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学習障害について
少し気になったことがあるので、質問させていただきます。 “視覚優位でディスレクシア” というのは、どういうことでしょうか? なにか矛盾しているような気がするのですが… よろしくお願いします。
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No.3の続きです。 質問者さんが特に疑問に思っていたのは、前回までのことではないかと思います。 ここからは長くなりますので、読み飛ばしていただいて結構ですが、もし関心がおありでしたら、こちらも併せて読んでいただけると幸いです。 この直前には聴覚情報に重きを置いてディスレクシアの話をしましたので、ここからは「見えているのに何故、ディスレクシアが起こるのか」という話をしたいと思います。文字が歪んで見えたり、ぶれて見えるからディスレクシアになってしまう方もいますが、ここでは、そうではなく「むしろ興味関心があることに関しては、並外れた観察眼を持っているタイプに見えるのに何故?」というケースについて触れたいと思います。 LD(ディスレクシアも含む)は女性よりも男性に、右利きよりも左利きに多いと言われていて、レオナルド・ダ・ヴィンチやピカソが、まさにそうだったと言われています。LDだと鏡文字を書いてしまう方が多いと言いますし、dとbの区別が出来ない方も多いです。 読まれたくないから故意に鏡文字を書いたという説もありますが、レオナルド・ダ・ヴィンチは左利きだったと言われています。文字は多数派の右利き用に作られていますから、左利きのダ・ヴィンチが鏡文字を書いたというのには頷けます。 また、ピカソというと抽象画というイメージが強いですが、幼い頃から既に写実的な絵が上手で、画家として先輩だった父親が舌を巻くほどだったという逸話がありますので、彼もダ・ヴィンチに劣らず視覚情報による観察眼は優れていると思います。 ピカソには、それとは別に有名なエピソードがあって、彼は大人になってからもアルファベットの順番も分らなければ、全部で何文字あるのかすら覚えていなかったと周囲に語っていたということです。 これは、うちの子を担当していた作業療法士さんから伺ったことですが、「LDがあるとアルファベットよりは、表意文字である漢字の方が意味づけが出来るので、覚えるのが楽な人もいる」ということです。 意味付けが出来るということは即ち「イメージできる」ということになります。 アルファベットの場合はいきなり音をイメージできなければいけないし、それがスペルとなったときは、発音そのものがガラリと変わるので、LDがあるとアルファベットが絡むと途端に覚えることに苦労する人もいるのです。 うちの子の場合、アルファベットに関しては、読むのも書くのも順番を覚えるのも本当に苦労したので、現代人がヒエログリフを見たときに感じるように、意味不明の象形文字に見えていたんじゃないかと思います。私は子供が生まれるまでは、ピカソのアルファベットに関する逸話については「そんなのただの勉強不足じゃないの?! そもそも覚える気がなかったんじゃない?」と思っていたけれど、真正面から何度も学習に取り組んでも、泣きながら勉強しても、「通常の学習法では身に付かない我が子を見ていて、LDの人には現代の文字がヒエログリフのように難解に見えるのでは?」という考えに至りました。 当人が文字を見て難解に思える以上は、その人にとって難解なことであり容易なことと思えということ自体に無理があるんだと。 ピカソもまた、その行動からADHDにLDを合併していたと言われていますが、ピカソは一枚の絵にテーマ(意味、メッセージ)を見出すことは出来ても、「アルファベットにはなんの意味づけも出来なかった」から、ただの模様や記号に見えて、無個性で魅力の欠片もないただの線にしかみえず、「集中力を保ち学習することが困難だった」のだと思います。 推測になりますが、つまりは「物語性のないものに興味を保ち続けることが困難なタイプの脳を持った人だったんじゃないか」と。 努力しなかったんじゃなくて、どうしても頭の中に入らなかったんだと思います。 ピカソの場合は写実的なデッサンが描けたのですから、視機能に問題があったというより、アルファベットに関しては身近に優秀な作業療法士がいるでもなかったので、「何を取っ掛かりにして覚えたら良いのか、ヒントの様なものすら分らなかったんだろう」と。 LDには余計な線がくっついただけで、もとの形が同じ図形でも違う図形に見えてしまうがケースがあります。それとは逆に、もともとが全く違う図形なのに同じ図形に見えてしまうということもあります。 だから類似図形の見分けが出来なくて、それが文字を書いたり読んだりするときに、障害として表れてしまうケースがあると考えられています。 余計な情報を消去出来ないから、自分で感じ取った音声や視覚情報が全て飛び込んで来て、自分にとって必要な音声や視覚情報の純度を高めることに苦労する。 意味を持たせることが困難なことに対しては、学習することに困難を感じる人たち、それが「ディスレクシア」で、視覚情報と聴覚情報、どちらが優位でどちらが劣性であるかで様々な特徴もまた生じるのだと思います。
