homura0081のプロフィール
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- 登録日2009/03/14
- イジメられる側も悪いというのが一般論の様ですが
タイトルのことについて、私は違うと思っています。 イジメられる側は被害者で、イジメる側は加害者だと思っています。 それは 車上狙いにあって、「鍵をかけなかったのが悪い」 自転車を盗まれて、「鍵をかけなかったのが悪い」 空き巣に入られて、「鍵をかけなかったのが悪い」 強姦されて、「夜中に下着姿でフラフラ出歩いてるのが悪い」 と言っているのと同じで、被害者のリスク管理度合が低かったという話であり、取られた側・襲われた側も罪を犯している訳ではありません。 もちろん、その腹いせに別の人を傷つければその人は罪人になってしまいますが、やられっぱなしのところまでは罪人ではないと思います。 私も幼年期から中学までイジメられていました。途中イジメられていない時期もありましたが、年上の人からの圧倒的な力の差による暴力(武力)でした。 金八先生の第4シリーズでも、イジメは「イジメる人」と「傍観者」になりきって仲裁しない人が「悪」であると教えていました。 私も「イジメる人」が罪人であると思います。イジメを行う人にも何かしら環境的な不具合や対人関係の不具合、心の不具合があってイジメ行動に走ってしまっているというのはなんとなくわかります。 イジメられる側にリスク管理力、自己防衛力が低すぎるというのもわかります。 (イジメる人の親とか、環境にも罪があるのかも知れませんが。) しかし、イジメられる側も「罪」であるとすることがどうも腑に落ちません。 腑に落としたくもありません。 日本社会からイジメを無くすとか、壮大なことは私には出来ませんが、イジメられる側は被害者であり、イジメる側が加害者・罪人であるということは明白な事実だと思いますが、違うのでしょうか? イジメられる人にはイジメ対象になってしまいそうな部分を改善していないとか、リスク管理や自己防衛が足らないという部分は認めたとしても、それは家に鍵をかけてないというのと同じようなことで罪ではないと思います。 日本人は平和や基本的人権の尊重(この件に国民主権は余り関係ないですが)を柱として、(家庭ををはじめとした)社会生活を送っていく人たちであり、暴力をふるう側とふるわれる側で、ふるわれる側に罪があるとか、過失割合が高いというのは、どう考えてもおかしいと思うのですが、違いますでしょうか? ちなみに、私は幼年期~少年期の頃に、多量のイジメにあいました、やり返すことも考えていました、暴力を暴力でやり返したならば、極端なことを言えばアニメの「北斗の拳」みたいな武力が全ての世界になってしまいますし、耐えて然るべき時・場所・手段にて、やり返すのが正義だと思っていました。 結局は耐えて耐えて耐えて自分の怒りを自分の内面にぶつけて、心と人格に傷と歪を持ったまま中年オヤジになってしまい、それが後の人生に影響を及ぼし、双極性障害2型なんていう病にも罹ってしまいましたが。 (数え切れない何千回と受けてきたイジメのうち数回爆発してやり返してしまったこともありますが) どうしても、武力を是としたいのであれば、小学校1年生くらいから、柔道・空手・キックボクシングなどを体育の時間に取り入れて、正々堂々「リングや畳の上」でルールにのっとって勝負をすべきだと思います。ルール無用の喧嘩なんてのは、人数の差とか、相手の急所を攻撃したり噛み付いたり、強力な武器を使えば勝ってしまいますし、どちらが武力が強いかという勝負にはならないと思います。 イジメる行為というのは卑怯の塊な気もしていまして、それを是として、イジメられる側を「否」とする理論が納得いきません。 イジメられる側も悪いというのは当たり前ですか? 罪ですか?悪ですか? (くどいようですが、リスク管理が足らないとかそういう類っていうのは罪ではないですよね。)
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