• 締切済み

母に我慢を強いて回復の機会を奪った

2月に母が亡くなりました。2度目の脳出血でした。69歳でした。 1度目の脳出血は2年前。 医師によると血管が切れた等いわゆる脳出血ではなく、 「普通の出血」(細い血管からジワッと滲み出た感じ?)で5cm程の出血でした。 ICUを出た直後に、肺塞栓をおこしましたが(病棟の対応に実は不満が…)、 病院では自力歩行も可能なまでになっていたものの 高次脳機能障害ということで、 いわゆる脳血管性の認知障害という後遺症もあり、 半年後に退院を余儀なくされました。 何とか受け入れてくれる老健が見つかり入所、 1年2ヶ月程入所させて頂けたのですが、 そこも退所を余儀なくされ、別の老健へ移った4ヶ月後に2度目の脳出血、 救急搬送された病院で意識不明の母と対面、翌日亡くなりました。 亡くなってから様々な思いが自分の中で交錯し、ここにもお世話になりながら、 日々生きていますが、どうしても自分を責める気持ちが治まりません。 結局、倒れてから年末年始以外、母と自宅で一緒に暮らしてあげられなかったのです。 病院の方に、自宅介護は可能か等、自宅調査にも来てもらったのに、 「自宅介護」をもっともっと真剣に考え、試行錯誤するべきだったのではないか、 「自宅介護は無理だ」と無意識にも決めつけてしまっていたのではないか、 振り返ると後悔がやみません。 (主にテレビや新聞ですが)自宅介護されている方の話を見聞きする度、 特に、認知症の親でさえ自宅で介護しているという話を見る度、 それもフルタイムで働きながら介護しているという話を聞く度、 私は何の努力も頑張りもせず、 母の認知機能をただただ衰えさせるだけの事しかしていなかった、 自宅で倒れる前のように 一緒に日常を過ごせば(年末年始という特別な日々ではなく)、 母ももっと刺激されたり、記憶が呼び覚まされたり、気持ちも前向きになったり、 認知機能に良い環境をつくってあげられたのではないかと、 悔やみきれない思いが襲ってきます。 もちろん、入院中、老健入所中、 父は毎日会いに行き、私は週末祝日だけだったのですが欠かさず会いに行き、 刺激になる事を色々考え試したり、 気持ちを前向きにしようと色々試行錯誤しながら接していました。 脳トレ本、ぬり絵、けん玉、楽しいだろうと思う話題、歩行練習ももちろん、 好きな食べ物も毎回持参して、色々母が寂しくない様にしていました。 色々調べたり、何が良いか考えたりもしていました。 でも、結局、考えてばかりだったり、 入院中→老健→次の老健と徐々に惰性になっていたというか、 ○○はダメだったし等と 「継続して」試してみるという視点が足りなかったと後悔しています。 家族は、父と私です。姉がいますが既婚子供ありです。 姉は亡くなるまで母に会いに来た事はほとんどなく、 医師の診察を受ける時、老健へ入所した2・3日後、 退所してと言われていた頃に担当ケアマネに母の様子を聞きに、の数回でした。 正直父は、母が心配で来ているのではなく、 私達(父と私)の対処の仕方のチェックが主目的に来ているだけだと感じていました。 私達に様子を聞きに姉の方から連絡をしてくる事もありませんでした。 実際「母に会いに来たのではない、(職員の)話を聞きに来た」的な発言もありました。 お通夜葬儀でも泣いていませんでした。 父は70代、私は独身です。 私は仕事をしないといけないから、自宅は無理と父も私も思いこんでいたけど、 私は非正規雇用で、仕事が途切れ求職活動中の時期もありました。 なのに、自宅介護を試すことさえ怠ってしまっていました。 私が頑張れば、自宅へ短期間だけでも帰してあげられたのにしていませんでした。 全ては家の事を担っている私の心がけ、意識次第だったのです。 「仕事がある。仕事を探さなくては」なんて、自分本位のいい訳だったかもしれない。 現に、フルタイムで働きながら、 (私のように父がいる訳ではなく)ひとりで自宅介護されている方の話も聞きます。 ご近所にも認知症の夫を妻と娘が自宅でみているご家庭もあります。 介護の話題では、自宅介護されている方の話ばかりを聞きます。 その度に「私は母が倒れてから一度も自宅で一緒に過ごしていない(年末年始以外)」 「母はだから気力も意欲も記憶も良くならなかったのかもしれない」 「会いに行く度、歩行練習はしたけど記憶に刺激を与えるような事は少なかったかも」 「普段の普通の会話しかしなかった」 「母は幸せだったのだろうか」 「途中で(後遺症や施設で暮らしている)自分の状況がそれなりに分かり、 父と私に見捨てられたと悲しかったのではないか」 「分からない振りをしていたけど、誰よりも我慢を、 それも誰にも悟られないように色んな人に気を遣っていたのではないか」 母を思い、自分の至らなさを思い始めると、何も手につかなくなってしまいます。 この気持ち、どう処理をしたらいいのでしょうか。 長々とすみません。

