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イジメ問題について考える
- イジメられる側も悪いというのは当たり前ですか?罪ですか?悪ですか?リスク管理が足らないとかそういう類っていうのは罪ではないですよね。
- イジメられる側は被害者で、イジメる側は加害者だと考えることが一般的です。被害者のリスク管理度合が低かったとしても、取られた側・襲われた側も罪を犯している訳ではありません。
- イジメられる側も「罪」であるとすることがどうも腑に落ちません。腑に落としたくもありません。被害者と加害者の役割が明確であり、イジメられる側が悪いという考えは誤解です。
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理不尽ないじめってありますね。 学生の時、大人しくて容姿もあまり良くない(申し訳ないですが)人がいました。その人はとても優しくていつもニコニコとしていたのですが、目立ちたがり屋の気の強い人にとっては格好の獲物だったようで、いるだけでむかつくなど理不尽な事で集中的に言葉の暴力を投げつけた医学まで追い込んでしまいました。 私も目立つ方だったので、かなり強気にその人に「あんたのほうがムカつく」とか「いつまでも自己中でいるな」など言っていたのですが、私がいない時に特にひどく言葉の暴力をしていたようで先生にも言っていたのですが、保護者会も開いたのですが結局駄目でした。 いじめる側は理由なんてなんでもいいんですよね。いじめやすい標的を見つけたら遊び感覚でいじめをする。そしてどんどんエスカレートしていく。 そのときいじめをしていた人は結局色々な問題を起こし退学しましたが、その人のせいでせっかく入った学校を辞めざるを得なくなった彼女を守れなかったことが何十年もたった今でも悔しい思いとして残っています。人の人生を狂わせるいじめをする人を守る必要はないし、いじめられた人を悪くする必要もないと思っています。 いじめは心や頭の成長が不完全な人がする行為であると考えています。でもそんな風に考えても被害にあう人には現実を受け止めるしかない状況を回避することにはならず生涯抱えていく心の傷になってしまう。私もかなり深刻ないじめにあったことがあります。目立つから。それだけの理由だったそうです。派手ないでたちをしているわけではなく、明るく元気でいることが気に入らないということだったそうです。暴力がひどくて警察沙汰にもなりました。 幸い私は心が強かったことと、よい友達に恵まれていじめに立ち向かうことが出来ていました。いじめに負けるのが悔しいという気持ちも大きく、病院へ行くほどのけがをしても絶対にいじめっ子の言いなりにはならなかった。言いなりにならなければいつかはあきらめるかもしれないという気持ちもあったのですけどね。2年ほど続きましたがいじめに対する嫌悪感が強く育った、正義感が強くなったという面では自分にプラスだったかもしれないと思っています。なので高校に入ってのいじめに対しても許せずに頑張ってみたのですが・・力不足でした。悔しかったですね。 鍵をかけなかったの例えは私には違和感があります。鍵をかけなかったのは本人の不注意だし、東南をする犯人が悪いのは当然ですが、出来る防犯をしていなかったのも本人の不注意です。下着姿で夜中にフラフラっていうのも本人の不注意。リスク管理不足と言われても仕方がないことです。 いじめのない世界は無理だと言われていますね。考え方や育ち方、環境などで様々な人格が育ちます。犯罪者の心理が健全な生活を送っている人には理解が出来ないように、いじめをする人の心理は特殊な状態であると思います。また見下す対象を見つけることにより優越感を味わうことを楽しいと思う気持ちは大小あれども持っている人は多いと思います。 いじめに対して、人生経験の豊富な大人がどのような対応をするのか、いじめをする側のカウンセリングやしつけをどう対処するのか、いじめられた側のカウンセリングをどう行うのかということが大切なのではないか、子供を育てている親の考え方や生き方についてどう指導できるのかなど必要なことはたくさんあると思う。しかし現実問題そこまでフォローできるのかと言えば出来ない。 いじめられた経験がある人、いじめた経験がある人がこれらについて真剣に出来ることを模索して行動することが出来ればいいのではないかと思うのですけどね。 長くなりましたが、いじめは犯罪であることを親も子もしっかりと認識できる社会になってもらいたいものですね。
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- hekiyu
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いじめられる方に罪はありません。 ただ、いじめられる原因がある、というだけです。 そして、何処でもいじめられる、という場合には そのいじめられる原因を除去しないと、いじめが 続く、ということです。 そこで疑問なのですが、何でやり返さなかった のですか。 色々理屈をつけていますが、要するにやり返せなかった だけではないですか。 必要な時には戦う、という気概を持っていないと いじめられますよ。
