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能登半島地震のエピソード待っています
どしどし、お待ちください 私はその時高校生で インフルエンザでベッドに寝込んでいました ベッドで寝ていても おおよそ目をつぶる事も出来ません 天井、吊り下げている電灯、壁にかけている絵 全てがものすごい勢いで揺れ始めて怖い余り ベッドから跳ね上がり、 テレビを見ると地元が震度5強だったはず 生まれて初めて感じた大地震の怖さを知りました インフルエンザはベッドから跳ね上がっても 平常通り治りました 本当にシュールな思い出でした
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その後、私は何を感じたか?門前町の大きな「○○宗総本山」というお寺がありますが、そこの僧侶たちが町に出て「托鉢」つまり町の人たちから寄付をお願いに回ったのです。金沢でも沢山の寺はありますが、「托鉢」に回るのはこの宗派だけなのです。しかも、町中は地震の被害で建物が崩壊寸前、人々は自分達の生活で精一杯なのに、このような行動は僧として如何なものかと思いました。こんな時こそ、町に出てがれきを片付けたり町の人たちの手伝いをしてこそ、近隣の人たちから信頼を得るのであって、真っ先に「托鉢」に回る行動に私は不信を感じました。
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当時、私は金沢市在住でしたが前日から用事で静岡に行っており、地震の当日、日曜日の朝、携帯のニュースで地震があった事を知りました。地震の規模、状況が分らず野々市市にいる息子や知人にも電話しましたが、携帯電話からは一切掛からず、隣の富山県高岡市の友人にも掛けましたが一切繋がりませんでした。当日、午後からJRが運行には差し支え無い事が確認され普通通り電車が動いて帰宅しました。あくる日は、ビデオカメラを持って富来町から海沿いに走り、震源地に近い門前町に入り、まず驚いたのは道路脇にある造り酒屋の大屋根が押しつぶされていた。もうすでに各テレビ局の報道車(中継車)が10台は来ていた。総持寺、門前高校前の商店街が壊滅状態で、小さなお寺の鐘突くところの屋根が押しつぶされていました。総持寺も坐禅堂が潰されて見るに無残な姿でした。巌門に近い関の鼻レストランの海側の崖が崩れていましたし、道路もひびが入っていました。しかし、あれだけの地震にも関わらず死者が1名で済んだ事が幸いでした。
お礼
当時の動画を見ると津波注意報が出ていて 原発の近くで地震があって フクシマの事を思うと 原発が壊れなくて安堵しました。