みんなの回答

  • pakukuro
  • ベストアンサー率10% (70/665)
回答No.3

私は実両親を共に亡くしております。 2月頃に亡くされましたか、、、 今頃が一番、、当時のことを振り返る時期でしょうか? いいですよ、、今、どっぷり振り返ってください。 日にちの経つのが薬となります。 結果、、、至らなさを思っても過ぎたことです。過ぎたからそう思うのです。当時はその判断でよかったのです。 そう、、その判断でよかったのです。 その判断の中でのあなたの看護で充分だったのです。 お母さんは喜んでくれていますよ。 私も至らない娘だったと思いますが、、、「母さん、父さん、勘弁ね」と心の中でたまに(笑)に思っています。 親ですから、、そんな娘のことは笑顔で許してくれていると確信(笑)しています。 あなたのお母さんもきっとそうですよ。 後は、娘の私達もあの世で会う時、いろんな話ができるように、楽しく暮らしましょう~ あ、夕べ読んだ本に、自宅介護が美徳ではない!!と書いてありました。介護人の都合でいいとも、、、

noname#227934
質問者

お礼

>親ですから、、そんな娘のことは笑顔で許してくれていると確信(笑)しています。 >あなたのお母さんもきっとそうですよ。 たとえ周囲に見せていた認知症の度合いが、本当はもう少しマシで、 母が自分の状況(身体的な事、障害の事、生活場所の事など)を実はわかっていて、 それを周囲に悟られない様に演じていた部分があったとしても、 それは「親」として「母自身が選択してそうしたくてしていたんだ」と思っても許されるでしょうか。 最後の最後まで、自分がどんな状況であっても、本当に最後まで親でいたかった、 そう勝手に解釈しても母は、世間は、許してくれますか。 >後は、娘の私達もあの世で会う時、いろんな話ができるように、楽しく暮らしましょう~ 自分の事を優先してこれからは生きていっても許されますか。 楽しい事を探して楽しんでも良いですか。 もし、良い出会いがあったら結婚しても良いですか。 なんだか、母が亡くなってから色んな事を進めているようで、色んな事の決断をし始めているようで、 なんだか、母に申し訳ないというか、母の事をもっと思っているべきなのに非情なのか、 自分でもわかりません。これが喪に服するという事なのでしょうか。 >あ、夕べ読んだ本に、自宅介護が美徳ではない!!と書いてありました。介護人の都合でいいとも、、、 よろしければ本のタイトルか著者だけでもお教え頂けないでしょうか。 今は実は、下重暁子さんの『家族という病』という本を読んでいます。 大変遅くなってすみませんでした。 自分でも気持ちの持ちようや考え方を試行錯誤している最中です。 ありがとうございました。涙が出ました。