お礼
窮地に追い込まれた時や堪忍袋のおが切れた時には無秩序な暴力に対して、無秩序な暴力でやりかえしました。 それは、当人同士としてみれば殺し合いです。 殺し合い等したくないです。 (仲裁が入ったり、相手が降参したり、どちらかが怪我をして死人は出ませんでしたが) 武力には武力でやり返せ何てのは漫画の中や、他の国の話で昭和後期以降の日本では武力を武力でやり返しても良い何てのはないと思います。 正当防衛ならそれはありですが、周りの大人や学校の先生に助けを求められるならそうすべきだと判断してそうしていました。 周りの大人も子供同士の戯れ言に大人が首を突っ込むものでは無いと取り合ってくれない場合が多かったですが。 武力を武力でやり返せとか、制圧しろなんて教育したら、日本の治安は激的に悪化します。 そして、喧嘩両成敗という言葉が重宝されていて、少しでもやり返せばどんなに相手が理不尽な事をしてきても「喧嘩両成敗」で済まされてしまったのがとても屈辱的でした。 なので、私は防御に徹して大人に一方的に暴行された事を話していました。 臆病者とか卑怯者とか言われるかもしれませんが、格闘技やスポーツ以外で武力は公認されないという考えです。 道場やリングの上であればいくらでもやり返します。 無秩序な暴力(武力)は犯罪でありそれに耐え忍んで然るべき機関に制裁をくだしてもらうのが日本人としての道徳・倫理だと思うからです。 ありがとうございます
- homura0081
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いじめられる側が悪いなんてことは絶対にあり得ない。 稚拙な回答で失礼しますm(__)m 私も苛められて過ごしました。 苛められている事に気づかずに12年保育園から中学まで 苛められて過ごしました。 保育園の頃、時々「〇〇なんで変な顔なの?」 と言われました。まぁ保育園の頃、はそんなの 言われても子供同士ですし、幼児ですし、いじめでは 無かったと思います。が、その事を率先して言っていた 子供は家が近くで、良く一緒に遊んで居ました。 その変な顔発言は小学校に入っても続き、物心ついた 私は不快感ながらもその子を友達と思い気にせずに 遊んで居ました、馬鹿にされてるのもしらずに。 そして中学に入った頃、まだ言われるのにぶちギレして 大喧嘩をしました。すると、廊下を歩いていると どこからか「〇〇の変な顔ー!」とヤジが飛んで来るように なりました言ってくる人が一人から全員に拡散していました。 私は自分の顔がいやになり家中の自分の写真、アルバムを 棄て学校に行けなくなりました。 今でも顔を見られるのが嫌でマスクが欠かせません。 身体的外傷は一度も受けませんでしたが 私は絶対に許せません。 身体的特徴なんてどうにもなりません。 運の悪いことにこの親とうちの親は付き合いが今でもあり 会話に時々こいつの名前が出る度に胸が苦しくなります。 30年近くあいつの事に悩まされています。 加害者は許されません と、いうか許しません。 どんな訳があっても絶対に許さない。 そして、被害者は悪くない! 苛められる側が悪いなんて事があっていいはずありません。 私は自殺できませんでしたが、苛められて自殺した 可愛そうな人たち、私は自分に神のごとき 例えば漫画のデスノートがあれば、加害者すべてに 報いを受けさせてやりたいと思っています。
お礼
心中お察しします。 イジメる側を許さない気持ちもわかりますし、心に受けた傷の大きさもお察しします。 例えば、物理学・天文学で有名なホーキング博士や五体不満足で有名な乙武さんの様な方を見て心の中で変だとか気持ち悪いとか思ってしまうこともあるかもしれませんが、それをその人が傷つくような言葉として口に出してはいけませんよね。 心で思っても、思いやり思った言葉にするなり、何も言わないのが人同士のつながりです。それをその人を傷つけるように暴言を吐くなどもってのほかですよね。 万が一、不快になるような言葉を発してしまった場合は謝罪すべきだと思います。 私をイジメた人々を許さない気持ち、殺してやりたいような気持ちもあります。 子供心に後から10倍返しにしてやると思った気持ちは今でも忘れません。 しかし、今現在の彼等に10倍殴ったところで私の傷つき・歪んだ心と人格は治りません。 彼らには神からそれなりの報いを受けていることと思います。 (天誅ってやつですかね。) >身体的特徴なんてどうにもなりません。 その通りですよね。散々バカにされてさぞかしお辛かったことと思います。 homura0081様の心にも深い傷がついてしまっているかと思います。 ここまで、耐えて生きてこられたことは素晴らしいと思います。 この先homura0081様が幸多き人生を歩まれることを祈っております。 理不尽なことを受けて、我慢して辛い思いだけをして終わりなんてことはないです。 必ず幸せな人生を歩めるはずです。 (それは自分にも言い聞かせていることです。) 被害者が「悪・罪」であるということは無いですね。 デスノートのようなものがあっても、彼等を痛ぶり殺すことが被害者の傷を癒すことにはならないかと思います。私は彼等(加害者)は神よりの罰(天誅)を受けていると信じています。(ちなみに無宗教ですが。) それは神に任せて、私の様なもの(被害者)は、現代(や後世)に生きる人たち、いかに力になってあげられるかということを考えて実践していくことが大切なのかなと思っています。 具体的にどうするっていうのは、まだありませんが、子供には暴力やイジメなどはいけないことと教えるようにしています。 加害者は悪、被害者は「少なくとも悪や罪ではない」と考えます。 ありがとうございます。
