• ベストアンサー

死ぬ事に恐怖を感じます

たまにネットとかで 自殺したい とか 死ぬの上等! とか言ってる方がいます。 私には全く理解できません。もしかしたら私以上に死を恐れてる人間はいないのではないかと思えるくらい私は死が恐ろしいです。 回答頂けるなら嘘偽りなく正直に答えてください。 私は死が恐ろしいです。 皆さんは死が恐ろしいですか? もうひとつ、死の恐怖を克服する方法があるなら教えて頂けませんか? 是非実践したいです。

みんなが選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.6

アンジェラ.アキさんの 手紙~拝啓十五の君へ~ を聴いた事は有りますか? 今日を生きる、 今を生きる。 一生懸命、生きるしかないんです。 そうして、ここに居た僅かな時間を 終えて、 次の方々に渡して行くだけです。 誰か、スポーツ選手が言っていました。 『死ぬのは、一度きりだから、 怖くないわ』 拍手です。(*’ω’ノノ゛☆パチパチ

その他の回答 (22)

noname#208233
noname#208233
回答No.23

怖いですね。怖いけど、 死ぬことよりも生きないことはもっと怖いです。 何事にも共通する話ですが 疑問やネガティブな感情がある時は 避けずにそれと向き合い、 とことんみつめてみることだと思います。 なぜそう思うのかという 自分の感情の分析ですね。

noname#209803
質問者

お礼

有り難うございました

  • lv48
  • ベストアンサー率28% (153/535)
回答No.22

秦の始皇帝も死を恐怖し、不老不死を求めましたが徒労に終わりました。 死は平等に与えられるとも考えられます。 『葉隠』の教えで毎朝、切腹の真似事をして、死んだ気になれば100%の力で事に当たれるという教えがあります。 スティーブンジョブスは今日死ぬと覚悟すれば、100%以上の力が出せると言いました。 死人となって100%か、火事場の100%以上か、この差が侍スピリッツとアメリカンドリームの違いです。 https://www.youtube.com/watch?v=eSXfuDaJfm4 人生 一度 Carpe diem em em 明日は明日の風吹く 不安 恐れ 蹴散らせらせらせらせ 心に燻る炎 燃やし 尽くせ Memento mori mori mori 命は使いきらなきゃ 賽は投げられたぞ Que sera sera sera http://ameblo.jp/2013-6-10/entry-11559026296.html

noname#209803
質問者

お礼

有り難うございました

  • sparkle719
  • ベストアンサー率12% (370/2998)
回答No.21

誰でも最終的には死ぬので怖いとかよりは仕方ないかという感じです。 死の恐怖は死が迫った状態じゃないと味わえないとは思いますが、 死を受け入れることしかないと思います。

noname#209803
質問者

お礼

有り難うございました

  • ootemon
  • ベストアンサー率13% (558/4273)
回答No.20

死ぬのは怖くない人はあまりいないんじゃないですかね。 今日死んだら困るけど、 お別れの挨拶したい人に全部挨拶済んだら何時死んでもかまわんちゃかまわんですね。 今のところこの世に未練はないです。

noname#209803
質問者

お礼

有り難うございました

  • manmanmann
  • ベストアンサー率12% (535/4296)
回答No.19

いまは、恐ろしくはないです。 でもそれは死に直面していないからだとおもいます。 実際に死が隣にきたとき、恐怖するのでしょう。 でも少なくともそれまでは大丈夫です。

noname#209803
質問者

お礼

有り難うございました

noname#225485
noname#225485
回答No.18

死が怖いのは当然だと思いますよ。 頻繁に死を口にする人は死を身近に感じた事がないのでしょう。 核家族化で人の死に際に立ち会った経験が無い人も多いようです。 親戚の葬儀などに子供を出席させないなんて親もいるそうですから…。 当然ながら平和な日本では死は日常生活に身近には存在しません。 (正確には見えないだけですが) 死というものがあくまで映画や小説アニメなどに描かれるフィクションに近いのでしょう。 死の恐怖を克服する一つの手段は「信仰」です。 そもそも宗教とはそういう目的で作られたという側面もあります。 正しく「信じるものは救われる」のです。 自分は疑い深いので残念ながら全てを受け入れる事が出来ません。 むしろ疑う事無く信仰できる人は幸せだと思いますねぇ。

noname#209803
質問者

お礼

有り難うございました

  • cxjfanug
  • ベストアンサー率20% (133/639)
回答No.17

私も死が恐ろしいです。どうやってヒトとして形成されたか分らないので、どうやって消滅するのか分らない。 さっき通った道を右ではなく左に曲がったら、交通事故に巻き込まれて死んでたかもしれません。 そんな選択の連続で私は生きられているな、と思っています。 なので、一日の終わりに布団に入った際はホッとすることがあります。

