と言っても「阪神大震災」でしょうか? 早いものであれから今年で20年目、あの時の高速道路が倒壊したシーンは、今でも忘れる事が出来ません。 まさかあれ以上の被害を齎す大震災が、その10数年後に東日本を襲おうとは・・。 >1995年1月15日、件の彼(ツーショットダイヤルで知り合ったオッサン)と神戸製鋼のラグビー決勝戦をTV観戦していました 確かその辺りの武勇伝は、以前聞いた覚えがあります。 キー・ワードは 「 生田神社の前で大喧嘩 」 と 「 車から放り投げたカバン 」 ・・だったかな? >地元に帰りとりあえず働こうと思い、そこで知り合ったのがあの「専務」 転んでもタダでは起きないところが、ミッタンらしい逞しさなのでしょうがねぇ。 >亀兄さんに再婚を促されましたが、もう懲り懲り(笑) kamejrou さんじゃないが、私も是非にと再婚をお勧めしたい、それも貴女の年相応の御相手との・・。 私が見るところ、 michiyo 姐さんはとってもチャーミングな女性だと思う、ただ自分の相手はこうだと決め付けてやしませんか? 何も結婚ばかりが幸せの最終形だとは私も思わないが、たった一度失敗したぐらいで懲りるのもまた早計のような気がします。 近いうちに若い彼氏が出来たなんて報告が聞ければ、私としても嬉しいんですがねぇ。 まあ私が分別臭いセリフを吐いても、説得力がゼロなのは自分が一番承知しておりますけど・・。 回答ありがとうございました。

回答No.11

イソケンさんが運ちゃんになろうとしてたなんて初耳です。一体何をキッカケに進路を変えたんでしょうかw 進路といえば、私は情報処理科の高校で学び、プログラマー・SEを目指していました。プログラミングが好きで、マシン語までかじってゲームを作ったりしてました。そんで高3のときに電算部に入って、自分のパソコンより数十倍処理速度の速いパソコンに気を良くして、ゲームを作ってみんなを驚かせていたら、部活の顧問に呼び出されました。私は褒められるもんだとばかり思ってたら叱られました。「みんな大会めざして頑張ってんだから、遊びだったら来るな」みたいな事言われました。まあそりゃそうですw(それにしても、情報処理の大会って一体どんなものなのか、今でも謎・・・) それが理由ってわけじゃないのですが、プログラマーの道はやめました。プログラミングを試行錯誤している時、どんどん自分が内向的になってるのがわかったからです。もっとモテ・・・人とつながりを持てる華やかな仕事をしたい思い、デザインの専門学校に進みました。 しかし、何の因果か、結局パソコンに向かって一人で仕事をしている毎日・・・20年もずっとこんなで、いいかげん飽き飽きしてきました。あ~大型トラックで日本中を走り回りたい!

isoken
質問者

お礼

mikasa さん、こんばんは。 「 このままじゃ俺達、その辺でうんこ座りしてる姉ちゃんとしか縁が無いよな~。」 或る時友人のM君が、ボソッとそう呟きました。 「 拙い、それは嫌だ! 」・・、その辺で与太ってるロクデナシもやっぱり普通の女の子が好きなものでして当然私だってそう、大袈裟に言えばそいつの一言が私の人生を変えたのです。 ・・でなければ、この私は 100 % 運転手になってたでしょう、友人の何人かは高校卒業後運転手となり、仕事中にも関わらず 迷惑な事に4t 車で住宅街にある我が家に遊びに来てました、狭い道をものともせずに・・。 ところで高校時代の悪友と大学に入ってからの友人、どっちとの時間が楽しかったかと言えばそりゃもう断然前者、ただ私としても少しは将来を考えるようになってました。 つっぱり姉ちゃんと一緒になるのだけは御免蒙りたいと・・、お嬢ちゃん達を侍らかし品がいい美人と結婚するにはやっぱり選択肢が他に無かった、大学に行った動機は他には全くありません。 >それが理由ってわけじゃないのですが、プログラマーの道はやめました。プログラミングを試行錯誤している時、どんどん自分が内向的になってるのがわかったからです。もっとモテ・・・人とつながりを持てる華やかな仕事をしたい思い、デザインの専門学校に進みました。 私にしたら勿体ない気はしますが、でも mikasa さんも将来の事を考えてたんですねぇ。 プログラマーの道はやめ、グラマーなお姉ちゃんを追っかける道を選択してたりして・・。 >しかし、何の因果か、結局パソコンに向かって一人で仕事をしている毎日・・・20年もずっとこんなで、いいかげん飽き飽きしてきました。あ~大型トラックで日本中を走り回りたい! 私が大型に乗るから、mikasa さんは軽トラでつるんで日本中を走り回りませんか? 夜は私の後部ベッドに寝かせてあげるから・・。 回答ありがとうございます。

