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日蓮宗の説法について
- 日蓮宗のある上人様の説法について、質問があります。
- 説法の内容は、「仏教は伝来する前に中国大陸を通過してしまったので、儒教の思想が混じってしまった」というものでした。
- しかし、中国の言葉には「身を修めるに道教の行、仏教の法、儒教の礼を学ぶ」という考えがあるため、質問をしました。
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その僧侶の説法は日蓮宗としては変わった内容で、聞いたことがありません。日蓮宗は祖山が身延山久遠寺が総本山です。しかし歴史経過とともに多くの分派が生まれてしまっているのでいろいろな考えがあるのでしょうね。創価学会も日蓮宗から分かれた分派の日蓮正宗から派生したものです。今では日蓮正宗からも破門になっています。立正佼成会も日蓮宗の分派です。 日蓮宗は法華経を経典にしています。したがって分派の中には日蓮ではなく法華経が第一として法華宗と呼ばれる分派もあります。法華経はシルクロードと中国を経由したときに作られた経典なので中国の存在を否定することはできません。日本の仏教がすべて中国を経由しているので仕方がないのです。その意味で仏教より先に生まれた儒教の影響を受けていても不思議ではありません。東南アジアに伝わった上座部仏教はお釈迦様への崇拝です。その僧侶は近年の中国嫌いで上座部仏教の影響を受けているのかと思います。 特に中国色の強いものは禅宗です。元々は中国禅であったものが鎌倉幕府が取り入ることで仏教の形に変化したのです。平安時代の初めにもたらされた空海や最澄の密教仏教が貴族のための仏教であったに対抗するためです。曹洞宗の開祖の道元は禅は仏教ではないとまで言っています。したがって主たる仏教経典がなく座禅を主に置くのです。 日蓮宗は人物の名前を付けているように日蓮への崇拝の強い宗教です。法華経や日蓮像や釈迦像を祀りますが、他の宗派のように中国で考案された如来を祀ることをしません。中国人には釈迦は明らかな異民族であるので、釈迦を如来として抽象化して大日如来の化身として扱うのです。日本でも釈迦が仏教の開祖であるのに釈迦如来も阿弥陀如来も同格なのです。日本でも各宗派の開祖が祀られていますが、それはインド人や中国人が日本人には異民族であるからです。
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特定の宗派ではありませんが、回答といいますか説明させていただきます。 ご質問の僧侶が使った儒教という言葉に違和感をお持ちのようですが、日本人が儒教と考えているものは、本場中国での儒教や朝鮮の儒教とは異なりますので御注意願います。 参考 儒教 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/儒教 日本の儒教 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/日本の儒教 「仏教は伝来する前に中国大陸を通過してしまったので、儒教の思想が混じってしまった」 ということは宗派を問わずごく普通の常識といいますか学問的にも立証されている事柄です。 ご質問にある僧侶の方の持論でもなんでもありません。 参考 第15回 中国仏教史 - 東京大学仏教青年会 todaibussei.or.jp/izanai/15.html 中国儒教文化で発展した大乗仏教 www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/181005.htm 抜粋 また、中国人に受けいれてもらうために、インド式の輪廻転生から、儒教の祖先崇拝の死生観に宗旨変えした。 徳法寺|日本仏教史|仏教混迷期から再生へ www.tokuhou-ji.com/t_Info_detail_news_tokuhouji.cfm?StageID=... 上記各サイトの説明にもありますが、中国で仏教が受け入れられる過程で格義仏教というものがありました。 (2)格義仏教 www4.tokai.or.jp/kyuguan/mutoku/16_02kakugi.html 曹洞宗の御檀家のようですが、お位牌というものはそもそも如何なるものかとお考えになられてことはありませんでしょうか。 位牌 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/位牌 抜粋 中国の後漢時代から儒教の葬礼に用いられる神主(しんしゅ。死者の官位・姓名を書く霊牌。)と同視されたため、「位」牌と呼ばれる。またその起源は、霊の依代(よりしろ)という古来の習俗と仏教の卒塔婆が習合した物ともされる。