- show1968
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いじめられる側も悪いという事について、私はそうだと思っています。 私も中学時代にいじめられた経験の持ち主です。 つまり、自分の非を認めているという事です。 今になって思うと、加害者はクラス内において 「多数派の大将」になりたかったんです。 で、新学期早々クラスの誰とも仲良くしていなかった私を 引き込んで、子分にしたかった。 元から仲のいい子が一人もいない状態だったので、 私としては誰と仲良くすべきか困っている状態。 向こうから手を差し伸べてくれる子は誰もいませんでしたので 面倒だから一人を満喫してたんです。 どこのグループにも入らず、 余っている人としてクラスに存在してればいいかと思ってた。 それが、加害者は気に入らなかった。 「なんで、仲間に入れてくれと来ない」 入れてやると声をかけてくれるわけではないんです。 向こうが親分で子分なんだから「入れてくださいだろ」というのです。 そして加害者に挨拶しなかったといって因縁をつけられ、いじめです。 しかも加害者は私を仲間に入れたいが、その友達は入れたくない。 なんで仲間に入れなくちゃならないと思ってのいじめです。 当時の私はめちゃくちゃ理不尽だと思いました。 最終的に私は言葉で戦って、先生はさんで話し合いました。 先生は、加害者のやり方が間違っていることを注意し、 私が、クラスという社会に積極的に参加しなかったことも良くないと言い、 「どう考えてもそりがあわないんだから無理」という結論を お互いがだして、クラスとして存在するのは認めるけど、 友達にはなれないという事も分かってもらいました。 この時の経験で被害者も悪いという事に私は納得しています。 ただ、どちらが悪いかと言えば加害者です。 それから、自己防衛を理由とした傍観者や同調者が悪いかという議論も起きますが、 病気や怪我で倒れている人間を放置していいかという話と一緒だと思っています。 少なくとも救急車を呼ぶとか、誰かに助けを求める、 それくらいの事はやるべきなんで、 被害者に代わって誰かに助けを求めるくらいはすべきだと思っています。
お礼
前の回答された方もおっしゃってますが、イジメられる要因がある=悪・罪ということにはならないと思います。 イジメが存在するという事実は残念ですが、それを受け止めて、予防したり防衛したりすることはありだとは思います。 それを怠ったからといって、罪・悪ではないとは思っています。 周囲の人も先生なり、頼れる人に助けを求めるとか、何かしらあるかもしれませんね。 私の友達にいじめっ子(不良)グループに属していた人(しかも武道がすごく強い)がいるので、今度酒でも飲みながら聞いてみます。 (私はその人と毎日の様に腕相撲をしていたため、イジメのエスカレートに少しブレーキがかかったのかもしれません。中学当時は腕力オタクでした(笑)) ありがとうございます。
こんにちは。 いじめられる側も悪いってのは、そういう主張をする人もいますが間違いだと思います。 いじめられる側にいじめられる要因があったという主張なら分かります。なんらかの要因がないといじめられることはないでしょうから。ただし、要因がある=悪や罪だと言う主張は成り立たないと思います。
お礼
>要因がある=悪や罪だと言う主張は成り立たない そうですよね。 いじめられる側も悪いっておっしゃる方々は、実はその様な認識を持っているけど言葉に出していないだけかもしれませんね。 ありがとうございます。
- neKo_quatre
- ベストアンサー率44% (735/1636)
状況によると思いますが。 > ~「鍵をかけなかったのが悪い」 > と言っているのと同じで、被害者のリスク管理度合が低かったという話であり、取られた側・襲われた側も罪を犯している訳ではありません。 極端な話ですが、例えば質問者さんの家族、知人や友人が、 ・繰り返し何度も何度も注意を行ったが、鍵をかけなかった。 ・何度も盗難なんかにあっているのにもかかわらず鍵をかけない。 ・結果、大騒ぎしたり周囲に迷惑かけたり。 ・生活費盗まれたって事でお金貸したけど、同じような事で再度盗まれた。 とかだったら?って事を想像してみるとか。 さすがに、腹が立ったり、声を荒げるとかするのでは? リスク管理が足らないだけなんだから、生活費なんかが無いのは可哀想なので、何度でもお金を貸す?
