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施設の対応に疑問
入院約6ヶ月後、老健施設へ入所、 1年強居させてくれたけれど、退所を余儀なくされ 次の老健施設入所3ヶ月半経った頃の事です。 入所者は、68歳の母できっかけは脳出血(入院中肺塞栓発症フィルター留置)、 右足は不自由で車いす利用が多かったですが、でも身体機能的には予想以上の回復で、 主な後遺症は認知障害でした。 ある朝、当直の介護士が母が嘔吐しているところを発見し看護師に連絡、 施設の医師に電話(だと思う)連絡し、点滴処置。 (たぶん)水分補給程度の点滴だとおもいます。 その頃(嘔吐の前?)は、「そろそろ朝食ですよ」という声かけに「は~い」と返答あり。 当直からの申し送りを聞いて、日勤の看護師が母の様子を見に行き 母が血圧が高く、意識不明となっているところを発見。 私達家族に「今朝から血圧が高く、意識不明なので救急搬送する」と連絡あり。 私達は、前日夕方いつも通り元気に「また来るね」と帰ってきたのに、 翌日の朝9:30頃、前述のような電話連絡を受け、 正直「意識不明って何!?」と理解できませんでした。 それまでも、最初の老健から今の老健に移ってから、 体調的には変わらず(少なくともそういう報告は受けていない)、 むしろ、持参したおやつ等々を嬉しそうに食べたり、普通に雑談していました。 認知障害は、病院退院当初・最初の老健施設・次の老健と進んでいる感はありましたが… 施設看護師に詳しく聞いても、 1.朝食との声かけに返事→2.嘔吐発見・点滴処置→3.意識不明発見の内、 2→3の間、どういう見守り、付き添い、処置、等々をしていたのか、明確に返ってきません。 想像するに、点滴処置をした事で安心したか意識が薄かったのか、 当直と日勤の申し送りの間、放置されていたのではないかと思っています。 母は、見守りが必要という事で、認知症フロアに変えられ、 その中でも更に詰所からもっとも近く目の届くところの部屋でした。 その「放置」が事実なら、その間2時間位ありましたので、 2時間早く病院へ搬送できたと思います。 もっと言うなら、母は脳出血が最初のきっかけで要介護になっている事、 肺塞栓によるフィルター留置によるワーファリン(抗血液凝固)服用中で、 血液の凝固防止と再出血防止の微妙なバランスを要する入所者だと強く意識して対応し、 最初に嘔吐と血圧の高さを発見した時点で、 脳の再出血をまず疑って、即、救急搬送して欲しかったと思います。 少なくとも、点滴処置した後母の元を離れないでいて欲しかったと思います。 24時間後母は帰らぬ人となりました。 医師からは、(家族が後悔しないようにと思った部分もあるかもしれませんが) 「たとえ2時間早く病院に着いて手術で吸引なりして命を取り留めたとしても、 四肢は動いたかもしれないが、2回目で前回と違う場所の出血という事で 認知面での後遺症が進んでいたと思うし、今より重症な状態にはなっていたと思う」 との説明を受けました。 前回は5cm程の小さな出血で、今回は搬送時点で倍くらいの出血でした。 右脳と左脳を分けている境界(?)も出血によってゆがんで左脳へ侵入していました。 血まみれで手術してもムリ、このまま看取ってあげた方が本人も苦しまないと説明されました。 「2時間早かったら」と思う気持ちはわかりますが…と前述の説明を受けました。 一度脳出血すると再出血はよくある事とも説明され、 「命を取り留めたとしても、母はもっと苦しい状態で命を取り留めたかもしれない」 「遅かれ早かれ、亡くなってしまうのは避けられなかったかもしれない」と何とか自分を言い聞かせています。 母が最初に脳出血で倒れてから亡くなるまで、「ああしてあげればよかった。こうしてあげればよかった。もっとこうできたんじゃないか。」と後悔は尽きません。 最期があまりにも急で、会話も出来ないまま逝ってしまったので、本当に、気持ちをどう言い聞かせればいいのかもわからない状態です。 病院、老健、私達家族、と色々後悔はある中で、最後の老健の対応は流すに流せない、 明らかに施設の対応に落ち度があると思えてならないのです。 病院なら、カルテ開示請求がありますが、 施設に介護記録や看護記録の開示請求をするスベはあるのでしょうか。 また、最後の母の様子をもっと詳しく聞きたいと思っています。 (荷物等をまだ施設に残したままなので、片づけに行く際に聞きたいと思っています)。 聞いた結果、納得できなくても泣き寝入りしかないのでしょうか。 母が亡くなってしまった以上、家族の自己満足以上のものは得られないとは思います。 でも、嘔吐して、意識不明になるまで最も誰か一緒にいて欲しい時に母は一人で、 「どんなに心細く、怖かっただろう、さみしかっただろう、不安だっただろう、 緊急入院以来、年末年始にしか自宅に帰れず、 (認知障害があったとはいえ)どこか自分の事を分かっていた部分もあったろうに、 どんなに寂しかっただろう、悔しかっただろう、自宅に帰りたかっただろう、 父を始め、娘に助けを求めたかっただろう、もっと兄弟や友人と会いたかっただろう」と思うと、 本当にまだまだ自分を責めてばかりで、 せめて、施設の対応に落ち度があったのか否か、 あったなら、遺族として何かしてあげられないか、と思ってしまうのです。 介護記録や看護記録の開示請求や、母のケアや看護の状態を詳しく聞く事は出来るでしょうか。 納得いかなくても「そうですか」とおとなしく帰ってくるしかないのでしょうか。 この経過を読んで致し方なかったと諦めるほかないなど、経験談やご意見等々、お願いできませんでしょうか。
