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日本語の「岩」 その意味と、発音の由来など
- 日本語の「岩」という言葉の意味や発音の由来について、調査しました。
- 「岩」とは、地面から露出した堅い所を意味し、地面と岩は不可分であるという仮説があります。
- また、「岩」は洞窟信仰とも関連しており、農業や漁業といった人々の生活に欠かせない対象として崇拝されていました。
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>こっちにはもっといいのがあるよぉ。 ⇒かどうか分かりませんが、全然違う観点から、「散文詩」(のようなもの)を書いてみようかな~と思います。 「岩に倣(なら)いて」 岩は、ずっと前から岩だ オレは、ほんのちょっと前からオレだ 岩は岩で、ゴミ屑なんかじゃない しかし、オレはオレか? そして、オレは人間か? 人間は、人間に生まれるんじゃない、という 人間は、人間になるんだ、という とすると、オレは… オレはオレかも知れない けどオレは、きっと人間じゃない きっとまだ人間じゃない 人間になりかかってるだけだろう 岩は、それだけで完結している オレは、オレだけで完結しているか? 岩は、周囲の自然と調和している オレは、オレの周囲と調和しているか? オレは、岩に倣おう 自己完結を目指そう 己を持ちながらも、周囲と調和しよう そうしてオレは、ホントのオレになろう 以上です。(どうも、お粗末でした。)
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>それがどのような概念なのかを知らないという、摩訶不思議な概念について、 ???? 具体的な事物や概念のないところに言葉は生まれません。 仮に生まれたとしてもお互いに全く通じないでしょう。 「岩」という事物も概念もないのであれば、そもそも、ご質問自体が成り立たないのではありませんでしょうか。 何を指して「岩」と言われておられるのかという事前説明が必要になるのではありませんでしょうか。 「岩」という漢字は草書体を基にして簡略化された文字です。 元々は「巌」です。 山にあるゴツゴツしたもの、という意味を表す文字です。 漢字の字義からすれば「岩」は山にあるゴツゴツしたものということになります。 この文字をやまと言葉の「いわ」に当てはめました。 つまり「いわ」も巌も同じ事物、概念を表していると考えても差し支えはないのでしょうか。 この事物をなぜやまと言葉では「いわ」と言い習わしたのかは知りません。 >地面から露出していて、かつ、その岩盤がどこまで続いているのか見た目ではわからない状態。 >逆に、地面に転がっている物は、どんなに大きくても「岩」ではないという仮説です。 とありますが オーストラリアにあるウルル(エアーズロック)は世界で二番目に大きな岩とされています。 マウントオーガスタスは欧米人として初めて命名した人が山と勘違いしてマウントと名付けましたが、現在は世界一の岩とされています。 岩盤とは独立しています。 どのようにお考えになられますか。 地学、地質学、鉱物学などの世界では岩と石は区別せずに岩石(がんせき)という言葉を使っています。 一方で土木業界などでは、砕石、玉石、砂利、砂など細かく規定しています。 言葉として「岩」を議論するのであれば「石」も同時にしませんと片手落ちになってしまいます。 万葉集のお話をされておられますが。君が代の歌詞をどのようにお考えでしょうか。 もとは古今和歌集に収録された和歌です。 謳われているさざれ石をご覧になられたことはありますでしょうか。 「いわおとなりて」とあります「いわお」とは何を指しているとお考えでしょうか、概念が無いとなりますとこの国歌は意味不明なままうたわれ続けてきことになりますが如何でしょうか。 習慣的には岩と石との区別は感覚的な大きさでしょう。 ただし、これも杓子定規な線引きはしていません。 墓石やお城の石垣どに使われているものは大きさに関わりなく石と呼ばれています。 お墓や建築部材などとして切りだす場所は石切場と呼ばれます。 山肌を削りとっていますが岩切場とは言いません。 飛鳥にある古墳の跡と言われている構築物も石舞台と呼ばれ岩舞台とは呼ばれません。 盛岡市にある石割桜も岩割桜とは呼ばれていません。 河原や山にあれば岩ですがウインチク運んで庭に据え付ければ庭石になります。 同じものでもそれがある場所や目的で名前が変わっています。 蛇足 慣用的に使われている言葉に一々杓子定規に理屈を付けると際限がなくなります。 川、河、池、沼、湖、山、丘、岡、台地、(富士山も待乳山も山と呼ばれています) これらの言葉についてどのような概念を持たれて区別されておられますでしょうか。
お礼
お待ち申しておりました。さっそくのご回答ありがとうございます。もしや回答が寄せられないのではないかと思って、少しへこんでいたので、とても嬉しいです。 1.エアーズロック さっそくエアーズロックの写真を見てみました。下のほうは地面の中に、どこまで埋まっているのか、見た目にはわからない。表面がごつごつしている。という感じなので、これは岩だと思います。 2.国歌 「いわお」については、これこそまさに「岩」だと思います。 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて(数千年を経て さざれいしが 岩となり) これは地中において、さざれ石が成長し、大きな岩になるという意味だと思います。つまり、地面(土)と不可分なのであり、どこまでも果てしなく続くという、私が考えた概念そのものです。ゆるぎない国家を目指す、まことにめでたい歌であります。 しかしながら、少なくとも私個人におきましては、意味を知らずに歌っておりました。 (国歌を拒否する先生もいらしたようですし、生徒を責めてもしょうがないです。) 3.岩盤からの切り取り 岩盤から切り取ってしまえば、岩ではなくなると私は考えていますが、ただし、切り取ったものであっても、そこに信仰心を以て人が集まり、信仰の意を示したならば、それは岩となる可能性があると考えています。 4.飛鳥にある古墳の跡と言われている構築物 石舞台 舞台が地面から離れているので、岩ではないと思います。 5.盛岡市にある石割桜 ウィキペディアより 「盛岡駅から徒歩15分の、盛岡地方裁判所構内に所在する。1923年(大正12年)に国の天然記念物に指定された。寛永年間頃に南部藩主の分家にあたる北監物の庭園であったといわれ、明治初期には桜雲石と呼ばれていた。家老の屋敷内の庭にあった巨石が落雷をうけてできた割れ目にエドヒガンザクラという桜の種子が入り込み成長したという伝承も残っている。」ということで、石だそうです。また、表面が、つるっとしているので、私も岩ではないと思います。
お礼
おお! まさに世のならはしに突き動かされ そしらぬ運命に脈略なく流されし我らは その不可逆性を伴いながらも 存在者としてまた現存在として ゆるぎない決意性を求めては死を受け入れつつ先駆し 不動の岩に親愛と畏怖をもって拝するのである。 願わくば岩のように 人々から不動の信頼を得て 我は人間であると宣言することを欲するのである。 なんとしても我らは生き抜き 岩に倣い あたかも大地に育まれたかのような まさに大地と一体であるかのごとく 弱者のモラルを超越した調和を求めずにはいられようか。 唯一の救いである存在可能性により、移ろいゆく未完成な我々と、ゆるぎない存在である岩との対比による、存在すること、そのことを散文で表現していただきました。感激このうえなく、恐悦至極に存じます。
補足
先日は、ご回答いただきまして、ありがとうございました。 他に新しい回答も、反証も無いようなので、人間から見た畏敬の対象として、岩という特別な概念があったということで、ほぼ一致した見解をみましたので、ベストアンサーに決めさせていただきたいと思います。