お礼
>さすがに、腹が立ったり、声を荒げるとかするのでは? 確かに、リス管理が足らずに同じテツを何度も踏んでしまうのは、悪いことと思いますが、次元の違う話だと思います。 自分の子供が何度もそういうことを繰り返したら、「もう、ちゃんと成長しなさい」って思いますが、自分の子供が他人に暴力をふるって怪我をさせたら、懲役(又は少年院送り)になっても仕方ないなぁと思います。 ありがとうございます。
- kinta-money
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いじめられる奴はマヌケな客 いじめるのは有能な実力者です。 平和や和平はタダだなんて、にげもしないマヌケなどは実力者に金も命も取られても文句を言うの もはなはだおかしいのです。むしろ相手をしてもらえるだけ有難うございますと親もお礼の品を持ってくるべきですね。むしろマヌケに子供を作ったものだと、自分の育て方を悔やむべきであり 被害だなんて、頭おかしいことを世間の笑いものにされるだけです。 マヌケ相手には遠慮などせず、警察もこんなマヌケに労力を使う必要もありません。 学校なんて大人社会のシミュレーションなんですから、追い込み、脅迫、恐喝、当然合法的に やることもしますので マヌケ相手に練習したって良いのです。 いじめは生活における自然の摂理の行動の一つ 推奨するべきであり、息を吸うよな行動の一部ですから なくなることは決してありませんし、無くすべきでもありません。
お礼
何故その様な理屈になるか私には良くわかりません。 ただ、世の中にはその様な考えの人も少なからずいらっしゃるのだということはわかりました。 もし、その様なお考えの方が過半数を占めるのであれば、小学1年生くらいから体育に武道を取り入れて、正々堂々と武道場で勝負をすべきと考えます。 私も性根が姑息な方なので、インチキをして勝つことばかり考えてしまいますが、インチキをずっと続けて進んでいくと、後から付けが回ってきます。 ありがとうございます。
- kuni-chan
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>イジメられる側も悪いというのが一般論 一般論という主張は何を根拠にしていますか?
お礼
すみません。一般論とは言い過ぎました。 テレビやネットや私の周りでよく聞く という程度の話です。 ありがとうございます。
- sparkle719
- ベストアンサー率12% (370/2998)
いじめる原因がないといじめは発生しませんよね。 私が小学生のときはいじめはありませんでした。 いじめがいのあるこ、いじめる原因がある子、いじめたがる子、がいないと成立しません。 いじめられる側も最初から適切な対応ができれば、その後いじめが続くことはなかったはずですからね、まったく罪がないとはいえませんよね。
お礼
それはそれで正しい理論かもしれませんね。 下着姿で歩いている女の子が強姦にあったとして、もしかしたら、僅かに女の子側に罪があるのかもしれません。でも極僅かだと思います。 (下着で出歩くのは一応違法行為ではないようですし) 仮に100歩譲って、イジメられる側に罪があると認めたとしても、極僅かだと思います。 それが「大罪」であるように、捉えられてしまうことが納得いかない次第です。 ありがとうございます。
お礼
>犯罪者の心理が健全な生活を送っている人には理解が出来ないように、いじめをする人の心理は特殊な状態であると思います。 >また見下す対象を見つけることにより優越感を味わうことを楽しいと思う気持ちは大小あれども持っている人は多いと思います。 確かに、イジメをする人の心理状態やケアも大切だと思いますし、かなり難しい問題なのかもしれませんね。 >長くなりましたが、いじめは犯罪であることを親も子もしっかりと認識できる社会になってもらいたいものですね そう思います。 「人の嫌がることはしない!」という心を育てていって欲しいと思っています。 (もちろん、武道、スポーツ、ビジネス等のルールに則っての競い合いはOKですが。) ありがとうございます。
補足
>いじめられた経験がある人、いじめた経験がある人がこれらについて真剣に出来ることを模索して行動することが出来ればいいのではないかと思うのですけどね。 >長くなりましたが、いじめは犯罪であることを親も子もしっかりと認識できる社会になってもらいたいものですね。 イジメられた側が悪いかどうかなんていう次元の話ではなくて、 この最後の締めくくりの部分が、我々大人にとってもないがしろにしてはいけない課題だというところを、これを読んでくださる皆様へのメッセージとして、送りたいのでベストアンサーとさせていただきます。 もちろん、この課題が見えている次元で、イジメられた側が悪い(罪人)という話は完全否定です。(論外なくらいです。) 日常生活においても、2020年のオリンピック等においても、我々日本人同士はもちろんのこと、諸外国の方に対しても、自信を持って「世界一治安の良い国です。」と胸を張って言える様にしたいですね! (多分今でもそうなんでしょうけど、平和で親切な国日本を将来にわたって磨き上げて行きたいですね。)