すみませんが文字数制限に上手く収められなかったので、投稿を二回に分けました。 うちの子がLD、学習障害当事者です。 LDの診断はそのままですが、一時期ディスレクシアと診断されたことがあります。 代替わりした今の主治医からは、ADHDの影響でLDを合併しているとだけ診断を受けています。(ADHDだと必ずLDになるということはありませんが、ADHDがない人に比べるとLDを合併しやすくなります。ですので、申し訳ございませんが回答中ではADHDの話題についても度々触れています。) ディスレクシアとは要するに、“読む・書く・記憶するのが困難なLD”ということになりますが、当事者や保護者に向けて分りやすく書かれた書籍がありますので、そちらの解説を一部、引用という形でご紹介させていただきます。 なお引用は以下の点線で囲った個所になります。 原文は縦書きなのですが、引用する際に横書きに直しました。 それ以外は原文のままです。 ------------------------------- ひとくちに「ディスレクシア」とか「読み書き困難」といったからといって、なにも、“まったく書けない・まったく読めない”わけではない。 平仮名を書くことすら困難な場合もあれば、平仮名は書けるけど漢字が書けない、漢字は書けてもアルファベットが書けないなど“書けない”の内容や困難さは一様ではない。同じように“読めない”といっても、こちらもいろいろ。平仮名が読みにくい人もいれば、一字一字は読めるけれど文意が取れない人もいる。 また、“読み書き”困難といっても、聞いた情報を理解するのが苦手という人もいれば、聞いた情報は理解できるのに目から入る情報は苦手という人もいる。 今、見たことを覚えられないという視覚的短期記憶が悪い場合もあれば、今、聞いたことを覚えられないという聴覚的短期記憶が悪い場合もある。 (『怠けてなんかない! ディスレクシア ~読む・書く・記憶するのが困難なLDの子どもたち』品川裕香・著 岩崎書店 2009年 7月10日 第10刷発行 / 第一章 ボクはどうして勉強ができないの? 17ページより) -------- ※引用はここまです。------------ 以上のことを踏まえて意見を述べさせていただきます。 ディスレクシアで視覚優位ということであれば、聴覚を通した情報や文字だけの情報よりも、「図や映像を利用した情報の方が理解が早い」ということが考えられます。平たく言ってしまうと「百聞は一見に如かず」と同じで、言葉や文章だけで説明されるよりも、「見るということを通した方が理解できるタイプ」ということになります。つまりは「考えるよりも感じることで理解できるタイプ」だと思います。 視覚優位というのは言い方を変えれば、聴覚情報が劣性ということなので、「聞いただけでは理解するのが苦手」と言えるし、「聴覚による短期記憶が弱い」とも考えられます。 「聞いただけでは理解するのが苦手」とは、咄嗟に話の要点を掴むことが出来ないということもあるでしょうし、要点が掴めないから、全てを覚えようとして、結局、何も記憶に残らない、そういうことも考えられます。 引用元の説明にあるような、「一字一字は読めるけれど文意が取れない」とは、上記のようなケースも該当すると思いますし、情況を言葉で表現したり時系列を追うのが不得手というケースも含まれると思います。 ディスレクシアで視覚優位の方の場合、ラジオのように音声だけの説明や、小説のように文章のみの説明より、テレビや漫画の方が理解しやすいということが考えられます。視覚優位である以上は、その場で口頭だけで説明されるよりは、まだ文章を使って説明された方が理解は良いけれども、図解付きの方が更に理解が進むということになると思います。 例え文字は正しく書けなくとも読むことが出来、繰り返し読むことで文意が掴めるタイプならば、 “口頭(音声のみ)の説明<文章を使った説明<文章または音声+映像による説明” ということは充分に有り得ます。 なお、視覚優位ということならば、文章も音声情報も簡潔であった方が分り良いと思います。ですので、この回答は不親切ということになりますが、このような長文の場合は、単元ごとに区切って読む方が理解しやすいと思います。 *** 視覚情報を処理するのが得意だから、視覚情報が優位である、それは当然と言えば当然ですが、聴覚情報処理が苦手だから、視覚情報が優位にならざるを得ない、そんなケースもあります。 視力検査で何も問題がなくても、動体視力が良くない人もいます。 電車で移動中に看板の文字が読めないとか、野球の時にボールの動きが良く見えなくてバットに当てられないとか、あれと同じような不都合が聴覚に現れる方がLDの方にもいます。 具体的に申しますと、ベルの音は聞こえるし、一人対一人で会話するときには何も問題ないけれど、「その瞬間に必要な音声を拾えないためLDである」という方もいます。これはADHDにもある特徴の一つなのですが、冒頭で触れたように、ADHDがあるとその影響からLDを合併してしまうケースは多いです。 ADHDの場合、一人対一人なら会話の聞き取りに困難さを感じなくとも、パーティー会場のように大勢の人が集まる場所だと、複数の会話が重なり合い、その場に集まった音が混沌として聞こえ「発音そのものが聞き取れない」ことがあります。 そういった状況で聞き間違いをした場合、前後の文脈が繋がらないことでADHD当事者にも「それが効き間違いであることは分ります」。 しかし、今その場で話している相手の会話だけを拾おうにも、「ADHD当事者には全てが溶け合って聞こえて必要な音声情報だけピックアップすることができない」ので、自力で修正しようにも情報が足りていないし、全ての音が混沌としているということは、必要な情報が入って来ないのに等しいので、どうしても話からは置いて行かれます。 頭の中で情報はブツ切れ状態なので、こうなってしまうと、「話の筋が追えなくなってしまいます」。そうなると、リアルタイムの口頭による会話よりも「メールのように視覚に頼った文字情報=文章の方が楽」という方もいます。 耳そのものは良くて聞き間違いが少なかったとしても、ADHDで衝動性や不注意が目立つタイプだと、興味関心があること以外に集中し続けることは困難なので、人の話を最後まで聞かずに早合点してしまったり、自分の話ばっかりになってしまったり、話題とは「別のことに気を取られて」相手の話が見えなくなってしまうことがあります。 「別のことに気を取られる」の具体例ですが、会話相手としている話題よりも、その人の着ているシャツの柄が気になったり、目の前の料理のことが気になったり、窓の外を歩く猫のことが気になったりなどです。 「視覚優位のディスレクシア」の方の中には、こういった方も含まれていると思います。 ここではパーティー会場を例に取って説明しましたが、これを教室に置き換えたとき、学習面で深刻な影響が出ますよね。それが「ディスレクシア」であると言えると思います。
この様な記事を見つけました。 「真っ白な闇を歩き続けて~ある発達障害者の手記」 http://snowyroad2012.web.fc2.com/main1-5.html こちらのサイトによると・・・・・・ 『≪視覚優位≫(視覚映像優位型) 言葉を覚える以前に、視覚で直接ものを見て考え、理解し、知識として積み重ね、 思考していると考えられています。』 『◆ディスレクシア…特に映像思考が強く、色優位性を持つ人、あるいは三次元に強い人は、 認知の偏りが強く、ディスレクシア(読み書き障害)である可能性を多く秘めています。 主な症状は「音の聞き取り」や「音の記憶」に困難が生じたり、「背景から特定のものを抽出 できない」「音と文字の結びつきが弱い」 「動きや奥行きが分からない」という症状で、 これらは遺伝的な要因が関係していると言われています。』 ・・・・・・と、あります(『』内はサイトからの引用) ディスレクシアにも様々なパターンがある事は知っていましたが……難しいですね(苦笑)
- HeyXey
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よくわからないですけど、こういうことではないですか。 ディスレクシアは脳での情報処理が一般と異なるので、たとえば文字が模様の一種のように見えてしまって意味と結びつかないとか、音で聞いた言葉を文字に変換できないとか、そういう感じです。声に出して読んであげれば理解するし、声で回答もできるけれど、文字の読み書きは苦手、という感じではないでしょうか。文字の形だけはものすごく記憶しているとか、そういう意味ではないでしょうか。 http://spotlight-media.jp/article/92167279373715460 トム・クルーズもそうなんだそうです。 http://book.spearmicro.com/index_34.html