noname#211715
noname#211715
回答No.10

isokenさん、こんばんは(*^-^*) 『一番星』ですね!大好きなんですよ(#^.^#)デコトラのゲームに夢中になったことだってあります。 私の人生の転機といえば、やっぱり社会にでて働きだしたときでしょうね。 まあ上司に恵まれていませんでした(笑)なんにも教えてくれない。教えるもなにも、なんにも知らない人だったんです。それでも給料は私の〇倍。なんだかな~とは思いながらも文句も言わず。 社会ってそういうもんなんだな~ってちょっぴり大人になりました(笑) 父親は若かりし頃にトラックの運転手をしていたんです。 戦後10年くらいでしょうか。アスファルトで舗装された道なんてない、田舎のでこぼこ砂利の山道を重たい荷物を山のように積んでいったらしいです。 すぐ横はガードレールもない崖で、前から車が来るとどっちかが下がらないと通れないんですけど、バックするのは命がけですからどっちも嫌ですよね(笑) 「そっちがさがれー」「そっちこそさがれー」で揉めることがよくあったそうです。 その父の人生の転機は母が子どもを身籠ったことでした。 いつ死んでもおかしくないトラックの運転手を辞めて都会にでたんです。

isoken
質問者

お礼

Wettissu さん、こんばんは。 >私の人生の転機といえば、やっぱり社会にでて働きだしたときでしょうね。 >まあ上司に恵まれていませんでした(笑)なんにも教えてくれない。教えるもなにも、なんにも知らない人だったんです。それでも給料は私の〇倍。なんだかな~とは思いながらも文句も言わず。 >社会ってそういうもんなんだな~ってちょっぴり大人になりました(笑) 社会に出て特に感じるのは、この世の中は至る所不条理の波状攻撃って事です、この点が学生時代とは随分と違う。 ただ悲しいかな、いつしかそんな環境に慣れちゃう自分がおりまして、大人の態度と称して憤る事を止め、気にならなくなったりします。 まあ不条理を感じさせる側の人間にはなりたくないですね、出来れば・・。 >父親は若かりし頃にトラックの運転手をしていたんです。 >戦後10年くらいでしょうか。アスファルトで舗装された道なんてない、田舎のでこぼこ砂利の山道を重たい荷物を山のように積んでいったらしいです。 その昔のドライバーは、或る種の専門職でして恐らく報酬も悪くなかったと思います。 ただその状況では命が幾つあっても足りない、賢明な御選択であられたのでしょう。 >その父の人生の転機は母が子どもを身籠ったことでした。 >いつ死んでもおかしくないトラックの運転手を辞めて都会にでたんです。 お父さんはそりゃ嬉しかったと思いますよ、或いはドラーバーという職に未練はあったかも知れませんが・・。 親のありがたさですねぇ、我々はそれを忘れちゃならない、私も肝に銘じなくちゃ。 回答ありがとうございます。