noname#209803
質問者

お礼

寝る時、布団に入るとホッとする。解ります。 有り難うございました

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.16

 基本的に死は恐い物です。本能的に。  で、自殺などの衝動があるのは、精神的に自分を保てない状態です。私もありましたから。  それと、私は死に関して恐怖感は少ない方です。実際に病で死ぬのではと言う恐怖と戦い、病から復帰したことで考え方を変えたこともあります。死ぬ事は?生きることは?と考えて居ました。  いずれ、人は死ぬ。でも、生きているのだから頑張って生きてみようと。しっかり生きて居れば良いだろうと。死ぬ時期は神様なり仏様なりが決めてくれるだろうし。  それと生まれ変わりがあるのなら、死後の世界があるのなら、その世界もまた楽しそうだなと。  こんな感じです。  ネット上で自殺したいとかの発言の多くは本当に死ぬ覚悟は有りません。生きたいという希望があるので、誰か助けてみたいなものが多いと思います。  生死の境というか死を意識した人って、不思議と死の恐怖が薄らいでいく感じもあるようですね。

noname#209803
質問者

お礼

そうですね。 有り難うございました

noname#208768
noname#208768
回答No.15

>皆さんは死が恐ろしいですか? 以前、人生に行き詰まって、家族を失い、愛をなくして、手持ちの金は女につぎ込み 一文無しに近い状態で、投資用マンションを3室持っていて、ローンだらけのなかで ここで自殺したら自宅とあわせて子供たちに団信でローンが消え9000万くらいの 財産がのこせるなぁと思い、まじめに死ぬことを考えました。 でも、ビルから飛び降りるのも、電車に飛び込むのも怖くてできませんでした。 それと、この時代に生まれてきて ・一度はやりたいと思ったこと ・これがやれたら死んでも悔いがないと思えること これをやらずに死んではもったいないと思いました。 私の場合は、「超美人の女性と恋仲になる」 これは、若い頃に職場に派遣でやってきた女優クラスの美人女性と 食事をじたときに、つくづく思ったことです。 私の今世のテーマは、おそらくは「女」だろうとうすうす勘付いていますが 最初の恋愛から数えて8人目の彼女が、女優クラスの超絶美人でした。 自分でも、よくそんな女性口説けたなと今でも不思議ですが、とにかくデート して食事して酒飲んでホテルに行き、その後も3か月くらいつきあいました。 許されるならここに写真はりつけたいくらいいい女でした。今はもう50代ですから さすがに変わったとはおもいますが。 今のカミサンと知り合わなければ、その美人の人妻とずっとつきあってきたかも しれません。 >死の恐怖を克服する方法があるなら教えて頂けませんか? 官能の極みを体験すれば、死ぬのは怖くなくなるといいます。 心中、もしくは腹上死はひとつのやりかたかもしれません。 私は、子供に顔向けができないからしませんけど。 4年前に、従弟が首吊り自殺をしました。 私も含めて躁鬱の家系なのでやはりそうかという気がしました。 かれは、地主だった母方の直系の長男で路線価で15億円はくだらない 土地資産を養子縁組や祖母に書かせた遺言で独り占めしようとして 賃貸マンションをたくさんたてて失敗しました。空室をかかえて 借金がかえせずに、物件を売ろうにも田舎では買い手がつかず 万策尽きて思い余って自殺。 考えることは皆同じです。 真夏の葬儀に、死体の腐敗を防ぐため詰めた氷の隙間から首回りに ついた真っ黒い縄痕をみて、鬱血でどす黒くなった仏さんの顔とともに すべての事情がわかりました。 カッコよく死ねとはいわないまでも、穏やかに死にたいものだと思いました。 >死の恐怖を克服する方法があるなら教えて頂けませんか? 是非実践したいです。 歳を経ることでしょう。この世の悔いが減ってくれば、生まれ故郷に帰るように 死も怖くなくなるのではないでしょうか。 今、通っている眼科の美人の先生がいいなぁと思うのですが、どこかで 「お前、一回超美人の人妻とつきあったじゃないか。」 という天の声が聞こえてきます 「神様、こっちはもっと若いです。」 「もう一度やってみるか?命がけで望めば、叶わぬ夢でもないが」 「いや、超美人の思い出は一回でいです。」

noname#209803
質問者

お礼

有り難うございました

回答No.14

人は誰しも死ぬ。 いや、それどころか人の肉体の中でも無数の細胞が生滅し、 その中で遺伝子自体が細胞分裂の回数を制限し、自ら老いて 死ぬようになっているのだ。 そうして世代交代する中で、異性を選び交配し新たな遺伝的 形質を生む事で、それまでの突然変異と自然淘汰だけの遅々 とした進化から脱却したのである。 つまり異性との愛や親子の愛といったものは、死と表裏一体 のものなのだ。 異性も愛さず子供も生まれない世界に、生きる価値があろうか? 既に我々の身の回りの衣食住、ほとんどのものが世界中から やって来ており、もはや人類全体が1人では生きられぬ一個の 社会生命となっている。 そこにおいて旧態依然とした自己チューな意識のまま、お金や 虚栄心、自己顕示欲といった他律的な生に流されて生きるので はなく、自己存在の本質に根差した社会生命的自覚(助け合い としての社会)=他我によって自律的に(生きる喜びにおいて) 生きる時、その意志は肉体の限界を超えて広がり、他の喜びを 自らのものとする相乗効果、あるいは他への信頼において遠い 未来における達成を現在の喜びとする射影効果により、寿命の 長短とは別格の幸福感が可能になる(人生を通算した最大充足)。 肉体を越える意志のみが、死による肉体の限界を超える。

noname#209803
質問者

お礼

壮大で哲学的な回答ですね。 有り難うございました

関連するQ&A