日本には禅宗と共に鎌倉時代に伝来し、江戸時代に一般化した。 上記の説明にもありますように日本の位牌は主として禅宗がもたらしたものです。 現在も永平寺や総持寺には立派な位牌堂があります。 位牌を祀られていて儒教の影響なし、とは言い難いのではありませんでしょうか 仏教発祥の地であるインドには位牌などというものはありません。 「輪廻転生」と成仏の関係をどのようにお考えになられておられますでしょうか。 >死んだ者への悲しみや敬いを捨てるべき この類の説法は宗派を問わずされます。 現代流でいうところのターミナルケアーの一環です。 一般には、遺族の嘆きが強すぎると成仏の妨げとなる、というような主旨で言われます。 亡くなった親族に拘り続けることで、残された遺族の人生が破綻することを防ぐための説法です。 この考え方は、仏教だけではなくキリスト教でも言われます。 高齢化社会を迎えて、葬儀や法要、僧侶の役割が見直されてきています。 参考 葬式仏教から脱却、僧侶が心のケア 生者に寄り添う臨床宗教師 : 京都新聞 www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20150308000121 変わりつつある葬儀の課題 - 表現文化社 www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/kawaritutu.htm いのちの現場に飛び込む―仏教者によるターミナルケアー|全国青少年 ... www.zenseikyo.or.jp/manabou/yomimono/bukkyo/bukkyo/post_5.ht... ご家族ご友人を亡くされた方をケアする人のために(心理学総合案内 ... www.n-seiryo.ac.jp/~usui/saigai/2011sanrikuoki_eq/grief.html この医者が行う治療方法としてのターミナルケアーには一部下記のような批判もあります 家族を苦しめる心のケアに何の意味があるの?息子を自殺で失った母が ... diamond.jp/articles/-/18479 >身を修めるに道教の行、仏教の法、儒教の礼を学ぶ 上記につきましては寡聞にして出典を知りません。 仏教で云う法は規則とか法律という日常的に使われる法とは全く意味が異なりますので御注意願います。 法 (仏教) - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/法_(仏教) 抜粋 仏教における法(ほう、サンスクリット語: धर्म, dhárma、ダルマ(ダーマ)、パーリ語:dhamma、プラークリット: धम्म、ダンマ)とは、三宝のひとつで、本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」などを示す。仏教ではこの法の概念を重要視し、いろいろな使いかたや意味づけがなされており、この法ということばで、法則・真理を示し、それから教法や説法も指し、存在を意味し、具体的な存在を構成する要素的存在を意味する。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼ぶ。 まぁ~禅問答で鍛えられた禅宗の僧侶に比較して日蓮宗の僧侶が説法下手なのは止むを得ません。 宗派の宗旨の違いに加えて、個人差もありますので御容赦願います。
お礼
Спасибі
補足
>日蓮宗の方に質問です
- hiro_redsun
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今の日蓮宗は堕落しておりますので、そのようなことはありません。 なぜならば、勤行の中で、死者への追善供養をしております。 そして、そもそも日蓮宗は日蓮大聖人が釈迦の法華経を究めて立宗したので、日蓮大聖人の教えであるので他の思想が混じっているなんてことはありえません。 日蓮宗=日顕宗は法主絶対主義になってしまったので、日蓮宗の説法に信用性はありません。
お礼
なるほどです なぜかその説法をされた上人さんは、四十九日法要などは喪服を着ないで、赤いネクタイを締めて行うぐらい楽しく(今、生きている人が)やるべきだという持論も話されていました・・・ 私自身は曹洞宗ですので、意味不明すぎて逆に怒りもなかったのですが、確かに人間的にも信用できない内容ばかり話されていました 回答ありがとうございます
お礼
そのような中で持論説法をしてしまう人が増えているのかもしれませんね 詳しく書いていただき、ありがとうごじます その僧侶は、NHKの番組内容を説法に取り入れたり、もう自論すぎてオチもはっきりしない説法でした 説法のオチが「忙しくてのどが痛いので・・」とか、もう嘲笑です