noname#221926
noname#221926
回答No.9

ある男性と付き合ったことです。 簡単に書くと、ちゃらんぽらんに生きていた私がある男性に惚れたことで真面目になり、初めてマトモに就職した先が調理関係の仕事でした。 調理なんて包丁も握ったことなかった私なのに、今では勤務先は変われど十年以上、仕事にしています。 もしあの当時彼に出会わなければ、良くて飲み屋のママ、最悪…前科者になってたと思います。 だから「ある男性と付き合ったこと」が人生の転機です。 本当は最初に「ある調理関係の仕事に就いた」ことを人生の転機として回答を書いてましたが、その仕事に就いたキッカケを書いていて気付きました。 彼に出会ったこと、付き合ったことがです…。 ですが、最初のその仕事は彼のせいで首になりました。 DV・ストーカー男と化して私の働く職場で彼が問題を起こしたためなんですけどね。 だから彼に対していろんな気持ちがありますが、感謝の気持ちは一切ありません(笑) 今はある会社の中で調理もしながら経営のノウハウ? を学んでます(というより上司に叱られてばかりいます)。 いつか、どんな形であれ店を持てたらな…と。 この夢も最初に就いた職場で持った夢なんですけどね。 最近、滋養強壮の健康食品を飲み始めました。 私には良く利いて、毎日の疲労感は軽減したものの、そのおかげでしょうか食欲が凄くて恐ろしいことになりました。 飲み始めて二週間、体重がプラス5キロでございます。 滋養強壮の健康食品がメタボへの人生の転機になりそうな予兆があります。 どうしようか思案中です…。

isoken
質問者

お礼

chichi さん、こんばんは。 失礼ながら chichi さんの PF を拝見しますと、男性で主婦というややこしい事になっておりますが、女性そして主婦でいいんですよね? そう言う事と勝手に理解して、以下話を進めたいと思います。 >簡単に書くと、ちゃらんぽらんに生きていた私がある男性に惚れたことで真面目になり、初めてマトモに就職した先が調理関係の仕事でした。 ちゃらんぽらんという単語は、何故かとっても悪い印象がありまして、良い意味での形容詞として使われる事はほぼ皆無ですが、他人に迷惑を掛けないという前提で私は決して嫌いじゃない、だって私がそうだから・・。 >もしあの当時彼に出会わなければ、良くて飲み屋のママ、最悪…前科者になってたと思います。 飲み屋のママ・・いいじゃないですか、色んな意味で私は随分と御世話になりました。 前科者はちょいとばかり困りますが・・。 >だから「ある男性と付き合ったこと」が人生の転機です。 運命の出会い!、そういう事だったんでしょうねぇ。 >本当は最初に「ある調理関係の仕事に就いた」ことを人生の転機として回答を書いてましたが、その仕事に就いたキッカケを書いていて気付きました。 彼に出会ったこと、付き合ったことがです…。 そりゃもう、よ~~く分かりますよ。 >ですが、最初のその仕事は彼のせいで首になりました。 あらら・・。 >DV・ストーカー男と化して私の働く職場で彼が問題を起こしたためなんですけどね。 >だから彼に対していろんな気持ちがありますが、感謝の気持ちは一切ありません(笑) 持ち上げといて落としちゃまずいでしょう、でもDV・ストーカーじゃしょうがないか。 >いつか、どんな形であれ店を持てたらな…と。 >この夢も最初に就いた職場で持った夢なんですけどね。 近い将来お店が持てたらいいですねぇ、でも素敵な夢だ・・。 >最近、滋養強壮の健康食品を飲み始めました。 >私には良く利いて、毎日の疲労感は軽減したものの、そのおかげでしょうか食欲が凄くて恐ろしいことになりました。 >飲み始めて二週間、体重がプラス5キロでございます。 >滋養強壮の健康食品がメタボへの人生の転機になりそうな予兆があります。 >どうしようか思案中です…。 私は30年間体重が全く変わりません、± 2 ~ 3 kg で推移してます。 まあこれは私の独り言として聞いて頂きたいが、何等かの副作用を齎すものは如何に良い面があろうとも一切摂取しません。 回答ありがとうございます。

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