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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:恨みの対象)
恨みの対象とは?
このQ&Aのポイント
- 罪人とされた人の家族が恨まれる理由や、恨んだ人が罪人の関係者に対して傷害罪に問われない理由について疑問を呈しました。
- さらに、国を恨むことについて、連帯責任や責任逃れについて考えるよう促しました。
- 自分が嫌なことは相手にしないという常識を忘れ、自己中心的な考え方が問題ではないかと指摘しました。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 全ては思慮の浅さと我がままです。 特に日本の教育は個人主義の排除が根底にありますから、 従順な代わりに精神的に幼いのです。 国のせい、行政のせい、社会、親、学校。 常に他者のせいです。 それでは自身はなんであるか? 思考停止の操り人形です。 あなたの様な方は非常に稀で、大多数は右倣えです。 それで満足するように教育されてきた為でしょう。 巧妙に見せかけの自由を与えられているので、大抵気が付きません。 「既に戦前である」という言葉がささやかれています。 とてつもない皮肉ですが、事実ですから驚きです。 足りないのは集会禁止令だけといった有様です。 何故? そう思うお気持ちを大切になさってください。
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- momocat20
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回答No.2
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(その人を憎むあまり、その人に関る全てのものが憎くなるということのたとえ。)という言葉がぴったりだと思います。 そこが人間の愚かな所なんでしょうね。 「犯人の家族もロクでも無い奴だ!」「○○という国はどうしようもない!!」とひとくくりにする意見はおかしい。 個人で見るべき所を集団で見るというのは如何なものかと思います。
質問者
お礼
そうですね 団体一人一人が恨みを買うような事をしたならともかく 無関係な人までってのは酷いですね 自分には どうして個人ではなく集団を恨むのか 考えてみても答えが見つかりませんね 回答ありがとうございました
お礼
政府の人たちももしかしたらこの現状に疑問を持った方が居るのかもしれませんね もしかしたら自分のような方もいるかもしれませんね 人生は多数決とはよく言った物です 人100人が束になっても 人101人が優勢 回答ありがとうございました