  • pct10968
  • ベストアンサー率21% (641/2971)
回答No.2

じじいです。 私の母も10年近く療養病棟でお世話になり、去年の暮れに亡くなりました。 結果的に、母の望まなかった延命治療になり長い後悔になりました。 >一緒に日常を過ごせば(年末年始という特別な日々ではなく)、 母ももっと刺激されたり、記憶が呼び覚まされたり、気持ちも前向きになったり、 認知機能に良い環境をつくってあげられたのではないかと、 悔やみきれない思いが襲ってきます。 その思いは私にもありました。 >なのに、自宅介護を試すことさえ怠ってしまっていました。 でも、現実的には無理なのですよ。 自宅介護を選択して、慣れない不十分な介護で逆に辛い思いをさせたかもしれないのですよ。 介護は、介護のプロに任せた方が正解だったはずです。 >この気持ち、どう処理をしたらいいのでしょうか。 今はあなたも私も、実際出来るだけのことはして来たのだと自分を納得させるしかありません。

noname#227934
質問者

お礼

遅くなってすみません。 >自宅介護を選択して、慣れない不十分な介護で逆に辛い思いをさせたかもしれないのですよ。 >介護は、介護のプロに任せた方が正解だったはずです。 病院を退院する時は、そういう考え方もあり、また、申し込んでいた老健から急に空きができたからと入所可能という連絡を頂き、(辞退すれば次はいつ入所できるか、施設が見つかるかの不安も大きく)あわただしく入所しました。 肺塞栓で体内にフィルターを留置している為、食事もカリウムの摂取には気をつけなければならず、 それでなくても料理が得意ではない私は、健康とはいえない母に十分な栄養とバランスを満たす三食を作る自信もなく、食事と介護面でプロにみて頂いた方が母の体のためには良いと思っていました。 仕事をしながら、あるいは、求職活動をしながらでは、3食の内どこかにひずみが来る、何かが欠ける、時間も不規則になってしまう可能性も大きかった、食事は何よりも大切だと思っていたので、いつもいい加減な最低限の栄養とバランス食しか用意できていない自分が、病人食を勉強しながら、自分の人生もおろそかにせず、父の身の回りこともしながら、母中心の生活を維持できる自信がなかったんです。 ただ、試してみなかった事で後悔が一層強くなっています。 そして、母の精神面にとっては母に本当に本当に申し訳なかったと毎日思っていました。その思いは、日ごと強くなる一方で、亡くなってからは質問にかいたような全ての責任を感じています。 >今はあなたも私も、実際出来るだけのことはして来たのだと自分を納得させるしかありません。 当時、その場その場、その時その時で、精一杯の判断でやってきたつもりではあります。 それが、本当に精一杯考えられていたのか、亡くなった今自分に問うと、メディアの自宅介護している方々の話を聞くと、それが自信がなくなってきて、自責の念にかられてしまいます。 強引ですが、毎日母の仏壇に向かって「父が先に逝って母が一人(私たち子どもはいますが)残されて、寂しい思い、配偶者を喪って大変な思いをせずにすんだんだよね。お母さん(私の祖母)に会えた?(同じく脳出血で老人ホームに入所していたので)もっとしてあげればよかったかなって言っていたけどできている?」と母に語りかけています。 姉夫婦にも(父は退職し私には子どもも夫もいないのだから自宅介護している家族の中では恵まれている方だと)責められているので(病院退院時に)、余計自分を責めているのかもしれません。 この自分の至らなさは一生引き受けて母に償っていこうと覚悟しています。 ありがとうございました。

回答No.1

とりあえず、そちらの地域の グリーフケアの専門家に お会いして、この質問のようなことを 伝えて、相談してみませんか。 他、ホスピス病棟などで ヴォランティアで、お役に立って 参りませんか。お母さまに してあげられなかったことを クライアントにしてあげませんか。 All the Best.

noname#227934
質問者

お礼

グリーフケアの事を調べてみた事もありました。 医療福祉業界で仕事をした事もありました。 母が亡くなった今、この業界で働いて、自分にどう作用するか自分でもわかりません。 母にできなかった事を利用者さんや患者さんにしてあげられるので、自分が慰められるのか、 逆に、こんなに頑張っているご家族がいるのに私はこんなにしてあげられなかった、 こういう方法もあったのか、こういうリハビリもあったのか、こういう選択もあったのか、 ここに入所していたら、こんな所に入っていたら、こういう先生やリハビリの先生に出会えていたら、 何かにつけ母の時と比べてしまって後悔が増すのか…。 自分が慰められるという視点ではなく奉仕するという視点で、 医療福祉業界での仕事を一生の働く場所にしたいと思い、長く続けられそうな求人も並行して探しています。 遅くなってすみません。ありがとうございました。

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