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ご愁傷様です。 気持ちの整理ができず、とてもつらい状況とお察しします。 同じような経験をした者から、一言申し上げたくなりました。 まず施設の対応としては、それは間違ってはいません。落ち度があるとはいえないでしょうね。 というのは、老健といえども、介護施設です。病院ではありません。 介護施設は入院加療が「必要のない」人を対象としています。 老健は認知障害の人には、認知障害についてのケアはしますが、それ以外の疾患についてはケアはしないことが前提です。 ご質問のケースでも、見守りが必要というのは認知障害についてのハイケアなのであって、脳出血などの疾患のためではないと思います。 私も親が内臓疾患の病気治療のあと、入所させる施設を探し回りましたが、基本、(認知症以外の)疾患のある老人を受け入れる施設はありません。 結局、公的な介護施設が受け入れをしてくれましたが、最初に「病状が悪化したときなど、すぐに救急搬送などしてくれるのですか?」と尋ねたら、「気づいた時点ではすぐ対応しますが、病気のために特に気をつけて見守るということはしません」ということでした。 これは仕方ないことなんですね。施設は病院じゃないんですから。 介護施設に親を預けるということは、そういうことです。 病気のケアもしてほしいなら、または常に見守ってほしいのなら、そういう施設を探すことですし、それはそれなりの費用がかかります。 結局、うちは「何かあってもケアしてくれない」ことを承知で、施設に親を入れました。 これはうちだけではなく、みんなそうだと思います。 ものすごいお金持ちでもないなら、普通は親を看取ることも、費用との折り合いをつけて決めるしかないのです。 質問者さんも、お母様が最善を尽くされず亡くなったなら悔いが残るのでしょうが、この場合の最善を尽くすポイントは、施設を選ぶ時点にあったのであって、それは結果的には費用との折り合いで判断したのでしょうから、最善の判断だったのではないでしょうか。
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まずは御愁傷様です。 文面を読む限り、悔しさが伝わってはくるのですが、状況的にはそんなに施設側に落ち度かあるとは思いません。 施設の入所者数や当日の勤務者は把握できていますか? 施設の朝はまるで戦場の如く、スタッフが目まぐるしく動いていますから。 お母様に付きっきりというわけにはいかないでしょう。 看護師が状態を発見して、医師からも指示を受けているんですから。必ずしも放置していたわけではないからね。
お礼
ありがとうございます。 介護士等職員数の基準は満たしているとは聞いています。 ただ、ユニット型ではなく従来型の老健なので、 介護士・看護師がある部屋へ行っていると、その部屋しか見えず(当たり前と言えば当たり前なんですが)、 上手く言えないんですが、死角が多く全体を見渡せない構造になっています。 また、入所初日、(まだ認知症フロアへ変えられる前の一般フロアでしたが) 母が腹痛を訴えていたんですが、「○○さんの処置をしに行かないとといけないので」と 私たち家族に見ていてと頼まれ「待って下さい」という事も言われた事がありました。 基準は満たしているとは言っていましたが、 従来型で1フロアの入所者全員を見ないといけないのに、それにしては介護士が足りない印象を受けていました。 母につきっきりは無理でも、「脳出血の既往あり」という意識で詰所から気にかけてくれていたか知りたいです。申し送りで聞いて初めて部屋へ行くのではなく…最初の処置から2時間後というのは間隔があき過ぎだと思いますが、どうなんでしょうか。 医師も母を直接見てくれた訳でもないし、「単なる嘔吐→水分補給」と考えての点滴指示だったと思います。 最初はこの指示で問題ないかもしれませんが、その後、直接診て欲しいと思うのは求めすぎなんでしょうかね(; ;)。点滴して2時間後まで誰も様子を見に行っていないなんて… 医療・介護業界の常識なんでしょうか。 勤務交代の時(だけではありませんが)の忙しさは、私も医療機関で事務経験があるので分かりますが、逆にだからこそ、思うのです。 忙しいから様子を見に行くのを後回し、ではなく、様子をこまめに見ていたから申し送りの時間に融通を利かせる方が、双方にとって良いと思うのですが… 施設選びをもっともっと慎重にすればよかった(かなり見学等々回りまくったんですが)、 入所してからでも他へ移る事ももっと真剣に検討すればよかった、 ユニット型にこだわればよかった、 もっともっとこうではなくああいう事を母にしてあげられたのではないか、 肝心な時についていてあげられなくて、 母に申し訳なくて、気持ちをどう保てばいいのか分かりません。 関連する場面や情報等々に触れるたび(そうではない何でもない時も)、 一番身近で母の世話をしてきた私が母の死期を早めた、母の認知障害の進行を早めた、 もっと母との接し方、会話の中でしてあげられたはず、と後悔が尽きません。 逝ってやっと2週間経ったに過ぎない時期だからでしょうか… 放置していた訳ではないと言い聞かせて、施設選びに関しては悪くはなかったんだと言い聞かせようと思います。 有難うございました。
お礼
ありがとうございます。 確かに、この施設に入所する際、緊急時の対応の書面の提出を求められました。 延命処置に関する事だったと思います。 言われてみれば、確かに医療施設ではありません。 病院退院後入所した最初の老健の退所を余儀なくされた時、本当にくどい位あちらこちらの施設を見学しました。 老健、特養、有料老人ホーム、市外の施設まで。 最善を尽くしたつもりだけど、「次の施設は決りましたか」と急かされていて、 今思うと、入れてくれそうな施設に傾いてしまっていたかもしれません。 「空きがある」の言葉だけが頭に残り… もちろん、ほかの老健も同時に申し込んでいたんですが、結局、入所させてくれるという判定が出たのに辞退してまで急かされている老健に居させてもらう根性もなく、最初にどうぞと言ってくれた今回の老健に決めました。 入所当初、最初の老健(ここがとても良かった)とのギャップに、 こちら自ら別の施設へ移るという話も家族で出たのですが、それぞれが仕事等々で忙しく、 何となく真剣に検討する事もありませんでした。 退院前後から、母の認知障害を少しでも良くするために、 様々な事を考え、調べ、母に持っていき、やらせてみたりしていたのに、 最近は、あまり効果もなく、母も鬱陶しそうだったこともあり、会いに行っても雑談したり、 歩く練習をしたり、(唯一の楽しみのように思っていた)好きな食べ物を持っていって 一緒に食べることくらいしかしていませんでした。 病院を退院する頃のように、もっともっとあれでもないこれでもないと色んな事を試してあげられたんじゃないか、 外泊は難しくても、外出してドライブなり、特別な事じゃなくても日常よく行っていた買い物に連れて行ってあげるだけでもよかったんじゃないか、 過去の事ばかり話すのではなく、未来の希望が持てる意欲が出せる話題で話をすればよかった、 と後悔がつきません。 最も後悔しているのが、(字を書く事が苦手にはなっていたんですが) ベッドサイドにノートと筆記具を置いて(失くしたり口にしたりしないように柵に結んで)みればよかったという事です。 入院時には、誰もいない時につたない字ながら「帰りたい」「○○はどこへ行ったの」等々と書いていました。 退院後の老健でも置いていたのですが、部屋に居ることが少なく、ほぼ手に取っている形跡がなく、 今回の老健では、(部屋に何も置かないようにと言われていた事もあり)置いていなかったんです。 置かないようにと言われても、置いてもムリだと思っても、唯一、一人になれる就寝前の部屋で、 母は、誰にも言えない本音や今の気持ち等々を、頑張ってペンを執ってはき出せたんじゃないか、 その気持ちを私達も知る事が出来たんじゃないか、とすごく後悔しています。 なぜ、ダメ元でもやってみなかったんだ、なぜ、母のさみしさや暇を紛らわす何も置かなかったんだ、惰性になってしまっていた自分をすごく責めています。 一生、この後悔は消えるどころか増幅していくのではという恐ろしささえあります。 「施設選択、入所してから、母への接し方、至らぬ娘でごめんなさい」 亡くなってからずっと今も、毎日母の前で謝っています。 私は、母への償いに残りの人生を捧げるつもりだけど(倒れた時も母を看取るまで何より優先に尽くす覚悟で今まで来ました)、私は日々の暮らし、自分の将来や人生、楽しんでもいいのか分かりません。 いつまでもくよくよしていては母も安心できないしと思う自分と、 やっぱり、「楽しんでもいいのかな」と迷う自分がいます。 すみません。長々と泣き言を。 ありがとうございます。施設の対応は妥当だったと思えるだけでも救われる部分もあります。 ただ。母の施設での日々を詳しく聞く事は出来ると思いますか。 落ち度や責める意図ではなく、母が辛かったのか、それなりに楽しく過ごせていたのか、夜など部屋では寂しくなかったのかなど、単純に、母の様子を知りたいだけなんです。 本当にありがとうございました。